007 お泊り
智之の部屋で二人は白色のソファーの上で並んで映画を鑑賞していた。時刻はもうすぐで12時になる頃だ。おおよそ4時間を映画鑑賞のみに費やしていたことになる。最初に空いていた拳二つ分ほどの距離は今ではもうなくなり、智之の腕に蓮は腕を絡ませようとさえしてた。
当然、智之は許すはずもなく、腕を組み防御していた。蓮としてはそのことに不満がないわけではないが、距離が近く、身体を触れ合わせることに関しては智之が許容しており、随分と機嫌が良いようだ。その証拠にいつものごとくだらしなく口元を緩ませ、にへらと笑みを浮かべていた。
「ニヘヘ。」
「……。昼食作るけど、何食べたい?」
「ん。智之の料理ならどんなものでも嬉しい。」
「分かった。」
智之がキッチンで料理を作っているところに連がふらりと近づいた。映画も一時停止しているようで、どうやら映画よりも智之と一緒にいることを優先したいようであった。智之は蓮が近づいてきていることに気が付いていたために、蓮に対して声掛けを行う。
「どうした?」
「んー、智之いないと暇で。僕も手伝うよ。」
「もうほとんど終わっているんだ。また今度頼むよ。」
「うー、残念。次は一緒に料理しようね。」
うー、と蓮は唸りながらもそれ以上は無理に関わろうとせずにすぐ様に引くことにしたようだ。その代わりに別の約束事、それもまた家に入る口実となる様な事をあたかも、お返しとして提示する。
「ああ。」
「……。」
「ほら、ここにいると危ないぞ。映画の続き見ないのか?」
「智之と見る。それに、智之が守ってくれるでしょ。ね?」
どうやら蓮は引くつもりがないようで、キッチンから出ることはなかった。そんな蓮の様子に言っても聞かないと悟り、智之はいうことを諦め代わりの言葉をかけることにする。
「ん?それは、な。まぁ、いいか。」
「ニヘヘ。」
「作り終わったぞー。運ぶの手伝ってくれ。」
「ニヘヘ。うんっ。」
「……。なんだかな。」
「んー?何かいったぁ~?」
どうにも普通の親友の関係に収まらないことに智之は若干の不満を抱いていた。とはいえ、今の状況が特異であるのは認識としてあるし、仕方ないとは思っていた。皿をダイニングまで運んでいた蓮にも声が届いていたのか、智之のぼやきに蓮が返事を返す。
「いいや。何でもない。」
「そう?早く食べよっ。智之の料理楽しみ。」
「あんまり期待するなよ。」
「ニヘヘヘヘ。」
智之の言葉を聞いても大きな期待を抱いている蓮であった。蓮にとっては親友の手料理だ。期待、楽しみにしないわけがないのが当然である。逆の立場であったなら、おそらく智之も蓮の料理に期待をしたであろうことは確かだ。
「はぁ。じゃ、いただきます。」
「いただきます。んっ、美味しいね。」
「そうか?あんまり凝ったものでもないし、普通だと思うけど。」
「んーん。美味しいよ。毎日食べたいくらい。」
智之の作った料理は確かに凝ったものでなく、ただの炒飯である。若干の焦げが見えたりと確かに料理の腕が優れているというものでないが、味自体はそう悪いものでなく、智之の言の通りに普通の腕であると言えるだろう。
一般に普通のレベルならば問題があるはずもなく、それこそ毎日食べるのを悪いものでないだろう。であるからして、蓮の言葉は嘘ということはなく、それ以外の意図も含めるとすべてがすべて本心であった。
「あはは。そう言われると嬉しいな。」
「……。」
「ん?どうした?」
「何でもないよ?」
半ば告白のような言葉を特に何かを感じた風な様子もなく、極々平凡に返す智之に対して蓮は色のない瞳でじっと見る。その瞳に何かしらの感じられるものがあったのか智之は蓮に問うたが、特に蓮から何かを言うつもりはないようであった。
「そうか?まぁ、また困ったらうちに来ていいぞ。飯を作ろう。」
「ほんとっ?嬉しい。でも、一緒に作る約束、でしょ?」
「あはは、そうだったな。」
「ニヘヘ。」
「ちょっと疲れちゃったね。」
「ん?ベットで寝ていいぞ。」
今日一日を映画鑑賞に費やしていた二人は23時にもなれば流石に疲れたのか、映画鑑賞を止めることにしたようだ。風呂を交代で入り、ダイニングにあるソファーの上を隣り合って座っていた。
ふと、蓮の呟くような言葉に休むように智之は言った。それに対して三毛猫のパジャマをまとった蓮は気まぐれな猫が甘えるように、身体を智之にすり寄せた。すり寄る分だけ智之も逃げるがソファーの端にぶつかる。
智之が逃げられなくなった時にその艶のあるぷくりとした唇から、艶めかしい声が智之の鋭敏になった耳を通して頭の奥まで浸透し、反響し続ける。智之の顔に添えられた蓮の手は智之の変化を敏感に感じ取り、そして蓮の熱を智之に伝えた。
「ねぇ、寝るまで側にいてくれる?」
「あ、ああ、いいぞ。」
「ニヘヘ。」
「……。」
「ごめんね。迷惑かけちゃって。」
その不安を含んだ申し訳なさそうな声に先ほどのような艶めかしい雰囲気など一切なかった。そのことに智之は先ほどの行動は不安から来た懇願のようなものと認識を持った。それが正しいか、正しくないかは重要でない。今はただ蓮の不安を取り除くことこそが肝要なのだから。
だからこそ、先ほど逃げていたのにも関わらず、智之は自身から蓮にすっと近づき、蓮の顔に添えらた手とソファーの背に置かれた手を己の手で包み込み、強く意志を伝えるように目を絡ませた。
「迷惑なんて思ってないぞ。親友、だろ。」
「ニヘヘ。親友だね。」
「何も不安に思うことはないぞ。大丈夫だ。どうにかなるさ。」
智之はそっと包みこんだ手を離し、姫をエスコートするがごとく優しく蓮の左手を引き寝室へと導く。それに抵抗することなく、導かれるままに蓮はベットにぽすっと腰を下ろした。その様子を見ていた智之は自身を見上げる眼と自身の眼を合わせて、ふっと反らした。
その智之の様子を見た後に蓮も見上げるのを止め、目線を完全に反らした。そして、ベットに潜り込むと、ぽつりと言葉を紡ぐ。
「信じてる。」
「……。」
「……。」
「……。」
しんと寝室に静寂が包み込んだ。二人を包んでいた異様ともいえる熱はもう霧散していた。そのことに安堵とほんの少し無念さに智之はふっと息を吐きだした。蓮はじっと感情を伺えない氷を思わせる蒼の瞳で見つめていたが、終わりの言葉をしっかりと口にした。
「……ん。おやすみ。」
「ああ、おやすみ。」
「ふぅ、やはりどうにかしないとな。怪しい男はまだあそこにいるのか。そこも確かめないとな。それに今のままじゃ、遠からずまずい気がしてならない。」
「……すうすう。」
「……。それにしても綺麗な髪だな。」
蓮が寝息を立て始めたころ、今までに続いていた妙な緊張感が身体から消えた。音を立てないようにベットに腰かけるとふと、智之は蓮のさらりと広がるアイスブロンドの髪を掬い上げなでる。手からするりと零れ落ちる髪の感触を味わっているとピクリと蓮が反応する。
「……すう、んっ。」
「ああ、悪い。勝手に触れるものじゃないよな。」
智之は名残惜しそうに蓮の髪から手を離して寝室から出て行った。その後ろ姿をじっと見つめる瞳には気が付かなかった。