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03 資料探し

 落ち着いて話ができるようになると、コンスタンツァは自分の側もいい加減失礼だったことに気づいてしまった。いくら相手が失礼だったからといって、子どものように食ってかかるなど、淑女のすることではない。


 彼女は悄然と青年に向かって謝罪した。


「かんしゃくを起こして、ごめんなさい。わたくし、とても失礼でした」

「いや。失礼だったのは、僕のほうだ。せっかく声をかけてくれたのに、返事もせずにいてごめん。まさか話しかけてくる人がいるとは、思ってもみなかったものだから」

「事情がおありだったのですもの。仕方のないことだわ」


 急にしおらしくなってしまったコンスタンツァに、鏡の中の青年は苦笑する。


「ところで、どうしてわざわざ声をかけてくれたの?」

「探したい本がどこにあるか、助言をいただけないかと思って」

「なるほど」


 ここでコンスタンツァは、自己紹介もまだだったのを思い出した。もう礼儀も何もあったものではない。出会い頭にかんしゃくを起こしたせいだ。


 まあ、終わったことは仕方ない。切り替えが早いのは、彼女の長所のひとつである。今さらではあるがきちんと名乗っておこうと、彼女は姿勢を正してお辞儀とともに名を名乗った。


「わたくし、コンスタンツァ・オルドリーニと申します」

「ご丁寧にどうも、美しいお嬢さん。お会いできて光栄です」


 含み笑いとともに、青年もお辞儀を返す。しかし、彼は名乗り返さなかった。代わりに、すまなそうにこう言った。


「ごめんね。自己紹介を返したいけど、僕には名前がないんだ」


 コンスタンツァは一瞬、意味がわからず目をまたたかせた。どう見ても身分ある人物に、名前がないなんて。


 けれども、すぐに思い直した。この青年はこれまで六十年ほどもの長い間、ずっと誰の目にも映らず、声も聞こえずに過ごしてきたのだ。話す相手がいないのだから、名を呼ばれることもなかっただろう。


 とはいえ、名前がないのは不便だ。呼びかけることもできない。


「だったら、わたくしが付けて差し上げるわ」

「うん。頼むよ」


 青年は愛想よく相づちを打ち、期待に満ちた眼差しをコンスタンツァに向けた。彼女は少しだけ「そうね……」と考え込んだが、即断即決もまた彼女の長所のひとつだ。すぐに彼の名前を決めてしまった。


「ミラーにしましょう。あなたはミラーよ」

「えええ……」


 キリッと朗らかに名前を告げたコンスタンツァは、ミラーの口から漏れた気の抜けた声に「あら?」と眉をひそめた。


「何かご不満?」

「まさか」


 ミラーはいかにも取ってつけたような笑みを浮かべ、そらぞらしく礼を言う。


「名前をありがとう。シンプルでわかりやすい、いい名前だね。決してダサいとか、名前じゃなくてただの一般名詞じゃないかとか、そんなことを思ったわけじゃないんだ」

「ダサい、ただの一般名詞だと思ったのね……」

「やだなあ。だから、思ってないって言ってるじゃないか」


 うろんげにミラーをにらむコンスタンツァの前で、彼は嘘くさい笑みを崩さない。明らかにからかわれている。怒るべきか、無視するべきか、しばし彼女が悩んでいると、ミラーは笑い声を上げた。


「ごめんごめん、気を悪くしないで。あまりにもきみがかわいいものだから、ついからかいたくなってしまった。短くて呼びやすいし、本当にいい名前だと思うよ」

「それならよかったわ」


 コンスタンツァは疑わしげに眉根を寄せながらも、謝罪を受け入れた。だが、どうしても素直には受け取れない。まだからかわれているのではないかと、つい身構えてしまう。


 だって社交界に出る年齢になってからというもの、「かわいい」なんて言われたことは一度もないのだ。美人とならよく言われるが。彼女がかわいいと言われたのは、せいぜい十歳くらいまでの幼い頃だけ。


 そんなコンスタンツァの心情を知ってか知らずか、ミラーは邪気のない笑顔で彼女に尋ねた。


「それで、探したい本ってどんな本?」

「貴族年鑑か、または王家の家系図よ」

「へえ。王家の何を調べたいの?」

「国王陛下のこと。わたくしが嫁ぐかたについて、最低限の知識を得ておきたいの」

「え、国王?」


 ミラーはあっけに取られたように、聞き返した。コンスタンツァは事もなげに「そうよ」と返す。


「僕の知らない間に、代替わりしてたりしないよな?」

「してないと思うわ。してたなら、国王陛下じゃなくて女王陛下のはずですもの」

「えええ……。いくら何でも、年の差がありすぎじゃないか?」

「そうなの?」

「娘どころか、孫でも全然おかしくないくらいの年齢差だよ」

「まあ」


 彼女が想像していたよりずっと、この国の王は高齢のようだ。そのような高齢で、その上「お加減が優れない」とくれば、結婚してうまくやっていけるかどうか以前に、寿命が心配だ。コンスタンツァは途方に暮れて、眉尻を下げた。


「困ったわ。わたくし、早く国王陛下と結婚して、陛下のお心をつかまないといけないのに」

「その心意気は見上げたものだけど、政略結婚なんだろう?」

「政略と言えるかは微妙なところだけど、恋愛結婚でないのは間違いないわね」

「だったら、そこまでする必要ないんじゃない?」

「いいえ。恋愛結婚でないからこそ、何としてでもお心をつかむ必要があるのよ」


 どんな状況にあろうと前向きに努力できることも、彼女の長所のひとつである。ミラーはコンスタンツァを痛ましそうに見やった。


「どうしてそこまでするの?」

「お願いを聞いていただくためよ。できれば、若くて美しい娘には簡単にでれでれしてくださるかただとありがたいのだけど」

「いや、きみ、そんな男でいいの……?」

「もちろんよ。国の最高権力者ですもの」


 こうと決めたら割り切りが早いのも、彼女の長所のひとつなのだ。あっけらかんとコンスタンツァが言い放つと、ミラーは頭痛をこらえるようにして額に手を当てた。


「いったいどんなお願いをしようとしてるんだ……」

「復讐よ!」


 ミラーは絶句した。

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