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刻印が語るもの

臨時の小隊詰所の空気は、朝の冷えた湿気と紙の匂いが混ざり合っていた。

詰所といっても街の役所の一部を間借りしているだけだ。

執務卓の前で、シグルス、ロッド、エイナの三人は背筋を伸ばしていた。


「……指定された地点に、村はありませんでした」


ロッドが報告する声はいつもより低かった。

明るさは影を潜め、胸の包帯がゆっくり上下するたびに息が苦しそうに聞こえる。


「村がない?」


部隊長が眉をひそめる。


「はい。畑も家も、道も、痕跡すらありませんでした。ただの草原でした」


シグルスが補足すると、部隊長は机の引き出しから一枚の地図を取り出した。

昨日と同じ地図のはずだ。

しかし──


「ほら、ここだ。フォリーナ草原と書いてあるだろう。元から草原だったんじゃないのか?」


ロッドが思わず声を上げる。


「ちょっと待ってくださいよ、隊長。昨日は“フォルナ村”って書いてありましたよね? 俺、絶対見ましたって」


エイナも頷く


「しかも部隊長はこの村に行ったことがあると言っていましたよね?」


部隊長は地図を睨みつけ、しばらく沈黙した。


「……そう、だったな。確かに言った。だが……」


指先で額を押さえる。

その仕草は、記憶を無理やり探り出そうとしているかのようだったが、目的のものが得られたようには見えなかった。


「強く思い出そうとすると、頭が痛む……変だな。すまん、少し休ませてくれ」


部隊長は弱々しい声で言った。


残された三人が顔を見合わせる。


「おいおい……隊長までこんな感じかよ」


「昨日は確かに名前を……いや、気のせいかもしれん」


記憶が割れている。

昨日確かに存在したはずの村が、人によって「最初からなかった」ことになったり、「あった気がする」程度になっていたりする。


そのとき、シグルスの視界の上に白い影が揺らめいた。


《フォルナ村(補給拠点)→フォリーナ草原(地形修正)》

《修正理由:物語構造との整合性》


文字が淡く光り、地図の上で霧のように消える。


(……世界そのものが、書き換えられている?)


胸の奥に重いものが沈んだ。


その夜。

宿舎の裏手にある井戸の前で、エイナはしゃがみ込んで髪を洗っていた。

山間の小さな街では、水は貴重な資源だった。エイナのような女兵士は限られた水で長髪を洗う。

桶に張った水に月明かりが映り、静かな夜気が揺れている。


「手、届いてない。ほら」


シグルスは後ろに立ち、無言で髪をすくい上げた。

エイナは最初こそびくっとしたが、すぐに肩の力を抜いた。


「……ありがと。ロッドに頼んだら、手を滑らせて桶ごと落とされるから」


「想像できる」


「できるよね」


二人の間に、小さな笑いが生まれる。

桶の水がちゃぷりと揺れ、髪を伝う水滴が光る。


エイナの髪は汚れていたが、湯でほぐすと柔らかな金茶色を取り戻した。

香草の匂いがふわりと漂う。


「シグルスって、こういうの慣れてるよね。妹とかいた?」


「いない」


「じゃあ、なんでこんなに上手なの」


「……剣の手入れと似てる」


「似てないよ」


エイナがくすりと笑った。

その表情を見ていると、戦場で見た血煙が嘘のようだった。


やがて、整った髪を結び終えると、エイナはそっと礼を言った。


「ありがとう。少し、落ち着いた」


「しばらくはもう前線じゃない。ゆっくり寝ろ」


「うん。シグルスも」


宿舎へ向かうエイナの背を見送りながら、シグルスは胸の奥のざわつきを落ち着けようと深く息を吐いた。



深夜。

宿舎の中ではロッドとエイナがすでに眠り、規則正しい寝息だけが響いていた。


ロッドの剣が、壁にもたれたままほこりをかぶっているのが目についた。


(まったく……ロッドは本当に手入れが雑だ)


シグルスは慣れた手つきで鞘から剣を抜く。

刃の根本には乾いた血がこびりつき、少し錆が浮き始めていた。


布で丁寧に拭いながら刃を傾けたとき、その“刻み”が視界に触れた。


(なんだこれは……)


最初は傷かと思った。

しかし光を当てる角度を変えると、削られた文字が浮かび上がる。


――SIGRUS。


(……シグルス)


自分の名前だった。


ロッドが何かの冗談で刻んだのかとも思った。

しかし──ロッドがこの文字を見逃すはずがない。剣に落書きされていれば気づかないわけがない。


となるとこれは──


刃先がわずかに震えた。


「……なんだよ、これ」


問いかけても答えは返らない。

宿舎の闇は静かで、ただ遠くの犬の鳴き声だけが夜の底にこだました。


シグルスは乾いた布で剣を拭き取り、そっと鞘に戻した。

胸の奥に広がるざわめきは、もはや戦場の恐怖ではなかった。


何かもっと深く、得体の知れないものが、蠢いている──

そんな確信だけが残った。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

閑話休題という感じですが、大きく飛ぶためにはしゃがむことも必要です

次回以降からどんどんおもしろくなっていくのでぜひ三人の応援をお願いします!


評価・ブックマーク・感想をいただけると継続執筆の励みになりますので、ぜひお願いします!


ではでは~~

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