21 サンドロ王 (2)
甘すぎる王に、コンスタンツァは笑ってしまう。とはいえ、遠慮するつもりもない。甘えてよいのなら、がっつり甘える所存である。そして思う存分甘えるためには、何をおいてもまず、よくなってもらわねばならない。
おまじないが効いてはいるようだが、念のため、もうひとつの呪文を試しておくことにした。
「光の精霊ソリステア、どうか力を貸したまえ。サンドロ王のお加減がよくなりますように」
この呪文でも、キラキラと光の粒が現れた。ただし、今回それが現れたのはサンドロ王の上ではない。どうしたことか、ベッド脇に置かれたサイドテーブルの上に降り注いだ。コンスタンツァは思わず「え?」と間の抜けた声をもらして、侍女長グレタを振り向いた。
グレタも不思議そうに首をひねって、侍医長と顔を見合わせている。
「どうしてテーブルなのかしら。何か置いてあるの?」
コンスタンツァが疑問をこぼすと、ルーベンが「まさか……」とつぶやいた。
「あら。何か心当たりがおあり?」
「心当たりというわけではないのですが」
彼女の問いに、ルーベンは半分うわの空といった様子で答え、サイドテーブルの引き出しを開けた。そこには陶器の器に、薬包がきれいに並べられている。彼はその器をサイドテーブルの上に出して、中から薬包を取り出し、包みを開いた。不思議なことに、中には何も入っていない。薬包なのに。
ルーベンは呆然と空っぽの包み紙を見つめ、力なくつぶやいた。
「ああ、なんということだ」
「どうかなさったの?」
侍医長の様子がおかしいことに気づき、コンスタンツァは理由を尋ねた。
「これは陛下に服用していただいていた薬です。もともとは粉薬が入っていました。ところが、今はご覧のとおりです」
ルーベンの説明に、コンスタンツァは驚く。彼女の願いは、国王の快癒だった。にもかかわらず、魔法の光が降り注いだのは国王自身ではなく、国王の服用している薬の上だった。しかもその結果、薬包の中身が消えているということは──。
「もしかして、お加減を悪くしていたのは、このお薬が原因だったということ……?」
「あまり考えたくはありませんが、そうとしか……」
侍医長は悲痛な面持ちで同意するが、コンスタンツァは自分で言っておきながら納得できかねた。
「このお薬は何のためのものなの? それに、いったい誰が処方したものなのかしら」
「イラーリア王女殿下の処方された、頭痛薬でございます」
「え、イラーリア王女が?」
「はい。幼い頃から母上に学んでおいでで、優れた薬師でいらっしゃるのです」
「幼い頃から……?」
ルーベンの言葉に、コンスタンツァは引っかかった。イラーリア王女の名は、四年前の貴族年鑑には載っていなかったのに。名前の載っていない時期から、すでに王女として過ごしていたというのだろうか。
「王女殿下の幼い頃のことを、ご存じなの?」
「え? ええ。ずっと王宮で侍医をしておりますから」
質問の意図がわからず、ルーベンは戸惑った様子だ。
「お小さい頃の王女殿下は、どんな子どもだったの?」
「私は陛下の侍医ですから。お子さまのことは、診ておりませんでしたな。そういうことでしたら、侍女長のほうが詳しいのではありませんか?」
話を振られたグレタは、しかし、首を横に振る。
「わたくしは乳母ではございませんので。お小さい頃のことは、あまり存じません」
「だったら、乳母の名はわかる?」
「乳母ですか。だいぶ前に辞めておりまして。何という者でしたかしら……。申し訳ございません、失念いたしました」
王女がこの王宮で生まれ育ったことには、二人とも疑問を抱いていない様子だ。にもかかわらず、どちらも王女の子ども時代のことは知らないと言う。奇妙だ。気にはなるが、この件はいったん脇に置くことにした。病床にある国王の前で、病気と直接関係のない話をだらだらと続けるべきではない。
コンスタンツァはサンドロ王に向き直り、今尋ねるべきことを質問をした。
「陛下は今、頭痛はおありですか?」
「さっきのおまじないのおかげで、すっかりよくなったよ。こんなにきれいに頭痛が消えたのは、本当に久しぶりだ」
「それはようございました。でしたら、もう頭痛薬などなくても大丈夫ですね」
「そうだな」
「おまじないなら、いくらでもして差し上げます。いつでもお声かけくださいませね」
「ああ。ありがとう」
「お声かけなどなくても、勝手にかけにまいりますけどね!」
コンスタンツァが朗らかに宣言すると、サンドロ王は楽しそうに笑いながら「それは助かる」と言った。目覚めたときに比べて、見るからに顔色がよくなっている。それでも、少しばかり疲れた様子が見受けられた。
彼女が侍医長の様子をうかがうと、ルーベンはチラリと入り口の扉に目配せしてみせた。そろそろ退出すべきとの合図だろう。コンスタンツァはサンドロ王に「またまいります」と挨拶をして、グレタとともに寝室を辞した。
グレタは寝室を出ると、感激した様子で涙ぐまんばかりにしてコンスタンツァに頭を下げた。
「陛下があのようにお元気そうなのは、いつぶりでしょうか。ありがとうございました」
「気休めでも何でも、陛下のお役に立てたならよかったわ」
「気休めなものですか! お嬢さまだって、陛下のお顔色をご覧になったでしょう? 昨日までとは、まるで違います。本当に、本当にありがとうございました」
実際、光の粒が降り注ぐという謎の現象が起きているわけで、ただの気休めではないのかもしれない。いずれにしても、目下のところ一番の目標があっさり達成できてしまった。国王から「できることなら、何でもする」との約束をとりつけたのだ。これ以上の成果はない。
昼食後、コンスタンツァはさっそく図書室を訪ねた。
「ミラー!」
「やあ、コニー。ずいぶんとまた、ご機嫌のようだね」
いつの間にやら、ミラーからは愛称で呼ばれるようになっている。
「うふふ。わたくし、やったわよ」
「やったって、何を?」
「何でもお願いを聞いてくださるって、陛下に約束していただいたの!」
「へえ、すごいじゃないか。どうやってじいさんを籠絡したの?」
相変わらずのじいさん呼ばわりに、ついコンスタンツァは小言をこぼしそうになる。が、呆れた視線をミラーに投げかけるにとどめ、小言はのみ込んだ。
「籠絡なんてしてないわ。ただおまじないをして差し上げて、かなえていただきたいお願いがあるから、早くよくなってくださいと申し上げただけよ」
「すばらしい。あのじいさんに、そこまで遠慮なく単刀直入にものが言えるのは、きっときみくらいだよ」
「無礼な娘だとおっしゃりたいのかしら?」
「まさか。自分の魅力を十二分に活用した、見事な手並みだと言いたかっただけだよ」
嘘くさい笑みを貼り付けたミラーに、コンスタンツァはうろんげな眼差しを向けた。




