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思い出の『潮風食堂』Ⅱ  作者: 南瀬匡躬 MasamiMinamise


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∞第十二話 紅茶で膠着状態の恋人たち

∞第十二話 紅茶で膠着状態の恋人たち


「秋が深まると物思いに耽るわあ」

 全国をキッチンカーで回りワッフルのスイーツを売る勘解由小路歌恋かげゆこうじかれんは、ゆるふわの巻き毛のすそを人差し指に巻き付けて手わすらをしていた。五時過ぎには店じまい。同時刻に公園の管理事務所が閉館するためだ。

 仕事の後のひととき。それは通い慣れた潮風食堂での夕食だ。葛西での出店の時は必ずと言って良いほどこの店に立ち寄る。しかしとっくの昔に夕食はおわり、食後の時間をボーッと過ごしていた。


「来ないよ」


 厨房の奥で小麦粉の分量を量っている店主の一色は、彼女とは目線も合わさずに、彼女の来店の目的、その核心を突く。

「あらぁ?」

 何のこと、と言わんばかりの惚け顔で一色に目線を向ける。

 奥でグラスを拭いていた零香は分かりきった笑顔で「ふふ」と見えないように微笑んだ。


「目的は夏見さんでしょう?」

 相変わらず小麦粉の分量を計量カップに移しながら一色が言う。いきなり核心を突く。

「あらぁ? 私そんな事言ったかしら……」

『なんのこと?』と言わんばかりに再度シラを切る歌恋。人差し指で頬につっかえ棒の惚け顔だ。

「顔に書いてある」と一色。

「凄いわ。私、顔がメモ帳のようになっているのね」

 歌恋は自分を茶化しながら誤魔化すのに必死だ。

「夏見さん、ウチの店には年に一二度しか顔を出さないって、前も言ったでしょう。もし会いたいのなら横浜に行きなよ。でももう奥さんもいるしねえ。常識的には遠慮はするべきだ」

「遠慮ですか? うーん」

 難しい顔でしかめっ面。よく分かっていないという表情だ。物わかりが悪いわけではない。分かりたくないだけだ。夏見は一色の先輩である。この相関ラインの把握が出来ているための訪問とも言えそうだ。一色の料理目当てではない客と言うことでもある。

 さて、どうやらこのキッチンカーのご婦人、その夏見さんに会いたいというオーラを出しまくっているようで、見かねた一色のアドバイスが出た感じだ。

「まあ、それより絢音あやねちゃんが連絡欲しがっていたよ」

「あらら。そんな名前出すと現実にもどされちゃうなあ」と、どよんとした表情で悄気る歌恋。


「一色さん!」

 そんな問答を繰り返してた矢先、若者、制服を着た高校生が飛び込んできた。ネクタイにブレザー、スリムなズボンでマンガの登場人物、花形満(はながたみつる)やブラックジャックのような髪型の好青年だ。

「どうした敢歩かんぽ?」と一色。

由宇町敢歩ゆうちょうかんぽくん?」と歌恋。彼女とも顔見知りのようだ。

「ああ歌恋さんも来ているんだ」

 軽く歌恋の方を見て頭を下げると、敢歩は視線を変えて厨房の一色に訊ねる。

「この間の告白が上手くいきそうなんだけど、難題を突きつけられちゃって」と頭を掻きながら困った仕草だ。

「なんだ憧れの君、図書委員の美都里(みどり)ちゃんのことか?」

「うん。円口美都里(まどぐちみどり)ちゃん。我が校のマドンナだよ」

 ネクタイを緩めながら、厨房脇のカウンターに両手をついて肯く敢歩。

 横のテーブルでは興味ありそうな青春「恋バナ」に頬杖ついて笑っている歌恋。移動販売の彼女の日常にはこんな清々しいお話は付いてこない。商売柄、年配客の病院ランキングや奥様族のご主人自慢合戦が日常彼女に聞こえてくる会話である。久しぶりの恋バナだ。


「私も興味あるわ。教えて」とウインクする歌恋。二十代後半、まだまだ恋に興味のある年頃だ。

 彼は上着のポケットから紙片を取り出す。

 その手紙らしき物を広げる。

「見ても良いの?」と一色。

「はい」

「私も見せて」と歌恋。

「いいよ」

 そう言って手紙を広げてみせる敢歩だ。


『敢歩くんへ 先週のリクエストで学校帰りに連れて行ってくれたお店、ありがとうね。でも敢歩くん、私の言ったこと分かっていないみたい。私が連れて行って欲しかったのは紅茶専門店の茶葉を売るお店じゃないし、高級牛乳販売店でもないのね。そこんところよろしくね。前に言ったあれ(●●)を、私にご馳走してくれたらデートしましょう。私の気持ちをくんでくれるのはあなただけなの。小学校の時のお礼もあるしね。その時に、お互いにそろそろ()()した思い出をカップに注ぎましょう』


 どうにも含みのある文章だ。まるで推理小説のプロローグを彷彿させる手紙。


「なんだ、ここにある『あれ』って?」と一色。

「ご馳走ってことは飲食店のメニューね」と歌恋。頼まれもしないのにしゃしゃり出てきた。相当暇なのだろう。

「この手紙の時、なんて言われたの?」と一色と歌恋は声を揃えて訊ねる。

「本場のロイヤルミルクティーを出してくれる店で、僕と恋を語りたいって」と頬を赤らめる敢歩。

 一色と歌恋は顔を見合わせて、「青春だなあ」と微笑む。


 そんな二人に敢歩は、

「いや、そんな呑気な物じゃないんだ。これ実行しないと僕ふられちゃうから……」と真剣な眼差しを二人に向ける。

「それで茶葉の種類豊富な茶葉専門店に連れて行ったってわけか。下手な鉄砲だな」と苦笑する一色。

「うん、でもロイヤルミルクティの茶葉はなかった」と敢歩。

 一色は腕組みをしてしかめ面で斜め上に目線を向けたまま、

「これなあ、ちょうど良いところにいてくれたんだけど、歌恋ちゃんの方が詳しいよ。こういう青春物、恋愛モノはオレにはどうも……」と首を傾げて言う。

「そうなの?」

 歌恋の方に目線を変えた敢歩は、

「おねえさま、どうか僕に教えて!」とすがるように祈りのポーズを捧げる。


「いいけど、もうひとつ訊きたいのが小学校の時になにがあったの?」

「ああ」と照れくさそうに頭を掻いて思い出話をする敢歩。


「クラスでさ、美都里ちゃんが転校してきて間もない頃に、彼女の学校用の上履き靴を隠されるっていう、ちょっとした事件があってね。学校などでは、たまにある事件だけど。それを僕が見張っていて、犯人を見つけ出した、って事があったの」

 すると一色は「やるじゃん! 男だねえ」と言う。

「犯人の男の子に文句を言ったあと、謝らせて、彼女を家まで送ってあげた、って経緯があった。結局、その靴を隠した子は彼女への好意の裏返しで、意地悪したかっただけみたいで、ちゃんと謝ったんだけど、彼女の心の傷は癒やされなかった。転校してきた矢先だったからショックだったみたい。その帰りに自販機の缶飲料のロイヤルミルクティをご馳走してやった記憶がある。これ美味いんだよ、って言いながら。あの頃はその自販機のロイヤルミルクティが凄く好きだった」と説明した敢歩。


「ふーん、思い出のロイヤルミルクティか」と歌恋。

「美都里ちゃん、そもそもなんでミルクティなんかにこだわりがあるんだろう? どれでも一緒なのに」

 不思議そうに宙を見つめる敢歩。

 その様子を横でギロリと睨む歌恋。

「こら、ロイヤルミルクティとミルクティは違うから」と優しく訂正の釘を刺す。

「ロイヤルがつくかどうかでしょう? きっと英国の女王様や王様が好きだったからじゃないの?」

 歌恋は敢歩の鼻の頭を人差し指で数回突いた。

「この お・ば・か」

 彼は今さっき押された鼻の頭を撫でながら不服そうに「違うの?」と訊ねる。


「イギリスの一般的な紅茶は、ティーウィズミルク。日本で言うミルクティね。温めたカップにぬるめのミルクをカップの半分手前まで注いで、濃いめに濾した紅茶を入れるのよ。これが一般的なイングリッシュティ」

 ティーポットからそそぐようなジェスチャーを交えて説明する歌恋。

「へえ」と敢歩。感心している。

「で、もうひとつ蘊蓄ついでに、ロイヤルミルクティなんて名称は日本以外に存在しないわ。和製英語。なんなら商品名に近いネーミング。この日本のロイヤル・ミルクティーに一番近いカテゴリーの紅茶と言えば、スチュード・ティというヨーロピアン・ティの一種だわ」

「スチュー?」

「とろとろ煮込むって意味よ。シチューの語源と一緒だわ」

「へえ」

「さながら煮込まれた紅茶という意味になるんだけど、茶葉の段階で直接鍋にいれてお湯とミルクと一緒に煮込んでいるのよ。だがら通常のミルクティーとは味が異なるわ。出るまでティーポットのなかでじっくり濾すミルクティーと鍋の中で一緒に煮出して入れるロイヤルミルクティでは全然製法が違うのよ。まあ例えるなら。緑茶と麦茶の製法の違いかな?」

「なるほど麦茶はヤカンで煮出してから冷まして飲むよね」

「そっ」と頷く歌恋。

「いいわ。明日、私のワゴン店に美都里さんといらっしゃい。本格的なミルクのスチュード・ティを飲ませてあげる。明日は臨海公園の入り口に出店予定だから」とウインクをする歌恋。

「本当?」

 歌恋は一色の方を向くと「本来は一色さんへの相談なんだから、代役を買って出た私に感謝してくださいね」と下目遣いのどや顔で言う。そして「貸しひとつね」といたずらな笑顔で歌恋は約束をした。

 敢歩はと言うと、「明日よろしくお願いします」と歌恋に丁寧なお辞儀をした。


 若者の手助けを買って出た歌恋、結果的に彼女の世話になってしまった一色は、やれやれという表情で軽く笑うと、「しょうがねえな、今回だけだぞ。借りは作りたくないからな」とつぶやいた。一色のそれを察したのか、妻の零香はコードレスホンの子機を彼のところに差し出す。

「これでしょう?」と軽く微笑んだ。

「良くお分かりで」と一色は頭を下げた後、ハーとため息をついて受話器を握った。


 その夜、敢歩はベッドで眠りに就いていた。

 すると夢に美都里が出てきた。

 制服に学生鞄の彼女は、満面の笑みで、

「二人とも推薦で大学も受かったし、人生の新しい門出に向けて歩きましょう。私には敢歩くんが必要だわ。臆病で泣き虫の私を守ってくれるのは敢歩くんだけよ。あの幼い日に飲んだあの紅茶の味が好きなの。思い出の味なのよ。この意味分かるでしょう?」と言って、「はい」と敢歩の掌に何かを握らせた。そして煙に巻かれるように彼女の姿はそのまま煙の渦に飲み込まれて見えなくなった。


 敢歩は朝飛び起きると、食パンを口にくわえたまま、慌てて歌恋のキッチンカーの出店する臨海公園わきの広場に走る。

「歌恋さん!」

 開店準備の歌恋は朝一番に来た敢歩に驚く。

「こんな時間に来るって聞いてないわ。私てっきり放課後かと……」と言いかけた歌恋の言葉を遮り、

「うん、彼女との来るのは放課後だよ」と訂正する。

 彼女、首を傾げて、

「じゃあ、どうして?」と訊ねる。

「昨夜さ、夢でもらった物が、現実に僕が起きたときに握って持っていたんだよ」と驚きを隠せない。敢歩は狸に化かされたような顔で言う。

「見せて」

 歌恋の言葉に敢歩はポケットから五百円硬貨ほどの大きさの勾玉まがたまを出して見せた。

 歌恋は勾玉を手に取ると、ハッと顔色を変える。彼女だけが分かる美都里の正体をわかってしまったからだ。彼女はそっと敢歩にその勾玉を渡すと両手で彼の掌を畳んで、勾玉を握らせる。

「じゃあ、美都里ちゃんをここに連れてきてね。彼女の人生の試練は昔の私と似てるわ」と笑う。

 またしてもなぞなぞ合戦のパラメーターが増えて、敢歩の脳裏にはハテナマークがもう一つ増えてしまう。

「うん。じゃあ放課後に」と納得いかない様子で敢歩はそのまま学校に向かった。


 午後三時過ぎに予告通り、可愛いハーフアップの髪型をした女の子を連れて敢歩が歌恋の店にやって来た。

 歌恋は二人に含み笑いをすると、「お待ちしていましたわよ」と言って、テーブルの付いたベンチ席に座るように勧めた。

 そして「じゃあ、用意するから待っていてね」と言ってキッチンカーの奥でなにやら準備を始めていた。

 緊張しているのか敢歩は真っ赤になったまま何も話せない。その横で美都里は、潮風を浴びながら海鳥の群を見て楽しんでいる。この二人、余裕のあるなし、明暗がはっきり分かれているようだ。

 歌恋はいつものエプロン姿で車から出ると、二つのプレートを持って、二人の待つテーブルに向かう。

 そしてテーブルに置かれたプレートを見た美都里は、席に座ったまま驚いて歌恋を見上げた。

 そこには煮出したミルクティーの他に勾玉形のパンケーキもあったのだ。しかもミントチョコを上からコーティングしてまるで翡翠の勾玉そのものである。

 そして敢歩には聞こえないように、美都里に小声で「虹のむら村人むらびとは大変ね。お家の方には交際を認めてもらえたのね」と意味ありげに笑った。そして「古いしきたりに屈せずに頑張った二人の幸せを願っているわ」と笑みで賞賛する。

 美都里はぺこりとお辞儀をすると、その意味深な言葉を理解できたようで「ありがとうございます」と礼を述べた。

 もちろん敢歩には全く聞こえていない会話だ。

 歌恋は二人に背を向けて、キッチンカーに戻るときに「可愛いカップルの成立ね」と独り言を言って笑った。

 そしてお望みの紅茶と彼女の家の象徴物である勾玉を模したパンケーキに満足した美都里。まるで告白を終えた恋人は、もう日常のように腕を組んで彼女の店を後にした。敢歩は歌恋に帰るまで、ずっとお礼の連続だった。美都里の見ていない瞬間に何度頭を下げたのか分からないくらいだった。相当な感謝と見受けられる。


 その日の営業を終わりにして歌恋は、潮風食堂に向かう。そして昨日と同じように扉を開けると、まるで我が家に戻ったように声を出す。

「一色さーん。今日はとんかつ定……」と歌恋が言いかけたところで、小上がりに見覚えのある顔が二人。

「山﨑さん、夏見さん?」

 丸眼鏡にフォトグラファーベストを着た山﨑とお馴染みの黒のジャケットに偏光グラスの夏見だ。

「なに? 歌恋ちゃん、食欲旺盛だね。とんかつ食べるの?」と山﨑。

 あわてて取り繕う歌恋。

「いやだ。そんなわけありませんよ。おほほほ……」

 なかったような素振りで歌恋は、「一色さん、鍋焼きうどんをひとつくださいな」と上品に振る舞う。

 あまりに取り繕い方の下手くそな歌恋に奥の見えないところで、零香は大爆笑している。その様が見える場所にいる一色も口元が緩みにやけている。


「今日はどうしたんですか?」と前髪を右にながす素振りをしながら、自然に夏見の横の小上がりに軽く座る。もちろん靴を履いたままなので、ベンチ座りだ。でも彼女にとってはこれで十分なのだ。何かを望んでいるわけではなく、会えることの喜びに嬉しさがある。

「山﨑の付き合いでさ。バードウォッチング」

「ああ、公園内に野鳥観察のエリアがありますよね」

「そうそう、そこに来たのよ。秋になると葉っぱが落ちて見易いんだってさ」

「ああ、わかるうぅ」

 夏見と嬉しそうに話す歌恋、満面の笑み。実は山﨑と一色は歌恋の気持ちを随分前から知っていた。でも夏見の妻になる前の栄華の気持ちも知っていたのだ。だから一色が連絡をしたのは山﨑の方。夏見は何にも知らずにただ山﨑に付いてきただけである。



「敢歩くんの面倒そうな相談にのってあげたお礼ってわけですね。大変そうなお家のお嬢さんでしたものね。きっと御師の家のお嬢さんですね」と零香。

「家柄の良い家のお嬢さんは、家族親戚の説得するのに時間がかかっただろうに。そんな最終局面をしっかりとサポートして面倒見てくれたお礼さ。きっと歌恋ちゃんは自分の家が似たような旧家だからよく分かるんだね」

「なんだか『虎穴に入らずんば虎児を得ず』みたいになってますよ」と零香。

「まあ美都里ちゃん家が虎穴と言えば、言えなくもない。敢歩くんは、頑張って彼女を守っていって欲しいよ」

 頭に巻いた鉢巻手ぬぐいをとると、広げてからあらためてバンダナのようにほっかぶりして一色は、零香に「敢歩くんと美都里ちゃんに提供した歌恋ちゃんの夢メニューは、潮風食堂にはない、甘い媚薬の夢メニューって感じだね」と言う。

「ええ、こんど食べに行ってみますか、二人で」と零香。

 その言葉に「いいねえ。また君に惚れ直しちゃうかもね」と笑う一色。まるで夏見が妻の栄華に言いそうな台詞だ。

 零香は両手で顔を被うと赤面して「いやだわ、もう」と店の奥の住居部に逃げるように走り去って行った。


   了

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