戦場に落ちた白い文字
金属の触れ合う音が、湿った空気の中に鈍く響いていた。
谷を抜ける細い道を、兵士たちの列がゆっくりと進んでいく。その中ほどで、シグルスは前だけを見て歩いていた。
兵士学校を卒業して前線に送られて、まだ一か月。
体は慣れてきたはずなのに、胸の奥の重さだけは消えない。
「おいシグルス、もうちょい顔ゆるめろって。こっちまで緊張するわ」
隣で歩くロッドが、いつもの調子で笑う。
「……普通だ」
「その“普通”が怖いんだよお前は。ほら、もっと俺みたいに余裕見せろって」
「お前ほど余裕を見せる必要はない」
「あるだろ! 俺たち今日こそ武勲を立てるんだぞ!」
ロッドが胸を叩くと、前列の兵士たちから小さな笑いが起きた。
「二人とも、よくそんな元気あるね……」
少し後ろからエイナの声がした。
振り返ると、彼女は大鎌を握りしめ、肩に力を入れていた。
「足が震えるくらいには、怖いよ。まだ前線一か月なんだよ? 普通震えるでしょ」
「素直なのがエイナのいいところだな。だが今は俺を見習えよ。」
「絶対やだ」
エイナが眉を寄せたまま、ふと腕をさする。
「……寒い」
「え?」
ロッドが振り返り、目を丸くした。
「いや暑いだろ今日。湿気すごいし、汗止まらんぞ?」
実際、ロッドの額には汗が浮かんでいた。
シグルスも同じだ。熱気は足元からせり上がり、鎧の下は蒸れる一方。
なのにエイナの頬は青く、指先が微かに震えていた。
(またこれか......)
シグルスはその違和感を覚えていた。
戦場が近づくと、エイナだけが寒気を訴える。
理由はわからない。
「だから緊張しすぎだよ。リラックスしていこうぜ!」
ロッドが笑いながら声をかけた、そのとき――
一瞬だけ、音が抜けた。
兵士の足音も、装備の金属音も、風も──
一瞬、世界が薄い膜の向こうに押しやられたように止まる。
視界の端で、白い“線”が揺らいだ。
(まただ……)
線は震えながら文字へと変わる。
《剣帯 右側 ゆるみ→危険》
文字は意味のある文章をかたどる。
それは本当に一瞬の出来事で、世界はすぐさま元に戻る。音が、風が、血の匂いが、戻ってきた。
シグルスの額を冷や汗が伝って落ちる。自分以外があの”予言の文字”に気が付くことはない。
「ん?……おい、お前! 剣帯ゆるんでるぞ!」
ロッドが前列の兵士に駆け寄り、指摘する。確かに剣帯の固定金具が外れかけていた。
「す、すまん! 危なかった……!」
「気にすんな! 俺の勘が冴えてただけだ!」
ロッドが胸を張る。
シグルスは黙ってその様子を見ていた。
(やっぱり……未来を言い当てた)
あの白い文字は、未来の一部を予言する。
そして必ず当たる。
あの文字が見え始めたのは、二か月ほど前だ。最初は数週間に一回のペースの出来事だったが、最近はその頻度が高くなってきている。
丘が近づくにつれ、怒鳴り声や叫び声がはっきりしてきた。
丘の頂を越えた瞬間、視界が開ける。
平地には数十人の人間。
盾や槍、剣を構えた人間たちが、二人の神族を包囲していた。
「……ヴァン神族」
誰かが呟いた。
彼らは人間とほぼ変わらない姿をしていた。
だが、纏う空気が違う。
冷たく、澄んだような、何か“格”の違う存在の気配。
剣を構えたヴァン神族が、一歩踏み出す。気が付けばあっという間に間合いを詰められ、その一太刀で三人の兵士がまとめて吹き飛んだ。あんな盾で防ぎきれる攻撃ではない。
「つまんないなあ!もっと筋のいいやつはいないのかよ」
小柄で銀髪のヴァン神族が、けらけら笑いながら言った。
人間の兵士は、数が武器だ。
圧倒的な実力差のある神族と戦うときは、囲うように兵士を配置し、同時攻撃によって隙を突く。兵士学校の教科書にはそう書いてある。
ただ現実は、その戦術を徹底したとしても、互角かやや人間が不利だ。
もう一人のヴァン神族は無表情に直立している。まるで退屈な舞台を眺める観客のように、やる気が感じられなかった。
「早く攻撃していただいて結構ですよ。時間がもったいない。」
「……この人数で歯が立たないのか」
ロッドが息を呑んだ。
神族は表情ひとつ変えない。
人間側は突撃し、崩れ、押し返される。何人で攻めようと関係がない。どんどんと動かない死体が増えているだけだった。
「これはまずいぞ……あれはかなり高位の神族だ」
ロッドの言葉に、みな声を失う。いまからこの丘を下って、彼らと対峙するのか。その先に待っている未来は一つしかないように思われた。
「右側面支援班、前へ! 急げ!」
部隊長の怒号が飛ぶ。
「早速出番だ。行くぞ、シグルス、エイナ!」
ロッドが坂道を走り出した。二人も後を追う。
戦場に足を踏み入れると、その惨状が匂いや音を伴って表出する。
金属音、怒号、血の匂い──全部が渦巻く。
三人は敵に右側から回り込み、接近した。
ここで、すべてが終わりかもしれない。
シグルスが剣を構えた瞬間──
また世界が、止まった。
音が、匂いが、風が。
ぜんぶ消える。
たったいま斬られた兵士の血の飛沫が、宙に浮いたまま動かないのが見えた。
視界の中央に白い線が滲み、震えながら言葉になった。
《……■■■の■■のため、ロッドはこの戦闘で死亡》
ロッド。
さっきまで隣でふざけていた男の名前がそこにあった。
そんな、嘘だ。
喉が乾く。手から剣の重さが消えかける。
白い文字が砂のように崩れて──消えた。
「シグルス! 前が開いたぞ!全員で詰める」
ロッドの声がする。
こんな時ですら、ロッドは無理に笑おうとしていた。さすがに表情に無理があったが、それでもロッドはこんな時まで、仲間のことを思っている。
(そんな未来、認めない)
シグルスは剣を強く握り直した。
ここからが、本当の戦いだった。
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