第二王子の影
春の陽射しがまぶしい、王都の学術区画。
アリアは資料館で、ひとり静かに古文書を読み漁っていた。
“第零魔導研究所”の記録、封印された魔導技術、そして“適性者”の存在。
どれも断片的で、決定的な証拠には届かない。
(もっと……確かな記録があれば)
そんな時、誰かが彼女の肩を軽く叩いた。
「君がアリア・ブレイユか」
低く抑えられた、よく通る声。
振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。
切れ長の瞳、洗練された所作、どこか優雅な微笑。
彼は、まるで“役者”のような完璧な佇まいで――
「僕は、ディルク・エルセイン。第二王子だよ」
◇
「第二王子……?」
その名を聞き、アリアは思わず目を見開いた。
第一王子レオノルドの異母弟にして、王位継承権第六位。
政務を嫌い、政治の表舞台にはほとんど出ない“隠れた天才”と噂されていた。
「君の研究、興味深く拝見していたよ。君の出自も含めて、ね」
「……私の出自?」
アリアは警戒を隠さずに問う。
だがディルクは、あくまで柔らかく、けれど芯のある声で言った。
「“No.87”……その記録、誰が残したと思う?」
「……!」
アリアは反射的に記録球を握った。
「安心して。僕は敵じゃない。ただ、少しだけ知ってるだけさ」
彼は片目だけで笑う。
「この国の裏側にはね、王族ですら知らぬ“魔導の影”がある。
君はその、最深部に触れようとしている」
「……だったら、なぜ話すんですか?」
「理由は簡単。“君の選択”が、王国の未来を左右するかもしれないから」
アリアは、ふと寒気を覚えた。
この男は――何を知っている? 何を望んでいる?
◇
その夜、アリアは王立学苑の中央図書塔に忍び込んでいた。
ディルクが残した言葉。
「真実の一部は“深層層書庫”の鍵に隠されている。君になら、開けられるかもしれない」
王族しか入れぬはずの書庫。
だが、なぜかアリアの指が、封印結界に“拒絶されなかった”。
中に入ると、そこはまるで“古代の研究室”のようだった。
魔導陣、封印球、記録石――
すべてが、かつての研究を物語っていた。
ひときわ大きな結晶に近づくと、そこにはこう刻まれていた。
《開封条件:魔導因子適合率97%以上/記憶遮断歴あり》
そして、その下にはうっすらとした筆記体で、ひとつの名が――
A.B.
(私……なの?)
震える指先で結晶に触れると――
淡い光とともに、記憶の断片が脳裏に差し込んできた。
◇
──「君は希望だ。どうか、生き延びてくれ」
──「……名前は、アリアにしよう。穏やかな春を生きてほしい」
──「記憶を封じても、心は……残るはずだ」
誰かの優しい声。
温かい手の感触。
そして、遠ざかる光。
アリアは、はっとして結晶から手を離した。
「誰……誰なの……私に、そんな風に……」
背後で、ふたたび誰かの気配がした。
「君は何も悪くない。ただ……生まれが特別すぎただけだ」
ディルクだった。
「君が自分を否定する必要はない。君は“結果”だ。――王国が犯した罪の、な」
アリアは彼に問う。
「なら、あなたは……どうしたいの?」
ディルクは静かに、けれど強く答えた。
「僕はね、この国を一度――“壊して、作り直す”つもりなんだ」
「……!」
「王子でいながら、正当な王位継承権もない。
ならせめて、未来だけでも創りたいだろう?」
その目には、王族の血を引きながらも“王に選ばれなかった者”の哀しみが宿っていた。
「君も、選べ。自分の手で、自分の道を」
そして彼は、闇に溶けるように去っていった。
◇
その夜、アリアは夢を見る。
忘れたはずの“声”
忘れたはずの“手”
けれど、心の奥底に灯ったあの想いだけは、確かだった。
(私の道は、私が決める)
次に会うとき、私はもう、迷わない。
たとえその王子が“影”を抱えていたとしても――