∞第四話 曲がった山芋と勾玉
∞第四話 曲がった山芋と勾玉
横浜の大学を卒業したばかりで、三重県に引っ越しが決まっている女子大生、朱藤富久は、卒業記念で千葉の有名な『舞浜夢の国ランド』を友人と訪れた帰りだった。舞浜駅で解散して、ひとりで電車に乗ったが、なぜか気になる風景に出会う。それは高架橋の上から見える川沿いの町並みだった。
彼女はすぐに次の駅で電車を降りた。改札を抜けて地上に出ると、とても道幅の広いアメニティロードのような橋が見える。カラフルなタイルで舗装され、拡幅された道。それが海浜公園のほうに続いている。一方の反対側の出口は、曲がりくねった路地が多い町並みだ。
今、彼女は悄気ていた。実はお気に入りのアクセサリーである小粒の翡翠で作られた勾玉型のアクセントが通されているネックレスを今朝どこかで無くしてしまったのだ。確かに川崎にある家の中で、ドレッサーに向かって首にさげたまでは覚えていたのだが、現地の遊園地に着いたときにはもう無くなっていた。途中で切れてしまったとしか思えない。残念な出来事だった。以前、祖父の家に行った帰り、伊勢市駅の駅前で買ったお気に入りのアクセサリーだった。
探そうにも、どこを探せば良いのか全く予想もつかない。その暗い顔を友人に見せたくなくて、皆と別れて、一人時間をずらして帰るという単独行動に走ったというわけだ。
彼女はその公園に続く真っ直ぐな道とは逆の曲がった路地の方に歩き始める。運河のような河川のほとりを導かれるように歩いていた。はるか向こうの川下には夢の国のマウンテンが見える。
商店街にさしかかって、彼女は前を歩く大きなリュックを背負った男性を見た。のぼりが立つ昔ながらの商店街の中をゆっくりと踏みしめるように歩く四十歳過ぎに見える男性。そのリュックから長細い山芋が彼の背丈の一・五倍ほど飛び出ていた。
「すごい」
一般に言う自然薯というヤツだろうか? スーパーマーケットなどで売っている品の良い真っ直ぐな長細い山芋と違って、うねっては伸びて育った痕跡が見える山芋だ。
富久は彼がその山芋をどこに持ち帰るのかが気になった。そう思った矢先、彼は一軒の食堂に入る。『潮風食堂』と書かれたその看板には、なにか懐かしさを感じるものがあった。
「いらっしゃい」と店主青砥一色の声がする。
時を同じくして、ほぼ同時に入ってきた二人に、「おつれさん?」と訊く。
男は振り向く。そしてその時、初めて後ろにいる富久の存在に気付くが、
「いや、一人だ」と愛想笑いをする。
「お嬢さんのほうは、座敷、テーブル、それともカウンター?」と訊ねる一色。
「ああ、じゃあテーブルで」と富久。
「それじゃ、好きな場所に座って下さい。あとで注文にうかがいます」と一色。
「はい」
富久は持っていたバッグを隣に置いて着席すると、テーブルの上に立ててあるメニューを開いた。
一方の男性は、店主一色とは顔見知りだ。奥の方でなにやらぼそぼそ話している。
「今年はさあ、昨年の残し根から結構成長してくれて、立派なのが三本出たんで、全部持ってきたよ」
「ありがたいねえ、毎年ありがとうね。金丸さん」
「いやいや。東京に持ってきた方が、電車代払っても良い値で買ってくれるから、こっちもありがたいんだよ」
丁寧に新聞紙に包んだ付け根部分を手で持ちながら、そっとあの自然薯を一色に渡す金丸。
「あの」
その現場を見ていた富久は思わず声をかける。
「その自然薯、今注文できますか?」
顔を見合わせる一色と金丸。
一色は笑うと、
「お目が高いね。良いよ。麦とろ御膳なら時間はかかるけど、三十分、四十分くらいで出せるよ」と言う。
富久はパタンとメニューを閉じると、
「お願いします」と頷いた。
一色は金丸にも聞こえるように、
「これは『鞠子の自然薯』って言ってね、静岡に住むここにいる金丸さんが毎年直接持ってきてくれるんだ。自然薯は秋から冬にかけて掘るもので、長い鉄棒で周りを掘っていくんだよ。最後に先端だけを残して植えておくと、翌年も同じ場所で成長したものを掘る事が出来る。まるで天然の芋畑なのさ」とビニルの手袋をして一色がピューラーを動かしながら教えてくれる。
「へえ」
富久はテーブルに頬杖ついてその様子を眺める。
金丸は、「鞠子のとろろ汁って知っていますか?」と富久に訊ねる。
「いいえ」と首を横に振る富久。
「十返舎一九の『東海道中膝栗毛』って物語があるんですが、そこに名物としてのとろろ汁屋が出てくるんですよ」
「ああ、ヤジさんキタさんのヤツですよね。お伊勢参りに行く珍道中を描いた」と富久。
「そうです。その物語に鞠子宿、いまの丸子地区の名物として出てくるんですよ」と嬉しそうなお国自慢をする金丸。
そこに加えるように一色は、
「古典書である『古事記』や『万葉集』にも登許呂豆良という古語で登場してるんですよ。現在でも地方によってはそのまま漢字を変えて転訛した、野原の老いた蔓と言う意味の野老葛って使うこともある。日本人が記紀神話の時代から親しみを持っている食べ物なんです。そして万葉集では『皇祖神之 神宮人 冬薯蕷葛 弥常敷尓 吾反将見』と歌っています」と加える。
「どういう意味ですか?」
「吉野宮の宮仕えらしき人が、大王である天皇に、自然薯の蔓のよう末永く代々お仕えして、吉野の宮を見ていたい、と歌った意味のようだね」と伝える。
「へえ、そんな昔から親しまれる植物なんだ。日本らしい食べ物なんですね」
「うん。私たちの遙か太古のご先祖から伝わる食べ物です」とすり鉢をゴリゴリしながら一色は言う。
妻の零香はガス釜に火を入れて、麦を混ぜた白米をセットした。火力の強いガスなら短時間でふっくらと仕上がる。
時間が経って食事も終わり、すっかり満腹になった富久は川崎の鹿島田近くにある家に着くと、ほんの十分ほどで睡魔に負けて、うとうとする。
自分の部屋のドレッサーの前に座る富久。彼女の座るドレッサーの正面、鏡に映る自分の顔が水面のさざ波のように揺れると、違う人物を映し出した。そこには歴史の資料集でよく見る卑弥呼のような垂髪の長い黒髪に、はちまき状の装飾を施した若い女性が映っていた。
「だ、誰?」
鏡の女性は優しく微笑むと、
「私は奴奈川姫。大國主の后神です。翡翠の化身とも言われます。私の霊威を込めた翡翠の首飾りを大切に思ってくれてありがとう。でもあなたの心配は杞憂のもの。だって足下を見てごらんなさい。昨日の朝、最後まで迷って着替えた上着。あなたが慌ててカーディガンを緑色のものから黄色に変えたときに一緒に外れて、足下に落ちたのよ。あなたは首飾りをして外出していないの」と教える。そして優しく微笑むと鏡はもとの富久を映す状態へと戻った。
朝の光の中、寝ぼけ眼の富久は、ベッドから起き上がると、屈んでドレッサーの足下部分の奥をのぞき込む。
「あっ?」
そこには朝陽を浴びて美しく輝く小さな翡翠の粒をちりばめた首飾りが落ちていた。
「あった」
そして彼女はその翡翠の首飾りを手に取ると、立ち上がる。
「よかった」
富久は買ったときの箱をドレッサーの引き出しから取り出すと、そこに首飾りをしまい込んだ。
その時、ぽろりと箱から説明書が落ちる。買ったときにはそんな説明書が付いていることすら気付かなかった。
「ん」
富久はその説明書を拾い上げると、広げてみた。
「このたびは糸魚川、奴奈川産の翡翠をご購入いただき誠にありがとうございます。古代の神威を込めた野老葛で編んだ首紐を使い、神聖な場所で取れた翡翠を勾玉に加工した玉石を伊勢の職人が真心込めて作りました。きっとあなたのお手元にとこしえに付き添い霊威を授けるでしょう」とあった。
富久はにこりと笑うと、「なるほど」と合点がいったように笑って、その首飾りに一礼をした。
了