第29話:アリッサ救出
朝日が昇りきった。
それを受けて門番が合図を出して、内側にいる役人が門を開けていく。門が完全に開くまでは何人足りとも門に近づいてはならない。これに違反した場合は死刑になるケースもありうるとのことだった。
宗一郎は門の前で下馬して開門を待っていた。
町に入るためには、開門した後に身分証を門番に提示しなければならない。この世界では魔法が一般的ではないため、各国の王の名の下発行された厚紙を見せる必要があった。
当然宗一郎は身分証をもっていなかった。
「ラシルド、俺身分証持っていないんだけど……」
「俺が身分保障をしてやるから、ソウは問題なく門をくぐれるさ」
「すまんな」
「気にするな。意外と身分証明書を持っていない人間は多いんだ。辺鄙な村の出身者とかは面倒くさがって登録しないことがある。生涯村から出ずに生活するのに身分証明書なんていらないからな。そういう時の為に身分証明書を持っている者が、身分を保証し入町税を払えば町に入ることが出来るって制度があるのさ。奴隷は身分証明書なしで入れるがな。入町税も今回は俺が立て替えてやるよ」
「ありがとう。ところで入町税っていくらなんだ?」
「銀貨一枚だ。ちょっと高いのはしょうがない。問題を起こしたら入町税が取り上げられる仕組みだからな。身分証明書がある人間は大銅貨1枚、奴隷は身分証明書があってもなくても銅貨1枚だ。」
「すまない。金が出来たら返すよ」
「いやっその必要はない。何も問題を起こさずにいたら、入町税は返してもらえる仕組みだ。問題を起こさなきゃ金を返す必要はないさ」
ラシルドと話してる間に開門した。
「身分証明書はあるか?」
門番が問いかけてきた。ラシルドは懐から身分証明書を取り出して、門番に見せた。
「こ、これはっ」
ラシルドから身分証明書を提示された門番の顔が驚愕の表情になった。
「よい。気にするな。さて、後ろの犬の獣人は奴隷で、他は平民だ。この男だけ身分証明書を持っていないから、入町税は銀貨1枚、大銅貨2枚、銅貨1枚になるはずだ。確認してくれ」
「はい、確かに。しかし入町税など頂かなくても……」
「ダメだ。例外はなしにしろ」
「はっ」
門番2人は敬礼をした。宗一郎はそれを不思議に思ったが、アリッサを救出することで頭が一杯だったため、特に突っ込むことはなかった。
「ではお通り下さい」
門番が道の脇にどき、宗一郎は馬を手で引きながら歩いて行く。宗一郎にとってはこの世界で、初めて人里の中に入る瞬間であった。
堀の上に掛けてある橋を渡り、ダンの町に入った。
早朝の為人通りはなかった。
しかし門をくぐった端から看板が立ち並び、商店が連なっていた。かきいれ時には多くの買い物客でごった返すであろう。
「左手だよな。アリッサが捕らえられているのは」
「あぁ間違いない。まだ杖を磨いている手が見えるぜ」
「ならば急ごう」
宗一郎一行は左へ曲がり、スラム街に足を踏み入れた。
スラム街に入ってまず宗一郎を刺激したものは、異臭であったーー鼻を摘みたくなるほどの臭い。排泄物の適切な処理が行われておらず、糞尿が路上に放置されている。おまけにゴミもひと塊になっているわけではなく、アチコチにポイ捨てされていた。老朽化が進んでいる建物は、掃除した後など見られず、蜘蛛や野良犬の棲家となっている。
「汚いー臭いー」
マリーンが悲鳴をあげる。この光景を見れば10人中9人がそう言ってしまうだろう。マリーンの発言は致し方ないところではあったが、スラム街の住人を挑発し身の危険を増やすことになるので、宗一郎が注意しようとしたところ、ラシルドがマリーンに注意をしていた。リーザは顔を歪ませ鼻を摘みながら付いてきている。
因みにラシルドはマリーンと相乗りしているが、宗一郎は一人である。リーザが頑なに乗馬することを拒んだのである。奴隷が一緒に乗るなんておこがましいといつもの調子であった。
時折視界に入る浮浪者の老人や子供を無視して馬を進めていくと、目的の宿屋に着いた。ダンと思しき男が寝そべっている。宗一郎の探知魔法にかかった手はもう部屋に引っ込んでいた。それにしても長いこと杖を磨いていたものである。少なくとも30分以上は杖を磨いていた。宗一郎なら5分とかからず終わりそうな杖を。
「よし!じゃあ俺が部屋に乗り込むから、ラシルド、マリーン、リーザはこの部屋から脱出しようとする者がいないか見張っててくれ」
宗一郎はそう言って下馬し、馬をラシルドの元へ持っていく。
「お前一人で大丈夫か?」
「ああ、汚名返上しなきゃアリッサに嫌われてしまうからな」
「そうか。武運を祈る」
「ありがとな」
宗一郎は宿にはいった。扉の奥にはカウンターがあったが、早朝の為か誰もいなかった。都合良いことにこの宿に泊まっているのはアリッサと宣教師達のみである。おまけに従業員も不在となれば、周りの迷惑は気にする必要性がなくなったーー絶好の機会である。
目的の部屋に行くため階段を登った。階段も老朽化していて踏みしめるとギシギシと音がする。
(この音で来訪者の存在がわかるな)
この宿屋は後ろめたいことのある人御用達であるから、わざと音がでる仕組みになっているのかもしれない。いち早く来訪者が来たことがわかり、逃亡なり証拠隠滅なり可能になる。
目的の部屋に着いた。宗一郎は心臓がバクバクいっているのを抑えながら、ノックした。
「どちら様ですか?」
中から返答があった。若い男の声だ。
「当宿の従業員ですが、朝食について伺いたく参上致しました」
「朝食は付かないって聞いてますけど?」
(ヤバっミスった。朝食無しの宿屋なんて想像もしていなかった)
「それが今日は特別にご用意させて頂きます。何でも上の者に言わせると、お客様は必ず栄達なされるからご愛顧してもらいたいとのことです」
宗一郎が適当な理由を咄嗟に考えて言う。どう考えても不自然なのだが、中にいる若い男は不思議に思わなかったようである。
「はぁ。朝食が出るって言うのならもらいますけど、昨夜と同じように2人分だけ部屋に運んで貰えますか?」
「それについてご相談したいことがありますので、お部屋を開けて頂けますか?」
「わかりました」
「ギギッ」と鈍い音を出て扉が開く。そして扉の隙間から男の姿が見えた瞬間に、宗一郎は風魔法で速度をあげた右拳で顔面を思いっきり殴った。
「この前のお返しだ!」
「がっ」
宗一郎の右手は男の鼻っ面にクリーンヒットした。男は調度品のテーブルを吹き飛ばして壁まで飛んでいった。男は全く動かないので気絶したと思われた。
宗一郎が部屋に侵入すると、2段ベットの上からミハエルが身を起こした。
「な、な、何事だ?」
「ソウイチロウ!!」
2段ベットの下にはアリッサが寝ていた。宗一郎に気づき笑顔を見せている。喜びすぎて「ソウ」と呼ぶのを忘れていた。
アリッサは両手に縄をかけられていた。予想はしていたが実際にアリッサが縄で捕らえられているところを見ると、宗一郎は怒りがこみ上げてきた。
アリッサのもとに近寄り、風魔法で縄を断ち切った。
「アリッサ、ひとまずこっちへ」
宗一郎はアリッサの手を引き、階段を降りて外に出る。
「き、貴様っ」
ミハエルが怒声をあげ、ガタガタと音をたてながらベットを降り、宗一郎を追いかけてくる。
宿屋から出た宗一郎はアリッサをリーザに預けて、離れているように言ったーーミハエルと1対1で戦うためである。
「こいつとは俺がやる。リーザはアリッサをみててくれ」
「畏まりました」
ミハエルが宿屋から出てきた。着ているのは白い修道服ではなく、簡素な寝巻きだった。仮面もないため、蛇の杖を持っていなければミハエルとは認識出来ない出で立ちだった。
「貴様!アリッサ皇女殿下を返せ」
「「皇女殿下?」」
何も知らないラシルドとマリーンが同時に声をあげる。
「後で説明します。今はソウに手を貸してくれたことに感謝します」
アリッサが状況を推理して感謝を述べる。
「アリッサを返せ?お前が奪ったくせに。盗人猛々しいとはこのことだよ。ミハエル。お前の悪行はここまでだ。俺が相手してやる」
宗一郎は啖呵をきり、アリッサの教え通り探知魔法を全開にして戦いに備えた。そして周りの人間には聞こえないような小声でボソッと何事かを呟いた。
「ウルサイ!お前を殺して皇女殿下を取り返してやる。唯一神たるラビアの神に願い給う。裁きの光よ、刃と成りて、かの者を討ち滅ぼさん。断罪せよ。【マタールーズ】」
ミハエルは杖を掲げて呪文を唱え始める。
宗一郎はミハエルを倒すために火魔法を撃とうとした。しかし探知魔法を全開にした事により周囲の状況が頭に入ってきた。周囲には早朝にもかかわらず多数の見物客、野次馬が押し寄せてきていた。その全てはスラム街の住人であった。
宗一郎はミハエルとの戦いで無関係の人物に被害が出ることをよしとしなかった。
加えて今は味方となっているラシルドに対しても、自身の魔法を見せたくはなかった。つまり探知・空間・結界魔法で戦う事に決めた。
「【カーテン】」
宗一郎は結界魔法を唱えてミハエルの周りに結界を貼った。
結界は内外問わず攻撃を防ぐ強力な防御壁である。その性質上掌が触れる範囲にしか普通は発動出来ない。しかし宗一郎は持ち前の器用さを活かして遠隔で結界魔法を貼ることが出来る。火魔法の遠距離攻撃が成功した際に、全ての魔法が遠距離で使用可能になった。ただし遠距離になればなる程の強度が反比例して落ちていくため、それ程有効な魔法とは認識していなかった。
ーーそれは大きな勘違いであることを宗一郎はこの戦いで知ることになる。
宗一郎は知らないことだが結界魔法を遠距離で貼ることに成功したのは有史以来宗一郎ただ一人である。
それ程難しいことを容易くやっている宗一郎にその自覚はない。
宗一郎が貼った結界は距離があるため脆く、ミハエルの光魔法で相殺されてしまった。
「こしゃくな。【カーテン】 唯一神たるラビアの【カーテン】神に願い給う。【カーテン】裁きの光よ、【カーテン】刃と成りて、【カーテン】かの者を討ち滅ぼさん。【カーテン】断罪せよ。【カーテン】【マタールーズ】【カーテン】」
ミハエルが光魔法を唱える間に、宗一郎は結界魔法を8回唱えることが出来た。その全てをミハエルの周りに貼った。薄い結界が8層になってミハエルを守っている。
詠唱のいらない宗一郎だからこそ出来る物量作戦であった。
当然ミハエルの魔法は宗一郎の結界を破壊したが、1層だけであった。残りの7層は魔法の余波もなく健在であった。
再度ミハエルが光魔法を使ったため同じやり取りをすると差し引き13層の結界がミハエルの周りに張られた。ミハエルが悪態をつかずに、呪文を唱えたので7層しか貼ることは出来なかった。
このまま繰り返してもまた結界が増えるだけと気づいたミハエルは、今度は結界魔法を破壊する呪文、反結界魔法を唱えた。
「偉大なる唯一神【カーテン】たるラビアの神に【カーテン】願い給う。【カーテン】我にこの理を【カーテン】破る力を授けんことを。【カーテン】破砕せよ。【カーテン】【デスチュリーバリラ】【カーテン】」
ミハエルの反結界魔法は高威力であり、宗一郎の結界を2層破壊することに成功した。それでも宗一郎はミハエルが反結界魔法を唱えている間に結界魔法を7回唱えたので、5層の結界が上乗せされることになった。
そのやり取りをその後3回繰り返すと、ミハエルの周りに貼ってある結界は33層になった。
それまでは魔法を連発していたミハエルだが、魔法を諦めて手に持った杖で結界を殴りつけた。
結界魔法は強度以上の力を加えられたら、破壊されてしまう。ましてや遠距離で放った魔法のため、通常の結界魔法よりは強度が低い。
しかし例え遠距離の結界魔法だろうとミハエルの光魔法を相殺する程度の威力は保っていた。ミハエルの細腕でどうにかなる次元ではなかった。ミハエルは結界魔法に僅かな傷も残せず杖を弾かれた。
ミハエルの顔が曇る。絶望的な状況に追い込まれたことを自覚したのだ。ミハエルはサッと顔を伏せた。降伏の言葉が出るかと待っていたが、突然顔をあげると笑い出し、正反対の言葉を口にした。
「クックックッ。ハーハッハッ。確かに貴様は私を閉じ込めることに成功した。だからどうだと言うのだ?このように結界が貼られていれば貴様も攻撃しようがなかろう。私はまだ傷ひとつ負っていない。愛しの皇女殿下を奪った私を断罪するのではないのか?閉じ込めてそれで終わりなのか?」
安い挑発である。
宗一郎に結界を解かせようという魂胆が丸見えである。ミハエルは宗一郎を挑発する間に、寝ていた部屋をチラッと見た。ジュライが復活してくることに期待しているのだろう。
(無駄なのに)
宗一郎がミハエルの挑発にのらずに、無言でミハエルを睨みつけていると、宿屋の玄関が開いた。
「これでいいのか?ソウ」
「あぁ完璧だ。ラシルド」
ラシルドが気絶していた男を縄でふんじばって出てきた。
「なっ!?」
「もしかしてこいつが助けに来てくれることを期待していたのか?」
宗一郎は意地の悪そうな笑みを浮かべる。
どうしてラシルドがジュライを拘束してここに連れて来ているのか?
それを解く鍵は探知魔法を展開した後に、宗一郎が呟いた言葉にあった。
宗一郎は周りの人間には聞こえないように小声で呟いたが、その声はしっかりと犬獣人であるリーザの元へと届いていた。
「リーザ。宿屋の2階にこいつの仲間がいる。ラシルドにその事を伝えてくれ」
ーーそう宗一郎は呟いたのである。リーザはその通りに実行して、ラシルドが捕獲に向かったのである。
望みの綱も絶たれて、ミハエルは意気消沈しているかと思いきや、再度笑い声をあげた。
「クックックッ。そいつが捕らえられたから何だと言うのですか。この結界の中では貴様も攻撃できない。つまりお互いに手詰まりではないですか?」
完全な負け惜しみである。捕らえられた時点でミハエルの負けなのに、意地を張って降伏しようとしない。
宗一郎にはこの世界での降伏者の扱いや、誘拐、国境侵犯がどのような罪に問われるのかという知識はない。それが極刑の場合なら、降伏する意味もなくこんな態度を取らざるを得ないかと妙に納得してしまった。
しかし納得したことと、アリッサを誘拐したことに対する制裁を加えることは別問題である。
「別にこのままでも攻撃方法はあるんだが……その前にラシルドに聞いておきたい。この男は生きて捕まえたほうが良いのか、殺した方が良いのかを」
「生かして捕らえてくれ。こいつには色々聞かなきゃならん」
「わかった。それなら、マリーン。すまないがミハエル目掛けて矢を撃ってくれ」
「嫌。私はラシルドの命令しか聞かない」
「……ラシルド、お願いしてくれるか?」
「マリーン、ソウの言う通りにしてくれ」
「わかった。ラシルドのお願いならそうする。でもどうせ結界に弾かれると思うけど」
「大丈夫だ。気にせず撃ってくれ」
宗一郎がそう言うと、マリーンは弓に矢をかけてミハエルに狙いを定める。
「馬鹿め。そんな矢が結界魔法を貫くと思うのか。私の光魔法でさえ相殺されるというのに」
「それがいけるんだよなー」
宗一郎の言葉を契機として、マリーンが矢を放つ。その矢は一直線にミハエルの元へ向かっていった。
(さて腕の見せ所だな)
宗一郎は魔の森での修行の成果により、結界魔法を変形させることが出来るようになっていた。具体的に言うと1部分を意図的に消したり、変形させることが可能になっていた。
その能力によって、マリーンが撃った矢が通る軌道の結界魔法を消して、矢がミハエルへ届くための道を作った。矢が通った後は即座に結界魔法を修復させた。
マリーンの矢はその道をスルスルッと通り、ミハエルの右肩に刺さった。
「ぐっ」
ミハエルは肩に矢を受けた反動で杖を落とした。肩からは血がダラダラと流れている。
「馬鹿な。こんなことができてたまるか」
ミハエルが吠える。
「他にも色々出来るぞ。結界魔法の中に魔法を発現させることは出来ないけど、外から中へ取り込むことは可能だ。こんな風にな!」
宗一郎は【バーナー】と唱え火の玉を5つミハエルに向かって撃った。火魔法はラシルドに見せていないが、ミハエルを追い詰める為に必要と判断して手の内を明かすことにした。
火の玉は、ミハエルの前後左右と頭上へ別れ、結界を1層ずつ抜けていった。
宗一郎はミハエルに恐怖を感じさせるためわざとゆっくり結界を抜けさせた。
ミハエルは段々と迫ってくる火の玉に怯えていた。慌てて落とした杖を拾いあげて、錯乱したのか光魔法を連発した。その魔法は結界に相殺されていったが、5回程魔法を撃ったところで魔力が尽きたらしく杖に寄りかかったまま動かなくなった。
そうしている内にも火の玉は迫ってくる。
ミハエルは火の玉を虚ろな眼差しで見ていたが、口を真一文字にした後に杖を放り投げた。
「降伏する。だから火の玉を止めてくれ」
宗一郎の初めての戦い(1対1)が圧倒的物量の結界魔法によって勝利に終わった瞬間であった。
一人称から三人称へと変えました。話の構成上一人称が難しくなってきたためです。これから宗一郎のパートは三人称で通したいと思います。