第44話:悲哀
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見慣れた屋敷の前でラシルドは物思いにふけっていた。
(この屋敷を追い出された時はこのような形で戻ってくるとは思ってもいなかったな)
ラシルドの瞳には一点の曇りもなく、それは覚悟を決めた男の目であった。
ラシルドはこれからの行動を部下と何度も確認してから、門の前へと姿を見せた。門番はカールの顔を見ると、驚きながらも門を開けた。
ラシルドと共に門を通ったのはマリーンとドーンのみである。シャフタール家を見張っていた部下はシャフタール家を取り囲む様に待機していた。囚われの奴隷術師サルクもそこにいた。
「ただいま戻りました、父上」
「うむ、急な帰りだの。知らせもないとは。カールよ。何かあったのか?」
ラシルドの急な帰還にジリは困惑していた。その上隣に佇むのはタージフ王に献上した奴隷で、後ろにいるのはダンで町長をしているはずのドーンであることが混乱に拍車をかけていた。
特にドーンの登場は予想外であった。サルーンへの寝返りが受け入れられた暁にはドーンに会いに行き、ダンごと寝返りに誘うつもりだったからである。
「父上、先に断っておきます。私は改名して『ラシルド』と名乗ることに致しました」
「改名?そんな話は聞いてないぞ」
「タージフ王に付けて頂きました」
「タージフ王……」
その言葉を口にしたジリの目にはかすかに侮蔑の色が見られた。それをラシルドは見逃さなかったが、心の奥底に閉まった。
「そうです。王から頂いた名前です。さて久闊を叙したところで本題に入りましょう」
前置きは終わったとばかりにラシルドの雰囲気が変わる。
「父上、何故タージフを裏切るのですか?」
息子の言葉を聞いたジリは耳を疑った。
「何のことかわからんな」
「……当然の反応ですな。しらを切るに決まってますよね。今王都ではシャフタール家が旧主国であるアルエットに通じてタージフに反逆すると言う噂が持ち上がっています。そのことを調べて参れとの王の仰せで本日は参上いたしました」
「なるほど。そなたが知らせもなく帰ってきた理由がやっとわかったぞ。しかし取り越し苦労だったようだの。儂は反逆など企んでおらん。そう王に伝えてもらおう」
ジリはラシルドが「アルエット」と言った時点で反逆の詳細はバレてないことに安堵し、タージフの諜報機関の拙さを嘲った。ジリは貴族らしい貴族であり、魔族や獣人への優遇を掲げるタージフを野蛮な国として一段下に見ていた。
「父上、反逆がバレた場合には九族まで皆殺しになります。また使用人や奴隷にも迷惑がかかります。どうか心変わりして頂けませんか?」
「だから儂は知らんと言っておるだろう。それとも何か証拠でもあるのか?」
タージフ如きが自分の謀計の証拠を掴んでいるはずがないとジリは思っていたが……
「……証拠ならここに」
「なっ!?」
ラシルドが懐から取り出した手紙を見て目を丸くした。
「父上がサルーンに、タージフの次に嫌っていたサルーンに通じようとする手紙があります。これには父上の署名があります……どうか白状なさいますように」
ジリはサルーンの宣教師に持たせた手紙をラシルドが携帯していることに驚愕したが、よく考えると、反逆の証拠を身内が持っていることは九死に一生を得たと気づいた。これが憲兵だった場合は有無を言わさず処刑となっていただろう。
まだツキはある、そう考えたジリは方針転換した。
「確かにそなたが持っているのは儂がサルーンの宣教師に出した手紙である。それがそなたの手に渡ったのは天啓と言えよう。どうだ?カールよ。儂と共にサルーンへ行かんか?」
ジリはタージフ王が付けた名前ではなく、自分が付けた名前を呼んだ。
「そなたとロンの春秋をこんな蛮族の地で散らせるわけにいかんのだ。何としても我々はガイアの中心に戻らなければならない。しかし今のアルエットは、ガルドビアとサルーンに頭を下げ続けるばかりの弱国と化した。そなたとロンが輝くためには弱国ではダメなのだ。強国に行くべきなのである。そのため儂はサルーンへ寝返ろうと画策したのだ」
「…………」
「そもそもタージフとはどんな国だ?魔族と獣人が人間と同じ地位?奴隷への体罰の禁止?貴族への法の適用?笑わせる。これだから蛮族などと言われるのだ。そんな世迷い事をほざいていたら、他国から認められるわけがない。タージフは今の王が一代で築いた国ゆえ、そんな世迷い事が通っているのだろうが、貴族にとっては到底受け入れられないことだ」
ジリの話は史実を踏まえている。
今から5代前のアルエット王も奴隷の解放を宴の席で口にしたが、貴族の強硬な反対にあって頓挫した。それ以外にも複数の王が、差別の撤廃を掲げたことがあるが、全て貴族の反対により旗を下ろした。それほどまでにこの世界の貴族は力を持ち、王へと影響を及ぼしてきた歴史があった。
「そんな国が早々に破綻することは目に見えている。それにカリスマを持った今の王が亡くなればば、有象無象の輩が、われこそは、と出てきて国家が分裂するだろう。そんな国に儂の息子を預けられるか。なあ、カールよ。今こそタージフを捨てるべき時ではないか。サルーンの首脳部とは話し合いが済んでおる。タージフを裏切り、ダンを取り込むことが出来たら、お前とロンにも相応の地位が約束されておる。ダンは後ろにいるドーンに言えば大丈夫だ。王都で何があったか知らんが、シャフタール家の100年の繁栄のためにはタージフを裏切るべきなのだ、カールよ」
情に訴えるジリの長い独白をラシルドは冷めた気持ちで聞いていた。
「父上、私の名前は『ラシルド』です。お間違いなく」
「カール、お前……」
ジリはラシルドが自分の計画に賛同しないことを悟った。
「仕方あるまい」
パンパンとジリは両手を叩く。
「はっ」
執事がジリの下に出て行く。
「カールを捕まえろ。手荒な真似はするなよ。タージフ王に誑かされているだけだ」
「はっ」
執事は使用人に指図をしてラシルドを取り囲むや、一斉に捕縛の手を伸ばした。
しかしラシルドも剣闘大会で優勝しただけはあって、剣を抜くと峰打ちを繰り返して丸腰の使用人を叩きのめした。
貴族の屋敷に入る際には武装解除されるのが常であるが、次期当主であるラシルドに武装解除を命じる理由はない。そのためラシルドには帯剣が許されていた
「なるほど。修行は怠ってなかったようだな。オズワルドよ。カールと戦え、ただし峰打ちにしろよ」
「はっ」
ジリから剣を渡されたオズワルドは恭しく受け取り、カールに向かって剣を構えた。
「カール様、行きます」
「来い」
ラシルドはドーンがダンへと旅立ってから、オズワルドに剣の手ほどきを受けていた。つまりこれは子弟対決である。
オズワルドの剣は斬るのではなく、突くことを目的としていた。多数の人間を殺戮するためではなく、純粋に1対1の戦いを想定してのものだった。それは戦争ではなく、迫り来る悪漢から主人を守ることを主目的としたからであった。そのオズワルドに対してジリは峰打ちを指示した。これは明らかに間違った判断だが、オズワルドはジリに従わねばならない。
突く事が出来ないオズワルドは数合打ち合った後にラシルドによって峰打ちされた。
「……ジリ様、申し訳ございません」
峰打ちされ地に伏せたオズワルドは、主命を果たせなかったことを恥じて、自身の剣で喉を貫こうと構えた。
すかさずラシルドはその剣をはね飛ばした。
「オズワルド、お前を俺が王都へとつめている時の代官に任命する。俺が改革するこの家には使用人と奴隷を分け隔てなく扱ってきたお前が必要だ。死ぬことは罷りならん。それに……俺の息子の教育も頼みたい。だから死ぬな!」
「……はっ」
「それって私との」とマリーンが叫んでいるがラシルドは無視した。
オズワルドは此度のリーザの一件でジリに僅かばかりの疑問、不信を抱いていた。しかし執事としてそれを心の奥底に閉まっていたが、ラシルドの目指すシャフタール家に共感したことで、その気持ちは広がりをみせ、あっさりと負けを認めた。
この場にオズワルド以上の使い手はいない。オズワルドを倒したことによりラシルドの勝利は確定した。
……かのように見えた。
「なんじゃ、誰かカールを倒せるやつはおらんのか?」
ジリの叫び声が虚しく広間に響きわたるが、応える者は1人もいなかった。
ラシルドがジリとの距離を詰めていく。
もうこの不毛な戦いは終わりかと思われた瞬間、ラシルドは背後から殺気を感じて振り向いた。
「流石カール様。私の殺気に気づかれましたか」
殺気を出していたのはドーンであった。その右隣でマリーンが恐怖に顔を歪めながらも弓を構えていた。
「私を倒してからにしていただきましょう。カール様」
ドーンは剣を構えた。その気迫は他を圧倒し、この戦いを見守っていた使用人の大多数が尻もちをつくほどであった。
「何故だ?何故ドーンが父上に協力する。父上がタージフに反逆したことは明白。タージフの人間であるお前は父上を捉える立場だろう」
「ええ、その通りです。私はタージフの人間です。そのためカール様に協力し、シャフタール家への密告も控えました。それで……タージフへの恩は返しました。今はジリ様に多大な恩を感じている者としてあなたを止めます、カール様」
ずっと「ラシルド」と呼んでいたドーンが「カール」と呼んでいた。
タージフとジリの恩で板挟みにされた、哀れな老人の姿がここにはあった。
「ドーン、お前もわかっているだろう。シャフタール家の周囲を兵士が取り囲んでいることを。幾らお前でも多勢に無勢、敗北は必至だ。つまりお前が俺を倒そうが関係ない。むしろ俺を殺した場合は使用人ともども王によって殺される。お前の判断一つで何百人という人間が死ぬのだぞ……それでも俺に向かってくるのか?」
「私がカール様を懲らしめた後、兵士と戦っている隙にジリ様とそのご家族に逃げて頂ければよいこと。それくらいなら私一人で出来ます。使用人と奴隷の安全は私が配慮すべきことではありません」
確かにドーンなら出来るかもしれない、とラシルドに思わせるほどの技量をドーンは持っていた。
乱世、国境の町、ダンの歴史的背景という条件の下、ダンの町長になるには一定の技量が必要だった。勿論腕に覚えのない者が町長になった例もあるが、たいてい長続きしなかった。役人や住人が町長を町長として認めないのである。彼らは一丸となって町長を引きずり降ろした。
ドーンはそんな町の町長になったのである。
因みにホープの群れにあっさりとやられた兵士も一般的な兵士よりも技量は上である。ホープキングの出現によるホープ全体の戦闘力の上昇がなければ、彼らだけで押し寄せる魔物を撃退でき得る実力があった。
「……お前ならゴブリンキングとも渡り合えたんじゃないか?」
「……そうかもしれませんが、それは万全の状態ならです。ゴブリンキングを倒すには、大勢のゴブリンとホープを斬って捨てた後ですから、私は負けていたでしょう。勿論宗一郎様が負けた時は、町長として一命を賭してダンを守るつもりでした」
「お前の強さは身体に叩きこまれている……出来れば戦いたくないが」
「それは無理な相談です」
「だよな」
「では……行きます」
◇
「もーお父さんたら町長の仕事ほっぽりだしちゃって」
ぶつくさ言いながらも娘は手際よく掃除道具を用意した。私的な用事で休みをとった父に娘はちょっぴり不満をもっていた。
「だったら私達と旅行でもしなさいっての」
仕事を第一に考える父と家族旅行をしたことなど数える程しかなかった。父を尊敬している娘にとって「自分は親孝行出来てるんだろうか?」というのが積年の悩みであった。
娘は仕事を辞めて子育てを手伝いながら、役所で働き町長まで成った父を誇りに思っていた。そんな父を見習い、息子も立派に育ち、王都へと兵士として働きに行ったのが半年前。以来父と夫との3人暮らしであった。
「あれっ?なんだろ、これ?」
父は仕事関係で何日か家を空けることがあった。その際、娘は父の言いつけに従い、3日おきに部屋を清掃している。娘としては毎日でも問題ないのだが、「そんなにしなくて良い」と父に苦笑されて以来、この頻度になっていた。
今日は父が「用事があるから」と言い残し出かけてから3日目。掃除の日である。
意気揚々と父の部屋を開けた娘は、机の上に書き置きがあることに気づいた。
「遺書?」
確かに父の字でそう書いてあった。
「なんでこんなものが?」
父はまだまだ町長として働き盛りの歳である。シャフタール家に赴く前も「復興で大忙しだな」と苦笑していた。
そんな父が遺書など書くはずがない。そう思えるのだが、「遺書」と書かれた父の字から目が離せなかった。娘は恐る恐る書き置きに目を通した。
その内容は、家族への感謝から始まり、タージフを裏切ることへの謝罪、タージフを裏切る理由、自分がラシルドに殺されたとしても決して恨まないようにという家族への懇願、宗一郎に対する感謝、町の復興をほっぽり出したことに対する謝罪、そして再度家族への感謝で締めくくられていた。
話題が二転三転していく内容は、父の感情がストレートに表現され、娘の心に響いた。
書き置きを読み進めていくと、涙が次から次へと溢れ出ていた。この書き置きは間違いなく父の遺書だと思った娘は、自分の涙で濡らしてなるものかと手近にあった布で涙を拭った。
書き置きを読み終えた頃には、その布はグッショリ濡れていた。
「お父さんが、お父さんが……」
娘は父がシャフタール家とタージフの恩に挟まれて、苦悩した結果、どちらも返した上で……ラシルドの手によって殺されることを望んでいるのがわかった。
それほど父の懊悩は激しく、それに気づいてやれなかった自分を責めた。
それからどれほど泣いていただろうか?
父を止めるためには即座に使いを出す、いやっ自分が直接父に対して「死なないで」と言うべきであることはわかっていた。しかしそれは父の覚悟を、矜持を、あまつさえ人生を踏みにじることになる。泣いている間に何度も繰り返した思考を、娘はなぞり続けていた。
夜の帳が娘の真っ赤な目元を覆い隠した。
◇
「そうではありません。しっかりと次の攻撃、防御のことを考えて足運びをしませんと、戦場では致命的ですぞ」
ドーンが剣を振りながら講釈を垂れていた。垂れるほどの実力が彼にはあった。
ラシルドはその剣を受け止めながら、彼我の実力の違いに愕然としていた。
(まさかドーンがここまでの力をもっていたとは……)
ドーンの繰り出す剣はラシルドの理解の範疇を超えていた。変幻自在とも言えるその剣は、ラシルドが今まで見てきた剣士の中でもダントツであった。
「剣ばかりに集中してはいけません。ほらっ」
ドーンは剣をラシルドに押し付けた後、右足を振り上げ回し蹴りをした。老人であるドーンのどこにこれだけの力があるのかと思う程にラシルドは吹き飛ばされた。
「もっとも、戦場で足を振り上げるというのは得策ではありません。バランスを崩しますし、足を痛めたら行動に支障がでますからね……ただし対策は必要ですよ」
ドーンは起き上がるラシルドを仁王立ちで待っていた。
流石に剣闘大会で優勝した実力を持つラシルドは、ロンベルクとは違い剣を手放していなかった。
「剣を手放さなかったのは見事です。戦場で武器を失うことは死に直結しますからね」
(勝てない。俺はドーンに勝てない)
起き上がりながらラシルドは冷静に戦力を分析した。
ラシルドが死んでない理由はドーンがジリから殺さないように言われているという一点に尽きる。そうでなかったら何時でも自分を殺すチャンスがあったことを、ラシルドは理解していた。
「さぁまだまだ行きますよ」
ドーンが立ち上がったラシルドに剣を打ち込む。ラシルドはそれを必死で防御するーーその繰り返しであった。力量が格段に上であるドーンは、ラシルドが防御出来ない速度で剣を振るうことも可能であったが決してそれを行うことはなかった。
「ほらほら。呼吸が乱れてますよ。戦場では呼吸1つにも気を配らねばなりません」
何回も何回もドーンはラシルドの欠点を指摘した。ラシルドはそれを改善しつつ、ドーンの攻撃に耐えている。その光景は観戦者にある疑問を抱かせた。
「「「まるで訓練」」」
見ていたマリーンとオズワルドとジリの言葉が重なる。
そのまさかであった。
ドーンはラシルドを鍛えていたのだ。自分が娘と住みたいとワガママを言ったために、中途半端になった弟子を。不遜ながらも自分の子供のように思っていた男を。敬愛する男の息子を……そして次代のシャフタール家の当主を。
ドーンの助言が減ってきた。ラシルドの剣の速さが増して、ドーンも口を開く隙がなくなってきたのだ。
ラシルドはドーンとの戦いの中で成長していた。
(まだ自分は成長できる)
高揚したラシルドは剣を躱すドーンをむやみに追撃して、致命的な隙をつくってしまった。その隙をドーンが逃すはずがなかった。
ラシルドの脇腹にドーンの強烈な峰打ちが叩きこまれた。ラシルドは吹っ飛び激痛に悶える。
(肋骨が折れたか)
苦痛に顔を歪めるラシルドを睥睨したドーンは、強い口調で叱責した。
「カール様!あなたはこれで良いのですか?私のような老人に叩きのめされて。ダンを守ったのも宗一郎様です。あなたは、あなたは兵士として何をしましたか?自分も宗一郎様の様に民衆を守りたいとは思いませんでしたか?魔物の群れを蹴散らして、ゴブリンキングとホープキングの首を掲げて、民衆から賞賛を受けたいとは思いませんでしたか?……シャフタール家を守っていくべきあなたが、そんな体たらくでどうするのですか?」
「ドーン……」
ここに来てラシルドもようやく理解した。朧気ながら感じてはいたが、はっきりと意識した。
ーードーンが自分のために戦ってくれていることを。
「すまなかった。ドーン。もう一度戦ってくれ」
「そう、それで良いのです。格上の敵と相対したら逃げるのが常道ですが、自分の我を通すため戦う必要がある時もあります。それが……今この時です」
ラシルドは呼吸を整え、持てる力の全てをドーンへとぶつけた。その気迫は肉食獣をも上回るものであった。
それから何合打ち合っただろうか。ラシルドの攻めはドーンの完璧な守りに綻びをつくっていった。ラシルドの力と速度が徐々にドーンの態勢を崩している。すでにラシルドは意識を全て剣に集中して、雑音は聞こえていなかった。
そしてドーンが見せた僅かな隙、その隙を獣と化しているラシルドは見逃すことはなく、ラシルドの腹部へと剣を突き立てた。
剣先に肉の感触が伝わる寸前、ドーンの頬が緩んだ。
(まさか、この隙はわざと?)
ドーンの微笑をみてラシルドは理性を取り戻したが、剣を止めることは出来なかった。
ラシルドの剣はドーンの腹部を貫通した。
背中から生えている剣を見て満足気な表情をつくったドーンは、ゆっくりとカラクリ人形の糸が切れたかのように、その場へと倒れていった。
「ドーン」
ラシルドの絶叫が木霊する。
ラシルドは決してドーンを殺すつもりはなかった。しかし雑念を排除し、この戦いに集中していたラシルドは峰打ちすることを失念していた。それほどドーンの圧力が強かったとも言える。
「早く、早く回復魔法を」
狼狽するラシルドの腕をドーンが掴む。それは先程の打ち合いとはうってかわって、弱々しかった。
「良いんです。『ラシルド』様。このまま死なせてください」
「ドーン、お前……」
貴族の屋敷には何かあった時のために回復魔法を使える魔導師がいる。当然シャフタール家も例に漏れないのだが、この日はジリの妻が風邪をこじらせ床に臥せっており、魔導師は妻の側にいて、この場にはいなかった。
ラシルドの呼びかけに反応したオズワルドは即座に魔導師を呼びに行った。
「私は、ゴホッ」
「良いんだ。喋るな、ドーン」
「いえ、喋らせてください。私はジリ様の恩とタージフの恩で板挟みになっていました。そんな私が出した結論は、ゴホッ……ラシルド様の成長を促すことで両方に恩を返してしまおうという横着したものでした。ジリ様の反逆が明白ならば、これからシャフタール家を支えるのはラシルド様になるでしょう。その手助けをしたかった。ゴホッ」
ドーンは咳をする度に血を吐いていた。
ラシルドはドーンに喋らせるのは良くないとわかっていたのだが、ドーンを止めることは出来なかった。
「私は、私は恩を返せたでしょうか?……ジリ様、いらっしゃいますか?」
「…………」
「父上!」
「はっ、おう、ドーンよ、ここにおるぞ」
「ジリ様、私のワガママを聞いてくださって感謝しております。おかげで、ゴホッ…おかげで幸せな余生を過ごせました。本当に感謝しております」
ドーンの目から涙が落ちる。
「……お前は良くやってくれた……十分恩を返してもらった」
「ありがとうございます。その言葉だけで私の人生が意味あるものになります。ゴホッ…娘には決してラシルド様を恨まないようにと遺書を残してきました。もし逆恨みするような馬鹿な娘であった場合には、ゴホッ…叱ってやってください」
ドーンの言葉だけが広間に響く。ドーンは小声で喋っているはずなのに、離れた使用人の耳にもしっかりと伝わっていた。ラシルドの手はドーンの吐血で真っ赤に染まっている。
「さて、もうお別れのようです。ジリ様には感謝を。ラシルド様はこれから、ゴホッ…苦難の道を歩くことになるでしょうが、ゴホッ…その道は間違っておりません。どうか…真っ直ぐに……お進み………くだ…………さい」
仰向けになっていたドーンの頭が横を向く。
「「ドーン」」
ジリとラシルドが名前を呼ぶが返事はない。
直後にオズワルドが魔導師を連れてきたが、魔導師はドーンの身体に近寄ると首を左右に振った。死者を生き返らせる魔導師はこの世界に存在しない。
その仕草を理解したジリとラシルドは大声で泣き叫んだ。
それはドーンの鎮魂歌のように虚しく響いた。
ドーンの死に顔は満足気であった。
ドーンが死んで放心状態になっていたラシルドはマリーンに肩を叩かれて我に返った。目の前には自分と同じ放心状態であるジリがいた。ラシルドはジリを丁重に部屋へと移送して、直属の部下によって監禁した。この騒動の責任を取ってラシルドの両親は王都に住むことが決定している。シャフタール家の改革を済ませてから、ラシルドは両親を連れ立って王都へと向かい王に謝罪する予定だった。
だが王都へと行く前にラシルドにはやることが山積していた。
まずは奴隷の雇用状況の改善である。
シャフタール家の奴隷が全て集まるまでは3日かかった。使いに出していた奴隷が戻ってくるまで待っていたのだ。
集まった奴隷を広間に集めたラシルドは、これまでの扱いを謝罪した。これ以降はダンで奴隷としての登録を行いタージフの法に従った扱いをすることを宣言した。
奴隷の反応は様々であったが、概ね扱いが良くなることに好感を抱いた。
次に使用人の意識の改革である。
シャフタール家の使用人の奴隷への扱いは、当主であるジリに倣ったものであった。そのため酷に扱う者が大半だったが、ラシルドはそれを禁止した。不満の声もあったが、使用人頭とも言えるオズワルドが扱っている様にすれば良いと聞いた使用人達はスゴスゴと引き下がった。
奴隷への体罰も禁止し、食事も使用人と同じにした。予算が、予算がと喚き散らしていた者には、ひとまず蔵を開放して当座の資金をつくった。これ以降は才覚で何とかするようにとラシルドに言われると、渋い顔をしながらも了承の言を口にした。
その次はロンベルクの処罰である。
ロンベルクは家宝の「何物も切り刻む剣」を無断で持ちだした上、それを捨ててきた。その罪により半年間の謹慎処分にした。ジリにより監禁されていたロンベルクはその処分を粛々と受けた。当主の交代や奴隷の環境改善にも全く異議を唱えなかった。
奇妙だったのはラシルドが宗一郎の話をした時のロンベルクの過敏な反応である。特に宗一郎がダンを救ったという件で、ロンベルクは諸手を上げて喜んでいた。
「何物も切り刻む剣」は宗一郎にそのまま保管しておいて貰っている、お前がしっかりと取り返せと言うと、ロンベルクは目を輝かせ、何度もラシルドへと頭を下げて感謝を述べた。
マリーンを側室に迎え入れる宣言もした。
これはマリーンが性奴隷であった過去から親戚筋からも相当な反発を受けたが、頑としてラシルドがはねつけたことと、正室の座が空いていることもあって、渋々受け入れられた。
ドーンの遺体をダンへと移送するのはラシルド自らやった。ドーンの遺体をみた娘は泣き叫ぶばかりで話も出来ない状態だった。娘が落ち着いてからドーンの遺書を見せて貰った。ラシルドは遺書を読み、ドーンの懊悩や覚悟、惜別の言葉に大泣きした。
「父はラシルド様と最期に戦えて嬉しかったのだと思います」という娘の言葉がラシルドの耳にいつまでも残った。
当主交代のお家騒動を見て、アルエットから離反の誘いも受けたが、無視した。
その他諸々の手続きを終えてから、ラシルドは家を出た。勿論マリーンと両親を連れてである。ドーンの死以来ジリは人が変わったかのように従順となり、ラシルドの決定に異を唱えることはなかった。
秋口に宗一郎を見送ったラシルドは、半年遅れの春の始まりに王都へと向かった。ロンベルクの謹慎処分が終わったのを契機とした。
「ソウイチロウ達は今頃何してるんだろうな?」
「知らない。ラシルド以外の男に興味はないもの」
お決まりの会話をして、王都へと向かった。