第37話:リーザの運命
本日2話目です。見ていない人は戻って下さい。
ちょっと長くなりましたが、これで第2章は終わりになります。
次回からは第3章に入ります
宗一郎は国境警備兵にサブタを振る舞い、その地で一夜を過ごした後、物々しいお出迎えを受けていた。
馬の鳴き声で起こされた宗一郎の眼前にはズラッと並んだ兵馬の群れがあった。
その群れから一人の男が出てきた。甲冑を纏い、剣を腰に下げたその姿は武人のものであった。
「ソウ殿とお見受けするが間違いないだろうか?」
「いかにも。俺がソウ、いやっソウ改め宗一郎だ」
アリッサから事情を聞き、特に名前を隠す必要もなくなった宗一郎は自分の名前を名乗った。
「ん?」
「こっちの事情でソウと名乗っていたが本当の名前は宗一郎だ。これからは宗一郎と呼んでくれ」
「わかった。ソウイチロウ殿だな。確認になるがダンを救ってくれたのはあなただろうか?」
「そうなる……のかな。一応ゴブリンキングとホープキングにトドメをさしたのは俺だ」
「おおっ」
気色満面に染まった男は宗一郎の手をとり上下に振る。
「私の名前はハインツ。ラシルド様の部下で部隊長をやらせてもらっている者だ。私の故郷でもあるダンを救っていただき感謝のしようもない。本当にありがとう」
ハインツが宗一郎の手を離して、一礼をするといつの間にか下馬していた兵士達も続いて一礼をする。その整然とした行動に、宗一郎は感服していた。
「私達はラシルド様の命令でサルーンとの国境を警備していたのだ。任務終了を聞かされてダンに帰還していた途中で襲撃を知って、急いで帰ってきたのだが、ダンの町に着いた頃には事件は収束していた。ソウイチロウ殿、あなたのおかげでな」
(とするとハインツは、すれ違った部隊の隊長だったのだろうか?)
「ラシルド様によると、ソウイチロウ殿がサルーンの宣教師を追跡中とのことで、私達も取って返してきたのです」
「そうか。だがすまない。サルーンの宣教師は国境を超えてしまった。逃亡を阻止できなかったよ」
「いえいえ、それはソウイチロウ殿が謝ることではありません。国境警備兵の不手際です。早速調練してやらないと」
ハインツは指をボキボキ言わせながら、ギラつく目を宗一郎の背後にいる国境警備兵へ向けていた。
このままでは国境警備兵に申し訳ないと思った宗一郎が助け舟をだす。
「そんなに酷くしないでくれよ。なんたってサルーンの宣教師はワイバーンに乗って国境を突破したんだ。国境警備兵だけではどうしようもないさ」
「なんですと?ワイバーン?そのような凶暴な魔物が何故?」
「サルーンの宣教師の一人に魔物を操れる奴がいたんだ。そいつがワイバーンを調教して言うことを聞かせたらしい」
「なんとなんと。そんなことがありましたか……ふむ、仰りたいことはわかりましたが、それはそれです。国境警備兵は国境を守る者。例えワイバーンに乗られたからといって、国境を突破されたら罪になります。ただソウイチロウ殿の言う事情を加味して、調練には手心を加えましょう」
ハインツが指示を出すと背後にいた兵士の約半数が乗馬して国境警備兵の元へかけていった。恐らく彼らが国境警備兵を調練するのであろう。宗一郎は国境警備兵の無事を祈るしかなかった。
「ところで話は変わりますが、ラシルド様からダンへ戻って来て欲しいとの伝言を預かってきました。早急にお願いいたします」
「ああ、わかった」
「では馬をお使い下さい」
「後ろにいるアリッサとリーザは俺の仲間だが、二人も一緒でいいんだろ?」
ハインツはチラリと宗一郎の後ろにいるアリッサとリーザに目を向ける。
「勿論でございます。お二人にも馬を用意しましょう」
ハインツの背後にいる兵士が下馬して3頭の馬を宗一郎の前へと引いてきた。
「私は奴隷ですので、馬に乗れる身分ではありません」
「またそういうこと言う。ハインツさん、奴隷は馬に乗れないなんて法はあるのか?」
「いいえ。そういう法はありません。同様に獣人が馬に乗れないという法もありません」
「だってさ」
「とは申しましても……リーザは馬に乗る方法も知りませんし、やっぱり走ったほうが良いかと」
「わかった。リーザこっちに来い」
そう行って宗一郎は用意された馬の元へと向かうと、乗馬してからリーザに手を差し出す。
「俺と相乗りすれば良いだろ?」
僅かの間逡巡していたリーザだが、差し出された手を掴んで宗一郎の後ろに相乗りした。
「そうだ、それで良いんだ。アリッサは一人で乗れるのか?」
「乗れるわよ。舐めないで」
宗一郎との相乗りの機会を潰されたアリッサはふくれっ面になりながらも、軽やかに乗馬する。その所作は美しく、王族としての教育の賜物だった。
宗一郎はその姿に見とれながらも、何故アリッサが怒っているのかを疑問に思っていた。
宗一郎一行はハインツ達を連れ立ってダンへと向かった。
◇
夕方ダンに着いた宗一郎は、熱狂的な歓迎を受けていた。
宗一郎が東門近くに姿を見せると、ダンからは音楽が聞こえてきた。それは高らかに英雄を迎える音楽であり、ダンの歌として庶民に愛されているモノであった。様々な打楽器、弦楽器、管楽器が鳴らされ、荘厳な音が黄昏に木霊していた。
ハインツの先導の元ダンの町に入った。
東門では門番に身分確認を受けた。宗一郎は身分証明書を発行してもらってなかったので、再度アリッサとリーザの分も合わせて銀貨2枚と銅貨1枚を払う必要性があったが、ハインツが肩代わりしてくれて事なきを得た。
下馬して東門を通り、再度乗馬した。
宗一郎は久しぶりの音楽、人間の文化を堪能しようと目をつぶり、行き先を馬とハインツに任せながら集中していたが、東門をくぐり乗馬すると、万雷の拍手と民衆の叫び声が聞こえて、ハッと目を開けた。
道は人の群れで溢れ、ごった返しており、道に入りきれなかった人は、民家の部屋や屋根の上で英雄の帰還を祝っていた。
宗一郎は当初き恥かしそうにしていたが、背後にいるアリッサが堂々と民衆に対して手を振っているのをみて、宗一郎も覚悟を決め、満面の笑みを浮かべて手を振った。宗一郎が手を振ったことに反応して民衆はワッと盛り上がった。
ハインツは中央区に入る前に南と向きを変えた。
「ハインツ、役所に行くんじゃないのか?」
「説明を忘れておりました。実は東門に来れなかった民衆が一目英雄の帰還を見届けようと中央区の周辺に集まっているのです。そのため中央区の周辺をぐるりと回ってから役所に来るようにとラシルド様から仰せつかっています」
ハインツは東門の門番からラシルドの命令を受け取っていた。
「そんなに人が集まっているのか?」
「勿論です。門番や医療関係者など、どうしても手が離せない者以外は集まっております。飲食店や雑貨屋などは早めに店じまいをして、宿屋などは宗一郎殿の姿を一目見てから開けるそうです」
「そんなことしなくて良いのに」
宗一郎は前世でもこんな扱いを受けたことはない。
そもそもアリッサやリーザを守るためにゴブリンとホープの群れを倒しただけなのだ。そこにダンを守るという意識がなかったと言えば嘘になるが、多分に自分の為にしたことである。それにゴブリンとホープの群れを引き寄せたのはジュライの仕業である。宗一郎が倒しておけばダンが襲撃されることはなかったのである。
それがどこをどう間違ったのか、民衆に英雄扱いされる始末で、宗一郎は困惑していた。
「ソウイチロウは間違っているわ」
「間違っている?」
「そうよ。ソウイチロウがこの町を救ったのは事実。ソウイチロウは自分の為にやったことで民衆が喜んでいるのが心苦しいのでしょうけど、民衆にとって誰が、どんな目的で、やってくれたかなんて関係ないのよ。事実は一つ。ダンに迫り来る脅威をソウイチロウが撃退したのよ。民衆はそのことにお礼を言いたくて集まっているんだから素直に受けなさい」
アリッサの言う通りである。
自分の町を守ってくれた人物の目的などは、民衆には関係ない。勿論それが占領目的や大金をせしめる目的なら問題だが、宗一郎がそのような要求をしていないことはラシルドによって民衆も理解していた。
民衆もただ親切心でダンを守ってくれたとは考えていない。守ることが宗一郎にもメリットがあったとわかっていた。その上で民衆は感謝しているのだ。
なぜならダンに住んでいる人々は、先祖代々住んでいるか、英雄ダンのことが好きで移住してきた人物にわけられる。彼らはひとえに、ダンの町、勇気を分け与える町を誇りに思い、ダンの思想を継いでいる矜持を持って過ごしているのである。
そんな彼らにとって命にも代えがたい町を、魔物の襲来から守ってくれた宗一郎に打算があろうがなかろうが、そんなのは関係ない。ただただ感謝をーーその思いを胸に民衆は集まっているのだ。
「そんなものかな」
アリッサの説明に納得した宗一郎は、より一層の笑顔を民衆に向けて勝利のパレードを楽しんだ。
(自分がこんなパレードの手を振る側になるとは。スポーツで優勝するか、政治家になるしか、こんなことは出来なかっただろうに)
宗一郎は貴重な経験をしていることを実感した。
相乗りしているリーザは顔を真っ赤に染めて、下を向いていた。宗一郎以上に称賛に大して免疫のないリーザにとって現在の状況は理解不能であった。宗一郎はリーザに声をかけたが、リーザは全く反応せずうつむいたままであった。
リーザの反応には理由がある。
リーザの耳は遠方の音が聞こえると共に、民衆の一人一人の音まで聞き分けることが出来る。そのため宗一郎には、「ワーキャー」としか聞こえない民衆の声が、リーザにははっきりと聞こえてきた。
彼らは、「英雄様の後ろに乗っている獣人の子は誰だ?」「きっと英雄様の仲間だろう」「クゥー俺もあんな子仲間にした」「キィイ、妬ましいわ。英雄様と相乗り出来るなんて」「あんな子は私の敵じゃないわ。すぐに英雄様を振り向かせて見せるわ。そして子供を」「英雄様と相乗りしでるってことはあの獣人の子もおらだぢの町を救ってくれたんだべが?」「もしかして英雄様の奥様だったりして?」「流石に子供過ぎない?」「犬耳触りたい」「尻尾触りたい」などなど様々な反応をしていた。
ダンの防衛に何ら貢献したわけでなく、しかも奴隷であるリーザの身には有り余る賞賛の嵐のため、リーザはうつむくことしか出来なかったのである。
宗一郎はたっぷり時間をかけて役所に到着した。
「お帰り」
役所ではラシルドを始めとした兵士とドーンを先頭にした役人の面々が宗一郎の帰還を祝っていた。
「ただいま」
宗一郎は下馬して、ラシルドと握手をすると、再度民衆から大きな拍手を浴びた。
その後宗一郎は居並ぶ人々と握手を交わしていった。彼らは口々に宗一郎に対してお礼を言い、泣き出す者もいた。同様にアリッサとリーザも宗一郎の仲間として彼らと握手をした。勿論遠慮するリーザを宗一郎とラシルドが説得して実現させたことであった。
握手会が終わると役所の庭で、民衆参加型のパーティーが始まった。上座の中央には宗一郎、両脇にはラシルドと町長のドーンが座り、その隣にアリッサとリーザが座った。少し離れたところにマリーンがいた。彼女は両脇にいる男に触られるのを極度に嫌がり身を縮めていた。その後は、兵士、役人、民衆と続く。宗一郎の後ろには2,3人ほどの美女が侍り、宗一郎の命令に備えていた。その輪を取り囲む様に楽器をもった人々が配置され、パーティーの間音楽を奏でることになっていた。
そんな楽しそうな宴が始まる前に、宗一郎はおかしな点を見つけた。間違いかと目を2,3度こすってみたが、変化はなかった。
「なあ、ラシルド」
「ん?なんだ?」
「俺の勘違いだったら良いんだけど、飲食物が全く無いんだが……」
輪の中には、何も置かれていなかった。
「ああ、そのことか。少し待て。待てば……そう言っている内にきたか」
ラシルドがチラリと目線を右前方に向けると、そこには人が列をなして輪の中に入ってくる姿が見えた。彼らはそれぞれ飲食物を抱えて輪の中心に置いてから、宗一郎の元に来て握手をねだって帰っていく。
「なんだ、これは?」
「ソウには悪いが、今役所には金が無くてな。復興に全資金を傾けたいが為に、この宴会の飲食物を賄う術がなかった。しかし話し合った結果、飲食物を提供した人物にはソウと握手を出来る権利を与えたらどうか、という結論になった。それでこうなった訳だ」
「俺の了解もなしにか?」
「まあそう怒るな。勿論ソウに町を救ってくれた報奨金は別途用意してある。それにあいつらの顔を見ろ。本当に嬉しそうにソウと握手していくだろう」
ラシルドの言う通りであった。
飲食物を置いて宗一郎と握手していく人物全てが、満面の笑みになっていた。
それを見て宗一郎も微笑んだ。笑顔を向けられると自然と相手も笑顔になるのである。
「まあいっか」
「そう言ってくれると助かる。まずは飲もう。食おう。さあ宴の開始だ」
それから宴は始まった。宴が始まってからも続々と料理は運ばれて来て、宗一郎は握手に追われることになった。
一段落着き宗一郎はガイアに来てから初めてまともな料理を食べた。
何の食材が使われているかは見当も付かなかったが、久しぶりの野菜が入った料理とあって宗一郎の目は光り輝いていた。何しろ魔の森での生活では一切野菜類を口には出来なかった。肉と魚と木の実で過ごしていたのだ。そこに久しぶりの野菜である。ベジタリアンではない宗一郎でも、テンションが上がっていた。
アルコールは飲めないと断り、宗一郎はお茶をもらった。そして料理に舌鼓をうち、宴を楽しんだ。
途中宗一郎の挨拶になった時は、先に挨拶していたラシルドの話を少し変えて喋ると、拍手が湧き上がった。後ろに控えている美女が何も食べてないことに気づいた宗一郎は、料理を皿にとりわけ、彼女らに渡した。彼女らはびっくりした表情で料理を受け取り、宗一郎に満面の笑みを返した。宗一郎が鼻の下を伸ばしていると、背後から鋭い視線を浴び、瞬時に振り返ると、アリッサがニッコリと笑って宗一郎を見ていた。宗一郎は「あかんやつや」と思い、正面を向いて宴に集中した。
夜もふけて、長時間に及んだ宴も終わり、宗一郎はドーンの家に招かれて、3人一緒の部屋で就寝した。宗一郎は「女性と一緒の部屋はマズイのでは」と言ったが、アリッサが強引に押し通した。「今更何言ってんだが」とアリッサは半ば呆れ顔であった。
ドーンの家は、アリッサが囚われていたスラム街の宿屋とは格が違っていて、何部屋もある大きな屋敷に、上物のベットが備え付けられていた。宗一郎達は水浴びした後に横になることにしたが、またもリーザが、「奴隷がベットに寝るなど」と遠慮してきたので、宗一郎が「リーザがベットに寝ないなら俺とアリッサもベットで寝ないけど」と脅しをかけたらすんなりとベットで寝た。「ベットで寝るなんて初めてです」と言っていたリーザは、疲れからか早々に寝息をたてた。
それを寝しなに聞いていた宗一郎もベットに入るとすぐに眠気が来て、グーグーとイビキを書きながら眠りについた。
夜中目を覚ましたリーザは、寝ぼけ眼を擦りながら自分の状況を見ると、ベットで寝ていることに衝撃を受けて、床に転がるように降りたが、よくよく考えてみると宗一郎から言われての事だったので、問題がないことを思い出した。
床から身体を起こしたリーザは、再度宗一郎とアリッサに視線を向けて一礼した。顔をあげたリーザの目には涙が浮かんでおり、夜空を照らす満月を見上げて「奴隷の私にこんなに優しくしてくれてありがとうございました。私は明日でさよならしますが、ソウイチロウ様とアリッサ様はお元気で……お父さん、お母さん、リーザは明日お二人の元へと向かいます」と呟いた。
ポツリと落ちた雫は、窓枠を濡らした。リーザは焦ってその雫を拭いた後、再度ベットに入って就寝した。
太陽が昇るよりも早く、宗一郎とアリッサが寝ている間に身体を起こしたリーザは、名残惜しそうな表情をした後、どこともなく姿を消した。
宗一郎が疲れからか昼ごろに目覚めるとリーザのベットが空になっていた。アリッサはまだ寝ていた。宗一郎がリーザを探しに部屋を出たが何処にも見つからなかった。外にでも出たのか、と考えて屋敷の外探したが、人がまばらにいるだけであり、リーザの姿はみつからなかった。
何処言ったんだろうと思って部屋に帰るとアリッサが起きて、ベットから身体を起こしていた。
「アリッサ、リーザが見当たらないんだが」
「ふぇ、トイレにでも言ったんじゃない?」
「それが何処にもいないんだ。外も探して見たが見つからなかった」
「ウーン、それなら……」
アリッサが腕を組んで思い悩む。少しすると思いついたのかワナワナ震えながら、ベットから飛び降りて走りだした。
「ソウイチロウ付いてきて」
「わかった」
宗一郎はアリッサと並走しながら状況を聞く。
「リーザは何処にいるんだ?」
「私の予感が正しいのなら役所よ」
「役所?そんなところに何故?」
「リーザは奴隷としての身分に忠実だわ。そうシャフタール家で教育されてきたのでしょう」
アリッサが悲しい顔をして言葉を切る。少し間を置いてから再度説明を始めた。
「ダンにリーザがやったことを思い出して。ソウイチロウはダンを救ったけどリーザはそうではないわ」
「リーザがやったことって……」
宗一郎はリーザの行動を思い返す。
宗一郎のお願いでミハエルとジュライを見張っていたこと。
ジュライに操られて牢を破り脱獄に手を貸したこと。
ジュライに操られて東門を突破したこと。
ジュライに操られて国境警備兵を倒したこと。
「わかった?リーザはダンを救ってはいない。逆に危機に陥れた犯罪人なのよ」
「でもそれって……」
「言いたいことはわかるわ。でも操られてやったことは証明できない。客観的にみると、リーザはこの町に被害を与えたことになるのよ」
「リーザの言い分を聞かないってのか?」
「彼女は奴隷なのよ。この国では奴隷の扱いは良くなっているはずだけど、奴隷の証言が全面的に信頼される程ではないわ」
「なんだよ、なんだよそれ」
宗一郎は両手で虚空を叩き、憤る。
余りにも一方的な判断に、奴隷の扱いに……そしてリーザの判断に。
「つまりリーザは自分から役所に出頭したってことなのか?」
「その通りよ。そして拘束されれば、恐らく死罪になるわ。シャフタール家にも多額の賠償金が課せられるでしょうね」
「……ふざけやがって。アリッサ、急ぐぞ」
宗一郎は高ぶる怒りに任せて、スピードをあげた。
英雄と言われた自分の意見によってはリーザの死刑は阻止できるかもしれない。
ーーそう強く願って。
後戻りが出来なくなる前に役所に着くため、後のことを考えずに足を早めた。
現時点でリーザの運命の針は白と黒の間でゆっくりと揺れていた。
宗一郎の願いが届かなかったらリーザは死刑になる。それを理解していた宗一郎は、ダンを敵に回そうともリーザを救い出すことを決めていた。それが宗一郎の願いである平穏無事な暮らしの障害となろうとも、何の罪もない女の子が死刑になる所を宗一郎は見過ごせなかった。
しかし宗一郎は忘れていたーー例えリーザを助けだしたとしても、奴隷の鎖であるチョーカーが頭を締め付け、リーザを殺すことになることを。奴隷の鎖が解除不可なことを。
つまり現時点では運命の針は黒に傾いていていたと言えよう。
しかし思わぬ人物の到来で、リーザの運命は決定することになる。
ーーそれは青天の霹靂であった。
◇
宗一郎が役所に着くとガヤガヤと人だかりが出来ていた。昨日宴を楽しんでいた人物もチラホラと見える。
人だかりの中心にはリーザが縄を掛けられて正座させられていた。群衆はリーザを口汚く罵っていた。しかし群衆の中に昨日宗一郎と握手をした人もいて、リーザが英雄である宗一郎の仲間と知っていて、罵る人を諌める者もいた。
そんな喧騒から少し離れた所にラシルドとドーンが顔を歪ませながら立っていた。
「ラシルド!」
宗一郎が怒気を含んだ声色で叫ぶとラシルドが振り向く。
「ソウイチロウか」
宴の後に、ハインツから宗一郎と呼ぶように言われたことを告げられたラシルドは、いつもの「ソウ」ではなく「ソウイチロウ」と呼んでいた。
宗一郎の名前を呼んだラシルドは罰の悪そうな顔をした。
「説明しろ」
宗一郎は胸元を掴まんばかりの勢いで言った。
「早朝にリーザが役所に出頭してきて、牢破り、門破り、国境警備兵への攻撃を自白した。それにより、法に基づき逮捕した」
「それはジュライに操られていたからだ。リーザには何の罪もない」
宗一郎は怒鳴ったが、ラシルドの返答は予想できたものだった。
「何の証拠もない。ここにジュライがいて、それを証明出来なければ、それは認められない」
「なら牢番、門番、国境警備兵の証言はどうなんだ?」
「国境警備兵の証言は届いてないが、牢番と門番は一様に、目が虚ろで意志を持って行動しているようには見えなかったと証言している」
「だったら…」
「それも証言に過ぎない。リーザが牢と門を壊して、国境警備兵を倒したのは紛れもない事実。証言よりは事実が優先される」
「しかし……」
「ソウイチロウ。察してくれ。俺だってリーザを死刑にしたくない。しかしそれが法なのだ」
法。
タージフでは法を絶対視している。
その理由は一大で強国を築いたタージフ王が推し進めたモノだからだ。現タージフ王の統治以前にも法はあった。しかしそれは王族や貴族、大商人を縛る物ではなく、民衆だけを縛る物であった。それを現タージフ王は変えて、全ての国民に適用されることにしたのである。
タージフ王は厳格にその法を運用して、自信の寵妃が法を犯した場合も除外せずに、彼女を処刑させた。同時に大貴族の子弟にも適用させ、法を侵した有力な貴族の跡取りを捕まえた兵士に対して王直々に報酬を授けた。
それにより国内は粛然として、誰も法を侵す者はおらず、落ちた物を拾う者さえいなくなった。
そうしてタージフは富国強兵を成し遂げたのである。
ラシルドから説明を受けたが、宗一郎は釈然としないものを抱えていた。
「リーザさんが奴隷でなかったら、奴隷落ちか賠償金の支払いで済むのですが。幸いにも死者はいませんし、奴隷でない場合には証言能力が認められて、操れられていたというのも信憑性が増します」
横にいるドーンが説明を続ける。しかしそれはリーザを救い出す為の言葉ではなく、リーザを死刑へと追いやるものであった。
リーザは奴隷ーーそれは変わらなかった。
「なら俺の証言はどうだ?この町で俺は英雄なんだろ?その俺がリーザは操られていた。そう証言する。更に報奨金を全てをリーザの助命嘆願に使うとしたらどうだ?」
宗一郎の提案に、ラシルドとドーンは力なく首を振る。
「それでも無理だ」
「それでも無理です」
ラシルドとドーンが否定の言葉を口にする。二人共内心では助けてやりたいが、法を執行する手前、毅然とした態度が必要だった。彼らにとっても苦渋の決断なのだ。
宗一郎はこれでもダメなのかとカッとなって声を荒げようとしたが、背後から聞こえてくる声で冷静さを取り戻す。
「英雄様と相乗りしていたから、さぞ高名な方なのだろうと思っていたら、奴隷だとは。しかも牢破り、門破りをしていたとは。恥をしれ、恥を」
中年の男がリーザに向かって罵声を浴びせ、石を投げていた。
この時代には、犯罪者を民衆に晒して投石する文化が残っていた。そうやって民衆の感情を和らげていたのだ。男の投げた石に当たってリーザは額から血を流した。
宗一郎は即座にリーザの下へ駆け寄った。
「リーザ」
「ソウイチロウ様?」
「ひとまずじっとしていろ。【消毒】」
宗一郎が回復魔法を唱えるとリーザの傷が治った。民衆は英雄が犯罪者であるリーザを庇っているのを見て、沈黙した。
「リーザ、どうして一人で行ったんだ?」
「それは……リーザが死刑になることはわかっていましたから、お2人に迷惑をかけないようにと……」
リーザの弁明を聞いた宗一郎は正座しているリーザの頭に拳骨を落とす。
ゴチンッーー良い音がした。
リーザは患部をさするため両手を頭の上に持って行こうとしたが、両手を縄で繋がれているため上手く出来ずに、つっかえていた。
「いいか、リーザ、良く聞け」
「はい」
「お前と俺とアリッサは仲間だ。仲間に迷惑をかけるとか気にするな」
「仲間……ソウイチロウ様は昨日もそう仰りましたけど、リーザは奴隷という身分で、それに今処刑される身で……」
「そんなことは関係ない。俺達とリーザは仲間だ。俺がそう決めたんだ。それにリーザを処刑になんて絶対させない。例えタージフの法がそうであっても、無罪の人間を処刑させる法なんてクソ喰らえだ。俺が絶対に覆してやる」
宗一郎が握り拳をつくり宣言する。
「それともリーザは俺達と仲間になるのは嫌なのか?」
「いえっ、そんなことは……」
「なら何も問題ない。俺達は仲間だ」
「仲間……」
「仲間はわかったけど、どうやってリーザを助けだすのよ?」
背後にいたアリッサが言う。
「それは……最悪の場合はこの町を敵に回してもリーザを助け出す」
英雄の言葉に驚いた民衆が一歩引く。ラシルドはやれやれと言った表情で頭を掻いていた。
宗一郎の言葉に周囲の兵士が臨戦態勢をとるが、相手はゴブリンキングとホープキングを倒した化物である。自分たちの力では叶うはずがないことを兵士は理解していた。
一触即発といった状況が出来上がったところで、西門から小さな集団が近づいてきた。
タイミングよく現れたその集団は、宗一郎の願いが届いたものか、はたまた天に召されたリーザの両親がリーザの黄泉への旅をよしどせず出した使者かーーどちらかはわからないが、この閉塞した状況を打開する使者となった。
「なんだなんだ、この人だかりは。早く道を開けろ。ワシをシャフタール家のお抱え奴隷術師サルク様と知らんのか」
でっぷりと腹が突き出し、脂まみれの顔をした中年親父を先頭にして集団は近づいてきた。
ゴテゴテした服ときらびやかなアクセサリーを身につけた男は、配下の者達に人混みをかき分けさせ進んできて、リーザの前で止まった。
「おお、リーザではないか。報告がなかったから心配したぞ。まぁチョーカーが付いているのだから逃げられる訳はないのだがな。ワハハハ。それで?どうなのだ?使命は果たせたのか?早く果たしてくれんとワシも困る。何故奴隷術師たるワシがこんな町に遠征などせんといかんのだ。ワシは家でのんびり過ごしたいのだ……ん?何故囚われているのだ?」
ようやくリーザの現状に目が言ったサルクは疑問を投げかける。そこにドーンが進み出る。
「これはこれはサルク様ではありませんか?」
「おお、お主はドーン。シャフタール家を去った後も息災であったか?」
「はい。ジリ様のお力添えで、この町の町長をやらせてもらっています」
「それは素晴らしい。お前は優秀だったから、能力に見合った職業だろう。努めて励めよ……町長と言ったか?それでは何故シャフタール家の奴隷であるリーザが囚われているのか説明してくれんか?」
「リーザさんは牢破り、門破りの罪、加えて国境警備兵への暴行も疑われています」
「なっ」
サルクは言葉を失った。
「私も大恩あるシャフタール家には申し訳ないと思うのですが、罪は罪です。リーザさんは処刑になり、持ち主であるシャフタール家には多額の賠償金が課せられるでしょう」
ドーンは淡々とサルクに告げる。
サルクは無反応だったが、次第にワナワナと震えて急に走りだし、リーザの頬をはたいた。
「お前は使命を果たさぬ上に、シャフタール家に迷惑をかけよって」
怒りに任せて2撃目を放とうとするサルクの腕を宗一郎は止めた。
「何だお主は?」
「何でも良いだろ。おっさん殴りすぎだよ」
「何を言っておる?こいつはシャフタール家の奴隷だぞ」
サルクは先ほどの行為が、さも当然と言うような顔をした。
「サルク、そこまでにしておけ」
「ワシを呼びすてだと。何処のどいつ……これはカール様ではありませんか?王都での留学は終えたのですか?」
「そんなことは今は関係ない。リーザはどうせ死刑になるのだ。それ以上傷めつける必要はないだろ。今お前がすべきことは、シャフタール家にこの事実を伝えて善後策を練ることじゃないか?」
「カール様にしてはお優しいことで。王都に留学されて性格が変わりましたかな?まっそれは良いとして、善後策を練れとはどういうことで?」
勝ち誇った笑顔を造り、サルクはラシルドに問いかける。
「言葉の通りだ。リーザはシャフタール家の奴隷。近い将来、被害の補償として多額の賠償金が課せられるのは目に見えている。その為に金を集めておけということだ」
ラシルドの返答を聞いたサルクは「ワハハハ」と高笑いをあげた。
「何が可笑しい?」
「何が可笑しいって?それはカール様、貴方様が勘違いされているからですよ」
「勘違い?」
「ええ、勘違いです。リーザはシャフタール家の奴隷などではありませんよ」
サルクの口から出た言葉に、見る者は言葉を失った。
「それは……どういう……」
「ジリ様の考えが当たりましたね。ジリ様はリーザに使命を与える前にこっそりと奴隷から解放していたのですよ。こういう面倒が起きる可能性を見越してね。そのため正座している獣人は当シャフタール家の奴隷ではありません。お疑いでしたら調べてみたらどうですか?」
「ラシルド!」
いち早く我に返ったアリッサがラシルドの名前を呼ぶ。その声に反応してラシルドが指示を出した。
「ああ、そうだな。おいそこの者よ、この町の奴隷術師を呼んでこい」
「はいっ」と反応した兵士が奴隷術師を呼びに行く。
奴隷術師は一ヶ月に一度奴隷の鎖に魔力を込めなければならない。そのため大きな町や貴族の家にはお抱えの奴隷術師がいるのが普通であった。
ダンには常駐する奴隷術師がいた。奴隷術師でなければ、リーザが奴隷なのかそうでないのかは、判断できない。不便なのだがこの世界の仕組みはそうなっているのだ。
奴隷術師が到着するまでは、サルク以外は無言だった。リーザが奴隷かそうでないかで事態は大きく変わる事を理解して祈るような気持ちで待っていた。唯一サルクだけが、「暑い」とか「疲れた」とか不満を漏らして従者をこき使っていた。
そんな沈黙に耐えていると、ダンのお抱え奴隷術師が到着した。兵士に引かれた馬に跨ってきた奴隷術師は、ヨボヨボのお爺さんで人の良さそうな笑顔をしていた。
「シンさん、遠いところすみません」
町長であるドーンが挨拶をする。
「いえいえ、これが仕事ですから?それで私に見ていただきたい奴隷というのは誰ですかな?」
「そこに正座している犬の獣人を見て欲しいのですが…」
「おお、めんこい子だね。よしよし、私に任せなさい」
兵士から手を引かれて馬から降りたシンは、ゆっくりと歩きながらリーザの元へたどり着き、座ってチョーカーに手を当てて魔力を込める。そしてウンウンと唸った後で、リーザの頭をポンポンと叩いた。
「この子は奴隷ではありません。何日か前まで奴隷であったようですが、解放されています」
シンは淡々と事実を述べた。
「これでわかったであろう。リーザと当シャフタール家には何の関係もない。そのためリーザが何の罪を犯そうと知らぬことである。ではワシは帰るとする」
サルクはそう言い捨ててクルッと向きを変えて歩き出した。
「サルク一行を捕らえよ」
そんなサルクを横目に見ていたラシルドが兵士に声をかけると、弾かれたように兵士達がサルク一行に群がった。
「なぜワシが捕まえられなければならんのだ?カール様よ、乱心なされたか?」
サルクが抗議するが、その言葉はラシルドに届くこと無く、お縄にかけられて役所の牢に入れられた。
「ドーンさん」
事態を眺めていた宗一郎は町長であるドーンに近づき問いかける。
「なんですか?」
「リーザは奴隷でないことが判明しました。こうなるとリーザはどういう罪になるのですか?」
結末はわかるが、町長であるドーンに明言してもらいたいがために宗一郎は白々しい質問を投げかけた。
「そうですね。奴隷でないとなると、操られていたという証言が認められることになります。実際被害者も同様の証言をしていますし、信憑性は高いでしょう。とはいえ、全ての罪から逃れることは出来ません。操られていたとは言え、非常事態のダンで、牢破りと門破りをしたわけですから」
ドーンは一拍間を置く。
「その刑は罰金になります。納められない場合は自身を奴隷にして、その売却額で補填することになります」
この世界には地球のような禁錮刑は存在しない。働かない犯罪者に食わせる飯があるか、という理論である。存在するの刑は、罰金、奴隷落ち、強制労働、死刑の4つである。
強制労働は炭鉱など重労働の刑で、幼い女性であるリーザには無理である。またリーザの罪は死刑に値するほど凶悪なモノではなく、自然と罰金か奴隷落ちの2択になった。
「罰金を他人が納付することは可能ですか?」
「可能です。これには納付側の意志だけで足り、肩代わりされる犯罪者の意志は必要ありません」
他者を救うため罰金を他人が肩代わりすることは広く運用されていた。
役所にしてみれば、犯罪者自身が罰金を納めようが、知人が納めようが関係はなく、むしろ奴隷落ちにして買い手を探す方が面倒であり、その手間を省いて罰金を納めてくれるのは万々歳であった。
肩代わりされる方に、断りたい理由があったとしてもしても、それが認められることはなかった。
「確か俺に報奨金をくれると言っていましたが、それはリーザの罰金を払うのに足りるモノですか?」
「リーザさんに課せられる罰金はソウイチロウ様に払う報奨金の半額にも満たない額です。例え国境警備兵への暴行が認められたとしても、報奨金の半額で十分足りるでしょう」
「「つまり?」」
宗一郎とアリッサが同時に聞く。その顔は期待に満ちていた。
「ソウイチロウ様が罰金を払ってくれるなら、リーザさんは無罪放免です」
ドーンが宣言すると、黙っていた群衆がワッと湧く。
リーザに投石した男は罰の悪そうな顔をし、当のリーザは事態の推移についていけずオロオロしていた。
リーザの下に宗一郎とアリッサが駆け寄り、抱きつく。
「良かったな、リーザ。無罪放免だってよ」
「リーザ、やったわね」
宗一郎はリーザの縄を風魔法で切り、手を解かせる。
「でもリーザは奴隷で、門を破って……」
「それはソウイチロウが肩代わりするから」
まだ事態を飲み込めていないリーザをアリッサが諭す。アリッサがこんこんと諭すと、リーザは理解したのか宗一郎に顔を向けてお礼を言った。
「ソウイチロウ様、ありがとうございました」
「良いってことよ。リーザの為なら安い出費さ」
「奴隷であるリーザの為にこんなことをしていただいて感謝の言葉もありません」
リーザは震えながらその言葉を述べると、死刑を免れた安堵からかワンワンと泣き出した。
宗一郎はその泣き声を、昨日の音楽にも優る喜びをもって聞いていた。
こうしてシャフタール家の奴隷術師の登場によって、黒に傾いていた運命の針が白に逆戻りして、リーザは宗一郎とアリッサの仲間になった。
リーザにとっては初めての仲間であり、その喜びはひとしおであったであろう。
ただし…
泣き止んだリーザは立ち上がり、充血した目を宗一郎に向けて一礼をした。
「これからよろしくお願いします。ご主人様」
「「えっ?」」
「どうかしましたか?」
「リーザ、そのご主人様ってのは?」
「リーザを奴隷として、ソウイチロウ様が買い取って頂いたんですよね?であればご主人様と呼ぶのが当然かと」
リーザは奴隷身分から開放されたことを理解していなかった。
宗一郎はリーザの代わりに罰金を払ったのだが、リーザにとっては奴隷となった自分を買い取る為に罰金を払ったと解釈したのである。リーザの奴隷根性がそうさせたと言えよう。
宗一郎はリーザの誤解を解くために再度説得するのであった。