43 帰国と報告
婚約式の二日後、コンスタンツァは家族と名残を惜しみながら、タリーニ王国への帰国の途についた。
「お父さま、叔母さま、今度はタリーニにいらしてね」
「ああ、楽しみにしているよ」
「コニー、ありがとう。本当にありがとう」
叔母のアマンダからは、ソフィアを無事に取り戻したことを涙ぐまんばかりに感謝された。
ルキーノほどすぐではなかったものの、アマンダもしばらく前から娘の様子に違和感を持ち始めていたそうだ。そしてルキーノと同じように、闇魔法を使われてしまっていた。しかも同じ屋敷内に暮らしているから、ルキーノと違って隙をつくことさえできなかったと言う。
薄氷を踏む思いではあったけれども、本当にソフィアを取り戻せてよかった。
前回、タリーニに発ったときとは比べものにならないほど、晴れやかな出発だ。行きと同じだけの日数がかかったにもかかわらず、不思議と帰路は短く感じられた。
王宮に戻ったらすぐに、サンドロ王の居室に挨拶に行く。
「陛下! ただいま戻りました」
「おお、お帰り」
国王は政務の手をとめ、顔を上げた。そしてコンスタンツァの隣にいるライモンドを見て、声を詰まらせた。
「ああ、本当に兄上だ」
椅子から立ち上がり、まっすぐにコンスタンツァたちを出迎えに歩いてくる国王に向かって、ライモンドはどこか居心地悪そうに「ただいま」と返した。国王は二人を室内に招き入れ、ソファーを勧める。
「さあ、詳しい話を聞かせてくれないかな。ちゃんとギャフンと言わせてきてくれたかい?」
「もちろんです。きっちり報いを受けさせましたよ」
「ギャフンというより、最後までギャアギャアと往生際が悪かったけどね」
生真面目に報告するコンスタンツァに被せるようにして、ライモンドが茶々を入れた。コンスタンツァが横目でライモンドをにらむ様子を、サンドロ王は楽しそうに声を上げて笑う。そのままコンスタンツァとライモンドは、互いの話を補い合うようにして、パルマ王国での出来事を国王に話して聞かせた。
そして最後に、魔女のまき散らした呪いの後始末まで含めて、すべて終えてきたことを報告する。話を聞き終わると、サンドロ王は満足げに吐息をついてから、コンスタンツァに微笑みかけた。
「ありがとう。もうこれで、思い残すことは何もない」
急にコンスタンツァは、落ち着かない不安な気持ちになってきた。これではまるで、別れの時がすぐそこまで迫ってきているかのように聞こえてしまう。彼女はそれを「年齢が年齢だから」などと割り切る気持ちにはなれなかった。だって、もうすっかりこの年老いた国王のことが好きになってしまっていたからだ。
何と言ったらよいのかわからず、彼女が悲しい気持ちでうつむいていると、サンドロ王は「ああ、でも」と笑いながら続けた。
「コニーの結婚くらいは見届けたいかなあ」
「そうです! そうしてくださいませ」
彼女はパッと顔を上げ、即座に念を押す。国王は「そうだね」と相づちを打ってから、また続けた。
「でもパルマでの問題は、無事に解決した。もう無理にこの国で結婚する必要はないからね」
「ちょっと待った。話が違うぞ」
ここでライモンドが焦った顔で割って入った。
「僕の婚約者にするってことで、賛成してくれたじゃないか」
「そうでしたっけ?」
ライモンドの抗議に対して、国王はそらとぼけてみせる。そのままニヤニヤと楽しそうな表情で、ライモンドのもの言いたげな視線に気づかない振りを続けていたが、しばらくすると「冗談ですよ」と弾けるように笑い出した。そしてコンスタンツァに向かって身を乗り出し、打ち明け話をするように声を落とした。
「兄上はね、鏡から解放されてまず最初に連絡してきたのが『コニーの婚約を譲ってくれ』だったんだよ。もっと他に言うことがあるだろうって思うよねえ」
コンスタンツァも吹き出す。彼女は冗談だと思って聞いていたのだが、ライモンドはきまり悪そうにふいっと視線をそらした。そして、ふてくされた声で文句を言う。
「お前、いい性格になったな」
「そりゃあ、長いこと生きてきましたからね」
「生きてきた年数なら、僕のほうが上じゃないか。お前より二つ上だから、もう八十四歳だ」
これを聞いてサンドロ王は、「いったいどこが八十四歳なのだか」と鼻で笑った。
「私の目にはね、兄上、あなたは立派に青二才ですよ」
「どこがだよ? 確かに見た目は変わってないけど、生きてきた時間はお前より長いんだぞ」
「いいや、違います。鏡の中にいる間、兄上の時間は止まっていた。体の時間が止まっていただけでなく、人生も止まっていたんです」
人を食ったような笑みを浮かべて、サンドロ王は楽しそうだ。対するライモンドからは、いつものひょうひょうとした余裕が消えている。そんな二人のやり取りを眺めていて、コンスタンツァは「あら?」と思った。
(陛下はお兄さまによくからかわれたとおっしゃっていたけど、からかって遊んでおいでなのは、どう見ても陛下のほうではなくて?)
見た目の年齢が追い越されたのに合わせて、立場も逆転したのだろうか。いくらかむきになった様子のライモンドは、不思議と外見どおりの年相応に見えた。ムッとした顔で言い返している。
「そんなことはない。ずっと鏡から王宮の中の出来事を眺めていたんだから」
「つまり見ていただけだ。そんなのは生きていたとは言えません。人生っていうのはね、経験なんです。ただ見ていただけでは、経験なんて積めやしない。だからあなたの人生は、あの日からずっと止まっていたんですよ」
サンドロ王の顔はからかう表情から穏やかな笑みに変わっていたが、ここで一転して真顔になった。
「コニーと出会ってからは、多少は違ったかもしれません。でもそれまで鏡の中での兄上は、本当の意味では生きていなかった。いつ果てるとも知れない眠りに就いて、夢を見続けていたようなものだ。でも、これからは違う」
空気の変化を感じ取ったのか、ライモンドはもう反論しようとはしなかった。
「私の人生は魔女にめちゃくちゃにされてしまったが、それは私生活に限った話なのが不幸中の幸いです。王としては、十分な人生を送ってきました。長く生きてきただけあって、いろいろ経験しましたよ。何も悔いがないとは言いませんが、まあそれも含めて人生です」
サンドロ王が話しかけている相手はライモンドだが、コンスタンツァもじっと耳を傾けていた。何かとても大事な話のような気がしたのだ。
「だから兄上も、しっかりと生きてください。兄上の人生は、これからだ。どうかたくさんのことを経験していってください」
「うん」
ライモンドが神妙にうなずくと、サンドロ王は満足そうに微笑む。そこへ入り口の扉をノックする音が響いた。国王が「お入り」と声をかけると扉が開き、壮年の侍従が姿を現してお辞儀をした。
「ご歓談中、失礼いたします。陛下、間もなく閣議のお時間ですが、いかがなさいますか」
「ああ、すまない。今行く」
サンドロ王は「仕事があるので、失礼するよ。また後で」と言いながら席を立ち、侍従を伴って部屋を出て行った。その際、二人の座るソファーの後ろを通っていきながら、ついと身をかがめ、ライモンドの耳に何かささやく。
いったい何だろうかとコンスタンツァがその様子を不思議そうに眺めていると、顔を上げた国王と目が合ってしまった。サンドロ王はにこりと微笑んだだけで、彼女には何も言わない。ライモンドの肩をポンとひとつ叩いて、去っていった。そして部屋の中には、コンスタンツァとライモンドの二人が残されたのだった。




