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お望み通り

 ふわふわと目の前を飛んでいた蝶が差し出した指に止まる。

 どこにでもいそうな小さな白い蝶だが、幻覚でそう見えているだけで実際は紙で作られた蝶だ。左の羽には安否を確認する意味の記号と塔の魔術だけが知っている印が書かれていた。机の上のペンを取り、右の羽に助けを待つ意味の記号とサインを書いて鉄格子のついた窓の隙間から出してやる。


「ふふ、あと少し――」


飛んでいく蝶を眺めながら女は笑った。






「対象の屋敷にてキシノ・ジィリマが描いた呪いの魔術陣を発見。学校に仕掛けられた呪いより効力が少し上がっており、簡単に解けないものとのこと。また、屋敷内に――……、」


 同僚が反王派に大規模な呪いをかけていると聞いて意気揚々と捜索に出た塔の魔術師と、反王派に足をすくわれた焦りと怒りでやる気漲る烏によって消息不明になっていた魔術師の居場所は早々に発見された。


 まず烏が反王派残党の幹部であろう人物の持ち家を洗い出し、次にキシノ捜索班の烏と塔の魔術師で主要な屋敷に赴きいわゆる”ポンコツになる呪い”がかけられていないかを調べた。結果、いくつかの屋敷に該当の呪いがかけられているのを発見。その内のひとつに、魔力感知で大量の魔力を消費している人物を見つけ、キシノ・ジィリマの可能性が高いと判断し”蝶々便”で本人であることが確認された。

 蝶々便は短距離間でしか使えず、簡単な記号でのやり取りしかできない古い魔術だが、古いが故にこの術と記号の意味を知っている魔術師同士でしか連絡が取り合えない利点がある。

 ちなみに捜索を開始する前にあらかじめ塔の魔術師が転送の術で送ろうとした手紙ははじかれた。転送の術は拒否できる。魔物や犯罪者との交戦中などに手紙が送られてきて命を脅かすとも限らないからだ。


「……――本人であると確認した。来週に奴らの屋敷と学校に突撃予定だ」


 報告書から顔を上げたベリアベルスと詳細を聞いていたディズベリールとフィラメアの目が合う。二人とも同じ表情をしている。顔は似ていないが、言動が似ているというか息が合っているというか。


「もうそこまで決まったんだ」

「ミューリーさんは?ミューリー男爵と連絡は取れたのよね?」

「ああ。ミューリー男爵によると彼女が身を隠すとしたらフィールドワークで訪れた場所にいる可能性が高いということで該当する場所を中心に烏が探しに行くらしい」


 フィラメアは膝の上で組んだ両手に力を入れた。ロミージュとは関わりはなかったが全くの他人とも思っていない。

 フィラメアにとって同じ学舎で学ぶ学生という関係は新鮮なもので、派閥の連帯感よりずっと軽くて友人との繋がりより曖昧で切れやすい。だがそれでも確かに仲間意識があった。


「彼女はジェンリソーに来たことがあるのかしら……」

「ジェンリソーも候補に入っているが……何か気になるのか?」


 反王派の生徒はすでにグリオンとロミージュ捜索班の烏によって何人か捕らえられており、ノルベリートに呪いを解かれたあと聴取され、誘拐に関わっていない者は新しく呪いをかけられて泳がされている。

 誘拐に手を貸した男子生徒二人から聞き出した話では、ロミージュ誘拐後いつのまにか彼女のことをすっかり忘れていたため行方は知れず、安否もわからず、大した情報は得られなかった。キシノ・ジィリマがロミージュを逃がしたと予想されたが肝心のキシノは転送の術を拒否しており、ロミージュの捜索は難航している。連絡を絶っていることに関して、ノルベリート含む塔の魔術師たちは魔術騎士を巻き込んで大事にしてやりたいキシノの意地だと言い切っている。


「あの、最近の精霊の森の異変、ミューリーさんがやったのかもって、お父上へのメッセージなのかもと思って……」

「そうか、一理あるな。諜報部隊長に連絡を入れておこう」


 烏はその線も視野に入れているだろうが、ベルアベリスは敢えてその指摘はせずディズベリールの部屋から出て行った。珍しく思いつめている婚約者にディズベリールはそっと肩を触れ合わせる。羽を休める小鳥のようにフィラメアはその肩に頭を乗せた。


「無事だといいね」

「……うん」


 ――数日後、ジェンリソーへ出向くのを立候補したグリオンによってロミージュは無事見つかったのだった。





 ビーッビーッビーッ


 始業時間というにはまだ早い時間、外から魔術騎士特有の警笛の音が響いた。その瞬間、キシノは手慰みに魔術陣を描いていた手を止め、発動していたすべての魔術陣への魔力供給を切り、代わりに屋根に仕込んでいた色変えの術を派手に発動させた。ほどなくして屋敷が騒がしくなる。部屋から出ようと思えば出られるがそのまま待機する。長時間の大量の魔力消費により動き回る体力は残っていなかった。


 我に返ったクズ共が怒りのままにここに突撃してきた場合に備えて、手元に攻撃系の魔術陣を用意しておく。とはいえ悪の組織のアジトからポンコツ生産工場になった屋敷だ。警備はスカスカだし昨晩も幹部で集まって夜遅くまでパーティーをするほどの呑気っぷりだったのでそう時間をかからずに制圧されるだろう。


「クックック……、ざまあみさらせボケ共……」


 自分はやり切ったのだ。長い闘いだったが悔いなんてものは一粒もない。天井を見上げて満足していると部屋の扉が開いた。敵か味方か。じっと待っていれば二人の魔術騎士が警戒しながら突入してくる。どうやら最後の勝負にも勝ったらしい。


「貴殿がキシノ・ジィリマか?」

「クックック、あたしの勝ちぃ!アハハハハハハ……!!」

「お、おい……?」

 

 笑いが止まらない。というより止められなかった。なんせ三年に及ぶ作戦がついに実を結ぶのだ。テンションが振り切れてしまっても仕方ない。


 反王派残党は第二王子襲撃事件で落ちぶれた自分たちの地位向上を図り、実権を取り戻しかったらしい。

 人材育成を掲げる王家の推すマルベイリ学習庭学校の関係者に思考能力を低下させる呪いをかけ、偽のロミージュ(卑しい平民女)の魅了で男子生徒果ては男性教師まで篭絡し不祥事を起こさせる。そして誤魔化しきれないとこまできたら呪いを解いて世間に噂を流し、女や平民に学びの機会などいらないと世論を扇動し、ついでに将来性のある学生を蹴落として自分たちがその席に座るつもりだったようだ。


 しかし、その計画はキシノを脅したことによりすべて狂った。


 キシノは魔法学園の学生時代、平民の、さらに女であるというだけで何度も反王派にちょっかいをかけられたせいで根っからの反王派嫌いだ。その都度きっちり、されどコッソリと仕返しはしていたが、嫌悪感が消えるわけではない。

 逃げれば足の腱を切り、誰かに助けを求めるような真似をすれば牢に入れ生き地獄を味わせると脅されたキシノはこいつら絶対牢にぶち込むと誓った。


 そもそも王家の反王派への心象なんて良いわけがないのだから、いくら芽をつぶしてもそう簡単に重要なポストに付けるはずがないのだ。今残っている反王派は、度重なる王家への襲撃に関わっていなかったと証明された者だけ。彼らが返り咲くには相当の努力が必要だ。

 実際、実家が反王派であった塔の魔術師の後輩は苦労していた。その後輩はキシノ以上に反王派嫌いなので今頃喜び勇んで反王派共を捕まえているはずだ。


「ハハハッ……はぁっはぁっ、やばい、よだれでた……ンフフフフ……」

「……本当にあれが件の魔術師か?見た目は大人しそうなんじゃなかったのか?」

「悪魔みたいっすね……」


 キシノは顔を引きつらせた魔術騎士たちにまるで犯罪者のように両脇を抱えられて屋敷から救出された。






 ひらり、とベビーブルーの封筒が魔術騎士団詰め所の一室に舞う。封筒をキャッチし中身を確認した魔術騎士は安心させるように微笑んだ。


「うまくいったようです。ミューリー嬢の偽物も反王派残党も捕縛した、と」


 ロレンスは隣に座る娘がふう、と息を吐くのを眺める。

 一人娘のロミージュは昨日ジェンリソーから帰ってきた。学生寮から学校に通っているはずだった娘は七ヶ月以上も前から別人と入れ替わっていると聞かされたときは四歳のロミージュを買い物中に見失ったとき以上に肝が冷えた。思わず目の前にいた王宮からの使いの胸倉を掴んで怒鳴ってしまったぐらいだ。


「無事でいてくれてありがとう、ロミージュ。がんばったな」

「……うん」


 同じ言葉を娘が帰ってきてから何度も言っている。いつもだったら「何回言うのそれ」と呆れているだろうに、素直に受け入れる様子にどれだけ怖い思いをしていたのかを思い知る。ロレンスは娘の形のいい頭を撫でた。


 ロミージュは望まれて生まれた子ではない。ロレンスが植物学者として駆け出しの頃、顔が気に入ったとしな垂れかかってきた女との間にできた子だ。

 見目のいいロレンスはしょっちゅう女に秋波を送られていたため、こういったことは珍しくない。このときも一晩限りの相手のつもりだった。女もそうだったのだろう。生みはしても母親になる気はなかったらしく、フィールドワークから帰ってきたばかりのロレンスに「あなたの子よ」と首の座らない赤子を押し付けてさっさといなくなった。赤子は一目で自分の子――というよりミューリー家の血筋だとわかるぐらいには色味も顔も似ていた。


 ロレンスの実家は大家族であるので子どもの世話には慣れていたが、さすがに仕事をしながら乳飲み子の世話をするのは大変だった。学者の先輩の奥方がロミージュの世話を買って出なければ学者を辞めていただろう。


 赤子の中でも群を抜いて愛らしいロミージュは学者仲間に大層かわいがられて育った。植物学者たちの愛し子は環境のせいか、成長していくにつれてロレンスの仕事に興味を持ち始め、いつからかフィールドワークにまで付いてくるようになった。娘が己の後ろを一生懸命付いてくるのだ。かわいくて仕方ないに決まっている。


「ロミージュに何かあったら、反王派共の口にヨウセイノヨビリンを詰め込み、シンサンハリクサを投げつけ、目の前でシノミを焼いてやるところだった」

「うわぁ……」


 嫌そうな声をあげたロミージュに、並べられた植物の名称もよくわかってない魔術騎士がチラチラと説明を求める視線を投げる。

 

「強い幻覚作用を引き起こす毒と、神経をやられて一年は激痛が続く毒と、失明する毒です……」

「うん……やらないでくださいね」


 こちらに目を向ける魔術騎士にロレンスはそれはそれは美しく笑った。




 その後キシノの体力回復を待って行われた事情聴取で、屋敷を掌握したあと何故こちらに連絡も取らず大人しく幽閉されたままだったのか、と聞かれた彼女はまっすぐな目で「意地です」と答え、聴取を担当する魔術騎士の頭を抱えさせた。


「意地って……悪人相手の呪いもあんまりやりすぎると無罪とはいかないし、悪人とやりあうのは騎士(自分ら)の担当だ。塔の魔術師(君ら)ほんと、こういうときばっかりやる気出すのやめて……」


 ”呪い”とは、要するに弱体化の魔術。

 拘束系の魔術などは、身を守るために使う分には禁止されていない。また犯罪者や魔物相手であれば攻撃手段として使っても罪には問われない。もちろんやり過ぎればそれなりの罰は受けるが。

 ちなみに一見呪いのように思える魅了の術だが、敵に魅了をかけて「止まれ」と言えば足止めの呪いに、味方に魅了をかけて「君は負けない」と鼓舞すれば”祈り”――すなわち強化の魔術にもなるため呪いでも祈りでもない分類になっている。


「強者気取りのバカに泣きを見せられると思うと血沸き肉踊っちゃうんですよね」

「ひねくれてんな……」


 魔術騎士は微動だにしない(ように頑張っている)調書担当の新人の”書き取りの術”が切れてないかをさりげなく確認しながら頭をかいた。


「おかげで誘拐された塔の魔術師を救出するためと理由付けて反王派たちの屋敷に押し入ることができたけども。ジィリマさんの意地のせいで一人の女の子が、えー、君があの屋敷にポンコツの呪いを発動させたのが……五ヶ月前か、その間無駄に身を隠さなきゃいけなくなったわけで」

「女の子?」

「そこは反省してください」

「……あっ、あのお嬢さん!?やばい忘れてた!!恨まれる!!!!」

「気を付けてねヨウセイノヨビリンだかなんだかに」


 今まで毅然とした態度だったキシノが取り乱す様子に心の内でほっとしながら、魔術騎士はロレンス・ミューリーの恐ろしい(美しい)笑顔を思い出して忠告する。


「お嬢さんも偽物の子もちょっとしか関わらなかったから……魔力消費量多くてずっと体だるくてすぐ忘れちゃって……」

「身を削ってまで意地を張ってんじゃねえ」


 聴取室はしばらくキシノの言い訳と魔術騎士のツッコミで騒々しかった。





「これで私たちの仕事は概ね終わりだな」

「疲れた~」


 ルベリオルの言葉に脱力したノルベリートがお行儀悪く身体を伸ばした。背中からバキバキと骨の鳴る音がする。王太子の執務室の隣の応接間は狭いがソファーは高級なだけあって体が沈むほど柔らかい。

 一連の事件は収束し、残った仕事も終わった。とは言ってもベルアベリスは屋敷から押収した証拠のまとめ、セイベリアンは残党狩りに出ているが自分たちができることはもうない。


「お疲れノル兄様」

「おまえもな。悪いな、結局魅了解く時間なくて」

「あんなに忙しくしてたんだから、仕方ないよ」


 疲労の浮かぶ魔術師の兄を末弟が労う。その末弟もいつものような生気はない。

 ノルベリートは呪いの発覚したあの日以降、ディズベリールにフィラメアにグリオン、それから学校に出入りする王城関係者の呪いを解くのと並行して塔の魔術師たちとの連絡係として忙しく飛び回っていたため、絡まる紐の呪いでがんじがらめになった魅了の術まで解いている暇はなかった。ディズベリールが魅了から解放されたのは偽ロミージュが捕まった日だ。


「私はディズの腕を引っ張って偽ロミージュさんに近づかないように誘導することしかしてなかったわ」

「いや、フィラメアが男のディズを動かすのは重労働だっただろう」


 あまり役に立てなかったとしょんぼりしているフィラメアだが、そもそも彼女が違和感に気づかなければ最悪来年まで呪いは発覚せず、ディズベリールは魅了の術のせいでストレスを溜め込んでいたかもしれない。

 偽ロミージュが学校で使っていた魅了は、彼女が老婆から買ったハンカチに付与された魅了の魔術陣ではなく、キシノが新しく用意した魅了の魔術陣だった。キシノは偽ロミージュに大人数向けのより強力な陣だと説明したが、実際は魔力消費量が少ない代わりに効力は弱く、絡まる紐の呪いによって魅了がかかっているように見せただけの紛い物だ。

 魅了の魔力供給は偽ロミージュにさせていたが絡まる紐の呪いはキシノが魔力供給をしていたため、ディズベリールをはじめとした絡まる紐の呪いに抵抗してしまった者たちは、キシノが魔力供給を止める瞬間まで偽ロミージュが視界に入ると意思に関係なく彼女に侍ろうとする状態であった。


「そう!ディズも男の人なのね。力が強くて重いから思うように誘導できなくて」

「その節はお手数をおかけしまして……」


 ディズベリールがフィラメアに謝罪する。口ではかしこまっているが「男の人」発言にソワソワしているのが隠しきれていない。


「遠い目で『行きたくない……行きたくない……』って言いながら偽ロミージュさんに向かって行こうとするんだもの。いいトレーニングになったわ。このままムキムキを目指そうかしら!」

「目指さなくていい!」


 決してフィラメアは皮肉を言っているわけではない。その証拠にフィラメアの瞳は期待でキラキラしている。ディズベリールにトレーニングを手伝ってもらおうという期待である。

 正直、学校で偽ロミージュが近くにいると腕を組んでくっつかれていた日々は素晴らしかったが、フィラメアにムキムキになられたらいよいよ自分を男だと意識してくれなさそうでいやだ。ディズベリールは速攻で却下した。


「ほお、そんなちぐはぐな状態だったのか」

「絡まる紐の呪いを中途半端に解いた状態で放置したからなあ。元々魅了の効果範囲って術者本人の魅力に依存するから、対象者に相手がいたり対象者が術者に嫌悪感を抱いているとかからないものなんだよ。カリスマ性のある人が使ったら一発らしいけど」

「カリスマ性か……つまり母上が魅了の術を使ったら……」


 ルベリオルの脳裏に心当たりのあるカリスマ性のある人物がよぎる。ディズベリールが怯えるように首を竦めた。


「国が傾く……?」

「傾けるだけ傾いて一回転であろうな……」

「恐ろし~……」

「さすが王妃殿下だわ!」


 しょっぱい顔の王子たちとは裏腹にフィラメアがぱぁっと華やいだ。眩しい。

 いろんな顔を使い分けて社交界に君臨する王妃は信者が多い。威厳を求める相手には強かに嫋やかに振る舞い尊敬の念を集め、情けを求める相手には甘い言葉で騙して従わせる。母を敬愛はしているが人心掌握術に長け過ぎていてどうしても畏怖の念が拭えない。生まれが違えば母は立派な詐欺師になっていただろうと王子(息子)たちは思っている。

 

 魅了で無双する王妃の姿をそれぞれが想像していると、続き部屋になっている執務室からルベリオルの側近が顔を出した。ルベリオルは側近に手を上げると徐にノルベリートの髪をわしゃわしゃとかき混ぜる。


「お前が一番大変だっただろう、ノルベリート。よくやった」

「オォ……」

「私は戻る。お前たちはゆっくりしていけ」


 立ち上がったルベリオルは、乱れた髪をもそもそ直すノルベリートにくすりと笑うと執務室へ戻っていった。


「見てフィー、ノル兄様が照れてる」

「私たちも撫でてみましょう!」

「よし!」

「おわ!?ちょっ……」


 ディズベリールとフィラメアが立ち上がったのでノルベリートも慌てて立ち上がり、二人の手から逃げつつドアの前に移動する。


「くっ、こら!やめろ双子」

「双子じゃない!婚約者!」


 キッ!とディズベリールが怒る。幼馴染兼婚約者がなかなか自分に意識してくれない今、双子呼びは地雷である。ノルベリートは死角から伸びてきたフィラメアの手をサッと躱し「逃げるが勝ち!」と王子らしからぬ捨て台詞を吐いて応接室から出て行った。閉まるドアを睨んだディズベリールはムッとしたまま視線を横にずらす。


「双子だって」

「そうねえ……う~ん、いつもの感触」


 あと一歩のところで逃げられたフィラメアは何故かディズベリールの髪を撫でて残念そうにしている。やっぱり双子呼びは気にしていないらしい。ほとんど同じだった二人の身長に差が開いても手が大きくなっても声が低くなっても、距離感は出会った頃のまま変わることはなかった。

 ディズベリールは部屋を見回して誰もいないのを確認すると、ひとつ息を吸って気合を入れた。背筋を伸ばしてフィラメアに向き合って両手を握る。跪くことはしない。一〇年を共にした婚約者はあまり大仰にすると冷めるタイプだ。


「……フィー、僕の恋人になって」


 不思議そうに瞬く目をじっと見つめる。熱くなっていく顔を隠したくなったが手を離すことはしなかった。


「……ん???もう婚約者じゃない。何か変わるの?」

「変わる!手をつないだりデートしたりキスしたり」

「手は今つないでるしデートも何回もしてるしキスはあなたが『王子様はお姫様にキスをされると強くなるんだって!』って言ってキスしてきたわ。七歳のときよ」

「で、でもそれ以来唇にはしてないし」

「なんなら同衾もしてる」

「あのときは君の弟もいた!……そうじゃなくて恋人っていうのは……」


 片手を離し目の前の頬に手を置く。フィラメアの髪の毛がふんわりと手の甲をくすぐった。ほんのりあたたかく柔らかいそこから首筋へ、首筋から肩、シルエットをなぞるように腕を辿って手を握り直す。当たり前だけど、幼い頃よりもずっと長くて厚みがあって全く違う形なことが不思議だ。小さな手の甲を親指でするりと撫でて、好きな子の顔を覗き込む。


「……こういうこともしたいってこと」


 ディズベリールの瞳にはうっすらと涙が張っていた。遊びと称して母親に庇護欲を煽る技を仕込まれた末っ子は無自覚に可憐さを帯びていく。頬を赤らめ目をうるうるさせてこちらを見る彼はさながら危険に立ち向かうヒーローを見送るヒロインのようだった。フィラメアは、覚悟を決めたヒーローが生きて帰るための約束を交わす場面を幻視しながらヒロインを見つめる。


「よくわからないけど、わかったわ。ディズ」


 ディズベリール渾身の色気は通じちゃいなかった。フィラメアとしてはこのくらいの接触いつもしてますよね?ってくらいの感覚だ。思春期をものともせずベタベタキャイキャイ仲良くしてきた弊害である。それでもヒロインを悲しませる場面ではないということはわかった。


「今度デートしましょう……恋人として」

「ほ、本当!?」

「ええ、任せて」


 とりあえずいつも通りにしていればいいのだろう。たぶん。


「……ありがとうフィー!僕たち恋人だよ!」

「きゃ」


 可憐さを吹き飛ばし満面の笑みを浮かべたディズベリールの頭の位置が唐突に低くなる。抱き上げられくるりと一回転されたフィラメアは勢いのままディズベリールに抱き着いた。


「まあ……ふふふ!ディズ!抱っこは初めてだわ!」

「そうだっけ?じゃあこのまま部屋まで行ってみよう」

「ここから?さすがに無理じゃない?」

「む、行けるよ!君は羽のように軽い……いや羽のように軽いのは嫌だな」

「そうね、ちょっとした風で飛んで行ってしまいそうで気が抜けないわ」

「じゃあ羽毛枕のように――……」




 仕事中のざわめきの中、執務室のドアの向こうから微かに聞こえていた賑やかな声が遠ざかっていく。たまたまルベリオルの執務室に訪れていたベルアベリスの側近が小さく呟いた。


「殿下の双子センサーが働いてる気がする……」


 遠くでフィラメアをお姫様抱っこするディズベリールをガン見するベルアベリスと野生の勘でベルアベリスを探し出し回収しに来たセイベリアンの姿が目撃された。




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