第14話:反応
「ありっ?晴れちまった?あの天気なら今日一杯は雨だと思っていたのにな」
もうちょっと降っててくれよ。今朝の出来事を消化するには時間が足りなさすぎるぜ。
アリッサが魔の森に入って2ヶ月。生きてはいないだろうと思っていた。それがこうしてまた顔を見られるとはな。……血の気の引いた顔をしていたが、生きていてくれただけで心が救われるぜ。
あの男に感謝だな。
地主様のもとに来た新しい訳あり奴隷。
それがアリッサだった。
突然地主様に「親戚の子で匿うために奴隷って身分にしているけど奴隷って思わずに接してやって欲しい」と言われた。この村には元々奴隷なんていないから、誰も奴隷の扱いに慣れていない。だから奴隷と思わなくて良いと言われた時は渡りに船だった。
当初はこちらが話しかけても生返事しか返さないアリッサだったが、子供達との触れ合いを通して陽気さを取り戻し、よく笑うようになった。地主様はアリッサの過去については何も話してくれなかったが、俺達はそれで良かった。
あんな良い子中々いないぜ。
アリッサは子供達からすぐ懐かれ、毎日朝から晩まで遊んでくれた。回復魔法と水魔法を使えるから安心して子供を任せられたさ。しかも雨が降らない日が続いていると、畑まで来て水を振りまいてくれた。1回やり過ぎてぶっ倒れちまって、地主様のところまで急いで運んだこともあったな。地主様は俺達を怒らず、迷惑かけてスマンといってくれた。こっちは迷惑かけっぱなしっすよって言って笑い合った。
あんなに平穏で穏やか日々はそうないことだったな。
でも……もう終わってしまったんだな。
2ヶ月前のあの日、突然軍がこの村に来て村から出るように言った。
そりゃ従うさ。自国の軍が来たんだからな。そしてあらかた避難が済むと、あいつらは地主様の家に押しこみやがった。
あそこは地主様の家だ、地主様は何も悪いことはしていない、どうか許して欲しいって軍に訴えたんだが、けんもほろろだった。地主ではなく女に用があるって言われた時は、地主様から言われた言葉が頭をよぎったね。アリッサがここに来る前に何かをしたのかもしれないってそう思ったよ。
程なく軍がアリッサを連行してきて、魔の森の手前で解放した時には、なんてことをするんだ、あの森では人は生きていけないんだぞって兵士に文句をいったら、兵士が仕事が終わったという安堵感からか陽気な口調で話してくれた。
アリッサが、ガルドビア皇女で、魔族とのハーフという理由で指名手配されてることをね。
その兵士は隊長みたいな奴に絞られていたがそんなことは知ったことじゃねー。
アリッサが魔族とのハーフ?だからどうだって言うんだ。
魔族とのハーフだろうが、獣人とのハーフだろうがこの村じゃ関係ねぇ。
みんな家族だ。こんな小さな村じゃ魔族の血が流れていることなんて些細なことは、2,3日もすればみんな忘れる。そんなちっぽけな理由でアリッサを追い出したのかよ。腸が煮えくりかえる思いだった。
でもな、この国では魔族に対する差別がそれほどでもないが、ガルドビアが人間至上主義を掲げていることは誰でも知っている。その皇女が魔族とのハーフだったらそりゃ狙われるかって納得しちまったよ。
俺は頭が良くないから、なぜ軍がアリッサを殺さずに森に放ったかはわからない。でもあの森では人間は生きていけないのだからどっちにしろ同じことだ。奴らの行いは殺人となんら変わりがない。
俺が悲観にくれているとアリッサが軍の方に歩いてきやがる。アリッサに何か逆転の秘策があるのかも、と思いつつ見ていると兵士から耳打ちされたアリッサは顔を歪ませてから踵を返した。
そして何にも喋らずに森へと入っていった。アリッサが振り向くことはなかった。
俺らは軍がいなくなった後、アリッサを助けだそうと決めていたが軍はそのまま半月も逗留しやがった。
そのため手の出しようがなかったんだ。まぁ俺達が魔の森に入っていっても直ぐにおっ死んじゃうだろうがな。
……それでも助けだしたかったんだ。
村に戻ると、地主様の家が破壊されているばかりか、地主様以下使用人が殺されていた。おまけにアリッサと一緒に来た物腰の柔らかい爺さんも死んでいた。
俺らは軍を激しく憎んだ後、彼らを埋葬した。
そして村人全員で話し合った後、地主様の家を修復することに決めた。僅かばかりの恩返しとしてな。地主様は凶作の時には減税してくださり、豊作の時には自費で祭りをやってくれた。そりゃ誰でも慕うぜ。
そんな慈悲深い地主様の最後の願いがアリッサを匿うことだった。俺達はそれが出来なかったけど、もし、万が一、アリッサが魔の森から抜け出てきた時のために地主様の家を修理することにした。
今思うと俺達は罪の意識から逃れたかっただけかもな。家を修理することで罪滅ぼしをしたかっただけかもしれないーー俺らは弱い人間だな。
半月後に軍が去った後も、2,3日おきに役人が見回りに来るようになった。余程アリッサの存在はこの国に迷惑なのだろうか?
俺らはアリッサがもし戻ってきたとしたらどうしようかと話し合った。匿うって意見が殆どだったが、じゃあ匿う場所はどこにするってところで詰まるのが毎度の流れだった。こんな小さな村に匿う場所なんて有りはしない。すぐ役人に見つかってしまう。違う村に匿うとしてもこの国の中にいたらいずれ見つかってしまう。他国はどうかと思ったが、伝手がねぇ。村民に他国に知り合いのいる奴なんて1人もいなかった。唯一いたであろう地主様は殺されちまったし。
そんなこんなで結論はでないままだった。
マリアの母親からアリッサの来訪を畑仕事中に聞いた時は飛び上がって喜んだもんだ。生きていたんだってな。都合よいことに昨日役人が見回りに来たから今日は大丈夫だろうし。
でもな、アリッサに近づくに連れて気持ちは沈む一方だった。会えたのは嬉しいがこの村で匿うことは不可能だ。アリッサのためにしてあげられることなんてのは、頭の悪い俺にはわからなかった。そうすると自然と足も重くなって、終いには走るのをやめて歩いてた。
そうしてアリッサと再会したが、アリッサは1人で来たわけではなかった。見知らぬ男と一緒だった。変な布を着た黒髪黒目の男で歳の頃は20手前ってところか?体つきはがっしりしていて戦えそうな男だと思った。
その男から話を聞くと、あぁこいつに任しとけば大丈夫だろうって思ったのさ。
魔の森で2ヶ月生き延びた実力。グレゴリウス家と縁があるくせにアリッサと暮らしていた事実。何よりアリッサから男への信頼が伝わってきた。袖をずっと握っていたからな。
だから俺達はアリッサを突き放し、タージフへと亡命するように伝えた。あの男も物分りのいいやつでよかった。俺の意図を理解してくれた。安心して任せられる。
丸投げのように見えるかもしれないが、その通りだ。弁解の余地もねえ。
こちとらただの農民だ。魔法も使えない、妻と息子を大事にすることだけしか出来ない農民だ。
そんな俺らが匿うよりは大国の庇護下に入ったほうがずっと良いだろ?
何にもできねぇ俺達にできるのはただ1つ。
もしアリッサがこの村に戻ってきたいって言ってくれた時の為に、帰ってくる場所である地主様の家を修復することだけーーそれだけだ。
さて晴れたんだから畑でも行くか。妻と息子に食わせるためにも働かないとな。
◇
「スー、スーはおるか?」
「はっ、ここに」
「先程魔の森の上空あたりで見慣れぬ魔法が放たれ雨雲を消し飛ばしたようだ。何が原因か見てまいれ」
「はっ。魔の森というますと2ヶ月前にガルドビア帝国のアリッサ……」
「スーよ。あれはそんなことではない。ただ魔の森近郊の領主が悪さをしていたから処刑しただけと何回言ったらわかる?その際、不幸にも居合わせた人間が行方不明になったが、そんなことは余の国の関与するところではないのだ」
「ははっ。失礼しました」
「そちがもう少し政治を理解してくれれば良い跡取りになるのだが」
「はっ、精進いたします」
「よし。ひとまず行ってまいれ。原因を必ず突き止めるのだぞ」
「必ずや」
そう言うとスーは退室し、軍を率いて颯爽とかけていた。
「あやつにコウの頭さえ備わって居れば安心して隠居できるものの」
アルエット王ザック1世の深いため息を吐き、床に伏せた。
◇
犬の獣人であるリーザの耳は人間よりも遥かに発達しており、集中さえすれば遠距離の葉のかすれる音さえ聞き取れるほどであった。
「ロンベルク様、確かに足音が聞こえます。2人組です。こちらに向かってきているようです」
「うむ、わかった」
タージフの田舎貴族の次男であるロンベルクは魔の森近郊まで来ていた。
本来なら自分から足を運ぶことは絶対にない場所。人間には生存不可能な場所。それが魔の森であった。
ロンベルクが気怠げに朝食兼昼食を済ませている時にそれは起きた。今まで聞いたことのないような雷鳴が轟き、2,3日は続くであろうと思われた土砂降りの空が急に晴れたのである。
食事中で室内にいたロンベルクは何があったかわからず、急いで使用人の元へ行き事情を聞いた。使用人が言うには、龍のようなものが昇って行き雲を食い破ったとの事だった。嘘をつくなと怒鳴りたくなったが、どの使用人や奴隷に聞いても同じことを言うばかり。さらに母にも同じことを言われたためロンベルクは信じざるを得なかった。
(龍など見たことない)
近づけば見れるのではないかと考え、使用人に龍が出現した方向を聞き、探知能力に優れる奴隷のリーザを連れて魔の森に着いたのが昨日の朝だった。夜通し駆けたことになるが疲労感などは覚えなかった。むしろその龍の原因を必ず解き明かしてにせると心に決めていた。そのために実家の宝物庫からこっそり家宝の剣を頂戴してきたのだ。生存不可能な魔の森にでも入る覚悟だった。
その日は街道沿いの宿で体を休め、次の日、つまり龍が現れてから2日後に魔の森に侵入しようとしたら、リーザが魔の森から人が出て来ると報告してきた。
ならばひとまずその者らに話を聞いてからにしようと決め、リーザに詳細な調査を命じ先ほど回答を得たところだった。
ロンベルクの体は沸き立っていた。
貴族と言っても所詮田舎貴族である上、しかも次男。跡取りになることもない。どこかで一旗揚げないとこのまま老いさらばえるだけと悲観していた。
そんな折に龍が現れた。この世界に生息するドラゴンとは違い、細長く蛇のような形状をしたのが龍である。伝承でしか知らない龍を見ることが自分にとって転機になるに違いないと考えここまで来たのである。
魔の森から来るのが、魔物か、人間か、それとも想像も出来ないような何かかはわからないが、あの龍について何かしら知っている者に違いない。
(僕には家宝の「何者も切り刻む剣」がある。この剣があれば100人力だ。誰でも来いってんだ)
ロンベルクは剣を身構えながら待ち構えていた。
田舎貴族の穀潰しの次男。
そう言われた何も出来ない15歳の彼が運命の歯車に導かれてこの地へ引き寄せられ、人生の一大転機を迎えるのはもうまもなくであった。
◇
リーザと言います。
リーザは犬の獣人で奴隷です。父と母も奴隷だったので自然と奴隷になりました。
父と母は先の戦ってやつで死にました。ご主人様達はお墓を作ってはくれませんでした。何でも奴隷は死んだらそれまでだそうです。この前ご主人様の先祖が入っているお墓を掃除した時、私の両親の墓はどこにあるのですかと聞いたらそんな答えを頂きました。
リーザは奴隷の生活しか知りませんので、そんなものかと納得しました。
最近当主様がリーザに命令することが多くなりました。何かあると必ずリーザを呼びます。そして必ず手をとってやり方を教えてくれます。その事自体は問題ないのですが、本を本棚に戻すやり方くらいは、文字の読めないリーザでも知っているのになと思います。いいえ、これもご当主様の深い考えがあってのことなのでしょう。
父と母に死なれてから1人で寝るようになったのですが、やはり寂しいです。ふとした瞬間に両親の不在を痛感させられます。
そんな毎日を過ごしていると、大雨が晴天に変わった日に、ロンベルク様がリーザのもとを訪れ、魔の森近くに行くぞと言われました。
リーザは否応無く連れて行かれました。奴隷に拒否権はありません。ロンベルク様は馬に乗り、リーザは走った為流石に疲れました。少しでも遅れると叱られるので、死ぬ気で頑張りました。
夜通し馬を飛ばしたロンベルク様はお疲れで宿に泊まり、睡眠を取られました。リーザも宿屋の裏手で寝かせてもらいました。ロンベルク様が宿でお休みになり、見張りの必要性はなくなった為寝ることが出来ました。昼寝は物心ついて以来で、ドキドキして中々寝付けませんでした。ロンベルク様は明け方までまる1日ほど睡眠を取られ、朝食を済まされると早速魔の森に行くと仰りました。
リーザは何も口にしていません。良くあることです。奴隷がご主人様から食事をいただくことはそう多くはありません。残飯を食べるか、獲物を狩って食べます。魔法は使えないため基本的には生で頂きます。ネズミや蛙や虫が多いですね。食あたりする人もいますが、そういう奴隷は基本的に放っておかれるため衰弱死することもあります。絶対に食あたりするなと両親にはよく言われたものです。
ロンベルク様のお供をして魔の森近くに来ました。そうすると森の中から2人の足音がします。足幅や音の強弱から見て男性と女性のようです。まるでこの森を散策しているかの様に、とりとめもない話をしながら歩いてきます。
リーザはロンベルク様に発見の報告後、その事をお伝えしようかと思いましたが、ロンベルク様が話を切られましたのでこちらから話しかけることはできません。奴隷とはそういうものです。
ロンベルク様はその2人と戦う備えをしてますが勝てるとは思いません。
ロンベルク様には失礼ですが、ロンベルク様なら戦闘訓練を受けていないリーザでも勝てます。家宝の剣を持ち出してきたようですが、宝の持ち腐れです。
ロンベルク様は負けます。
間違いありません。
その時はこの身を犠牲にしてロンベルク様を庇わねばなりません。リーザが敵わないようならロンベルク様に逃げて頂く時間を稼がねばなりませんーーそれが奴隷というものです。
リーザは奴隷以外の生き方を知りません。