運命を変えたのは、空っぽの鎧でした。私は魔王領で幸せになります!!
短編ハッピーエンドです!
「またやったな!! この出来損ない!! 食事は抜きだ! せいぜい外で反省していろ!」
「ち、ちがう! アニアが壊したんだ!」
「うちのお行儀のいいアニアが、こんな高価なものを壊すわけがないだろう! アニアに罪を擦り付けようとは、本当にどうしようもない性根のちびだ!」
とあるとてもお金持ちの貴族の家で、怒号が響いていた。怒号に対しての反論をしているのは、まだ幼いだろう子供のの声で、それをかき消すように怒号の主は怒鳴り散らし、次に起きるのは年端もゆかぬ子供を引きずって外に出す、光景だ。
それを見た周囲の人間たちは、何も見ていないふりをする。この町で、あの貴族の家に反抗するのはあまりにも命知らずな行動で、この雪が降る極寒の世界の中に、薄いぼろきれのような服で外に放り出される子供を、助けようとする町の人は誰もいない。
「本当にアニアが壊したんだ! アニアが揺らしたら、階段を転がってったんだ!」
子供が必死に言うが、それを聞く大人は誰もいない。使用人たちは主に言われるがままに、子供を外に放り出して、堅く扉を閉めてしまった。
子供は力いっぱい裏口の扉を叩き、入れてよ、入れてよ! と叫ぶわけだが、それに対する答えは、掃除で汚れた水を頭から浴びせるという事だった。
頭から、冷たいそんな物を浴びせられた子供は、扉を叩く手を止めて、びしょぬれの髪の毛を絞り、立ち尽くす。
それからそれなりに時間がたったものの、裏口も、まして表の玄関も開く気配はない。
子供はそれにより、自分が行くあてはどこにもないのだ、と悟ったのだろう。
うつむいてから、よたよたとおぼつかない足取りで、誰も入れてくれない豪邸の外に出て行ったのだった。
この子供、ベニエは本当ならば、あのお金持ちの貴族の家の、跡取り娘だったのだ。だが、流行病で父がなくなり、残された母がおせっかい親戚一同の勧めで、再婚して、そして一つ下の妹が出来たあたりで、一気に待遇が変わっていったのだ。
母が実は愛人を囲っていて、再婚相手はその愛人で……何と父の異母弟だと知ったのは、ごく最近の事である。使用人たちがこそこそ話しているのを聞いた結果だ。
そして新しい妹が実は、ベニエを出産した後、具合が悪いと言って遠方の風土のいい場所で母が療養と称して愛人と愛し合った結果生まれた子供だという事も、やはり最近知った事だった。
父が生きていた頃は、お勉強も厳しかったけれども、ご飯は食べられたし、それなりにお嬢様の待遇だった。誰もベニエに汚れた水なんてかけなかったし、服だってちゃんと与えてもらったし、何より父はベニエの頭を撫でて、出来る事が増えるとほめてくれた。
だが今はどうだ。ベニエは震える体で歩き続けながら思う。
ご飯はきまぐれに、猫の餌より貧相なものが与えられるだけ。慢性的に空腹なため、むさぼってしまうとそのたびに、
「これだから行儀の悪いなっていない出来損ないは」
何て言われて、相手の機嫌が悪ければその少ない食事の入った器さえ蹴飛ばされて、ベニエは床にぶちまけられたものさえ食べる、なんて事も経験するようになった。
床から食べるたびに、
「ドブネズミのようだ」
と笑われたけれども、それでもお腹は空くものだから、必死に泣きたいのをこらえて食べ続けた。
父が褒めてくれるから、一生懸命にやっていたお勉強は皆取り上げられたし、自立する事があるかもしれないから、と練習をさせてもらっていた刺繍や縫製と言った技術的な練習も、させてもらえなくなった。
そう言った色々なものの結果、今のベニエはぼろぼろの浮浪児一歩手前の見た目なのだ。
当然こんな見た目の子供に、関わろうと思う人間は少ない。そのためふらふらとよろめき、疲労で座り込んだりしても、誰も声なんかかけてくれないのだ。
そんな状態で、行くあてなどどこにもなく、いくら待っても開かなかったあの扉は二度と開かないと悟った子供は、歩き続けるばかりで……とうとう、力尽きて座り込んでしまった。
表を歩いていたら、邪魔だの、汚いだの、みすぼらしいだのと言われて、立て続けに蹴飛ばされたので、ベニエは裏道や路地裏をあてどなく彷徨っており、座り込んだ場所は、武器屋の裏の空き地だった。
座り込んだまま、ベニエはそれすら維持できず、雪が積もる中寝転んだ。
それでは死んでしまう、と忠告するものは誰もいない。しんしんと雪が降っている。武器屋の家族は暖かな光の中で食事をとっているのだろう。
そう言えば今日は祝祭日だ……とかろうじて残されていた記憶が、ベニエの中に蘇る。
父が生きていた頃の祝祭日は、ご馳走が出てきて、皆で、今年もその日を滞りなく行える事に感謝の祈りを捧げて、暖かかった。あんな日は二度と帰ってこないから、いっそう恋しくて、ベニエは涙が凍る中でも、ぼろぼろと涙をこぼして、声も立てずに泣いていた。
そんな時だった。
さび付いた音を立てて、何かがベニエに近付いてきたのだ。
近付いてきたそれは、ぎちぎちとさび付きすぎて、まともに動かない関節であると主張する音を立てていながらも、ベニエの前にしゃがみ込み、少女を見下ろした。
音から顔をあげた少女は、大きな鎧が自分を見下ろしているから、思考回路が停止した。
それも当たり前だろう。鎧は動いているのに、その中身は存在していなかったのだから。
「お、おばけ……」
勉強するという事を取り上げられて以来、まともな教育を受けていないベニエの言葉は子供のそれで、おばけと言われた鎧は、気分を害する様子もない。空っぽの鎧では、表情もないだろうが。
空洞の鎧は、ベニエをしばし見下ろした後、がちゃん、と音を立てて、ゆっくりと甲冑の兜の部分を外した。
外されて、鎧の胴体部分の奥が見えるようになると、そこにはあかあかとした暖かそうな火が灯っており、鎧は自分の中に入るように、とベニエに示した。
「そこは、あったかい?」
ベニエは恐る恐る聞いた。怖いという感情よりも、寒くてお腹が空いて体中が痛くて、そちらの方が強く出ていたのだ。
ベニエの問いに、鎧は答えない。でも。
今よりひどい事にはならない、とベニエは子供ながらに何となく思い、力を振り絞って、そして鎧に手伝ってもらいながら、その鎧の中に入ったのだった。
鎧の中はふわふわと暖かく、堅い感触でも、体の芯からしみる温かさは何にも代えがたかった。
「……ありがとう、すごくあったかい」
その言葉をいうだけで、涙がぼろぼろとこぼれていくベニエは、その温かさにつられるように、目を閉じた。
そして鎧は、ベニエが寝た事を確認すると、甲冑の頭を装着し、さび付いていた事など嘘だったように滑らかな動きで、祝祭日に喜ぶ町中を、疾走したのだった。
不思議な事に、この疾走する甲冑を、誰も見ていなかった。
「ガラテイア。よく戻ってきた」
空ろの鎧は、忠誠を誓う相手の前に膝をついた。そんな、数百年の時が過ぎようとも、忠誠を示す鎧に、満足げに、万物の王は笑う。
「ガラテイア。お前があの町から出て行ったという事は、ついに見つけたのか」
空ろの鎧、ガラテイアは頷いた。”何を”ついに見つけたのか、という部分を双方省略している物の、会話は成立していたわけだ。
そしてガラテイアの答えに、また万物の王は満足そうである。
「よくやった。これで我が覇道を邪魔する者はいない」
ぐっと万物の王はこぶしを握り、こう言った。
「長年邪魔でたまらなかった者がもういないとなれば、誰も我を止められぬわ」
ガラテイアはそれに対して、がちゃがちゃと音を立てた。鎧の主にモノ申したい事があるらしい。
「なんだ?」
鎧の主は怪訝な顔をした。ガラテイアはがちゃがちゃと動き、甲冑の兜を外す。そしてその中にいる、とある存在を主へ見せた。それを見て、主は目を丸くした。
「ガラテイア、我は殺せと命じたはずだろう」
「……」
鎧は軋んだ音をたてて、主に訴えた。その訴えを聞き、主はなるほど、と頷いた。
「確かに、殺せば次が現れる確率が上がるな。お前も考えて行動したというわけか」
鎧は頷いた。そして続けて音を鳴らす。
それを十分に聞き、主はまた頷く。
「そうか、人間に虐げられていたのか。……くくく、人間の救い主になるべき運命を担った子供が、人間に虐げられているとは、お笑いだな。ガラテイア、お前もそれゆえに子供を殺さなかったのだろう」
「……」
「よろしい。お前の意見を採用してやろう。……さて」
万物の王はそう言って、自分の周りを取り囲む配下たちを見回し、堂々と宣言した。
「今こそ、我らから奪われた世界を取り戻す時。女神と我らの神が契った約定は失せた。”女神の姫が人間の世界にいる間は、奪われた世界を取り戻さない”という約定は消え失せた。女神の結界は消えさる。さあ者ども、我らの世界を取り戻す時!」
ごうごうと配下たちが歓喜の声をあげる。万物の王は配下たちに高らかに言う。
「さあ行くのだ! 奪われた我らの世界を、我らのもとに!!」
その年の、女神が聖女を人々に与えた事を祝う祝祭日は、血にまみれた生臭い物へと変貌した。
魔物たちは、千年奪われた生息域を取り戻すべく暴れまわり、魔物の王が支配する土地は、千年前、人間たちがそこを奪う前の広さまで、戻ってしまったのだった。
これに各国の王は驚き、あり得ないという反応をした。それも当然だ。
千年前に、人間たちの信仰する女神が、魔物たちが信仰する邪神に知力を尽くしたボードゲームを持ち掛け、ぎりぎりで勝利した結果、魔物は
『女神が人々に与える聖女、通称を女神の姫が人間の世界にいる間は、魔物たちは奪われた土地を取り戻さない』
という契約を邪神が交わし、千年それは守られ続けていたのだから。
これが意味する事は、女神の姫が魔物の手に落ちたという事で、女神の姫が死ぬとすぐに、女神が新たな女神の姫を人間たちに与えていた事から、これは一体どういう事なのだ、という騒ぎになったのである。
王たちはすぐさま、女神と交信できる聖者たちを呼びよせ、このたびの事はどうなっているのだと女神へお伺いを立てたわけだが、聖者たちが手に入れたのは
「女神の姫は生きている」
という事だけで、ではなぜ魔物たちの版図が広まったのだと、王たちは頭を抱える事になったわけだった。
それから十年が経過した。魔物は人々を殺し尽くすわけでもなく、魔物の領土に取り残された町は、仕方なく魔物と共存する事になっていた。
そんな中で、魔物と心を通わせるような人間も、少ないながらいる。
ベニエはそんな、少ない人間の一人で、彼女はにこにこ笑いながら、片手に鎧、片手に万物の王をつなぎ、魔王の城の庭を歩いていた。
「ベニエ。本当にいいのか」
「人間の親はもういません。私の父はガラテイア父さん一人です」
「なるほど。ではガラテイア、お前の娘を我にもらえないだろうか」
「……! …………!!」
「父さん、驚きすぎだよ」
「仕方ないだろう、ガラテイアにとっては大事な一人娘を、主が欲しているのだからな」
ベニエはガラテイアの娘のように育てられ、養父たちに奪われた色々な物を、新しく与えられていた。
ガラテイアの羽織るマントなどはベニエのお手製であり、時に万物の王の夜着もベニエがチクチク縫ったものである。
刺繍も鮮やかなガラテイアのマントを、うらやましがる魔物たちは多い。
魔物の子供たちの間で勉強もしたし、戦い方も教えられた。
一人で生きていくのに十分な程の色々なものを、魔物から与えられたベニエはしかし、人間の世界に戻る事を選ばずに、魔王の城に暮らしている。
「ああ、ベニエ、お前の親を名乗る人間たちが来ていたが、知らぬ存ぜぬと追い返したぞ」
「だって私の親はガラテイア父さんだけだし」
「……」
「お前と婚儀を交わす、と人間たちに伝えたところ、お前の妹を名乗る女が、自分の方が美しくて愛らしいのだから、王と婚儀を交わすのは自分だと言い出すものだから、どぶに捨てたぞ」
「過激すぎないかな……?」
「……!」
「ああ、ガラテイア。お前が納得するなら問題もあるまい。我がやらねばガラテイアが切り捨てていたらしいな」
「父さんだから、血まみれになる事しないでってば!!」
ベニエは飛び切り幸せに笑った。幸せになる事に、種族の差はないのだと、彼女はよくよく実感して、今日も生きていた。