宴とほころび
前線での激しい戦いから一日。シグルスたちの部隊は、前線から少し離れた小さな町での休養を兼ねた待機を命じられた。
戦争に出向く兵士はどの村や街でも歓待を受ける。戦争なしでは人間はアース神族のもとで存在価値を示すことができないからだ。
町外れの大きな酒場は、昼間は大衆食堂として栄えている。しかし本日の店内は兵士たちでごった返していた。木のテーブルが乱雑に並び、荒っぽい笑い声と、薄い酒と肉の匂いが渦を巻いている。
「生きて戻った奴らは飲め! 飲め!」
誰かの叫びに、どっと笑いが起きた。
シグルスたち三人も、同じ部隊の兵士たちに囲まれるように席についた。ロッドは胸に包帯を巻いているくせに、一番元気に杯を掲げている。
「おい新人、特にそこの無口」
向かいに座ったひげ面の兵士が、にやりと笑った。
「お前だよ、お前。銀髪のヴァン神族、あのエイセルを追い返したってやつは」
視線がシグルスに集まる。
「……たまたまだ」
シグルスは短く答えた。
「たまたまで神族に一撃入れられたら苦労しねえんだよ」
そういう兵士の目が少し遠くを見た。
「あいつには何人も仲間を殺されてんのさ。今回だけじゃねえ。だから、本気で感謝してるんだよ」
髭づらの兵士の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
別の兵士が、どん、とテーブルを叩く。
「見たぞ。あの踏み込み、人間の速さじゃねえ」
ロッドがすかさず身を乗り出した。
「ですよね!?ですよね!? こいつこう見えて昔からすげーんですよ。普段は実力を隠してるくせに、本番ではとんでもないんだから」
「隠しているつもりは全くないが」
「ほらこういうとこ! 謙虚通り越して怖えんだよ!」
周りから笑いが起きる。
エイナはスープ椀を両手で抱えたまま、小さくうなずいた。
「でも、本当にすごかったよ。シグルスが居なかったらわたしの魔法、たぶん外してた」
「俺たち3人の力だよ」
「ううん。あのタイミングじゃなきゃ無理だった。だから……ありがと」
エイナがこちらを見る。緊張の抜けた、素直な目だった。
「おいおい、なんだよこの空気。若いってのはいいねぇ」
近くの兵士が茶化すように笑う。
ロッドが慌てて手を振った。
「そういうのじゃないですから!でもうちのエースなのはマジです。前衛シグルス、後衛エイナ、で、俺が一番おいしいところを持っていく!」
「お前は斬られてただけだろ」
「おい!?冗談になってないぞ!?」
また笑いが起こった。
食堂の隅では、包帯だらけの兵士たちが静かにスープをすすっている。腕のない者、片目を失った者。その姿が、さっきまでの戦場が幻ではないことを否応なく突きつけていた。
エイナがちらりとそちらを見て、視線を落とす。
「……やっぱり、怖いね。神族って」
「そうだな……だけどうちにはこいつがいるし?」
ロッドがシグルスの肩に腕をかけた。
「全部俺に預けるな」
「信頼だよ、し・ん・ら・い!」
そう言ったとき、どすん、と誰かが隣の椅子に腰をおろした。
「信頼か」
部隊長だった。頬は少し赤く、手にはほとんど空になった酒瓶が握られている。
「隊長! お疲れ様です!」
ロッドが反射的に立ち上がる。
「おうロッド。お前、胸斬られてまだ元気か」
「鍛えてますから!」
「嘘つけ。普通なら心臓まで届いてた」
そう言いつつ、その目には安堵の気持ちが浮かんでいた。
部隊長はシグルスを見た。
「それをずらしたのがこいつってわけだ」
シグルスは少しだけ目を伏せる。
「……たまたまです」
「その“たまたま”が大切なのさ。実力がなければ“たまたま“もないからな」
部隊長は酒瓶をどんと置き、空いている杯に残りの酒を全て注いだ。
「シグルス、ロッド、エイナ。それから今日生き残った全員に──乾杯だ」
「乾杯!」
木の杯と杯がぶつかり合う音が、食堂のざわめきと混じり合う。
しばらく賑やかな時間が続いたあと、部隊長は少し声を落とした。
「……でだ。せっかく良い気分になってるところ悪いがな」
ロッドが眉を上げる。
「なんか嫌な予感しかしないんですけど」
「お前ら三人に、ちょっとした任務を頼みたい」
「お、出たな新人いじめ」
周りから茶々が入る。
「優遇だよ。信頼してるってことだ。ここから半日ほど北に行ったところに、フォルナって村がある。穀物を送ってくれる大人しい農村だ。最近、補給の連絡が途絶えていてな。様子を見てきてほしい」
「フォルナ村……」
エイナが小さく繰り返す。
「危険は?」
シグルスが問う。
「前線とは逆方向だ。神族がうろついてるって話もない。道中の獣にだけ気をつければいい。見るだけ見て、異変があったら戻って報告。戦う必要はない」
「なら俺たちで十分ですね!」
ロッドが胸を叩く。
「お使いなら任せてくださいよ、隊長」
「そうだな。お使いだ」
部隊長はそう言いながら、少しだけ眉をひそめた。
「……ただ、一つだけ気になることがある」
ロッドが首を傾げる。
「気になるって?」
「フォルナには、前にも何度か行った記憶があるんだが」
部隊長は額を指で押さえた。
「地図では“最近開拓された新しい村”になっている。」
困惑した雰囲気が漂う。
「隊長の勘違い、とかじゃなく?」
ロッドが冗談めかして言う。
「だといいがな。……まあ明日見てきてくれ。何もなければ笑い話で済む」
そう言って、部隊長は立ち上がり、別の席へふらつくように去っていった。
残された杯の酒が、小さく揺れる。
ロッドが息を吐いた。
「ま、散歩だと思えばいいさ。な?エイナ」
「……うん。でも、なんか変な話だね」
エイナの不安げな視線が、自然とシグルスに向かう。
シグルスは答えない。ただ胸の奥に、言葉にならない違和感だけが沈んでいた。
翌朝。薄曇りの空の下、三人は町を出た。
道はなだらかな丘を抜け、低い森の間を縫うように続いている。戦場とは違う、鳥のさえずりや風の音が耳に入る。
「いやー、戦場よりよっぽどいい景色だな」
ロッドが伸びをしながら言った。
「これで帰りに土産のパンでももらえたら最高なんだけど」
「お使いの報酬がパンって、安くない?」
エイナが苦笑する。
「いやいや、うまいパンは正義だ。なあシグルス」
「……否定はしない」
会話は他愛ない。だが、シグルスの頭のどこかには、戦場で見た白い文字がこびりついていた。
あの文字はなんなのか。なぜ俺だけに見えるのか。考えても仕方のないことだと分かっていても、思考は止まらなかった。
やがて、道の先に小高い丘が見えてきた。
「地図によると、あの丘を越えた先がフォルナだな」
ロッドが指さす。
丘を登るにつれて、空気が少しずつ静かになっていく。鳥の声が減り、風の音だけが耳に残る。
エイナが小さく呟いた。
「……なんか、音がしないね」
「田舎の村ってそんなもんじゃない?」
ロッドはそう言うが、声に僅かな力がなかった。
丘の頂に立ったとき、三人は同時に息を呑んだ。
目の前の光景が信じられなかった。
なにもない。
地図では家の印が並んでいたはずの場所に、広がっていたのは風に揺れる草原だけだった。畑も、家の土台も、道の痕跡もない。人が住んでいた気配すらない。
「どこかで道を間違えたみたいだな。エイナ、地図を確認しよう」
エイナが地図を取り出す。
「間違いないよ、左手の遠くに見える山と、北から流れる川の位置関係からすると、ここがフォルナ村……だよ」
エイナが震えた声で言う。
ロッドが慌てて地図を確認する。
「場所は合ってる。道の分岐も、丘の形も、全部……」
言葉が途切れた。
シグルスは無言で周囲を見回した。家も、聖堂も、なにもない。何かが破壊された形跡さえない。“最初から何もなかった”かのような光景。
(……嘘だ。隊長は、前に来たことがあると言っていた。なにかが村を消し去った?しかしそれでも痕跡が全く残らないなんてことがあるのか?)
そのときだった。視界に白い文字が浮かんだ
《フォルナ村は小さな農村で、水車と農作物で有名な──。→フォリーナ草原はアイザック地方でも類を見ない大きさの大草原である》
なんだこれ。こんな文章はこれまで見たことがなかった。
(まるで修正だ。ここにあったという”事実”を修正したかのような......)
風だけが、草を鳴らしていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
今回は三人の関係性を少し掘り下げつつ、世界の“ほころび”が
じわっと姿を見せ始めた回でした。
今後の伏線回収も楽しみにしてください!
ロッドは傷を負っても元気です。逆にどこかに深い闇を持ってるんじゃないかと心配になります。
次回も明日更新予定です!
引き続きよろしくお願いします!




