第10話:いざ村へ
チュンチュンと鳥が鳴く前に宗一郎は目を覚ましていた。飽きもせず昇ってくる太陽を横目に見て、体を起こした。
今日は異世界に来て初めて人里に降りる記念すべき日である。宗一郎は背伸びをしてからラジオ体操を始めた。勿論この世界にラジオなんてハイテクなものはないため、覚えている範囲で体を動かす。ラジオ体操は宗一郎がアリッサに教えたら、いたく気に入り毎朝の習慣になった。むしろアリッサの方が活き活きとしてやっている。当初は教えるために向かい合ってやっていたのだが、屈伸や深呼吸の時、どうしてもアリッサの1部分に宗一郎の視線が釘付けになってしまうので、早々に横並びでやることにした。
一通り体操を終え深呼吸しているとアリッサが起きた。目の下にビッシリとクマをつくってむくりと体を起こした。
(美人が台無しだ)
「おはよう!アリッサ!昨日はよく眠れなかったようだな。ラジオ体操するか?」
「おはよう。ソウイチロウ。うん……今日はラジオ体操いいや」
不機嫌な声でアリッサは答えた。あんなに楽しみにしていたラジオ体操を休むなんて珍しいなと思いつつ、空間魔法で木の実を取り出す。
「じゃあ朝ご飯にする?こんなものしかないけどさ」
「いい。食欲ない」
(なんだと!?)
いつも笑顔で宗一郎の倍以上は食べるアリッサに食欲がないーー宗一郎の頭の中で異常事態を告げるアラームの音が鳴り響いていた。
ここ最近アリッサはため息も増え、目に見えて落ち込んでいた。人里に行くのが嫌なのだろうか?ハキハキとよく喋るアリッサが、今日は全然喋らない。宗一郎が1人で軽く朝食を済ましている間、焦点の合っていない目で空を見上げていた。
宗一郎の朝食が終わったので、お互いに水魔法で顔を洗ってから出発する。顔を洗ったくらいではアリッサのクマは取れなかった。アリッサは移動中ずっと下を向いていた。
人里には1時間で着いた。思いのほか人里は近かった。その間会話は殆どなかった。
宗一郎の探知魔法に町をぐるりと囲む柵が引っかかった時、アリッサが宗一郎の袖を掴んだ。
「ん?怖いのか?俺がついているから安心しろって」
実は宗一郎も怖い。異世界に来て初めての人里なのだから、怖くないはずがない。
住民がアリッサのように理性的なのかもわからない。旅人を拒絶する閉鎖的な村かもしれない。魔の森から出てきた宗一郎とアリッサを外敵と判断し攻撃されるかもしれない。狂信的な信者が住む村で儀式のための生け贄にされるかもしれない。文明の発達してない世界ではあり得ることだ。それらの不安が胸の中でごちゃまぜになっているが、宗一郎には血の気の引いた顔をしているアリッサに対して空元気をみせる余裕くらいはあった。
「怖くないよ。いやっごめん本当は怖い。……でもね、ソウイチロウが守ってくれるって言ったから。その言葉を信じるよ。だから怖くない」
宗一郎はアリッサの信頼に目頭が熱くなった。宗一郎はアリッサを守ることを再度誓った。
柵の内側で5歳位の子供が2人でかけっこをして遊んでいる。少し離れたところに2人で談笑している女性がいた。あの子供達の親だろう。村は中世ヨーロッパの町並みとほぼ同じであり、漫画の世界から飛び出たように思えた。小高い丘の上には少し古びた家が建っていた。壁に穴が開き、窓が割れているが、補修された箇所がチラホラ見える。
魔の森を抜け柵に近づくと子供達は宗一郎の存在に気づいた。立ち上がり見知らぬ男を観察している。アリッサは宗一郎の後ろに震えながら隠れている。宗一郎は手を振りながら精一杯の笑顔を作り、敵意がないことを必死にアピールし、柵の前で止まった。
するとトコトコと子供達が無警戒にも近づいてきた。ボサボサ茶髪の男の子と金髪、ポニーテールの女の子だ。彼らは魔の森から出てきた宗一郎に対して子供らしい気の抜けた声で話しかけた。
「お兄さんだれー?」
「お兄さんはね、あの森を抜けてきたんだ。それでちょっとこの村に泊まらせて欲しいんだけど。どこいけばいいか、わかる?」
宗一郎は子供と視線を合わせるためにしゃがんで答えた。アリッサは目を合わせないように後ろを向いていたが、しっかりと宗一郎の袖を握っていた。
「うそだー。まのもりは人が通れる場所じゃないってお母さんがいってたもん。だから近づいちゃいけないんだっていってたもん」
「いやっそれが本当なんだよ。実はお兄さん魔法使いでさ。魔法を使って通ってきたんだよ。あぁ試しにその傷を見せてごらん」
女の子が膝を擦りむいていたので宗一郎は手をかざし、【消毒】と唱えるとみるみるうちに傷が治っていった。
「すごーい。お兄ちゃん本当にまほうつかいなんだ。このむらにはチョーローさまくらいしかまほうをつかえないのに」
「そう。これで信じてくれた?信じてくれたらその長老様の家に案内してほしいな」
「うんわかった。でもお兄さんのことはしんようしたけど後ろの人はだれ?それがわかんないとあんないできないよ」
男の子は少し悔しそうな表情をしながら宗一郎に話しかけた。見知らぬ男が女の子に感謝されたことが面白くないのだろう。嫉妬である。
アリッサはその言葉を聞いてもまだ後ろを向いている。反応すらしない。
「この子はアリッサって言ってちょっと恥ずかしがりやさんなんだ。そっとしておいて貰えると嬉しいかな」
アリッサが宗一郎の方を向き顔を引きつらせる。
(あれっ?なんかミスった?)
2人の子供たちが、「あーっ」と大声を上げながら柵の下をくぐり宗一郎の背後のアリッサの足へ抱きついた。
「アリッサお姉さんだ。どこいってたの?もういなくなっちゃやだよ」
「アリッサお姉ちゃんだ。帰ってきてくれたの。また一緒に遊んでね」
「コラコラ、ナギにマリア。いきなり人に抱きついたらいけませんって教えたでしょう。あと大きい声を出すのもだめですよ」
少し照れながらアリッサはお姉さん口調で2人に注意を与えた。宗一郎の袖から離された右手は男の子の頭を、左手は女の子の頭を撫でている。子供に抱きつかれて表情は緩んでいるが目の奥には怯えが見えた。
子供達の名前を知っているとなると知り合いなのだろう。随分懐かれているようである。
(あんなに来るのを嫌がっていたのに)
宗一郎はアリッサの行動が腑に落ちなかった。
「ナギ、離れてこっちに来なさい。マリア、あなたもです」
柵の内側から怒声が飛んできた。子供達の大声で、母親らしき女性が宗一郎の存在に気づいた。怒声を上げていないもう片方の女性が小走りになって村の奥へとかけていった。
「シェーンおばさん」
アリッサは怒声をあげた女性に怯えていた。
「えぇーでも久しぶりにアリッサお姉さんと会えたんだから一緒に遊びたい」
「私もー」
「今すぐ来ないと晩ごはん抜きと尻叩きですよ。マリアあなたもです。アリッサには近づいちゃいけないってあんなに言ったでしょ!」
脅しをかけられた子供たちは名残惜しそうにアリッサから手を離して、柵をくぐり母親の元へ帰っていく。怒声をあげたご婦人はナギの母親であった。
展開に頭が追いつかない宗一郎は呆然と事態の推移を見守るだけだった。アリッサは再度宗一郎の袖を強く握り、カタカタと体を揺らした。
ナギの母親が2人の子供を連れて村の中へと帰って行った。宗一郎がどうしたもんかねと思っていると、ガヤガヤと村の奥から5人ほどの男衆が手に桑など農作業用の鉄器を持って現れた。宗一郎は用心して柵から2,3歩離れた。
男衆も柵の内側で止まり、宗一郎と向かい合った。男衆の中で一番屈強そうな茶髪の男が一歩前に出た。
「あんちゃん、この村に何の用だい?」
「私達は魔の森で2ヶ月程修行をしていました。その修行が終わり、旅に出る所です。出来れば一夜の宿を貸して頂きたい」
「森で生活していただと?2ヶ月間?……なるほど。アリッサがそこにいる理由がわかった。しかしあんちゃん、この村にはどんな人物かわからないお前を泊めるほどの余裕はない」
「この筒を見てくれませんか?さる方からの預かりモノです」
宗一郎は筒を茶髪の男に向かって手渡す。
「あー?何だってこんなもんが……これはグレゴリウス家の……」
茶髪の男は筒の紋章をマジマジと見ながら呟いた。
「わかった。あんちゃん、お前だけはこの村に入って良い。だがアリッサはダメだ。早急に魔の森に帰ってくれ」
アリッサが息を呑む。
「……アリッサと一緒が良いのですが」
「ダメだ。アリッサをこの村に入れることは許可できん」
「理由は何ですか?」
「お前知らないのか?知らずにこの子と一緒に暮らしてきたのか?2ヶ月も……こいつは……」
金髪の男がそう言うと宗一郎の袖を握っていたアリッサが、手を離し魔の森へ一目散にかけて行った。
「あっ、おい待てよ。クソっ。で金髪のおっさん、アリッサがなんだって?早く言えよ」
アリッサが逃げ出したことに動揺した宗一郎はぶっきらぼうな口調になった。
「……アリッサは魔族とのハーフでカルドビア帝国によって指名手配されているんだ」
「………」
宗一郎は言葉を失った。
(指名手配?あいつ犯罪でも犯したのか?カルドビアは人間第一主義のはずだから、魔族とのハーフってのがダメだったのか?しかし他国に籍がある奴まで指名手配する意味はあるのか?)
「この国はガルドビア帝国には逆らえなくてね。我々もアリッサを捕らえなければならない立場だ。しかし今去るというなら軍への通報は控える。……どうか穏便に去ってくれないか?」
「わかった。感謝する」
宗一郎がアリッサを追って駈け出そうとした時に茶髪の男が二の句を告げた。
「ちょっと待ちな。あんちゃん。俺の独り言を聞いておけ。この国では東から太陽が昇り、西に沈む。まぁ常識だわな。子供でも知ってらぁ。魔の森はアルエット国内にあるが、南側は隣国であるタージフの領土内にある。タージフは現タージフ王が一台で築き上げた国で、他国の逃亡者を受け入れて強国になった。そんなタージフならカルドビア帝国に尻尾を振ることはしないだろう」
「……おっさん、そんなこと言って良いのかよ?」
「独り言だ。気にするな」
「聞けよとか言ってたくせに。すまねー。おっさん達のこと誤解してたかも。恩に着る」
宗一郎はアリッサの後を追って魔の森へとかけだした。
(アリッサを突き放したのはおっさん達の本意ではないのかも)
◇
魔の森へ走っていく青年の背中を見ていた男衆のもとに、ナギとマリアがトコトコと走ってきた。
「ねぇねぇ、お父さん。なんでアリッサお姉さんと遊んじゃいけないの?お父さん、アリッサお姉さんは良い子だ、しょうらいはいいおくさんになる、お前もあんな美人なおくさんをもらうんだぞって言ってたよね?」
「ねぇねぇ、お父ちゃん。アリッサお姉ちゃんと遊んじゃいけないの?私たちあんなに遊んでもらったし、きずだってなおしてもらったんだよ。大きくなったらアリッサお姉ちゃんにはおんがえししろよってよく言ってたよね?」
2人の子供は2ヶ月前のある事件をきっかけに豹変した大人達の行動を疑問に思っていた。
男達は顔を見合わせながら青年の対応にあたった茶髪の男の言葉を待った。その男もうーんと考えながら2人の子供に目線を合わせるようにしゃがみ、ナギの頭に手をおいた。
「ナギ、マリア、よーく聞きなさい。アリッサは大きな国に狙われているんだ。そしてアリッサを匿った者は罰を与えられる。一族全員が斬首、殺されるんだ。だからアリッサと仲良くしちゃいけないんだよ」
「お父さんウソついてる。お父さんはいつも弱いものの味方をしなさいって言ってた。なんでアリッサお姉さんの味方はしないの?」
「もしアリッサの味方をしたらお前のお祖母ちゃんや、昨日生まれたばっかりのベルさんとこの赤ん坊にも迷惑がかかるんだ。これは苦渋の……決断なんだ」
わからない、わからないと泣き叫ぶナギとマリアを見る男も心の中では泣いていた。男もアリッサを突き放すのは本意ではない。男どころかこの村の全住人は、アリッサを救いたい、匿いたいと思っていた。しかし国がそれを許してくれなかった。
彼らの心象が投影されたかのように晴天だった空から雨粒が落ちてきた。
ポツリポツリと降るその雨粒は、次第に勢いを増し、ザーザーと本降りの雨になった。
彼らには土砂降りの雨がアリッサを追い出したことに対する天の怒りのように感じられた。
アリッサのいた村には魔の森から危険な魔物が出てきた場合の防衛力はありません。王都に軍の駐留を要請しているのですが、戦争の後始末にかかりっきりの政府にはそれに対処するだけの人員も費用もないというのが現状です。