14 ミラーの世界 (1)
翌朝、朝食を済ませた後、コンスタンツァは再び図書室を訪れることにした。ホリーは分厚い二冊の本を抱えて先導する。彼女が本を書架に戻すのを待って、コンスタンツァは指示をした。
「ご苦労さま。また調べ物をするから、あなたはお部屋で休んでてちょうだい。もう場所を覚えたから、ひとりでも戻れるわ。もし昼食の時間になっても戻らなかったら、呼びにきてくださる?」
「いいえ、廊下で待っております」
ホリーが素直に指示に従わなかったことに、コンスタンツァは眉をひそめた。
「あんなところで立ち続けていたら、くたびれてしまうでしょう。わたくしは大丈夫だから、お部屋に戻っててちょうだい」
「いいえ、廊下で待っております。不埒な者が入り込まないよう、見張りも兼ねておりますから」
ホリーはとても職務に忠実だった。少々忠実すぎるような気もするが、彼女の言うことにも一理ある。コンスタンツァは苦笑とともに「わかったわ」と受け入れ、ホリーに「またね」とヒラヒラと手を振った。
図書室入り口のドアが閉まる音が聞こえてから、コンスタンツァは奥へと向かう。ミラーは今日も最奥の長椅子に腰を下ろして本を読んでいた。
「ごきげんよう」
コンスタンツァが声をかけると、彼はすぐに本から顔を上げ、「やあ。おはよう」と朗らかに挨拶を返す。
「どうだった? 何か収獲はあったかい?」
「ええ、ありがとう。お陰でホリーの問題を解決できたわ」
「すごいな。解決までしたのか」
「完全にではないけどね。まあ、完全解決も時間の問題だと思うわよ」
ミラーの賞賛に機嫌をよくしながら、コンスタンツァは前日のホリーとのやり取りを話して聞かせた。話し終わってから、ふと不思議に思って尋ねる。
「あなた、よくあの子の事情をご存じだったわね。鏡の中から眺めることしかできないとおっしゃってたのに。あの子はここでいじめられたこともあったの?」
「うん、まあ、それもあるかな」
またしても含みのある言い方だ。
「それ以外にもあるということ?」
「うん」
「それはどこなの?」
「一番多いのは、衣装部屋だね」
なるほど、侍女たちが集まっておしゃべりしそうな場所だ。そう思えば納得のいく答えではある。だが同時に、納得できない答えでもあった。図書室の鏡に憑いている精霊が、いったいどのようにして衣装部屋での出来事を知ったと言うのだろう。コンスタンツァは眉根を寄せて首をひねる。
「衣装部屋のことなんて、どうしてご存じなの?」
「あの部屋にも大ぶりの鏡があるんだよ」
当たり前のことのようにミラーから返され、コンスタンツァは「え」としばし言葉を失った。
「この鏡じゃなくても、鏡があればどこでも部屋の中がのぞけるということ?」
「そうだよ。あれ、言わなかったっけ?」
「聞いてないわよ!」
なんということだ。誰にも知られることなく、偵察のし放題ではないか。そう思ったら、コンスタンツァの頭の中にひとつの考えがひらめいた。
「だったら、陛下のご容態もご存じ?」
「それは知らない。普通は寝室に鏡なんて置いてないだろう? 僕だって別に、じいさんの寝顔になんて興味ないし」
「ミラー、あなたって本当に失礼ね……」
「いや、失礼とかそういう問題じゃないと思うけど」
失礼を失礼とも思わぬこの言い草に、コンスタンツァは呆れてしまう。国王陛下をじいさん呼ばわりするなど、最上級の失礼ではないか。もっとも考えてみれば、人間の身分など、精霊のミラーにとっては何の意味もないことかもしれないのだが。
気を取り直して、別方向から質問をしてみることにする。
「なら、王女殿下のご容態はご存じではなくて?」
この質問にも、ミラーは「知らない」と首を横に振った。
「まあ、そうよね。鏡なんて置いてないでしょうし、たとえあったとしても、女性の寝室をのぞき見するなんてどうかと思うものね」
「それもあるけど、あの人にはできるだけ近寄らないようにしてるんだ」
「そうなの?」
「うん。どうにも薄気味悪い人だからさ。何かの間違いで目が合ったらと思うと、気持ち悪くて、とてもじゃないけど近寄る気になれない」
「薄気味悪い……?」
ミラーのこの言葉に、コンスタンツァは首をひねった。実は彼女は、イラーリア王女と面識がある。一年ほど前に、王女がパルマ王国を訪問したことがあるからだ。
ソフィアが「滞在中は、わたしがお世話をして差し上げるわ!」と張り切っていたので、何か粗相をしでかしやしないかと冷や冷やしたものだが、イラーリア王女はなかなかに鷹揚な人物だった。お世話をするというよりはただまとわりついているだけのソフィアを、うっとうしがることもなく、かわいがってくれた。
だからコンスタンツァには、薄気味悪いと言われてもまったくピンと来ないのだ。
彼女の様子を見て、ミラーは皮肉げな笑みを浮かべた。
「きっときみも、貴族年鑑を見たら同意してくれるよ」
「あら、もう見たわよ?」
「うん。最新版だけでは、わからないだろうね。もっと古い版を見ないと」
「そう。いつのものを見ればいいの?」
貴族年鑑はタイトルに「年鑑」とついているとおり、毎年刊行される。前日彼女が見た書架には、最新版だけが置かれていた。旧版は別の書架にまとめられている。ミラーはその書架のほうを、手で指し示した。
「入り口に向かって左端の書架に、年代順に並んでいるよ。四年前のものから順に見てごらん」
いぶかしく思いながらも、コンスタンツァはミラーの指示どおり四年前のものから順に貴族年鑑を開いてみた。
四年前なら、サンドロ王の二番目の妻、ラウラ妃がまだ存命中である。だから王家の項目には当然、サンドロ王の後にラウラ妃の記載が続いていた。そしてさらにイラーリア王女の名が続くはずなのだが、どうしたことか王家の項目はそこで終わってしまっているではないか。
(あら? イラーリア王女はどこ……?)
何度ページを行ったり来たりしてみても、王女の記載がない。
眉間にしわを寄せながら、彼女は三年前の貴族年鑑を手に取った。そして王家の項目を開いてみて、目をむく。そこにはラウラ妃の項目に続いて、四年前の貴族年鑑には影も形もなかったイラーリア王女の名が、さも以前からずっと載っていたかのように記載されていたのだ。




