12 侍女ホリーの秘密 (3)
そうこうするうち、イラーリア王女の具合が悪くなり、髪結いに呼ばれることがなくなった。そして代わりに、コンスタンツァがパルマ王国からやってくる。
王妃となるためにやってきたこの娘は、しかし、大変に前評判がよろしくなかった。わがままが激しいとか、高慢でかんしゃく持ちだとか、身持ちが悪いとか、底意地が悪くて使用人に当たり散らすとか、聞けば聞くほどにひどい。
噂を信じた先輩侍女たちは、コンスタンツァ付きとなることを拒否する。そして彼女たちは「イラーリア王女付きだったホリーこそ、新しく迎える王妃付きにふさわしい」などとそらぞらしい理由をつけて、ホリーを侍女長に推薦した。こうして先輩侍女たちに押しつけられるようにして、彼女はコンスタンツァ付きとなったのだった。
その際、先輩たちからはたっぷりとコンスタンツァの悪辣ぶりを語り聞かされ上、散々に脅された。
「新しいお妃さまはきっと、侍女の質にも厳しくていらっしゃるわよ」
「どもるような愚鈍な侍女は、お嫌いだと思うわ」
「そもそも王宮侍女にふさわしくないわよねえ」
「どもったりしたら、むち打ちの上でクビよ、クビ」
「おお、こわい」
口々にはやし立てられて、ホリーは震え上がってしまった。
だからといって、彼女には王宮侍女を辞するなんてことは考えられない。せっかく難関を突破して得た職なのだ。姉たちに持参金の心配をさせないために、石にかじりついてでも王宮侍女の職を死守せねばならなかった。
追い詰められたホリーは、恥を忍んで侍女長に吃音で困っていることを相談した。すると侍女長は、親身になって話を聞いた上で「よく使う言葉だけでも、どもらずに言えるよう練習してみたらどうかしら」と提案した。その上で、仕事の合間に時間を割いて、練習に付き合うことまでしてくれた。
練習した言葉だけは何とかすらすらと口から出るようになった頃、コンスタンツァがやって来た。最初の顔合わせと、基本的な説明は侍女長が受け持ってくれた。ホリーの仕事は、日々の世話だ。
侍女長は別に、練習した言葉以外をしゃべってはいけないなどとは言っていない。けれどもホリーは、コンスタンツァの前でそれ以外の言葉を使おうとすると、緊張と恐怖で喉がキュッと締まってしまう。どもる以前に、声が出てこない。
実際にコンスタンツァに仕えてみれば、前評判などまったく当てにならないとわかったけれども、それでも失敗はこわい。失礼で申し訳ないと思いながらも、どもらずに言える言葉だけを使って仕事をしていた、というわけだった。
ホリーから話を聞き終わったコンスタンツァは、すっかり呆れ顔だ。
「まったく、ろくでもない侍女たちね」
コンスタンツァはしばらく思案してから、ホリーに指示をした。
「いいこと、今度その者たちに絡まれたら、わたくしのところに連れてきて紹介なさい。あなたに関わりを持つ侍女はひとり残らず、名前と顔を覚えておきたいから。わたくしにそう命じられたと言って、必ず連れてくるの。必ずよ。よろしくて?」
「かしこまりました」
自信なさげながらも、ホリーはうなずく。コンスタンツァは「大変結構」と満足げに微笑んで、侍女の顔をのぞき込んだ。
「これからは、普通にお話ししてくださる? どもったってかまわないから」
「かしこまりました」
「でもね、どうしてもどもらずに話したいときには、とっておきの裏技があるの。知りたかったら、いつでも聞いてちょうだい」
「お、教えてください!」
すごい勢いで食いついたホリーに、コンスタンツァは「よくってよ」と機嫌よさそうに笑う。
「そうね、ではまず、何か歌を歌ってくださる? 何でもいいわ」
「かしこまりました」
脈絡のない要求にまごついた顔をしつつも、ホリーはひとつ咳払いしてから誰でもよく知っている民謡を歌い出した。思いのほか澄んだ伸びやかな歌声に、コンスタンツァは軽く目を見張る。歌が終わると、彼女は惜しみなく拍手を贈った。
「素敵だったわ。いい声ね」
「あ、ありがとうございます」
「今、歌っている間にあなたは一度でも、どもったかしら?」
この質問に、今度はホリーが目を見張る。
「いいえ」
「でしょう? 不思議と歌うときには、どもらないものなのですって。だから裏技っていうのはね、歌うように話すことなの。オペレッタの女優になったつもりで、歌うように声を出してごらんなさい」
コンスタンツァがふざけて「こんなふうにね」と、この言葉自体にオペラ調のメロディーをつけて高らかに歌ってみせると、ホリーはこらえきれずに小さく吹き出した。
「実際に話すときには、ふしをつける必要はないのよ。ただ、歌うときのようにお腹から声を出すと、どもりにくくなるんですって。これは、さっきお話しした従兄弟からの受け売りよ。慣れないうちは、お腹に手を当てるといいわ」
コンスタンツァに「試してごらんなさい」と水を向けられ、ホリーは腹部に手を当てて背筋を伸ばす。
「やってみます」
「ほら! その調子よ」
どもることなく、するりと言葉が出たことに、ホリー自身が驚いたように目を大きくする。そしてまたもや、ぽろりと涙をこぼした。それを見て、コンスタンツァはあわてふためく。なぜかまた泣かせてしまった。
「やだ。もう、なんで泣くのよう……」
「申し訳ございません」
周章狼狽の主人を見て、ホリーは泣き笑いの顔を見せた。
「うれしくて……」
「そんなことで泣かないでよ!」
文句を言いながら、コンスタンツァも笑ってしまう。
「もともと子どもの頃に、吃音は治まっていたのでしょう? だったら意地悪さえされなければ、そのうちまた自然に治ってしまうと思うわよ。まあ、あまり気にしないことだわ。少々どもったって、誰も何も困りはしなくてよ。いちいちとがめるほうが、どうかしてるの」
「はい」
普通の会話を解禁してみれば、ホリーは決して無口な娘などではなかった。かといっておしゃべりなわけでもないのだが、話しかければいつでも明るく返事をするし、お茶に付き合わせれば、コンスタンツァに問われるがまま、王宮内のあれこれを面白おかしく語り聞かせる。コンスタンツァにとっては、ちょうどよい情報源だ。
それに吃音を気にしていたはずなのに、どもることも滅多にない。緊張が解けたおかげだろうか。この様子なら、本当にじきに治まってしまいそうだ。




