第1章 神様、ついにキレる
第1章 神様、ついにキレる
1-1 創世以来最悪の月曜日
月曜日の朝5時。
人間界では、社畜たちがまだ布団の中で「あと5分...」と現実逃避している時間。
天界の執務室では、全知全能の神が、すでに3時間も仕事をしていた。
「祈願番号8,274,639番『推しの結婚で死にたい』......は?」
神様は、光り輝くタブレット(天界仕様)を見つめながら、深いため息をついた。
目の下のクマは、もはやブラックホールと見分けがつかない。髭は3日分伸びっぱなし。純白のはずのローブには、インスタントコーヒーのシミが点々と。
「推しって何だよ、推しって」
独り言をつぶやきながら、神様は「推し」でググった。
『推し(おし):応援している特定の人物。アイドル、俳優、キャラクターなど。「推しが尊い」「推ししか勝たん」などの用法で......』
「知らんがな!」
神様の叫びが、天界にこだました。
隣の部屋で仮眠していた天使長ミカエルが、慌てて飛び込んできた。
「神様!どうされました!?」
「ミカエル、聞いてくれ。今朝だけで『推し関連』の祈願が12,847件も来てるんだ」
ミカエルは苦笑いを浮かべた。最近、この手の相談が増えている。
「ええと......それで、どう処理を?」
「知らん!なんで他人の結婚で死にたいんだ!?しかも『推しの幸せが私の幸せ』とか言いながら『でも死にたい』って、矛盾してるだろ!」
神様は立ち上がり、執務室を歩き回り始めた。これは相当イライラしている証拠だ。
「あとな、これ見てくれ」
タブレットの画面を切り替える。
『祈願カテゴリー別統計(本日分)』
ガチャ関連:43.2%
推し関連:28.7%
金運(主に仮想通貨):12.3%
恋愛:8.9%
仕事(主に退職希望):4.2%
健康:1.8%
世界平和:0.7%
その他:0.2%
「世界平和が1%切ってる!創世記のころは80%超えてたのに!」
ミカエルは慰めるように言った。
「まあ、平和な時代になったということでは......」
「平和?これが平和?」
神様はタブレットを叩いた。
「『ガチャで星5を3連続で出してください』だぞ?俺は確率操作屋か?」
「......」
「『上司が異動しますように』『でも自分は異動したくない』って、都合良すぎるだろ」
「......たしかに」
「極めつけはこれだ」
神様は、一通の祈願を表示した。
『神様、お願いします。YouTubeの登録者を100万人にしてください。でも、努力はしたくないです。あと、炎上もしたくないです。でも有名にはなりたいです。お金も稼ぎたいです。でも、顔出しはしたくないです。声も出したくないです。でも、ファンには愛されたいです』
「......これは」
「な?わけわからんだろ?」
神様は、執務椅子にドサッと座り込んだ。
八百万年。
創世から八百万年、神様は休みなく働いてきた。
光を作り、大地を作り、生命を作り、人類を見守ってきた。
戦争も、飢餓も、疫病も、すべて見てきた。それでも、人類の成長を信じて、導いてきた。
でも、最近の祈願は......
「ミカエル」
「はい」
「俺、もう限界かもしれない」
その瞬間、執務室の空気が凍りついた。
1-2 天界激震、まさかの退職宣言
「神様が......退職!?」
天界会議室に、天使たちの悲鳴にも似た声が響いた。
緊急招集された天使12名、全員が目を見開いて神様を見つめている。
議長席に座る神様は、いつになく真剣な表情だった。いや、疲れ果てた表情と言った方が正確か。
「繰り返す。私は、神の職を辞したい」
智天使ガブリエルが恐る恐る手を挙げた。
「あの......冗談ですよね?」
「八百万年ぶりの本気だ」
シーンと静まり返る会議室。
権天使ウリエルが咳払いをした。
「し、しかし神様。あなたが辞めたら、世界はどうなるんですか」
「代わりを探せばいい」
「代わりって......神様の代わりなんて」
神様は立ち上がり、ホワイトボードに向かった。
『神の仕事内容』と書き始める。
祈願処理(1日平均80億件)
奇跡の実行(1日平均300万件)
運命の管理(78億人分)
天気の調整(地球全域)
生死の判定(1日平均15万件)
因果応報システムの運用
その他雑務(無限)
「これを、24時間365日、休みなしでやってきた」
天使たちは顔を見合わせた。
「有給は?」神様が笑った。
「有給?そんなものがあったら、ビッグバンの直後に取ってる」
座天使ケルビムが提案した。
「業務を分担すれば......」
「試した。でも君たち、先月の『推し活祈願対応マニュアル』読んだか?」
天使たちが目をそらす。
「327ページもあるマニュアル、誰も読んでないだろ」
図星だった。
神様はため息をついた。
「いいか、よく聞け。俺はもう疲れた。創世記のころは楽しかった。『光あれ』って言えば光ができた。シンプルだった」
そして、タブレットを取り出す。
「今朝の祈願を一つ読み上げる」
『神様、私の推しがメンバーの推しとイチャイチャしてて辛いです。でも推しの幸せが私の幸せです。でも見てられません。でも見ちゃいます。どうすればいいですか。あと、推しのグッズが高すぎるので、宝くじ当ててください。でも努力はしたくないです』
「......どう返答しろと?」
天使たちは黙り込んだ。
たしかに、これは難しい。
1-3 衝撃の後任候補
「それで」
能天使セラフィムが恐る恐る聞いた。
「後任は......どうするおつもりで?」
神様は、ニヤリと笑った。
その笑顔に、天使たちは嫌な予感がした。神様がこういう顔をするとき、たいてい突拍子もないことを言い出す。
「AI」
「は?」
「AIに任せる」
会議室が凍りついた。
いや、物理的に気温が下がった。天使たちの体温(?)が一斉に低下したせいだ。
「AI......人工知能ですか?」
「そう。最近、人間界で流行ってるやつ」
ガブリエルが震え声で言った。
「で、でも、神の仕事をAIなんかに......」
「なんかとは何だ」
神様の目が光った。
「いいか、よく考えてみろ。神の仕事の大半は何だ?」
「......祈願処理?」
「そう。つまりデータ処理だ。80億件の祈願を瞬時に処理し、優先順位をつけ、最適な回答を出す。これ、完全にAIの得意分野だろ」
たしかに、理屈は通っている。
「でも、奇跡は......」
「奇跡だって、結局は確率操作だ。『偶然』を『必然』に見せかけるテクニック。これもアルゴリズムで解決できる」
神様は、タブレットで何かを操作し始めた。
「実は、もう候補がいる」
画面に表示されたのは―――
『KAMI-OS 2.0 (Knowledge and Miracle Intelligence - Operating System)』
「これは......」
「人間界の某IT企業が開発した、最新型のAIだ。まだベータ版だが」
スペックが表示される。
処理速度:1秒間に10億件の祈願処理可能
判断精度:99.97%
稼働時間:24時間365日(メンテナンス年2回)
感情理解:レベル3(人間の感情を72%理解)
創造性:レベル2(既存データから新パターン生成可能)
「感情理解が72%って......」
「俺だって100%理解してない。さっきの推し活祈願とか、理解不能だ」
一理ある。
ウリエルが質問した。
「でも、導入コストは?」
「タダ」
「は?」
「開発企業と交渉済みだ。『神様導入事例』として使わせてくれるなら、永年無料だと」
天使たちは顔を見合わせた。
神様の決意は、どうやら本気らしい。
「導入は来週月曜日。それまでに引き継ぎを終わらせる」
「来週!?」
「早いか?じゃあ再来週」
「いや、そういう問題では......」
神様は立ち上がった。
「決定事項だ。議論の余地はない」
そして、出口に向かいながら振り返った。
「あ、そうそう。引退後は、人間界でのんびり暮らそうと思ってる」
「人間界!?」
「温泉とか行きたいんだよ、温泉。あと、ラーメンも食べたい。本物のやつ」
天使たちは、もはや言葉を失っていた。
全知全能の神が、温泉とラーメンのために引退......
これが、後に『天界史上最大の改革』と呼ばれる出来事の始まりだった。