長兄と推察
「ついたぞ」
レバーをあげたベルアベリスの前に現れた出入り口から魔道灯の明かりの漏れる部屋に入る。そこまで広くない部屋はテーブルを囲う大きなソファーと本棚に占められていたが、どことなくあたたかみがあって過ごしやすそうだ。紅茶とコーヒーの匂いのする室内にはすでに王子たちとグリオンが揃っている。
「あ、ここに繋がっているんだ」
ベルアベリスの部屋の一室の完全プライベートな読書部屋だ。回復したベルアベリスが未だにこの辺鄙な場所に居座っているのは、この部屋を家族が気に入って遊びに来たり、ベルアベリスに会いに来た体で内緒話をするのにちょうどよかった、というのが理由の一つだ。
ディズベリールは幼い頃、誰かが昼寝をしていないかとよくこの部屋に来ていた。当時は歳の近いノルベリートと、寝込んでいたベルアベリスの寝顔しか知らなかったので、初めて父の寝顔を見たときは感動したものだ。
「兄上、連れてきたぞ」
「ありがとう、ベル。二人とも遅くに呼び出してすまないな。そこに座っておくれ」
王子たちの長兄であり王太子のルベリオルに顎で示されたところに二人並んで座る。ベルアベリスは本棚の後ろのスイッチを押して隠し通路の出入り口を閉めると、ルベリオルの右隣に座った。長兄の左隣にはセイベリアンが座っている。
下座には紙を手に張り付けたグリオンが、ゴーグルをつけたノルベリートにペンを向けられていた。
「話はセイベリアンとノルベリートから聞いた。今はとりあえずグリオンの呪いと魅了を解いているところだ。グリオンは絡まる紐の呪いに気づいたんだろう。あえて抵抗せずに受け入れたみたいで解くのにさほど時間はかからないとノルベリートが言うのでな」
ディズベリールとフィラメアはハッとして青くなる。考えてみれば器用なグリオンがロミージュ・ミューリーごときに手玉に取られるなんてありえない。そんなことを気にも止めかった己が憎い。呪いで体の動きを制限されるのも忌まわしいが、思考がゆるゆるになっているのも気分が悪い。
「グリオンが終わったら、お前たちの呪いも解いてもらう。ディズの魅了は時間がかかるから、明日以降にやるらしい」
セイベリアンのゆったりとした口調に二人は体の力を抜いた。
ちょうどよくノルベリートが「グリオン終わり~。次ディズね」とグリオンが座っていたスツールを指す。ディズベリールと入れ替わるようにソファーに身を沈めたグリオンがスッキリした面持ちでニンマリと笑った。
「いやはや、お手数をお掛けしまして。すぐに誰かが気づくだろうと素直に魅了されましたが、まさか学校にまで呪いがかけられていたとは」
「どうしてディズの護衛を離れてまで魅了されたんだ?お前ならそのくらい避けられそうなものだが」
ベルアベリスの責めるというよりは不思議そうな物言いにグリオンは肩をすくめ、テーブルのカップを取ってコーヒーを注ぐ。
グリオンの実家であるニノグレイ公爵家はもともと烏をまとめる伯爵家だ。先代の王の姉が嫁いだ際に一時的に公爵へと位を上げられ、王姉の孫が当主になるときに伯爵家に戻ることになっている。
グリオンはニノグレイ家の運営する孤児院で当主夫妻に迎えられて四歳で養子となり、マルベイリ学習庭学校に通う王族を一番近くで守るための護衛となった。
「魅了されたほうがディズベリール殿下をお守りできると思ったのですよ。私のことですから、好いた人が別の男 に近付こうとすれば絶対に邪魔をします。殿下は魅了の術に抗うでしょうし、絡まる紐の呪いに後遺症はないと聞いたことがあったので問題ないと判断しました」
ディズベリールとフィラメアの分の紅茶を注ぎ、どっちにも同じだけ砂糖を混ぜると隣の一人分の空いたスペースの前とその隣に座っているフィラメアの前にカップを置く。
絡まる紐の呪いは指定した魔術陣を固定し解けにくくするだけである。むしろ魅了の術を解いたあとの”なんかよく知らん奴の言いなりになってた”という精神的ダメージのほうが辛い。魅了の術自体は抵抗しようと思えばできるため禁止にされてはいないが、絡まる紐の呪いとの併用は許可がなければ使用厳禁である。許可が出るのは害獣を捕まえるときや犯罪者の自白などに使われるときのみだ。
「ですがその判断が思考能力を下げられていた証拠ですねえ……ロミージュ・ミューリーが魅了を使っているとわかった時点で報告すれば学校にかけられた呪いにももっと早く気づけたでしょう。……いやあ、腹が立ちますな。ノル殿下、この危機意識が薄れてあんぽんたんになる呪い、お花畑の呪いというふざけた名称なのではないですか?ええ、きっとそうです違いありません」
「惜しい。綿毛の呪いだよ」
「ふざけてますな~」
しかしかけられた側からすると納得の名称である。グリオンはコーヒーを一口飲んだ。
「次、フィラメアおいで~」
「はーい」
「……もう、終わったのか?」
「二回目だしディズの魅了と絡まる紐の呪いは解いてないし、そんなに時間はいらないよ」
呪いを解くにはインク消しで魔術陣の一部を切断するのが効率がいいのだが、上手い人ほど消す箇所が少なく早く済む。魔術陣をインク消しで全消ししても術の無効化はできるものの、消す順番を間違うと別の効果が出てしまう場合もあるので魔術を発動することしかできないセイベリアンには呪いは解けない。
魔術騎士として魔術をかじっているだけにノルベリートの優秀さに内心舌を巻いた。
「しかし厄介な呪いだ。学校の敷地に踏み入るだけで呪われるとなると調べるに調べられない」
唸るルベリオルにノルベリートが作業を続けながら答える。
「それなんだけど、学校に仕掛けられた陣のほとんどは長期間学校を離れればゆっくりと解けていくみたい。外部に報告ができないってやつだけはこうして直に解かないといけないけど、それ以外は何度も解除されると徐々に効きづらくなるように設定されてる。たぶん五、六回で無効になるんじゃないかな。呪われた人数が多いから全員解くには陣を破壊しなきゃいけないけど」
「陣の破壊は最後だな。犯人に感づかれて余計なことをされては敵わぬ」
魔術は魔術陣に魔力を流すことで発動し、魔力を流すのをやめることで停止する。一回きりしか使えない魔術陣もあるが、魔力を流せば何度も使える魔術陣もある。そのため強制的に魔術を止めたいときは陣を破壊して術を無効化しなければならない。やり方は呪いを解くのと同じ、インク消しインクで魔術陣を消せばいい。
「あ、フィーが違和感に気づいたのって二週間休んで呪いが一度解けたせいで効力が緩んだってこと?」
「だろうね」
学校に潜入してディズベリールたちの護衛についている烏はグリオンを除けば二人だ。他の任務を兼任するにしても三日以上学校を離れることはない。フィラメアが学校を二週間休まなければこの問題が露呈するのはもっと後になっていただろう。
「よし終わり、フィラメア戻っていいよ」
「ありがとう、ノルお義兄様」
「どういたしまして~」
ノルベリートとフィラメアのゆるいやり取りに少しだけ空気が和む。隣に戻って来たフィラメアにディズベリールが背もたれにかかっていたひざ掛けを差し出すのを眺めつつ、セイベリアンが腕を組んだ。
「グリオン、例の、女子生徒が魅了を使うようになったのは、いつからだ」
「おそらく長期休暇を明けてすぐ――七ヶ月前からかと」
「長期休暇以外だと一番長い連休が冬季休暇の一〇日か。仮に違和感に気づけた者がいても、外に伝えられないのではな……見過ぎだ、ベル」
「む」
「犯人は何を考えてこんな設定にしたんだろうか。どうせなら手の施しようがなくなるまでは気づかれないままにしたほうがいいと思うのだが」
推しカプをガン見していたベルアベリスを小突いて正気に戻したルベリオルが背もたれに身を預けて脱力した。
「それがさ~、この陣を描いた人、塔の先輩だと思うんだよね。確か三年前から音信不通」
「……セイ、この一年で塔からの捜索依頼なんて来ていたか?」
「来てない」
「塔の魔術師はよく音信不通になるから、二年以上帰ってこなければ魔術騎士に捜索依頼を要請しなければならないはずだが」
塔入りする魔術師は研究者として優秀であるが、のめり込みすぎて倫理観がぶっ飛んでしまう一面もあるため音信不通となれば魔術騎士が動く。
高い身体能力を持ち魔術にもそれなりに精通している魔術騎士たちに地の果てまでも追いかけられ、ノリノリの塔の魔術師のバックアップもあって、音信不通となった魔術師たちはだいぶ痛い目にあうので大抵は二年を過ぎる前に連絡を寄越してくる。
二年の猶予があるのは野外調査や素材採集で連絡がままならないことも多いからだ。その期限を過ぎても音沙汰がないということは事件に巻き込まれたか、自らが事件を起こしているか、時間の経過をすっかり忘れているかのどれかだ。
兄たちのジトっとした視線にローブの内ポケットに道具を片付けて一息ついていたノルベリートが乾いた笑いで誤魔化した。研究にかまかけて時間を忘れる集団なのでこういうことにはどうしても疎い。
「ま、まあ先輩のことだから犯人への対抗心でこんな設定にしたんだと思う。反骨精神たくましいし、反王派のこと大嫌いだし」
「まだ反王派が犯人だと決まってるわけではないぞ」
「わかってるよ」
指摘はしたもののルベリオルとて反王派を疑っている。自分に毒を盛った挙句、弟の顔に傷を残し腕を奪った連中だ。どうしたって恨みはある。
先月更新されたばかりの毒感知のブレスレットに触れる。九歳のノルベリートが作った毒鑑定の魔道具は何度も改良を加え毒感知も可能となり、飛来する毒の弾丸にだって反応する精良な道具になった。
「なんにせよ……陣の効力が消えていないのなら、協力している魔術師が生きているのは確かだ……。未だに連絡がないということは、どこかに幽閉されてる可能性が高い。魔術師の身内を使って、脅していることもあるだろう……」
「そうだな。だが魔術騎士を大々的に動かすとその魔術師が危ないかもしれない。烏に行方を追ってもらうか」
セイベリアンの魔術騎士としての発言にベルアベリスが意見するが、ルベリオルは納得がいかないという顔で下唇を指の側面でぐいぐい押す。
「その魔術師が幽閉されてるとして、何故音信不通のままなんだ?探されたら困るのはあちらだろう」
塔の誰かに転送の術で報告書を送るなり、塔の外の身内や知り合いに伝言を頼んで現在の所在となんの研究をしているかを明かしておけば捜索の猶予が伸びる。目の前で魔術師に手紙に嘘の情報を書かせて、魔術師の身内に出すだけでも時間稼ぎにはなるだろう。
「先輩なら隙を見てこっちに連絡するぐらいしそうなんだけどなあ……」
「たとえ屋敷を探されても学校にかかっている呪いと同じ陣を使えば見つかっても大丈夫だと思ったのでは?」
「「あ……」」
グリオンの意見を聞いて、何かを閃いたらしいディズベリールとフィラメアの声に全員が注目する。
「「犯人側も呪われてるんじゃ……」」
「ほーん、なるほど?ありえますな」
一呼吸の間を置いてノルベリートが頭をぐしゃぐしゃにしながら叫んだ。
「ああーーー!!先輩ならやる!相手を追い詰めるためなら大嫌いな相手に従順なフリぐらいやってみせる!魔力消費ハンパなくてもこんな大量の魔術陣仕掛けるぐらいする!!」
「犯人側には、陣を描けるほどの、魔術師はいなさそうだし……いくらでも、仕掛けられるだろうな……」
魔術陣が描ける魔術師は陣の効力を止めたり不具合を修正したりと、陣のメンテナンスをすることができるが、魔術陣への理解が深い魔術師は魔術陣を組み合わせて別の効力を付与したり、回数制限を設けたり、魔力消費を抑えるようにしたりと改造もできる。それこそ塔の魔術師であれば造作もないだろうとセイベリアンが唸る。
ノルベリートがぐしゃぐしゃの頭のままコーヒーを煽り大きく息をついた。
「はあ~~~ルビー兄上、呪い関連はおれが担当するから、先輩の捜索に塔の魔術師を同行させたい。もしかしたら何か手がかりを残してるかもしれない」
「わかった」
一連のことが決まったところで、ベルアベリスが一番気になっていたことを聞く。
「それで、お前たちに魅了をかけたのはどんな女なんだ」
「ロミージュ・ミューリー、二年生で歳は一七、あざとい庇護欲をそそる女を目指してるのでしょうが……、わざとらしすぎて距離を置かれるタイプですね。そういうのが好きな方もいらっしゃるでしょうが」
「ふええ……!って泣いてたわよね」
「クワノルミ様が怖い顔してたんですぅ!ってね」
「魅了されているときはそれも愛らしく見えていたのですがねえ」
放課後でのやり取りを思い出したのか、フィラメアとディズベリールがわざわざ身振りまでつけてロミージュの真似をする。推しカプを引き裂こうとする女に対する怒りか、泣き真似をする二人がかわいかったのか、真顔でプルプル揺れ出したベルアベリスの背中をセイベリアンがルベリオルの背中越しにつまんで静止させた。
「ほお、泣き顔はディズのほうが可憐か」
「ちょ……!やめてよ!」
ブランデー入りの紅茶で喉を潤していたルベリオルの興味深そうな視線にうんうんとフィラメアとグリオンが返し、兄たちは微笑ましそうにするのでディズベリールは頬を赤らめて抗議した。
ディズベリールは泣くとき、眉尻を少し下げ、唇をきゅっと結んで潤んだ瞳からぽろりぽろりと涙を流して泣くのだ。それこそ一〇歳ぐらいまでは、本人にその気はなくとも可憐な泣き顔で周囲の大人たちの庇護欲を煽りまくっていた。十中八九母の仕業だとルベリオルは推察している。王妃である母は非常に器用な人物でいろんな顔を持ち合わせており、その技術のいくつかを末っ子が幼いうちに仕込んだのだ。
ルベリオルもあの泣き顔に大いに振り回されたことがある。
ディズベリールがフィラメアとすっかり仲良くなった頃「ルビー兄さまが毒をもられたって知らなかった」と泣きながら部屋にやって来たことがあった。例の襲撃事件についてのあらましを聞いたらしく、ベルアベリスに何かあったのは幼児なりに気づいていたが、その直前にルベリオルが毒を盛られたことは知らなかったらしい。
「毒にはすぐ気づいて吐き出したから大したことはなかった」「今はノルの毒鑑定の魔道具があるから大丈夫」と慰めても、ベルアベリスだけでなくルベリオルまでもがいなくなっていたかもしれないことが相当にショックだったらしく延々と泣き続けた。
こういうとき泣き止ませるのが上手いフィラメアは領地に帰っていて、困ったルベリオルはディズベリールのために超特急で予算とスケジュールを組み、護衛と何度も道程をシュミレーションし、安全を確保できたところで「フィラメアと遊んでおいで」とクワノルミ領へ見送ったのだ。あのときは弟を元気付けるためという私情を挟んだ突発的な仕事だったにも関わらず、側近たちも率先して協力してくれた。ディズベリールの泣き顔を見てしまったせいである。
さすがに年を取るにつれて人前で泣くことはなくなったが、正直一六になった今でも泣き顔でヒロイン気取りの女の一人や二人を凌駕できるとルベリオルは思う。
「気になったのだけど、ロミージュさんは本当に入学試験を合格したの?彼女も呪われてるとしても他の学生や教師だってあそこまで稚拙にはなってないのに」
まあ、魅了にかかっている人はお馬鹿さんになってる部分もあったけど。成績が落ちるほど溺れてはいなかったが、なんだかんだ貢いだり侍ったりはしていた。あの泣き真似もかわいいと思ってたようだし。
フィラメアがチラッとグリオンを盗み見れば、彼は難しい顔で何かを考え込んでいた。
「怪しいところがあれば烏に調査されてとっくに退学させれているはずだが……」
「ロミージュ・ミューリーが入試を受けたのがちょうど先輩がいなくなった三年前か。その頃はまだ呪いは発動してないんじゃないかな」
そんなに前から呪いが発動していたとは思えなくてベルアベリスが首を傾げると、言葉の裏を読み取ったのかノルベリートがその考えを肯定した。
「その女が、魅了を使うようになったのが、長期休暇後なら……呪いが発動したのは、長期休暇中かそれより少し前だと思う」
「長期休暇より前だと二週間前後で呪いが解けてしまうことがバレない?従順に協力しているフリをしたいならまず犯人側の信頼を得ないと魔術師もうまく立ち回れなくなる、よね?」
少し前という単語が引っかかったディズベリールが自信なさそうにセイベリアンに疑問を投げかける。如何せんまだまだ若輩者で経験が足りないディズベリールは、こういったことには考えが及ばないことがある。
「だが、その頃には、まだなんの問題もなかったんだろう?」
「……あ、そうか、学校関係者が違和感を抱くようなことがまだ起こってないから、呪いが解けて効果が薄れていても行動が変わることはなくて、犯人側にも怪しまれないのか」
セイベリアンが満足そうに頷いた。
「そういうことだ。何度も解けば、無効化されるように設定したのなら……、少しでも呪いが解けるチャンスを増やそうとするだろう。学校にいるのは賢い者たちばかりだ。外部と連携ができずとも……自分たちでなんとかできると、考えたんじゃないのか」
「そうなると外部に報告できない呪いだけ無効化にならないようにしたのも、学校内部での動きを犯人側の者に報告させないためかもしれぬな」
「いろいろ考えてるな」
「先輩のいい笑顔が見えるよ……」
兄たちの話を聞いていたディズベリールがふと横を見ると真っ青な顔をしたグリオンが目に入った。いつも飄々とした彼のこんな表情は初めて見る。
「グリオン?どうした、気持ちが悪いのか?」
「……あの女はロミージュ・ミューリーじゃない」
呆然と、呻くように告げられた言葉に誰かが息を呑む。嫌な予感が体を冷やしていく。誰もが最悪を想像した。もしも、なんの関係もない一人の生徒が巻き込まれたとしたら――
「私は、烏として学校の護衛担当と新入生の容姿と名前、派閥を全員確認しております。もちろんロミージュ・ミューリーのことも……」
事実を、失態を、認めたくないのかグリオンがこれ以上口を開きたくないという風に片手で口を隠す。
「彼女は、どこに行った?あの女は、誰だ……」