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その一「ききわけ くさわけ そんなわけ」

その一「ききわけ くさわけ そんなわけ」


「友達が用意してくれた三題噺のお題で、短編集を作るプロジェクト。やつは、三題噺のお題を出すことにかけては、最強だから」


 愛菜垣ヒスイは無口で孤独になりがちだった。


 中学も高校も、友達といえる友達はいなかった。


 いじめられるような感じではないものの、深く心を通わすような経験はほとんどしてこなかった。


 学力もほどほどで、池袋にある私立の文学部に入学して、ペアで課題をやるような授業は、極力避けた。


 人と付き合うのが苦手なのか、人に興味がないのか、その両方なのか。


 父親は単身赴任が多い。母親は家事をこなす以外は、ヒスイに話しかけることはなく、ただママ友と「うちの子ほんとに話さなくて」というネタで盛り上がる以上の関わりは持たなかった。


 ヒスイは、家ではCDで音楽を聴いたり、図書館で借りた本を読んだりしながら、切れ目のない生活を送っていた。


 部屋は簡素なもので、大学の神学の授業に出てからは、まるで「修道女のような」という形容まで相応しくすらあった。


 人と話すことが、不可能というわけではないが、笑顔を見せたりすることは稀だった。


***


 穏やかに見える彼女の生活に、変化が現れたのは、大学二年生の時だった。


 ふとしたきっかけで、ヒスイが将棋部を訪れた時、ちょうど部員の女の子が手合いを求めていた。


 短い言葉で、対極が始まり、ヒスイは熱戦を演じることになる。


 対局したのは、女流棋士で、ヒスイに聞いた。


「いつからやってるの?」

「二年前」


 ヒスイの言葉にその女流棋士、初音とおりはとても驚いたらしい。


「どうやって勉強したの?」

「本を読んで。実際にやってみたくて」

「指したことないの?」

「ほとんど、ない」

「将棋ウォーズとかは?」

「スマホは、ほとんどさわらないから」


 とおりが、部員に話して、ヒスイは歓迎された。


 何回か指すとすぐに上達して、何級も飛び越えて強くなった。


「また来てね」


 とおりは言った。ヒスイはうなずいた。


 でも、ヒスイがまた来ることはなかった。


***


 池袋のジュンク堂で、本を選んでいた。


 ヒスイが、書籍を買うことは珍しい。


 大抵は、大学の図書館で、何冊も借りて、ペラペラとめくり、読み終えてしまう。


 ジュンク堂に来たのは、久々に母親にプレゼントでもしようかと思ったからだ。


 レシピ本にするか、断捨離本にするか、少し悩んだ。


 レシピ本を買って、ラッピングしてもらって、東武東上線に乗って、朝霞市にある家まで持って帰った。


 母親の誕生日を祝った。


「おめでとう、お母さん」


 本を渡した。


 母親は丁寧に包装をはがし、本を見て言った。


「ヒスイ、おいしくなかった?」


 ヒスイは首を振った。


「そんなことない」

「もっとおいしいものがほしいって?」


 ヒスイはうまく答えられなかった。曖昧に首を振った。


 動揺しているのは目でわかった。


「いい。ありがとう」


 かちゃりと、スプーンを落とした。手が少し震えていた。


「お母さん、おめでとう」

「めでたいなんてことないわ。何にも、前に進んでいないもの」


 ヒスイは、皿洗いをして、こっそり買ってきたケーキを出した。


 小さなショートケーキで、誕生日を祝うプレートもつけて。


「誕生日を迎えるたびに、あなたのことが心配になる」

「どうして?」

「そんなに人が嫌い?」

「そんなことない。私は、別に人と話せないわけじゃない」

「話せるか話せないかじゃないでしょ? 話すか、話さないかじゃないの?」


 ヒスイは、俯いて、口元を引き結んだ。


「ききわけだけはいいんだから」


 母親の、そのさりげない言葉が、実に深くヒスイの心を刺した。まるで「黙ってるだけで得しやがって」と言われたかのように、心が寂しく空っぽになった。


***


 無口系のくさわけといえば、綾波か長門。エヴァが完結したのはつい先日で、ヒスイはその時中学三年生だった。


 クラスメイトの男の子に誘われて、少ないお小遣いでなんとかチケットを買い、綾波レイという仲間を見た。


 涼宮ハルヒの新刊が出ると聞いて、もう一度角川文庫版の『涼宮ハルヒの消失』を読んだ。映画も一応見直した。


 長門はやはり長門だった。


 二人と同じようにショートカットにして、本当は髪を青白くすることも考えた。流石にそんなことはできなかったし、もうそれができる歳になる頃には、高校生ではなくなっていた。


 宇宙で同じ星の生まれの人と会うくらい、自分のように無口で孤独な人に出くわすのは滅多にないから、興味深いことだった。


 人と、話すことがないから、メッセージアプリはほとんど使わない。


 たぶん、自分と同じような人も、同様に人と話さない。だから会わない。


 無口で可愛いという概念は、少し商業的なにおいがしないでもないが、綾波や長門は、ヒスイの目から見ても、可愛い感じがした。


 ただ、ヒスイは令和世代の人間だから、平成のアニメを観て、血が沸き立つというような経験はしなかった。


 涼宮ハルヒシリーズを読むことで、考古学的に、なぜ長門なのか、という問題を掘り下げていった。


 ただ、そこに、いるだけでいい。それが、彼女らの希少性なのだと気づく。


 そしてそれは、彼女たちのバックグラウンドが基礎にある。


 ヒスイは、首を傾げた。「私の希少性ってなんだ?」と。でも、それを考えると、小説の中ではバックグラウンドが最初にあって、物語が作られ進んでいく。「私の希少性は、私がいることに基礎づけられている」とは、到底思えなかった。なぜなら、人生は小説とは違うから。


***


 存在の全肯定。それが平成の生み出した物語だ。「うんうん」とうなずき、現代文化論のレポートにした。


 レポートを書きながら、令和の物語がそれとは違うことを、朧げに感じ取った。


 自分が今書き込まれているこの世界のノートに、自分の居場所はあるのだろうか。


 一つの答えは「自分で書き込むのだ」という行動主義。もう一つは「どこかには、全肯定してくれる場所があるんじゃない?」という平成の論理。


 綾波が担ったシンジの母の代わりという領域や、長門の宇宙人という強力な背景は、ノートに多くの文字を割いて記入された。


 何も要求されずに、認められた領土は広大だった。


 まあそもそも、ヒスイは、特に領土を必要としていない。


 居場所は、勝ち取らないといけないのが、現在の流行だろうか。わずかの居場所も奪い去る意思が働く、バトルロワイヤルだろうか。


 そんなわけない。綾波や長門ほどの知名度は望むべくもないけれど、大学の図書館で、年間貸出数でナンバーワンに輝くくらいの小さなことだけど、ヒスイは大学という場所で、一つの安全で安心な環境を享受している。


 大人になったら違う?


 いやいやそんなことない。


 少なくとも今の日本では、どんな人であろうとも、居場所はある。


 ヒスイの居場所だって、綾波や長門と比べたら、小さいかもしれないけれど、たしかにある。たとえ、誕生日プレゼントをミスって、母親に詰められたとしても、居場所をそっくり取られるわけではないのだから。


「居場所の広さを人と比べると、まるで領土の大きさを比べているように思います。でも、私の心の中に、宇宙より広い居場所を持ち、想像を膨らませれば、それこそが、私たちの居場所ではないでしょうか」


 冗長な末尾の文句で、減点されはしたものの、ヒスイのレポートは、概ね好意的に教授に受け止められた。

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