深奥へつながる扉
翌朝、ユルドリッド家の客間の窓に映る空は、どんよりと灰色に染まっていた。
シグルスたちは執事シュバルテに案内され、屋敷の奥へと向かう。
長い廊下には肖像画と古い甲冑が並び、足音だけが乾いた石床に響いていた。
「こちらでございます。当主様がお待ちです」
重い扉が開かれると、昨日と同じ書斎が姿を見せた。
「おはようございます。よく休めましたか」
机の向こうで、ヘルマンドが本を閉じながら立ち上がる。穏やかで丁寧な声は、相変わらずだ。
「はい、おかげさまで」
エイナが頭を下げる。その横顔は、どこか強張っていた。
「さっそくですが、約束どおり研究室をご案内いたします。ついてきていただけますか」
ヘルマンドはそう言って、壁に掛けてある重厚そうな鍵を手に取った。
*
ヴァルドの研究室は、屋敷の一角にひっそり口を開けていた。
「息子が研究をやめてから、中身はほとんど動かしていません。どうぞご自由に」
中に入った瞬間、ひやりとした空気が肌を撫でる。窓は厚いカーテンで半分ほど覆われ、光は薄い。
壁一面に本棚。背表紙の上には、灰色の埃が厚く積もっていた。
指でなぞれば、くっきり跡が残りそうだ。
ロッドは積み上がった本の山を見上げて口笛を吹いた。
「うわ……本の量、すげえな。さすが“死の研究”のお家元って感じだな」
「ロッド」
シグルスが制すると、ロッドは「悪ぃ悪ぃ」と小声で付け足した。
シグルスは部屋を一周しながら、静かに目を細める。埃をかぶった棚、軋む床板。
なにに使うかわからないような怪しげな器具が並ぶ。
ひときわ目を引くのが、部屋の中央に置かれた大きな机だ。
そこには大量の本や、書きかけの紙きれ、魔法陣が書かれた布などが所狭しと置いてある。
「こちらが、息子ヴァルドが残した資料の一部です」
ヘルマンドが机の横に立ち、手を広げた。
「死者の国との境界、魂魄の分離、死後の意識の残存……そういった事柄についてまとめたものだと聞いています。どうぞ。」
シグルスは一番上の紙の束を手に取る。紙は思ったより新しく、インクも濃い。
『応用呪術概論』
きらびやかな金色の箔押しがされた表紙だ。
数ページ、ざっと目を通した。
(……教科書みたいだな)
魔術学の基本定義が延々と並び、既存の書物からの引用が多い。
危うさも踏み込みも、どこにも見えない。
次の束、さらに次の束も、似たような内容だった。
ロッドが背後から覗き込む。
「どうだ? なんかヤバそうな呪文とか書いてあるか?」
「いや……」
シグルスは紙束を机に戻し、ヘルマンドを見た。
「これは重要な資料ではありませんね。本当に必要な核心部分は、ここにはないはずです」
部屋の空気が、わずかに揺れた気がした。
ヘルマンドのまぶたが、ほんの一瞬だけ動く。すぐに戻ったが、その「驚き」は見逃せない。
「……わかるのですか、あなたは」
「理論の深さに不自然な偏りがあります。危険な領域に踏み込んだなら、その痕跡がどこかに残るはずです。けれど、ここにあるのは、誰に見せても問題ない部分だけだ」
シグルスは、埃だらけの本棚と、やけにきれいな机とを見比べた。
「少なくとも、“ここだけが手付かずで残っていた”ようには見えません」
ヘルマンドは、口元をわずかに緩めた。
「……さすがですね。やはり、隠し事はできませんか」
穏やかな声のまま、言葉だけが冷えていく。
「おっさん、やっぱりなんか隠してたのか?」
ロッドが思わず口を挟むと、ヘルマンドはちらりと彼を見た。
「“おっさん”ではありませんよ。私はあなたがたの協力者のつもりです」
「す、すみません。へへ……」
ロッドが慌てて頭を下げる。
ヘルマンドはすぐに視線をシグルスに戻した。
「息子の本当の研究の中心は、ここにはありません。ヴァルドは最後に、研究の核となる部分をすべて、別の場所に移しました」
「別の場所?」
「ええ。ユルドリッド家の大金庫です。もともとはただの金庫でしたが、息子が改造しまして。強力な結界に閉ざされています。」
少し肩をすくめて、続ける。
「……とはいえ、その金庫は、今は誰にも開けられませんが」
「誰にも?」
エイナが思わず聞き返した。
「はい。金庫は精密な精霊魔法で封印されておりましてね。正しい手順以外でこじ開けようとすれば、内部の物は全て焼却されます。領の最高級魔術師たちにも試させましたが、誰ひとり解錠に成功しておりません」
ヘルマンドは、ほんのわずかに微笑んだ。
「……だからこそ、あなたがたにお見せしようと思うのです。“開かない”という事実も、任務には重要でしょうから」
その笑みが、シグルスには妙に映った。挑発とも、諦めともつかない色が混じっている。
「案内いたします。ついてきてください」
*
大金庫は屋敷の地下にあった。
石段を降りるにつれ、空気は冷たく乾いていく。
壁には魔法陣の刻まれた鉄板が埋め込まれ、淡い光を放っていた。
「うわ……ここ、なんか背筋が寒くなるな」
ロッドが肩をすくめる。
階段を下り切ると、小さな広間に出た。正面の壁一面を、巨大な金属扉が塞いでいる。
扉には幾何学模様の紋様がびっしりと刻まれ、中央には家紋を象った円形のプレートが嵌め込まれていた。
ヘルマンドがその前に立つ。
「これがユルドリッド家の大金庫です。ヴァルドが最後に、研究の核心を収めた場所でもあります」
エイナは無意識に大鎌の柄を握りしめた。
「……ここに、兄さんの全部が入ってる、ってこと?」
ここまで読んでいただきありがとうございます!
金庫の中身は一体....?と気になるところではありますが、毎日ぼちぼち連載していきますので、ごゆっくりお付き合いください。




