01 歓迎されざる婚約者
一週間前から滞在している王宮の客室で、コンスタンツァは不機嫌を隠すこともなくため息を吐き出した。彼女の目の前では、侍女のホリーが顔色を悪くして、うつむき加減にひたすら謝罪を続けている。
「申し訳ございません」
「謝らなくて結構よ。わたくしは、お見舞いさえできない理由を知りたいだけなの」
「申し訳ございません」
まるで会話にならない。これではコンスタンツァでなくとも、ため息がこぼれようと言うものだ。
コンスタンツァはちょうど一週間前、このタリーニ王国の国王と婚姻を結ぶために、隣国パルマからやって来た。ところが彼女は、肝心の国王とまだ一度も顔を合わせていないのだ。食事は毎回ひとり。国王には娘がひとりいるはずだが、その王女とも会っていない。
国王に面会したいと侍女に伝えても、「ただいまお加減が優れず……」と言葉をにごされる。それでは、と見舞いを申し入れてみたが、これも通らない。なぜ見舞いさえさせてもらえないのかと尋ねてみれば、ひたすら謝罪が返ってきたというわけだった。
「だったら、イラーリア王女でもかまわないわ。会わせてちょうだい」
「ただいまお加減が優れず……」
「王女もなの⁉」
「さようでございます」
「何とかならないの?」
「申し訳ございません」
またこれだ。
コンスタンツァより一歳下だというこの侍女は、なぜか決まった言葉しか話さない。「ただいまお加減が優れず」「申し訳ございません」「さようでございます」「かしこまりました」。この四つだけ。決まったセリフ以外を口にすると死んじゃう呪いでも掛けられているのだろうか。
ちなみに、この四つの中で最も使用頻度が高いのが「申し訳ございません」である。説明が必要な質問をすると、ことごとく「申し訳ございません」と返ってくる。そして結局、何もわからないままなのだ。
うんざりしたコンスタンツァが再びため息をつくと、ホリーはビクッと身をすくませた。侍女のこの反応自体、コンスタンツァの苛立ちを刺激する。
だってこれではまるで、コンスタンツァが使用人をいびる最低な女主人のようではないか。彼女をそう見せるために、わざとやっているのかもしれない。そんなふうにうがった見方をしてしまうほど、彼女の気持ちはすさんできていた。
「仕方ないわね。では、図書室に案内してくださる?」
「かしこまりました」
この返事は意外だ。コンスタンツァは「おや?」というように片眉をつり上げた。先に立って部屋を出て行くホリーの後ろを付いて歩きながら、口の端だけを歪めて皮肉げに微笑み、半分ひとり言のように感想を口にする。
「よかったわ。てっきりまた『ただいまお加減が優れず』って言われるかと思ったから」
「申し訳ございません」
「そこは謝るところじゃなくて、笑うか呆れるかするところよ」
「申し訳ございません」
またしてもこれである。コンスタンツァは呆れてくるりと目を回し、会話を諦めて口をつぐんだ。
明らかに歓迎されていないこの王宮で、専任の侍女をつけてくれるだけありがたいと思うべきなのかもしれない。が、せめてもう少し人間味のある侍女にしてほしかった。これでは決まったセリフを繰り返すだけの、魔法仕掛けの自動人形と変わらない。
図書室に到着すると、ホリーはドアを開けて静かに頭を下げた。無言である。「こちらでございます」くらい言えばよいのに。彼女のボキャブラリーには「こちらでございます」が含まれていないらしい。
入り口を通り抜けてから、コンスタンツァはホリーを振り向いて、案内に対する礼を言った。
「ありがとう。しばらくここで過ごすわ」
「かしこまりました」
「ところであなた、どこに何の本があるかご存じ?」
「申し訳ございません」
「そう、わかったわ。自分で探すから、あなたはお部屋に戻って休んでいて結構よ」
「かしこまりました」
コンスタンツァが図書室に来たのは、読書のためではない。調べ物をするためだ。侍女には何を尋ねても「申し訳ございません」としか返事がないので、自分で調べることにした。調べたい事柄は、諸々すべてである。大変に不勉強ながら、夫となる国王の年齢すら知らないのだ。
自分と同じ年頃の娘がいるくらいだから、きっと父と同じかそれより上であろうことは想像がつく。けれどもそれが四十代なのか、五十代なのか、はたまた六十代なのかさえも、さっぱり見当がつかないのだった。
ホリーがお辞儀をして去って行くのをチラリと視界の端に見届けてから、コンスタンツァは図書室を見回した。さすが王宮の図書室だけあって、なかなか立派なものである。そして妙に奥行きがあった。これでは闇雲に探しても、目当ての本は見つけ出せそうもない。
(まずは本の配置を確認しましょう)
どのような分類で本を収納しているのか、ざっと確認して回ることにする。本棚には、それぞれ金属製のプレートが取り付けられていた。そのプレートには、その本棚に置かれている本のだいたいの分類が書かれている。
ひとつひとつプレートの文字を確認しながら、コンスタンツァは図書室の中を端から順に見て回った。その足が、ふとある場所で止まる。図書室には似つかわしくないものが置かれていたからだ。
それは鏡だった。手鏡よりも少し大きいくらいのサイズの、縦長に楕円形の鏡。ちょうど彼女の顔の高さくらいの位置に取り付けられていた。
鏡の中からは、勝ち気そうな少女がじっとこちらを見つめている。鏡に映ったコンスタンツァ自身だ。ゆるやかにウェーブのあるつややかな黒髪は、上品に結われて小粒の真珠で飾り付けられている。つり上がり気味の大きな目は、大粒のエメラルドに勝るとも劣らぬ深い緑色にきらめき、子猫のように好奇心に満ちていた。
存在を主張しすぎない鼻はすっと鼻筋がとおっていて、小ぶりな口もとは紅を差さずとも血色がよい。
完璧な美貌を誇るコンスタンツァは、ともすると気位が高そうだとか、高慢そうだとか、陰口を叩かれがちではある。けれども彼女は、たとえ目ぢからが強すぎて気が強そうに見えようとも、自分の顔が気に入っていた。
ことさらに悪役っぽく表情を作ってふふっと笑い、コンスタンツァは鏡から視線を外した。あまりのんびりしていると、本当に何も探し出せないうちに日が暮れそうだ。
気持ちを引き締めて探索を再開したコンスタンツァだったが、しばらくすると再び足をとめた。誰もいないと思っていた図書室に、人影があったのだ。
 




