第51話:災難
チュンチュンと雀の朝歌で起きられればどれほど良かったであろうか。
闇に響くは「ホーーホーー」という重低音。耳をつんざくような音はアーノルド住民の安眠を妨害するには十分だった。
「うるせーぞ」
「誰だこんな朝早くから」
そうやって家から飛び出してきた血気盛んな男達は、闇夜に浮かぶ不気味な光る目の巨体を見て無言で家の中へと戻っていった。
その巨体はアーノルドの上空で旋回し目的の人物が宿から出てくるのを確認した後で、城門の外へと降り立った。そして目的の人物が出てくるのを今か今かと光る目を更に輝かせながら待っていた。
降り注ぐ雪がほんのり自慢の羽に雪化粧を施した時に、やっと朝日が上がり城門が開く時間となった。その人物は門番に謝罪した後、城門のすぐ近くに鎮座している巨体へと走り寄った。
巨体は「ホーーホーー」と歓喜の雄叫びをあげ、羽に降り積もったカマクラを造れそうな量の雪を周囲に撒き散らしながら羽ばたいた。すると周囲には暴風が発生し、木々からはドスンっと雪が落ちた。
そして門番に頭を下げていた人物が巨体に向けて言い放った。
「ムン、静かにしなさい」
予想外の言葉を聞いたからだろうか、ムンと呼ばれた巨大な梟は目に見えて落ち込んだ。それは上司に怒られた部下というよりは、好きな女に叱られた男の様に見えた。
ルクス王の歓待を受けた人間の女は、3倍はあろうかという梟に説教をした。
どんな関係なのだろうか?
また仲間の男は、昨日仮中級魔導師試験に合格していた。何でも魔導隊隊長ブッフハルトの推薦らしい。あのブッフハルトがーー失礼な言い方になるがーー中級魔導師如きを推薦するのであろうか?何やらまだ謎がありそうである。
彼らの正体は今やアーノルド住民の関心の的であろう。これからも彼らを追い続けていくことにする。
続報待たれし。
〜タージフ新聞より抜粋〜
◇
「こんな朝早くから五月蝿いっての」
「そんなー、アリッサはボクに会いたくなかったの?こんなに離れ離れになっていたのに」
「こんなにって…まだ1ヶ月も経っていないじゃない」
「ボクは毎日アリッサに会いたいんだよ」
ムンは土下座しながら顔を上げてアリッサに懇願している。5m以上の巨体が土下座をした所で、まだ目の高さはムンが上のため、謝罪しているようには見えなかった。
この梟はカン族のムン。約半月前にお世話になった魔族である。人間には懐かない種族なのだが、アリッサには懐いていた。
ーー病的な程に。
別れ際にイヤだイヤだと泣きわめき、付いて来ようとするムンを家族が必死に止めたが、結局殴る蹴るの乱闘になり、棲家としている森の一部がハゲ山化してしまった。奮闘虚しく囚われの身となったムンは、一日中「ホーーホーー」と鳴き続け、去りゆくアリッサに惜別の歌を届けていた。
それほど懐かれた理由は、アリッサが純粋に人でないことと、大食い対決で辛勝したことにある。肉1枚差の激闘であった。娯楽の少ないこの国では大食い対決が頻繁に行われていた。現に4ヶ月程の旅でアリッサが大食い対決をしなかったのは、片手で数えられるくらいである。それが可能なのはこの国の食料自給率が優れている証であった。
(ゲーリッヒが用意した山越え対策ってのはムンだったのか。しかし……)
宗一郎は純粋にムンの登場を喜べなかった。
「あっソウイチロウもいたのか。ボクのアリッサを取りやがって、チッチッチッ」
クチバシを何度も開け閉めしてムンは宗一郎を威嚇した。ムンは宗一郎が大ッキライなのである。
「今回はルクス王の依頼だから、山越えを手伝ってやるけど、本当なら人間を乗せるなんてイヤなんだからな。感謝しろよ」
ムンは宗一郎がアリッサを連れ去ったと勘違いしているのである。
「でっかい梟だねぇ」
「ムンさんです。半月前くらいにお世話になりました。ソウイチロウさんには冷たいですけど、リーザやアリッサさんには優しくしてくれました」
「リーザも『さん』付けなんかしてくれなくて良いんだよ」
「ええと、それは難しいのでやっぱり『ムンさん』で」
「ムン殿、ご足労をお掛けしたであります。某はルクス王よりソウイチロウ殿の護衛の任を賜ったトールと申す者であります。以後よろしくお願いするであります」
「……ねぇアリッサ、あの人なんて言ってるの?難しくてわかんない」
「自分も一緒にボーグルに行くんでよろしくってとこかしら?」
「ええ、男が増えるのー?」
「ルクス王の命令ですって」
「うぅなら仕方ないか。おい人間」
「トールよ、トール」
「おいトール。仕方なくお前も載せてやるから感謝しろよ」
「はっ有りがたき幸せであります」
「……アリッサ、なんて言ってるの?」
「いやっ今のはわかるだろ」
宗一郎は突っ込みをいれた。
「お礼を言っているわ」
「なんだ、それならそうと『ありがとうございます』って言えよ。回りくどいんだよ、いちいち」
どうやら本当にわかっていなかったようである。
「じゃあムン、私達朝食を食べてくるからここで待っていて」
「アリッサ、ご飯食べるの?ならムンも一緒に」
「ムンは町入れないでしょ。大人しく待っていなさい」
「ええ、ヤダ、ヤダ、ヤダ。ムン、アリッサと一緒に食べるー」
ムンは生後2年といったところで、身体は成鳥と変わらないのだが、精神面では子供であった。
「ムン……お座り」
ドスの利いた声をアリッサが出すと「ホー」と答えたムンは居住まいを正し正座した。アリッサが怒ると怖いことは身にしみているのだ。
◇
食事を終えた宗一郎は、役人から山越えの食料を支給された。宗一郎は「ムンがいるから大丈夫です」と断ったが、「法で決まってますので」と言われたため受領した。
(役人だなー)
ムンはまだ正座していた。
「ムン、もう立って良いわよ」
「イテテテて。酷いよ、アリッサ。見てみて。ボクの足がガクガクしてるよ」
ムンの足は生まれたての子鹿のように震えていた。
「聞き分けがないとまた正座させるからね。でも、良く頑張ったわ」
アリッサが右手を自分の顔の辺りに持って行くと、すかさずムンは頭を下げた。ナデナデして状態である。ムンはアリッサのナデナデが好きなのである。
「エライエライ」
アリッサはムンの頭を撫でた。
「わー嬉しいなー。もっともっと」
「はいはい」
しばらくナデナデが続き、ムンが満足して頭を上げるまで待った。
「それで?誰を乗せてけば良いの?アリッサとリーザと赤い髪のお姉さん、『ナターシャよ』……ナターシャとソウイチロウとトールの5人?」
「ええ、そうよ」
「あたいは人間なんだけど、大丈夫かい?」
「アリッサの友達なら大歓迎だよ。それにボクは女の子に優しいし」
ムンは「ふむ」と言った様子で右羽を顎の辺りに持ってきて考えこむ。
「ボクの背中は3人乗りなんだよねー。だがらアリッサとリーザとナターシャは乗っけてけるよ」
「えっ!?じゃあ俺とトールはどうすれば良いんだ」
「アリッサの頼みだから2人も運んであげるよ。まずはアリッサとリーザとナターシャはボクの背中に乗って」
ムンに促されて3人は背中に乗った。
「うわっフワッフワっだな」
「乗り心地良いですよねー」
「ナターシャもリーザも掴まって」
アリッサが注意をした直後にムンが「ホーーホーー」と泣き声を上げて飛翔した。
「おいっ俺達はどうすれば良いんだよ」
「ほらっボクの足が空いているよ。ホントは嫌なんだけど、仕方ないから貸してあげる」
羽音に遮られてはっきりとムンの声は聞こえなかったが、ムンの光る目が足に向かっていることで宗一郎は理解した。
「あの野郎。トール、どうやら俺達はムンの足にしがみつかなきゃならん」
「はっ。畏まりました。雪山を超えるまでムン殿の足を離さなければ良いのでありますね?」
「……そうなるな」
「これは天から与えられた試練であります。ではソウイチロウ殿、行くであります」
トールは駈け出した。
「お前はどんだけポジティブ思考なんだよ」
苦笑した宗一郎もトールの後に続き、ムンの足にしがみついた。その光景は梟が獲物を足で捉えて巣穴まで持っていく図であった。
「じゃあ飛ばすよ」
ムンは羽ばたき高速で南へと向かった。
◇
「ヒ、ヒドイ目にあった」
「某、いくら試練とは言え、もう2度とやりたくないであります」
半日でボーグルに着き、地上に降りたった後で宗一郎とトールは大地に寝転がった。
「人間はヤワだなー。これくらいで疲れちゃうなんて」
ムンは「ホーーホーー」と満身創痍の宗一郎とトールを笑ったが、アリッサにピシャリと怒られて凹んだ。
「大丈夫ですか?ソウイチロウさん」
「……何とかね」
「何だい?ソウイチロウの旦那。情けないねー」
「ナターシャはずっと背中に乗っていたからわかんないだろ」
「某は猪を恨むであります」
飛行中に雪山で走る猪を見つけたムンは、急降下して丸呑みした。ムンは獲物に夢中になり足にぶら下げている宗一郎とトールを忘れた為、彼らは散々に木や大地へと打ち付けられた。宗一郎の回復魔法がなければ今も傷だらけだったであろう。
「……逆恨みだが、俺も同感だ」
宗一郎とトールは寝転がりながら握手を交わした。同じ危機を乗り越えた2人はシンパシーを感じていた。
「ソウイチロウ殿が結界魔法をかけてくれなかったらと思うと……」
「あれな。上手くいってよかったよ」
回復魔法をかけた後、宗一郎は空気抵抗を減らすために結界魔法をかけることを思いついた。飛行機を想像して結界を流線型にすると、以前よりずっと楽になった。
「感謝するであります」
「良いってことよ。それで……ここが南端の町ボーグルか。雪が降ってないな」
「今日はたまたま降ってないのでありますな」
「おおっあんな近くに海が」
「あたい海なんて初めて見た」
「私も」
「リーザも」
「んーーーーじゃあボクもー」
ムンは仲間外れにされたのが悔しくて嘘をついた。ムンの家でもてなされた時に、毎年家族旅行として海に行くという発言をムンはしていた。宗一郎はムンの嘘に気づいたが流した。
「海の近くは何故か雪が積もらないと言われております。まだ学者でも適切な答えは出せていないようであります」
「それは海水に含まれる塩分によって凝固点が下がるからだよ」
「「「えっ?」」」
アリッサとナターシャとトールが驚愕の表情に染まる。
「ソウイチロウが何言ってるのか、わかんない。あっ難しい言葉使ってムンを馬鹿にしてるんでしょ」
「ムン、ちょっと黙ってて」
「はい」
「ソウイチロウ、それは本当なの?凝固点って何?」
「凝固点ってのは物体が固まる温度だよ。それは物によって違うんだ。真水は0度で凍るが、砂糖や塩を入れた水は0度で凍ることはない。凝固点降下って言われている現象だよ。試しに雪に塩をかけてみろよ。溶けるから」
「知らなかったであります。自分の不明を恥じる次第です」
「塩なんて貴重な物を雪に掛けようとするトンチキはいないものね」
「しっかし旦那は物知りだな。あたいも一応学校出ているけどそんなの習わなかったな」
宗一郎の正体を知らないナターシャとトールは尊敬の目を宗一郎に向けた。