『無限の宇宙』あるいは『朝顔の栽培』
もう12時だし読書にも飽きたし、そろそろ寝ようかな。里美が机から離れベッドに向かいかけたとき、その行動を読んだかのように 妹の和美が勢い良く部屋に入ってきた。
「おねえちゃん。ちょっとお願いがあるんだけどさ」
「ちょっとって何?」
里美は少し身構えた。和美の「ちょっと」はかなり範囲が広い。
ちょっと服を貸してとか一緒に買い物に行こうという程度のこともあれば、ちょっと指定図書を読んで明日までに感想文書いてとか、今日のライブに着ていくスカートに5段フリルをつけるのを手伝って、なんてヘビーなことを頼んできたりする。安請け合いしたらとんでもないことになるのだ。とはいえ、この五つ年下の妹の頼みを里美が断れたことは一度も無いのだが。
和美はおねだりモード全開の笑顔で距離を詰めてきた。
「ほんのちょっと。国文科のお姉ちゃんならもう朝飯前」
「それは内容を聞いてから決める」
和美は姉の不安をしってかしらずか、ゆうゆうと里美のベッドに腰掛けた。
「実はさ、私さ部活でゴモジガカリになったんだよ」
「何それ? 」
聞きなれない単語に里美は首を傾げた。
和美は書道部に所属している。彼女の通う中学校では必ずどこかの部に籍を置かなくてはならず、ボーイズラブ小説をこよなく愛する彼女は、文芸部とか漫画研究会があったら入りたかったらしいが、存在しないために一番ジャンルが近く見えた書道部に入部したそうである。
そんな馬鹿な、と思うが、この書道部には和美と同じ趣味の人がおおくて、雰囲気として文芸部とか漫画研究会に限りなく近いそうである。
さて、書道部では月に1回程度、長い半紙に書いた作品を仕上げることになっている。4文字の候補5つ、5文字の候補5つのなかから、その季節にあうものを書いていくのだが、そのときに書く文字は生徒たちで決めるのが伝統だそうだ。
「それで私は5文字を選ぶ係りになったわけ。2つ候補を持っていかなくちゃいけないの。また明日話し合うんだけど」
そういいながら、和美は去年の手本を里美のベッドの上に広げて見せた。
『若葉の季節』『春雪満空来』『古今和歌集』『天神祭の宵』『駅前の広場』
どれも掛け軸にして飾っておきたくなるような見事な文字である。
「なるほど。こういうことか」
「とりあえず三つは去年と同じでOKってことになったんだけど、こっちの二つは絶対変えなくちゃいけないんだ」
そういいながら和美は『天神祭の宵』と『駅前の広場』を揺らした。
「なんで? 」
「天神祭のほうは宗教ぽいから。神って字がだめなんだって」
「へえ。別に気にならないけどなあ」
「私も気にしないけど、去年PTAの誰かが文句つけてきたんだと」
「それじゃあ、しょうがないね」
「まあね」
和美は小さくうなづいた。
「でも『駅前の広場』は何がダメなの」
「だめじゃん。生活感バリバリじゃん。これは私許せないと思っていたんだ」
「そうかな。『家族で寄鍋』とか『南瓜の煮物』とかだったらバリバリだけど、『駅前の広場』だから別に」
「お姉ちゃん何言ってるの。N駅前のこと考えてみなよ。狭いし汚いしティッシュ配りがウザイしパチンコ屋がうるさいし。オヤジの煙草くさいしさ。だめだよ。煙草を吸っていいのは美青年だけなのっ」
あっという間に話がずれたので、里美は静かに元に戻した。
「だから最寄駅にイメージ限定しなくても良いじゃん。どこかの観光地で花壇があって、みたいな」
「無理。駅前って言ったらあのイメージなの。だめ、あんなとこ我慢できない」
和美が断言したので、里美はそれ以上は勧めないことにした。
「かといってさ」
和美はお手本を手早くベッドから払いのけると、勢いよく飛び込んで伸びをした。
「いいのが見つからないんだよ。何にも考えつかない」
「とりあえず教科書とか副読本とかからとれば。なんか良い単語が見つかるでしょ。あと、小説のタイトルは?」
「そう。それ」
和美はいきなり大きな声をあげると、枕を一撃した。
「あの顧問のババア!小説のタイトルは絶対ダメとか言いやがってさ」
「まあ、そうだろうねえ」
「なにそのニヤニヤ笑い」
「だってあんたの読む本といえばボーイズラブ小説ばっかりだし」
「まあね。でも、ばれないかもね。例えばさあ『灼艶の花束』とか『絶愛協奏曲』なんて良くない?」
「怪しいって。分かる人には分かるタイトルというのがダメ。それにそんな耽美な文字が廊下に飾ってある学校なんて気味悪いって」
「そうかなあ。レオ様シリーズのタイトルは傑作ぞろいなのに」
そのセンスにはついていけない。と里美は思った。和美は不満そうに話を続けた。
「あと、漫画とかゲームのタイトルとかもダメ。4文字係が『天帝爆誕』とか『八国無双』とか提案して問答無用で却下されてたから」
「あらら」
「わたしもさ、ちょっとアレンジして『天空の城壁』とか『沈黙の戦艦』とか言ってみたんだけど全然だめ。秒殺された」
「……字はよさげだけどね」
「ミリタリズムはダメなんだと。あと、反社会的なのはダメ。あとメッセージ性があるのもだめ」
「メッセージ?」
「『彼氏募集中』とか」
「当り前じゃん」
里美はデカデカと書かれた『彼氏募集中』が10枚程度並ぶ様を思い描いて少し噴出した。そういうときの講評はどうなるんだろう。おやおやAちゃん、気迫あふれる筆遣いだねえ。なんだか勢いを感じるよ。Bちゃんはちょっと線が細いから力強さが欲しいね。Cちゃんは少し中心がぶれているから、もっと素直に書いてみようか。なんちゃって。
ううむ。人間性から、その内容にたいする書き手の姿勢までばれてしまいそうだ。
「じゃあ、歴史上の人物は?『柿本人麻呂』とか『大塩平八郎』とか」
「ダメだね。今日のミーティングでも『宮本武蔵』とか『沖田総司』が没になってたし。私も『新撰組見参』って言ってみたけどだめだった」
「愛読書のタイトルと間違われたんじゃないの? 」
「そんなタイトルの本ないよ」
「でもあんたが言う新撰組って、なんか違う気がする」
「どこが」
「BL本以外で新撰組関係の本ってなんか読んだ? 」
「読んだよ」
「タイトルは? 作者は? 」
和美はしばし目を空に泳がせた。
「読んでないな。そのビビリ方は腐った知識しかない証拠だっ」
「うるさーい……くらえ猫猫パーンチ」
繰り出されたゆるゆるパンチを払いのけながら里美は続けた。
「それに『見参』を使っていいのは本人たちだけだと思うぞ」
「まあね」
和美は再びベッドにゴロンと寝そべった。
「ああ。4文字係、本当に羨ましいよ。四文字熟語から選べば良いんだからさ。いい言葉がたくさんあるし」
「どんなのが、いい文字なわけ」
「適度に書きやすく、難しく、華やかで、なおかつ良い意味の漢字」
「わからん」
「せっかくだから、お姉ちゃんのセンスを測定してあげよう」
恩着せがましく言うと、和美は自分の部屋から、国語の副読本をもってきた。
「四文字熟語のところを開いてさ、その中からお姉ちゃんの候補作挙げてみて。意味のいいやつね」
「じゃあね。まずこれ『一期一会』」
「はいはい。いかにも初心者の選択って感じ?」
和美は片肘ついて起き上がると耳をほじった。
「言葉としては良いけど、もうちょっと字が難しいほうが良いんだ。それに同じ字が2回ってのは嫌なんだよな」
「なるほど。じゃあ『威風堂々』は? 」
「ああ。だめ。先生がこの字嫌いなの。なんて読むのかな。この字」
和美は起き上がると『々』を指ではじいた。
「あら。好みがあるんだ。次『佳人薄命』」
「うわ。縁起悪」
「文字は綺麗だよ。それに、佳人じゃなきゃオッケーってことだから大丈夫」
「はいはい。嫌味だねえ。まったく。はい。次」
「『冠婚葬祭』」
「なんか現実っぽいよな。デパートに貼ってありそう」
「デパートにあって何が悪いのさ」
「悪か無いけど、もう少し日常を離れた感がほしいな。アーティストとしてはさ」
「言うねえ。じゃあ『諸行無常』」
「なんか地味だよ。中学生が書くんだよ。んで何枚も何枚も並べるんだよ。湿っぽいよ」「OKOK。あ、これはどうだ。『森羅万象』」
「おお。いいかんじ。来てる来てる」
『晴耕雨読』
「来た来たっ。そうそう、その感じ」
『切磋琢磨』
「あっ。そこそこ」
ツボを思いっきりグリグリ指圧されたみたいに、和美は足をバタバタさせた。
「超ヒットだよ。ストライクど真ん中だよ。ちょっと見せて。まとめて書いておこう」
和美は姉から副読本を奪うとその3つを書き写した。
「気に入ったのはいいけど、どうやって5文字にするの」
里美の問いに、和美はこともなげに答えた。
「真ん中に『の』を入れればよくない? 」
里美はプルプル首を振った。
「ダメダメ。四文字ならではの緊張感が失せてるやんけ」
「ばれなきゃ平気だってば」
「ばれないわけが無いって。それでなくても森羅の万象なんて間が抜けてるし変だし。『晴耕の雨読』なんて、訳わからないって。失笑だよ」
「ええええっ。そおかなあ。いけそうだよ」
「無理だって」
和美は名残惜しげに書いたばかりの熟語を見つめていたが、しぶしぶバツ印をつけた。
何でも良いようでいてわりと難しい。5文字というあたりが特に。
このままでは埒があかないとみた和美は、奥の手を考え出した。コイントスである。
まずは辞書や教科書や副読本を見て、いかにも書道で書きそうな2文字の単語をノートに書き出す。まるで、卒業の寄せ書きみたいになったノートの上にそれぞれ一枚づつ10円玉をとばし、落ちた場所にある二つの単語を加工しようという作戦である。
「はい。投げて……はい止まった。読んで」
「こっちが『健康』で、こっちが『正義』」
「組み合わせると「健康の正義」」
「「健康な」のほうが良いかな。でも、意味が変」
「それよりさ。なんか正義が人の名前みたいで嫌だ」
「あ、高校のときのクラスにいたよ。読み方は『まさよし』だったけど」
「やめてよ、健康なマサヨシなんて、書いて並べてどうするんだよ」
「いいじゃん。健康なんだから」
「だめだって。それに人の名前はNGだってば。だから、マサヨシは却下」
「だから、セイギと読みなよ」
「どっちにしても意味が通らないし。『健康な』だと……肉体?」
「うお。なんだかエロいね」
「どこがだよ。さては欲求不満だな。健康な……とくると
「……生活とか食事とか。なんか中学生よりも高齢者向けだね」
「っていうか、そういう標語っぽいものは書きたくないの。これ没。次っ」
コイントスは、その後も今ひとつフォーカスの定まらないものばかり量産し、そのつまらなさが笑いのツボに入りはじめた。
『伝統の散歩』『挑戦の楽園』『銀河の栽培』
何度か繰り返すうちに、だんだん意味のつながりとか辻褄とかがあやふやになってきた。字の意味、読み方、扁、つくり、組み合わせが頭の中でぐるぐるめぐる。何が正しくてなにがそうでないのか、持っていたはずの常識が揺らぐ。その微妙なずれがこそばゆくて二人は新しい五文字が出来るたびに転げまわって笑った。
『人類の駅前』『常夏の忍耐』『山脈の希望』
2時を過ぎ、2つの候補が出揃った。1時過ぎに母に怒られてからは笑い声をたてないように堪えてきたので、余計に腹筋が痛い。
「でた。『無限の宇宙』」
「意味とおってるじゃん。これで決まりだよ」
涙を拭きながら里美が宣言する。
「なんかアニメの世界だね。宇宙と書いてソラと読む、みたいな」
和美がまた笑い始め、里美もつられて笑った。腹筋が疲れきっているのでもう笑いたくないのだが、脳内ドーパミンというのだろうか。少しの刺激でついつい釣り込まれるように笑ってしまう。
「文句つけるの?せっかくコックりさんが選んでくれたのに」
「いつの間にコックリさんになったんだよ!!」
「道具立てはそのものやんか」
「でもまあ、他のよりましかな」
和美はようやく笑いやめるとメモ用紙をしげしげ見つめた。
「あとは『朝顔の栽培』か。なんかチマチマしてるよね。まあいいや。この2つで勝負だ。明日先生に聞いてみる」
「ダメだったらもう一回やろうよ」
「おう」
和美は満面の笑みで部屋を出て行き、里美は思い出し笑いをしながらベッドにもぐりこんだ。
翌日の話し合いで、和美の持っていった候補『無限の宇宙』と『朝顔の栽培』はすんなりと承認されたそうだ。宇宙と朝顔を同列に語ってしまうとは。書道恐るべし。
しょうも無い話をここまで読んで頂いてありがとうございます。楽しんでいただけたなら嬉しいです。