∞第十三話 印画紙が結ぶ因果関係
∞第十三話 印画紙が結ぶ因果関係
時を遡ること五年前。ちょうどこのお話の第一話と時を同じくしての頃だ。
一色の店で働き始めたばかりの零香は、空き家となっていた伊豆の自宅に一度戻って必要なものを整理してきた。就職活動のために上京し、そのまま成り行きに任せて、暫定的に青砥家の美和の部屋に居候してしまった。
そろそろ東京での日常生活が見えてきて、日頃必要なモノや個人的に大切な品を手元に置きたいものを吟味する帰郷だ。そして手で運べる物はキャリーケースに入れて、そのまま列車で持ち帰ってきた。
「ただいま帰りました」
この頃の零香は、前述のように一色の妹である美和の部屋に間借りをしている。だが一旦美和の部屋に戻る前に、一色の店、商店街にある潮風食堂に顔を出した。
全部の荷物をいきなり美和の部屋に送ってしまうと、全て入りきるかが心配だったため、それを事前に一色に相談したところ、店の二階の住居部分に置けば良いという提案をしてくれた。店の住居部分は一色が一人でそこそこの広さを使っているので、まだまだ十分なほどスペースに空きがあるという。
帰りました、の声は一色には届いていない。なぜなら彼は店の小上がりで丸めた座布団を枕にして仮眠している時間。見た感じは仮眠と言うより熟睡だ。すやすやと心地よく、寝息を立てて夢の中だ。
「一色、ここがオレの通った小学校でさ。この裏山でカブトムシがわんさか捕れたのよ。トンボは山から群れをなして飛んで来る。こんなでっかいオニヤンマだぜ」
夢の中で親友の海暉の声が響く。
「へえ、やっぱ田舎がある人はいいなあ」と一色。
零香の兄、伊豆海暉は得意げに一色に話す。一色の見ている夢は、専門学校の夏休みを利用して下田を訪れたときに、地元を海暉が案内してくれた場面だった。
「オレが小三の時に若い女の担任の先生がいてな、あの姉さん先生は綺麗だった。ピアノが上手で初恋だったなあ」と海暉。
「お前、ませガキだな。オレ小三の時なんて、食べることと遊ぶことしか興味なかったぞ」と笑う一色。
「まあ、それはさておき、今日、お前の夢にお邪魔しているのには、用事があったからだ」と改まって一色に伝える海暉。夢の中でも律儀な海暉だ。
「これオレの夢なのか?」
「当たり前だろ。でなければ、オレは実体がないのにこの世界に存在なんて出来る筈がない」と笑う海暉。
「やっぱりお前、本当にそうなのか。あっちに行っちまったんだな」
残念な顔で海暉を見る一色。
「うん」と苦笑いの海暉。
そして彼は一色の肩に手をかけると、肩を組んで、一色の耳元に重要な話をする顔つきになる。
「実はな、預かってもらったついでに、零香をもらってくれないか?」
唐突な注文に「ぶーっ!」と一口含んだ缶コーラを田舎道の横にある草むらで吹き出す。
「お前、冗談過ぎるぞ」と一色。
「何でだよ、零香はずっと前からお前が大好きなんだよ。お前を新幹線の駅まで送った時、あの北伊豆のドライブの時の写真を後生大事に写真立てに入れているんだぞ。ありゃ、完全にほの字だ」
「だって大切なお前の妹を……」
そう言った一色の言葉を遮るように真顔になって、「そう、だから、大切な妹だから、信頼できるお前の元にずっといて欲しいんだ。見ての通り、もうオレはあいつに何もしてやれないし、助けることも出来ないんだ。お前だけが頼みの綱だ」と言う。
「だけど……」
分不相応だという一色の言い分は分かっての海暉だ。その言葉をあえて遮った。
「オレは、お前が時神さんから時間を越える術をもらっているのを知った上で、オレの陰陽師の末裔としての立場も鑑みてお前と友情を育んだ。その辺のミラクルはお互いさまだ。暦と呪術の違いはあれど、互いに隠密の神威公僕だ。もし零香をもらってくれたら、更にお前にオレの持つ夢を使う陰陽道の魔法と予知夢をプレゼントするよ。人の幸せを祈るお前にピッタリの能力だ」
「海暉……」
「さあ、そろそろ零香が伊豆から葛西に帰ってくる頃だ。お前にピッタリの偶然を仕掛けるから、それをチャンスにしてなんとか、話を結婚に持って行ってくれ」
そう言うと海暉はフッと一色の前から消え去った。
「ううん」
小上がりにいた一色が寝返りを打つ。
「一色さん?」
零香は心細そうに彼の肩を揺らした。
薄目を開けて、目を擦る一色。
瞳の向こうには零香の心配そうな顔が映る。
「こんなところで寝たら風邪を引いちゃうわ」と零香。
半身をおこして、「ああ、ごめん」と頷く一色。見れば大荷物のキャリーケースが彼女の脇に置かれている。
「ああ、必要なモノは自分で手荷物で持ってきたんだね」
「ええ」
「大きな物は宅配便で送ったので明日着きます」
「そっか、そっか」
一色は立ち上がると、大きくノビをする。
「それでね、一色さんに折り入ってお願いがあるの」
改まった零香の物言いにパチクリと瞬きの一色。首を傾げる。
「どしたの? 急に」
「わたし、このお店にずっといてはダメかしら? 本業としてここで働き続けたいのよ」
「唐突だね。実家に帰ってなにかあった?」
「ううん。過去の自分を思い返してみただけ。それでね、お料理のことも、ちゃんとお勉強するわ。お店の仕込みの時間からお手伝いするし……」
受け入れられないかも知れないという不安が顔に少し出ている零香。
「零香ちゃんがいたいのなら好きなだけ居たら良いよ。こちらは大歓迎だよ。でもこの店、出会いもないし年頃のお嬢さんが婚期逃してしまわないか心配だよ。いるのは商店街のおじさんばかりだ」と笑う一色。
「そしたら一色さ……。ううん、何でもないわ」
言いかけた言葉をしまってしまった零香。しかも声が小さすぎて、それさえも一色には届いていない。
すると零香の手荷物のキャリーケースが突然バタンと倒れる。まるで透明人間が放ったいたずらのように、だ。しかもそれが一色の足下に直撃。
「いてえ!」
一色はキャリーケースの持ち手に足のすねをチョップされて飛び上がる。
「きゃあ、大変!」
飛び上がった一色はキャリーケースに上に置いてあったプラスチック製のファイルバッグを床に落とし、さらに踏みけてしまう。
「ああ、ごめん」
あわててそのファイルバッグを拾う零香。ところがホック式の留め具が壊れたらしく、中身がバラバラとこぼれてしまう。CD盤やメモ帳、写真アルバムが飛び出して床に散らばった。一色はすぐにその散乱したアイテムを拾い始める。
するとその中にひとつ、木製の写真立てがあった。遠目でも分かるのは、彼女が学生時代に写した物のようだ。散らばった本の隙間から、印画紙に写ったお下げ髪の彼女の笑顔が見える。それを拾い上げて一色は気付いた。隣には自分が写っているのだ。さっきの夢、一色が学生時代夏休みに海暉の家に行ったときのものである。そしてそれは一色と零香のふたりで撮った城ヶ崎海岸でのショットだ。自分にも覚えがある。
新幹線の駅である熱海まで海暉が一色を車で送ると言って、その途中で立ち寄った場所だ。そして珍しく零香も強引に見送りに行くと付いてきた時だった。しかも記念撮影と零香に言われ、強引に腕を組んできた彼女と撮った無邪気なツーショット写真だ。海岸の橋の前の満開の花壇を背景にしたものだ。勿論写したのは海暉だ。
「懐かしいねえ」と何気なく言う一色とは対照的に赤面する零香。それもそのはず、わざわざフォトフレームにいれて飾っていたことを問われると彼女の本心を見透かされそうだ。
またそのフォトフレームの縁には、あの日に熱海の町中で別れ際に一色が零香に買ってあげたミニチュアの食品サンプルがボンドで貼り付けてある。クリームソーダとオムライスの食品サンプルだ。あの日熱海仲見世商店街の喫茶店で彼女が食べた夕食でもある。懐かしい気持ちが蘇る思い出の品だ。
あわてて素早くそれを奪い取ると、「見なかったことにして下さい」と苦笑いの零香。
「何で?」と不思議そうな一色。一色にとっては大切な三人での思い出である。
「だって相手にされてない小娘が頑張って、やっとのことで手に入れた勝利のお宝、ツーショット写真なんですから……」
そこでやっと一色はピンときた。恋である。その台詞を吐くときの彼女の態度や言動にぎこちなさが見える。
「ええ? あの時のそれってそういうこと?」
一色の驚きに、
「やっぱり気付いていなかったんですね。あの日は九月一日で、学校始業式。お兄ちゃんにお願いしていたの。私が帰るまで一色さんを送りに行かないで、って何度もお願いしたんですよ。全ての誘いを振り切って自転車で学校から一目散で帰宅しました」と恥ずかしそうに白状する零香。
「ひょっとして、あの頃、オレを好きだったの?」とおそるおそる訊ねる一色。
零香はフォトフレームで半分を顔を隠しながらコクリと頷く。
「えええ?」
ビックリ仰天の一色は、これまた倒れそうになる。慌てて支える零香。
「ありがとう」と言って体勢を立て直す一色。
「いいえ」と言ってから、
「ここまで知られたら、もう白状しちゃいますけど、就職を探しに、ここに来たあの日は、兄の報告はもちろん、それと一色さんへの憧れと恋心にさよならするために、私自身踏ん切りをつけようと思って、お邪魔してアジフライを食べに来たんですよ」と加えた。
「そうだったのか。見たこともない美人がオレのアジフライ食べて感動していたからビックリしたんだよ、あの日」
零香は一色の『美人』と言う言葉にドキンとする。その嬉しさはまんざらでも無い。
「でも諦めに来たはずだったのに、あのアジフライの味もそうだし、何も聞かずに優しく私を受け入れてくれた一色さんを見たら、忘れるどころか益々好きになっちゃったんです」と零香はかなり頑張って告白をしている感じだ。もともと内気な子である。
一色は頷くとともに、
「そうか。実はさ、オレも君の真面目で一生懸命な働きっぷりに凄く感心させられて、しかも節度と優しさを持ったその人がらに結構惹かれたんだよ。嫁さんにするなら君のような人、そう感じていたよ。本当は一番に嫁さんにしたい人って思っていた。でも親友の妹だし、オレみたいなダメ男が君のような子の将来を変えてはいけないと、気持ちを押し殺していたんだ」とこちらの気持ちも素直に吐露した。
その言葉に零香は「気持ち押し殺さないで、私に下さい。私ももう二十代半ば過ぎました。自分で自分のことは決められる年齢なんです」と言って、その場で一色にそっと寄り添うように抱きついた。
至福の午後は二人の未来の行方に微笑む。
「じゃあオレのお嫁さんになってくれるの? こんなちんけな食堂の店主だよ?」
零香は笑うと、「兄のお店だっておんなじですよ。それとそう変わらないこのお店が、このお仕事が、安心するんです。逆に訊きたいです。私を奥さんとして置いてくれるんですか?」と言う。微笑んだ目元には真珠のように光る涙の礫がゆっくりと落ちている。
「こんな美人で穏やかな女性がずっとそばにいてくれるなら、オレ頑張って働くよ」と頷く一色。
「大袈裟ですよ」
「いやいや、オレに勿体ないお嫁さんだ」と噛みしめるように言う。二人の瞳には互いの顔が映っている。まどろむ二人の瞳。やがて二人の唇が少しずつ近づき始めたその時だった。
「こほん」と聞き慣れた声が一色を我に返す。
そこで一色は抱きしめる零香の向こうに、ジト目であきれかえる妹の美和の顔を確認する。腰に手をやり仁王立ちで偉そうにしている。
「美和! いつから……」と言って零香をそっと体から離す一色。
「いつから? 『こんなちんけな食堂の店主だよ?』、って辺りからですかね」と美和。
「ええっ?」
一色と零香は真っ赤になって黙る。言い逃れは出来ない状況である。
さらに美和が加える。
「ちなみに店の扉の前には会長さんたちもいるけどね。二人の世界を邪魔しちゃ悪いからって、ずっとご覧になっていましたけど。ある意味、そっちのほうが悪趣味に見えなくもない。おめでたいことなので、皆さんから祝福のお言葉もあとで頂けると思いますよ。祝言の用意をしないと、って商店街の皆さんが当人たちそっちのけで話しておりましたので」
一色と零香は店の扉の向こうに、商店街会長の松戸や拓さん、安さん、健作がドングリ眼で固まっているのを確認した。久住や歌恋の姿も見られる。
「入って良いかな?」とバツ悪そうに松戸が訊ねる。
「はい」としかこたえられない一色。商店街の面々が次々と店に入って席に着く。
「全員『思い出のアジフライ定食』と熱燗」と美和が全員分の注文を代弁する。
「えっ?」と一色。
「早く。注文ですけど、お二人さん! お客さんですよ、私たち」
「今日は午後半休の……」と言いかけた一色に、
「祝いの飲み会です。さっさと出して下さい」と美和。さも当たり前のように貸し切りパーティが始まる。いや彼らの披露宴の打合会になるのは必至だ。
あわててよそ行きの格好のまま銀盆に水をのせて、「いらっしゃいませ」とテーブルに運ぶ零香。
「よかったね、零香さん。ううん、お義姉さん」と美和も嬉しそうだ。
「ありがとう」と小声の零香は美和にお辞儀する。
そして「アジフライ定食七丁です!」とホールに零香の声が響く。テーブルナンバーと人数、注文品を書いたオーダー表をカウンターの上のボードに磁石でクリップした。
「あいよ」と一色は竈に火をおこす。
この日は潮風食堂の新しい一ページが始まった日だった。
「で、アニキ。いつ式挙げんのよ」と美和はカウンター越しに訊ねる。
一色は「オレの髪が肩まで伸びたらなあ」と笑う。
「飲食店の店主が髪伸ばすのか?」とツッコまれる。頬をひくひくさせて、いつものように文句言いたげである。
「もちろん冗談だし、それくらいのユーモアを分かってからこの店には来てくれよ」と照れ隠しなのか、不完全なジョークの一色。
そして水を各テーブルに運ぶ零香は、幸せな笑顔で満ちていた。
神棚の横に置いてあるフライパンも何故か今日は、笑っているような、ご機嫌のように見える一色と零香だった。
了
今シーズンもご愛読ありがとうございました。また年末年始あたりに本作のアナウンスをいたします。サードシーズンでもお会いしましょう。
その前に特別編もありますね。ではまた。




