25 コルネリアの祝福 (2)
ところが私とマリアンジェラが正式に婚約してしばらく経った頃から、ネリーに関しておかしな噂が立つようになった。ネリーがマリアンジェラを妬んでいじめたとか、根も葉もない中傷のような噂だ。私たちの婚約を後押ししてくれたネリーが、マリアンジェラを妬んだりするはずがないのに。
私はもちろん、私の両親や、彼女の両親も火消しにやっきになったよ。なのに、消えなかった。普通であれば、考えられないことだ。だって王家と公爵家が、足並みをそろえて本気で火消しをしたんだから。にもかかわらず、噂が消えないんだ。何かがおかしかった。
そこへパルマ王国のサンチェス公爵家から、ネリーに縁談が持ち込まれた。これはまさに、渡りに船だった。この国にいても、彼女がしあわせになれることはないだろう。だったら大事にしてくれる者に託すのがいい。
そうして彼女は、この国を離れることになった。
ネリーは国を離れる間際まで、私のことを気にかけてくれたよ。わざわざ出立前に王宮に挨拶に来てね、祝福の魔法を使ってくれたんだ。
「光の精霊ソリステア、どうか力を貸したまえ。サンドロ王子殿下がこの先も変わらず、身も心も健やかでありますように」
その瞬間、不思議なことが起きた。私の頭が急にクリアになったんだよ。それまで自覚していなかったけれども、ずっと頭の中の一部にもやがかかったような状態になっていたらしい。ネリーの祝福のおかげで、このとき初めてそれに気がついた。
そしてね、もやが晴れた状態になって初めて、マリアンジェラの様子がおかしいことにやっと気づいたんだ。様子がおかしいというか、以前と違うというか、とにかく私のマリアンジェラじゃないんだよ。
姿かたちも声も、彼女のものに違いない。なのに何というか、雰囲気が違うんだ。あの愛らしかった、私のマリアンジェラじゃない。話し方もしぐさも、うまく似せてはいる。けど、違うんだ。彼女じゃない。薄気味悪さにゾッとした。
なのに、誰もそれに気づいていない。それどころか自分自身さえ、マリアンジェラと話すと、また頭にもやがかかってしまう始末さ。きっとネリーの祝福のおかげで、一時的に心の健やかさを取り戻しただけだったんだろう。
ただ、ネリーの祝福は、その後もずっと効力を発揮し続けていたと思う。祝福を受ける前はずっと頭にもやがかかったままだったのに、マリアンジェラから離れている間はもやが晴れるようになったから。
* * *
「──だからね、私が今こうして正気を保てているのは、ネリーのおかげなんだ」
サンドロ王がこう話を締めくくると、コンスタンツァは「そうでしたか」と相づちを打ったきり、しばらく考え込んでしまった。彼の話は、興味深かった。それはもう、質問攻めにしたいくらいに興味深かった。
いぶかしげに彼女を見守る国王に、コンスタンツァは改まったように「陛下」と声をかけた。
「なんだね?」
「お兄さま、つまりライモンド殿下が姿を消したときのお部屋は、どのお部屋でした?」
「兄の居室だよ。王太子の部屋だ」
「そのお部屋は、どちらにありますか?」
「この部屋のちょうど下のあたりかな。一階にあるんだよ」
コンスタンツァは「そうなのですね」とうなずいてから、重ねて質問をする。
「そのときライモンド殿下がお召しになっていた衣装は、何色だったか覚えてらっしゃいますか?」
この質問に、サンドロ王は記憶をたどるように眉根を寄せたが、ややあってから首を横に振った。
「すまない。覚えていないな。何しろ、遠い昔のことなのでね」
「もしかして、深い藍色ではありませんでしたか? 上着のえりと袖口に金糸の刺繍があって、打ち合わせには胸から裾にかけて、金と銀の糸で王家の紋章をモチーフにした刺繍が施されていなかったでしょうか」
これには国王は目を丸くした。
「まるで見て来たかのように言うじゃないか。そうだ、それは兄が気に入ってよく着ていた上着だよ」
今度はコンスタンツァが「まあ」と目を丸くした。そしてチラリと、壁にかけられた大きな姿見に視線を走らせる。
そこにはソファーに座って足を組み、静かに彼女たちの会話に耳を傾けている、ミラーの姿があった。コンスタンツァはサンドロ王の話を聞くにあたり、ミラーも一緒に聞いたらどうかと誘ったのだ。彼女がサンドロ王に伝えたのは、彼が着ている上着の描写だった。
彼女が彼に向かって眉を上げてみせると、ミラーは腕を広げて自分の上着を見下ろした。そして、かすかに眉根を寄せる。そのミラーに向かって、コンスタンツァは単刀直入に尋ねた。
「ねえ、ミラー。あなた、実はライモンド殿下なのではなくて?」
「なんだって⁉」
驚きに声を上ずらせたのは、サンドロ王だ。
「兄上がどこかにいらっしゃるのか?」
「いいえ、それはまだわかりません」
コンスタンツァは国王を振り返り、申し訳なさそうに「頭のおかしい娘と思われそうなので、黙っておりましたが」と前置きをしてから、図書室でミラーと知り合った話をした。
「ずっと精霊だとばかり思っていたのですが、お話を伺って、もしやと思っただけなのです」
「なるほど、そうだったのか。で、その精霊どのは、そちらの鏡においでなのかい?」
「はい」
コンスタンツァはミラーに向かって再度尋ねた。
「それで、あなたはどうお思い?」
「どうって言われてもなあ。僕はそのライモンド王子のことなんて、何も知らないし」
「では、質問を変えるわね。あなたの生まれた場所は、この宮殿の中のどこだったの?」
「この棟の一階だよ」
「ほら! やっぱり王太子殿下のお部屋だったのではなくて?」
コンスタンツァが勝ち誇った顔で尋ねると、ミラーは苦笑しながら「いや」と首を横に振った。
「王太子の部屋ではなかったよ。別の部屋だった。近くではあったけどね」
なんとも拍子抜けする答えが返ってきた。




