第1話:女神様からのご説明
「さあさあ、時間は有り余ってるけどぱぱっとやちゃうよ〜」
「…………」
「ありゃりゃ何の反応もない。起きてますか〜?まぁこっちとしたら起きていようがいまいが変わんないんだけどね〜」
「…………」
「でも何の反応もないのは楽しくないな〜。ん〜どうしよっかな〜?……ちょっとだけ痛い思いしてもらおうかな。これで反応無かったらもう知らな〜い。ん〜、貫け、【ライトニング】!」
人間には感知不可能な速度で、稲妻が走る。
稲妻は男の体を貫通し闇に消えていった。服が少し焦げた男は片膝を地面につける。
男は自身の体を貫通した稲妻で死ななかったことで、現状を朧気ながら理解した。そしてこの見知らぬ空間にきてから初めて口を開いた。
ーー極めて平然として。
「麗しき女神様とお見受けします。本日はお目通り頂き恐悦至極にございます。先ほどは女神様のお言葉に反応できず申し訳ありませんでした。少々混乱し、頭をまとめるのに時間がかかりました。さて性急ではございますが、この無知で哀れなワタクシめに、この世界についてご教授くださいますよう伏してお願い申し上げます」
男は精一杯の聞きかじりの敬語を使いこの状況に対応しようとしていた。
おそらく、自分は死んだ(これが夢である可能性もあるが)。
おそらく、ここは小説などに出てくる異世界に行く前に訪れる場所である。
おそらく、自分の目の前に浮かんでいるのは女神である。
おそらく、ここで異世界に転生する上での何らかの能力が貰える(漫画や小説通りならば……であるが)。
おそらく、女神はこの仕事をやり慣れている。貰える能力が女神の裁量によるものかはわからないが、下手にでたほうが良い。
おそらく、自分と同じ状態の人間は喚き、文句を言う。そこを最初から理性的な口ぶりで話せば?こいつは違うな、と思ってくれるのかもしれない。人の印象は初対面で決まる。最初の言葉には最も気をつけなければならない。
男は平和が好きであった。平穏な日常はもっと好きであった。何事も卒なくこなし、無難に就職し、30前で結婚、子供は一姫二太郎で、孫の顔を見てから寿命を全うするのが夢だった。しかし現実は往々にして思い通りにはいかないものである。男は頭を切り替え、異世界での平穏無事な生活を渇望した。
そのためにも、目の前の女神から使い勝手の良い能力を貰うことが肝要である。
剣、槍、弓などの武術の才能は考慮にも値しない。その才能をもらうと戦争などで死と隣り合わせの生活を送ることになる。
農業の才能も同様である。戦乱になったら、武術の心得のない農夫はあっという間に死んでしまう。
つまり戦争以外で稼げて、ある程度身の守りも出来る能力を男は欲しがった。
(しかしそんな都合よい能力あるのか?)
男の先の発言が効果があったのか、女神の返答は好意的なものであった。
「おっ礼儀正しいね。いやいやみんながみんな君みたいに反応してくれればいいのに。この前の人なんてひどかったんだよ。やれ、お前は誘拐人だろう、はやく自分を開放しろ、そして自首しろ、って話を1時間位されてさ〜。こっちが魔法使っても、それはトリックだ、手品だ、俺は騙されない、痛みがあるのは認めるがそれも薬の効果とかだろう、って言われてさ〜。頭きちゃったから手品の才能あげて説明もなしに転移させちゃったよ。手品って何だかわかんないけどね。……あぁそれ以外にもこんな人もいたな〜」
そこから長々2時間程、女神の愚痴に男は付き合わされた。
泣いてすがってきて、生き返らせてくださいと繰り返す男の子。
やったーケモミミだーと歓声をあげて女神をドン引きさせた男子高校生。『モンスターテイマー』という『加護』を与えたらしい。
食料事情を入念に聞いてきた女。現代日本とは味覚の面でも、生産の面でも比較にならないほど悪いと聞いて青ざめていたらしい。
どんな身分に転生させられるかを気にしていたお嬢様。どうやら箸より重いものを持ったことがないらしい。平民に転生。
その他大勢。
『加護』を与え、転生させるのが女神の仕事である。
「いや〜こっちだって転生させる人物選べないからね〜。もちろん犯罪者とかは除いてるけど、個々の性格で弾くことは出来ないんだよ。だから毎日残業続きだよ。でも残業手当なんて、でないんだよ、この仕事。ひどくない?日本だったらロウドウキジュンホウ(労働基準法)違反じゃない?ロウドウキジュンカンサツカン(労働基準監察官)さん、ここに哀れなシャチク(社畜)がいますよ〜。……まぁ会社には所属してないから関係ないんだけどね」
女神はケタケタと笑う。
(ぶっちゃけすぎ)
転生者の愚痴に続き今度は仕事に関する不満を吐露した。しかも転生者相手に。
仕事相手への不満に続き仕事の不満って会社員か!同期入社との飲み会でつい愚痴をこぼす若手サラリーマンか!と男はツッコミを入れそうになったが、女神の評価が下がるのを恐れグッと我慢した。
女神はかなりの美人だった。
腰まで伸ばしている純白のウェーブがかった髪は、この世のモノとは思えず神々しさを漂わせている。パリッと弾力のある頬は10代でも通用しそうで、小ぶりな唇や鼻からは愛嬌が漂っている。純白の髪をかき分けるように2対の羽根が生えて、それを絶え間なく上下させ浮遊している。そうして愚痴をこぼしながら、男の周りをグルグルと回っている。まるで久しぶりに会った大人に遊んでもらいたくてアピールしている子供のように。
女神の愚痴を注意深く聞き男は自身の置かれた現状を理解した。
転生先の名前は「ガイア」。
転生先は色々あり、先に挙げた人物と一緒になるかはわからない、もとい教えられないこと。
男の転生先の文化レベルは中世ヨーロッパ程度で、中国の春秋時代みたいに7国で覇を争っていること。戦争中と聞いて、男は一層有益な能力が欲しくなった。同時に、平穏無事な生活を送れそうもないなと心の中で嘆息した。
何らかの才能を貰って転生させられること。これは予想通りだった。
貰える才能にはある程度の要望が通ること。転生者に何の要望もないときは女神が適当に決めること。そのため男の反応がなくても構わなかったわけである。
一番人数の多い平民に転生させられること。
そして男にとって最も大事な情報は、女神が「暇」であることだ。
この空間に転生者が来るのは不定期であるため四六時中いなければならない。しかし1日に来る人間は多くて2人。その対応も早ければ1人30分程度で終了する。つまり1日23時間は暇つぶしをすることになる。それを残業というのかという疑問はさておき、1日23時間暇つぶしをして一生を過ごすことは苦痛でしかない。
その上ここには娯楽がない。女神は労働基準法の知識があるのだから日本に精通しているのかと思いきや、以前の転生者が言ったことを覚えただけらしい。特にやることもないので、転生者との会話をノートに書き写した後はひがな1日ぼーっとしているとのことだった。女神には睡眠や食事、排泄も必要ないため、1日中起きていなければならない。
男はチャンスを感じていた。女神は暇を持て余してる。つまり女神の暇を潰せるアイテムを提供すれば、価値の高い才能を貰える可能性は十分にある。
男は女神の話が一段落ついたところで声を上げる。
「ところで女神様はトランプというものをご存知でしょうか?」
「ん?何それ?知らないよ。転生する人は身につけて無かったし、教えてもくれなかったな〜」
女神はトランプを知らなかったことに男は心の中でほくそ笑んだ。
男が軽くトランプの枚数や絵柄を説明すると何やら魔法を唱えると、女神の掌の上に全く同じ大きさの54枚のカードが現れた。
女神地面に降りてきて男に確認を求めた。
絵柄は、ハート、クローバー、ダイヤ、スペードではなく男が初めて見る模様だっだが、違いさえわかればゲームに支障はない。ただジョーカーが男の顔になっていたのは腑に落ちないことであった。しかも片方は普通の顔で、もう片方は痛みで顔を歪ませているところだった。そんな顔したことあるっけと男が考えてみると2時間ほど前の出来事を思い出し合点がいった。出来事というよりは事件、それも大事件を言えることではあるが、男は女神から雷を浴びせられた際に、苦痛で顔を歪ませた。あの瞬間の男の顔を瞬時に覚えたとは流石は暇人(神)である。不満が残るが、女神の機嫌をとりたい男が逆らうことはなかった。
男は女神にトランプの出来栄えが素晴らしいと称賛(お世辞)して、手初めにババ抜きを教えた。それから7並べ、神経衰弱など男の知る限りのありとあらゆるトランプの遊び方を教えた。
女神は興味津々に聞いていて、教えた端からやろうやろうとうるさかった。
男は初回だけは勝つようにして、その後は勝ったり負けたりが続くように手を抜いた。女神の機嫌が悪くなることだけは避けたかったからである。相手の性格がわからない内は、勝ったり負けたりの互角の勝負をすることが無難である。それは男の処世術と呼べるものであった。
それからたっぷり10時間は遊んだだろうか。何しろ女神は飢えていた娯楽にありつけるわけであるから一つ一つのゲームが長い。男がババ抜きを2時間もやったのは年下の従兄弟のお守りをして以来である。男は疲れていたが、そんなことはおくびにも出さない、出せない。
男がトランプに辟易してきた時に女神の背後の空間が歪んだ。この空間は黒一色なのだが歪んだ部分だけは白色になっていた。
しかし女神はそれに気づかない。トランプに夢中であり、目がキラキラしている。神経衰弱の時の一喜一憂は、子供のような悔しがり方であった。最初の女神の神々しさは何処かへ剥がれ落ちていた。
男は何回目かわからないババ抜きをしながら、さも今気づいたように女神の背後の空間に歪みが生じていることを告げる。
「あっ……女神様。女神様の背後の空間が歪んでいるようなのですがーー」
「ん〜、どれをとったらいいのだろうか?ペアにならなかったら悔しいし。左端の妙に突き出ているのは罠っぽいからあえてこれ!やったペアになった〜」
女神は男の問いかけを聞かずにババ抜きに興じる。
ババを持っている女神は必ずペアが出来るため、ペアが出来て喜ぶことと、「罠」という発言は的外れなのだが、男はスルーした。
そしてババ抜きが見事女神の勝ちで終わった時に、女神が先の言葉に反応した。
「あぁ、次の転生者がきちゃったのね。今回転生者が来るの早くない?いつもならもっとかかるのに。今何時だっけ?時計時計っと……げっもうこんな時間。まずいまずいまず〜い。そりゃ次の転生者来るわ。トランプしすぎた〜」
女神が指で空中に円を描くと円の中に数字が現れ、デジタル時計の数字が空中に浮かんでいた。持ち運ぶ必要なく、腕につけて邪魔になることもない。それでいて手軽に時間の確認が出来る。日本で売り出したらスマッシュヒット間違い無しのものだ。製品化に期待は出来ないが。
女神は頭を左右に振った後、正気に戻り、ゴホンと話題を変えるための咳をして、羽ばたき浮かんでいった。
男が意識を取り戻した際の女神に見た目は戻ったが、神々しさは失われたままであった。
「さて転生者よ。何か望みはあるか。トランプを教えてくれたお礼だ。ある程度の望みは叶えよう」
女神は仰々しい言葉で男に問いかけた。初対面とも違った喋り方である。
女神は取り繕っていたが、額には汗が、目には焦りが見える。時間がないのだろう。男は今までの女神の言動から考えると、次の転生者など待たせれば良いではないかと疑問を感じながらも、思い通りの展開になったことに歓喜した。
「少し考えさせてください」
男は喜びを押し殺して、何食わぬ顔で思考するふりをした。
男には思考する必要はない。欲しい才能はこの10時間の間に女神のトランプの相手をしながら熟慮済みである。平穏無事な生活をする為に必要な能力、女神が与えてくれそうな能力をーー生前の周囲に対する小さな反抗心から思いついた能力を。
要望を決めている男が考えるふりをするのは、女神を一層焦らさせるためである。
時間が経てば経つほど、女神が焦っていった。
時間が無いと、視野が狭まり判断が甘くなるものである。男の狙いはそこにあった。女神が焦って、自分の要望を大甘で判断する状況に持ち込みたかった。
たっぷり時間をかけた後で男は女神に切り出した。女神は男の回答を今か今かと待っていて、全身が小刻みに震えていた。
「では全知全能の力と無限大の魔法力、莫大な財産、類まれなる容姿とカリスマ性、王侯貴族のような身分でお願いします。できれば信頼のおける仲間も欲しいです」
「却下」
「……では財産を除くことにします。財産は才能ではなく才能によって獲得できるものですから」
「却下」
「ではーー」
「却下ってのは部分的に却下ではなく全体的に却下って意味だよ。何?その万能は。そんなのあげられないよ。だいたい王侯貴族ってのは職業みたいなものだから私があげられる範疇を超えているよ。そんなことはできないから、最も数の多い平民に転生させるんだよ」
男の要望はにべもなく断られた。勿論男もこの要望が通るとは思っていない。初めにふっかけて段々要望を落として認めやすくさせる。詐欺師の常套手段である。
その一方で男は女神の発言から、自身の要望が通ることを確信した。
「では何者にも優る腕力、尽きることのない魔法力、町行く女性の半数が振り返るような容姿とカリスマ性をお願いいたします」
「却下。大して変わってなくない?そもそも与えられる『加護』はひとつだけ。そんなに多くはあたえられないよ」
(そろそろ頃合いかな?)
「では私には『器用貧乏』をくれませんか?私は生前そのようなアダ名で呼ばれていたもので」
ケモミミ好きに与えたのは『モンスターテイマー』という『加護』。
しかし職業は与えられないと女神は言っていた。ならばこの『モンスターテイマー』というのは職業ではなく称号のようなものと考えられる。
そうよばれていたのは事実であった。男は何でも出来て何にもできない、そんな蔑視の視線にさらされて育ってきた。何でもかんでも飲み込みは早いのだが半年もしない内に他者に追いぬかれてしまう。それは兄弟だったり、友人だったり、新人戦で倒した相手だったりした。それに対する周囲の反応は、慰めや叱咤激励も中にはあったが殆どが嘲笑であった。
だが異世界ならどうだ?何も知らない、出来ない人間が平穏無事に生きていく為、いやっ生き残っていく為に必要な能力。
それはある程度の身の回りのことをこなせる能力にほかならない。日本の様に各分野の専門家がいて、電話一本と、ある程度の金銭で物事を解決可能な成熟した社会に行ける訳ではない。おそらく衣食住全てを自分と近隣の住民で賄わなければならない世界に転生させられるのである。その時に、これは出来ません、じゃ話にならない。ある程度の触りくらいはこなせるほうが良い。
加えてこの『加護』は戦闘面でも役立つ可能性がある。戦争で活躍は出来ないだろうが、盗賊から自身を守ることは出来るかもしれない。
男はこのアダ名を恥じていたが、密かに自分の能力には自信があった。なぜならバランスが取れていたからである。
人生を平穏無事に暮らすためには突き抜けた才能よりバランスが大事である。100m9秒台の俊足も、類まれなる絵画の才能も、IQ180以上の頭脳も必要ない。ある程度の運動神経と、ある程度の頭脳、ある程度の社交力があれば十分である。そして男にはそれがあった。生憎人付き合いもバランスが取れており、八方美人だったため、恋愛だけには縁がなかったが。
そう考えて男はこの言葉を選んだのだ。
「う〜ん。『器用貧乏』ってのが何なのかわかんないけど、それなら与えられるね。よしっ!それに決まり。じゃあぱっぱとやりましょう。……時間もないし」
女神はどこからともなく、古びた杖を取り出し男に向かって呪文を唱えながら振るった。
時間にして30秒にも満たなかったが、『加護』の授与は完成したらしく女神は満足げな表情をしていた。
「これで『加護』の授与は終了しました〜。ではあなたの人生に幸福があらんことを願って。……じゃ、行ってらっしゃい!」
女神が再度杖を振るうと男の体が光に包まれ意識を失った。
(あっ、トランプは1人じゃ楽しくないって言い忘れた)