キャバ嬢TSっ娘がホストクラブに行って、幸せになる話
夜の19時半。フユヒは光沢のある黄色のドレスに着替えた。その後、更衣室の空いている椅子にちょこんと座り、鏡に向かった。
家を出る時に化粧はしてきたが、店に出る前に仕上げをする。
鏡に映して、ヘアスタイルに崩れがないことを確かめる。
ふわふわクルクルに巻いたアッシュ系の金髪を緩く後ろで留め、スズランの髪留めを指してある。全体的に、コンセプトはお姫様風。これがフユヒの基本スタイルだ。
鏡に向かってアクセサリーの向きを正面に直し、完璧になった。
時計を見ると、開店前のミーティングが始まるまでに、まだ15分もあった。ギリギリで出勤してくる女の子達がバタバタと駆け込んでくる。
更衣室が混み合う前に、フユヒはホールの方へと移動した。
「あら、フユヒちゃん、今日は同伴なかったのね。久しぶりじゃない? 最近あんまり話せてなかったけど、元気にやれてる?」
赤いドレスを着ている────キャバ嬢のナナミだ。
ナナミはフユヒの先輩で、この店のキャスト達の中ではおそらく一番年上である。本人も自分のキャラを自覚している節があり、面倒見の良いお姉さん的存在だ。
「はい。おかげさまで、だいぶお店にも慣れてきました。ナナミさんのおかげです」
「私のおかげなんて、一個もないない。全部、フユヒちゃんが頑張ってるからよ。でも、何か困ったことがあったら、相談してねぇ」
「ありがとうございます」
その後、フユヒとナナミはお互いに自分のスマホを触りながら、気軽な雑談を交わした。
ふと、ナナミがスマホ片手に、「ホスクラの営業メールに癒されるって、末期だよねぇ」と呟いた。
「ホストクラブですか?」
「うん。『そろそろ出勤かな?今日も頑張ってね』だってさ」
「へぇ~ホストさんもやっぱりそういうメールするんですね」
言いながら、フユヒが今まさに客に送っているのも同じような営業メールである。
キャバ嬢にとって、これは仕事の一つだ。
「私達より、あっちの方が大抵、マメよ。男の方は嬢から毎日メールが来ると鬱陶しく感じたり、逆にそれだけで満足しちゃったりするけど、女の方はホストから毎日メールが来るとほだされちゃうから……」
「へぇ……そういうものですかぁ……」
フユヒは、これまで、ホストクラブという場所に行ったことがなかった。
しかし、キャバ嬢の中にはホストクラブ────ホスクラと略して呼んでいるのを耳にするが────に通っている娘が少なくない、ようだった。
キャバ嬢として働く以上、フユヒも一度は社会勉強として行ってみたいと思っていたし、どんな場所か興味もある。
ナナミが通っているというホストクラブの話を聞けたのは、渡りに船であった。
「あの、実は私も、一度ホストクラブって行って見たかったんです。ナナミさんの馴染みのお店があるなら、是非連れて行ってもらえませんか?」
「ええ~。新規客をつれていけば、そりゃ、私も感謝されるし、断る理由も無いけど……。フユヒちゃんがホストにハマって、貢ぐ女になったら困るしなぁ」
ナナミは綺麗に描いた眉をひそめる。
かく言うナナミの方は、ホストクラブに『プチハマり』しており、そこそこのお金を落としている。
フユヒから見れば、常時、お店の人気嬢として周囲からちやほやされているナナミがわざわざホストクラブに行く理由はよく分からない。
だが、それこそ、警戒すべきホストクラブの魅力なのだろう、と思うと、興味も増す。
「大丈夫です。私、こう見えても中身は男ですから」
フユヒは自分の胸元を誇らしげに触れる。
「……そう? 最近のフユヒちゃん見てると、天然乙女に見えるんだけど……」
「いやだなぁ、そんなの、全部演技に決まってるじゃないですか」
フユヒはアハハと笑う。
というのも、フユヒはほんの半年ほど前に、TS病に罹患して、男から女に性転換したTS娘なのである。
この事実を知っているのは、店内でもごくわずかだ。経営層と、黒服、キャバ嬢の中ではナナミだけ。当然、客にはばらしていない。
男だった頃のフユヒは冴えない、モテない、陰キャの地味男子学生がそのまま成長したような平凡なサラリーマンだった。
突然女体化するという病気が原因で職を失い、生活費に困窮し、確実に稼げる方法としてキャバ嬢に転身した。
以来、最初の頃こそ慣れない夜の世界で苦労したものの、今では週5日出勤するレギュラーである。
『男心を知り尽くしているからこそ、キャバ嬢としてどう振る舞えば良いかを理解してます』というのが面接時のフユヒの主張だった。
ただし、蓋を開ければ男心どうこう~はあまり関係なく、TSしてから得た愛らしい童顔と、Dサイズのおっぱいが最大の強みになっている。
付け加えて、社会人経験で培われた忍耐強さ、そして一般常識が身を助けていた。
「フユヒちゃん、中身は男なら、ホストクラブなんて必要ないんじゃない?」
「え~でも~……女の子になったんだから、やっぱり、一度は行ってみたいし。怖いモノ見たさと言うか……、それに、接客の勉強にもなりそうですし!」
「ふうん。じゃあ、次のお休みの日にでも行ってみる?」
「はい。お願いします」
こうして、フユヒはホストクラブに初デビューすることになった。
決めてから、『やっぱり怖いかも……』と不安に思ったが、この日の開店前ミーティングで、先月のプチイベント売り上げ3位入賞の表彰を受け、臨時のボーナスが入った。
それで気分が上がり、不安を忘れた。
**
ホストクラブ「HARE-Night」は、大通りから一本奥に入った雑居ビルの3階だった。
たった3階分を上がるのに、二人乗るといっぱいになる狭くて小さなエレベーターを使う。
受付を済ませた後、ナナミは常連らしく、スマートに案内されて先に行った。
初回のフユヒは、しばし一人でその場に残された。
なぜか受付のところにアクアリウムがあった。青い水槽にピカピカ光る青い魚が泳いでいる。フユヒは落ち着かない気持ちで、魚を見つめた。
「せっかくお金を払って遊びに来ているのだから、同僚と一緒では気が休まらない」というのがナナミの言い分で、席も離してもらう予定になっている。
それは、もっともだ、とフユヒも納得している。
ナナミのプライベートの楽しみを邪魔するほど野暮ではないつもりだ。
────うう……。でも、ちょっと緊張するなぁ。いざとなったら、ナナミ先輩に助けてもらえるといいけど……。
『いざ』という時がどんな時かは分からないが、フユヒは一人で魔窟に挑む心持であった。
今日はオフなので、私服で来れば良かった。しかし、出勤時以外の私服はシャツとジーンズしかなかったので、結局いつもと同じ、ワンピースになってしまった。
同伴や、急なアフターが入る可能性を見越して、出勤時の私服もそれなりに男受けするものを選んでいる。
自分の容姿に自信がないわけではないが、ホスクラ来訪の初日にこの服装で良かったのかどうかも、気になった。
「お待たせいたしました。フユヒ様。本日は、ナナミ様のご紹介ですので、お友達紹介コースということで宜しいでしょうか」
「あっ、はい」
「おそれいりますが、こちらに、ご記入をお願いいたします」
フユヒは深呼吸をして、ゆったりとした動作を心掛けた。
友達紹介コースと言うのが、何のことかはよく分からない。ホームページに、友達紹介コースのことは書かれていなかった。てっきり、初回コースというやつになるのだと思っていたので、予想と外れた。
実はホストクラブというと、女を食い物にするダーティーなイメージがあったので、いくらナナミの紹介があるとはいえ、この店について事前に軽く下調べもした。
一応、スマホでチェックした限り、ネットの口コミでは、この店は大手ホストクラブのチェーン店で、変な噂も書いてなかった。
いきなりぼったくられることはないだろう、とは思う。
「お席にご案内いたします。段差がございますので、どうぞ、お足もとにお気を付け下さい」
────え~と、確か、新規客の席につくのは、入れ替わりで何人か来て、そこからお気に入りのホストを見つける、んだっけ。あ~……ドキドキする。
ボックス席に通された。薄暗い店内に、煌びやかなシャンデリアが吊り下がっている。柱には洋風の彫刻がほどこされている。
キャバクラとはまた違う、独特の豪華な装飾を眺めているうちに、一人目のホストが来た。
初回で指名もなく、好みのタイプの欄にも『優しそうな人』くらいしか書いていないので、完全にお任せの人選だ。
「はじめまして。瑠太です。失礼します」
一見、ちょっとチャラい感じの若い男の子だった。
金髪に緑色のメッシュが入っている。
前髪が長くて、目に入りそうだ。顔は特別美形というわけじゃないけど、鼻筋が綺麗だ。
フユヒは名刺を受け取り、テーブルに置いた。
「フユヒさんは、ナナミさんの同僚なんだよね。今日は来てくれてありがとう」
「私、ホストクラブって初めてです」
「えっ! そうなんだ。すごい。来てくれて、本当に嬉しいよ。今日は友達紹介コースで、基本ドリンクが一時間飲み放題だから、遠慮なく頼んじゃってね。普通に飲んでいくだけなら、意外と居酒屋より安かったりするから」
「メニュー表ってありますか?」
頼むと、瑠太が自ら立って、素早く持ってきてくれた。
ここからここまではフリードリンク範囲内なのだ、と指で示される。単価を見る限り、相場の範囲内だ。メニュー表があるのも、安心できる。
フユヒはいつも仕事で飲んでいるので、今夜は休肝日としてソフトドリンクにしようかと悩んだが、せっかくなのでカクテルを注文した。
瑠太にも飲むかと尋ねると、喜ばれたので、ビールを一杯奢った。
瑠太が『僕らの初めての出会い』に何だかお洒落な前口上を付けてくれて、一緒に最初の乾杯をした。
「やっぱり、こういうこと言うのって、本当は禁止されてるんだけど、フユヒさん可愛いね。キラキラしてるっていうか。マジで、可愛くて、こっちが見惚れちゃう」
「そう? ありがとう。えへ、私、可愛い?」
「めちゃくちゃ可愛いよ」
フユヒは少し顔を斜めにして、上目遣いでパチパチとしながら微笑んで見せた。
すると、瑠太はウッと胸を押さえて息を飲むような仕草をした。
「すげー本当に、可愛いよ。なんていうか、最強に可愛いオーラがあるっていうの? 男の目を釘付けにしちゃう可愛さだよね」
100%お世辞だと分かっていても、気分がいい。この気分の良さを味わいに来ているのだから、どれだけ嘘でも文句はない。むしろ、もっと言って欲しい。
「仕事中は、もっと、バンバンに輝きパワーをオンにしてるの? いいなぁ。そういうパワーって、周囲を幸せにできるよね」
「輝きパワーをオンって、何、それ~」
「キャバの女の子って、芸能人みたいに、輝きオーラのオン、オフができるのかな、って思ってるんだけど、違う?」
「それ、お化粧のオンオフじゃなくてぇ?」
「違うって。オーラ。フユヒさんからすげー出てるから。でも、俺、フユヒさんが化粧落とした顔も、見てみたいなぁ……」
瑠太は意味深に言う。
化粧を落とした顔を見るのは、深い関係にならなければ実現しないだろう。
フユヒは気分よく、アルコールの入ったグラスを口に運んだ。甘くて、美味しい。仕事で飲むのとは、全然違う味がする。
「ホストの人も、結構、化粧してるよね」
「うん。人に寄るけど、大抵のホストはしてるよ。最近は男用の化粧品もたくさんあるし、動画でメイク術なんかもやってるから、結構見て勉強してる。男が化粧するって、どう思う? やっぱり、女の子から見ると、抵抗がある?」
「うーん……全然ないけど、むしろ、ホストさんなら化粧くらいしてた方が、嗜みっていうか、自己管理の一つだと思うかな」
フユヒは、自分の方こそ、元は男なのに、バッチリメイクしているし、髪の毛もアレンジして、ドレスなんか着ているので、他人のことをどうこう言う気には全くならなかった。
これは、TSしてから変化した価値観の一つでもある。
そこから、メイクと化粧品について、話が弾んだ。フユヒ自身、TSして以来のメイクの研究には力を入れているつもりだが、まだ日も浅く、まだまだ学ぶところが多いと感じていた。
「俺、本当に、フユヒさんのお店に行っていい? マジで虜になりそう」
「私、今日はプライベートで来てるんだけど……」
「フユヒさんを指名するから」
指名してもらえるならば、大歓迎だ。しかし、あまりグイグイ来られるのも怖いな、と思いつつ、店の名刺を出した。
「ありがとう。必ず行くよ」
「うん、気が向いたら、でいいよ」
「絶対に行く。誰にでもこんなこと言ってるんじゃないよ。俺、フユヒさん、本当に可愛いと思うから」
フユヒは、瑠太から情熱的に見つめられて、つい頬が赤くなってしまった。
瑠太の手が、フユヒの手に膝に軽く触れた。
────えっ……?
ドキッとしたところで、すぐに離れた。
────あれ……? ホストの人って、お客さんへのお触りは厳禁じゃないんだっけ? それとも、軽いボディタッチは、やっぱり営業のテクニックなのかな……。
ネットから得ている情報だけでは、実態がよく分からない。
フユヒは戸惑いつつも、ネットからの情報を一時捨て去ることにした。
「失礼します。お席、ご一緒させてもらっていいですか?」
低い声だった。もう一人、ホストが来た。黒いスーツを着ていて、カラスみたいな黒髪だ。今度は、少しキリッとした渋い感じのタイプだ。
フユヒは小さく会釈をする。
名刺には、誠偉矢と書かれている。当て字がすごい。いかにも、な名前だ。
────もしかして、こっちの人は、ベテランさんかな。
左手に座ったので、遠慮なく、顔をジッと見つめた。
おおよそ30歳くらいに見える。もしかしたら、もう少し上かもしれない。
「瑠太と、どんなお話をしてましたか?」
「あ、えっと、私のお店の話とか、化粧の話とか」
「ナナミさんのご友人なんですよね。ホストクラブは初めてですか?」
「はい」
「僕の友達も、CREAREの常連で、よく遊びに行ってます。僕も、以前に一度行かせていただきました。すごく感じの良いお店ですよね」
「ありがとうございます。また、いつでもいらしてください」
「はい」
CREAREはフユヒが務めているキャバクラ店だ。以前に一度、というのがどれくらい以前なのかは分からないので、フユヒも適当に流しておいた。
それにしても、誠偉矢は良い声をしている。
「良い声ですね。声優さんみたい」
「ありがとうございます。よく言われます」
「あ、やっぱり」
「フユヒさんは、好きな声優さんはいますか?」
「ん~……男の声優さんは、名前まではあんまり知らないですね」
「女性の声優さんの方が、最近はテレビなんかでもよく見ますよね。男性は、僕も詳しくないです」
誠偉矢は静かに頷いた。
横顔が、耽美である。瑠太もそうだが、鼻筋が通っている男は横顔が決まる。
「フユヒさん、僕に敬語使わないでいいですから。すみません。僕の方も止めましょうか?」
相手が丁寧語で話している時は、こちらも丁寧語で返す。温度感を見ながら、距離感を詰めていく。ほとんど職業病のようなものである。
「うん……じゃあ、そうしてもらおっかな」
「フユヒちゃん、って呼んでいい?」
誠偉矢から突然フランクに話しかけられて、温度差にドキッとする。
深みのある良い声で囁かれると、それだけで脳が痺れそうだ。
フユヒは、意識的に平静を保って頷いた。
「いいよ。なんか、その方がホストクラブっぽいし。せっかくだから、それっぽさを味わっておかないと、損だもん」
フユヒは、自分の膝小僧をもじもじと擦り合わせた。膝丈のスカートだが、深く沈むソファに座ると膝がでる。
「フユヒちゃんの声も可愛くて、僕は好きだな」
「えっ、そうかな……。なんか、子どもみたいでしょ。わざとらしい感じの声だから、自分では好きじゃないんだけど」
いかにもぶりっ子しているみたいな、砂糖を塗した菓子のような声、と評されたことがある。
キャバクラで接客していて、その声、わざとだよね?と聞かれたことも一度や二度ではない。
「そんなことないよ。すごく可愛い。……それに、僕、作ってる声と作ってない声は聴き分けられるから。フユヒちゃんのは、作ってない声だね」
「本当に? そう。そうなんだ~分かってもらえて嬉しい~」
「僕の声も、分かる? これ、作ってない声だから、地声だよ。ただ、少し、聞き取りやすいようにハッキリ喋るようにはしてるけどね。これでも」
ハスキーボイスは、確かに、ともすれば聞き取りづらい。
「え? じゃあ、普段はもっと聞こえづらい声なの?」
「そう。滑舌が悪いから、飲食店に1人で行くと、注文したものと全然違うものが、よく来るんだ」
「うっそだ~」
フユヒは、笑った。
さすがに、聞き取れなかったら店員さんは聞き返すだろう。他の商品を持ってくるなんて、ありえない。
「この前さ、国際便の飛行機に乗った時、少し寒かったから『ブランケット、プリーズ』って言ったんだ。そうしたら、スチュワーデスさんが、なぜだか、凄く嫌そうな顔をして、ため息をついた後、丸いパンを一つ持って来て、「はいっ!」て感じで僕に手渡したんだ。僕は、ショックだったけど、何も言い返せなくて『サンキュー』って言って……、まぁ、そのパンを食べたわけだけど」
「ぁはははっ!」
渋くて良い声で、真面目に言うものだから、フユヒは笑いのツボに入ってしまった。
ブランケットが何をどうしたらパン?ブレッド? になるのだろう。
後から来たのに、誠偉矢は呼ばれて、早々に別の席に行ってしまった。
ほんの10分にも満たない時間だったと思う。せっかく楽しく会話していたところだったので、少し残念だった。
「ね、フユヒさん、これ、見て」
瑠太が100円玉を取り出して、パッと手に握りこんだ。
何かと思うと、そこに息をふっと吹きかけ、開いた時には消えていた。
手品だ。本当にタネが分からなかったので、フユヒは心底感心した。
「すごい……本物の手品、初めて目の前で見たかも」
「今、新しいやつ練習中だから、上手くできる様になったら、また見せたいな」
「そういうのって、家で練習するの?」
「もちろん。休みの日に特訓してるよ」
「すごいね」
フユヒは、尊敬の目で瑠太を見た。ホストの方が、キャバ嬢よりもエンタメ性に優れているのではないか、と思う。
ただし、それは自分が女の立場だからそう思うだけかもしれない。
「さっきの、誠偉矢さんは、ベテランさん?」
「うん。誠偉矢さんは、この店では2番目に長いくらいかな。店長の次に長いよ」
「やっぱり、そうなんだ。人気ありそうだよねぇ」
「カッコいいでしょ。俺から見たら、雲の上の人かな」
「瑠太君は、1年目なの?」
「うん。もうすぐ1年」
「そうかぁ。でも、瑠太君も、実は人気あるでしょう?」
自分は全然売れてない、というように卑屈に見せているだけだ。
フユヒは、ビシッと、瑠太を指さした。当然、瑠太は謙遜したが、フユヒはそれには騙されないぞ、と思った。
「そんなわけないよ。でも、これから売れて行きたいと思ってる」
「頑張ってね」
────んんん? この口ぶりだと、やっぱり実は売れてない子なのかな?
全然分からない。フユヒから見れば、セイヤも瑠太もどっちもイケメンで、どっちも話し上手だ。
もちろん、セイヤの方がベテランの風格があるけれど、若い子が好きな人なら瑠太を選ぶだろう。
「フユヒさん、俺を担当にしてくれない? 絶対に大事にするから」
瑠太は真剣な口調であった。『担当』というのは、要するに固定の指名だ。
ほとんどのホストクラブは永久指名制だ。一度担当を決めたら、変えることはできなくなる。
「え~……どうしよっかなぁ」
フユヒとしては、別に今後この店に来る予定も無いが、あまり短絡的決めるのもどうかという気はする。
「俺、フユヒさんのこと、めちゃくちゃタイプだから。また次来てくれるなら、今日の分は僕が持つよ」
「え~?」
そんな馬鹿な、と笑って誤魔化す。
────ホスト側が来店のお金払うの? そういうことってよくあるの? それとも、よくある営業トークなの? 色恋営業とか? え~ん……全然知識が無いから分かんないよ~。
どうやら、キャバクラの常識は、ホストクラブには当てはまらないようであった。
フユヒは困惑を押し隠し、一番得意な笑顔と瞬きで返した。
すると、瑠太が一瞬、小さく息を飲んだのが分かった。わざとではない。男がする、こういう反応は見慣れている。
「じゃあさ、担当にしなくてもいいから、ちょっとだけ、手握らせてくれない?」
「手くらいなら、いいよ……はい。瑠太君だけへの特別サービス」
マニュキュアで爪を綺麗にした手を差し出す。瑠太は恭しくそれを取り、両手で挟んで手の甲を撫でた。
瑠太の手も、フユヒほどではないが、客商売の綺麗な手だ。男性ピアニストのような、細長い指である。
「ありがと。元気パワーがもらえそう」
「瑠太君、元気ないの?」
「ん~……少し、落ち込んでたから」
「どうして?」
「うん。俺さ、たまに精神的に弱くなるっていうか、鬱っぽくなることがあって。最近は、キャンドルセラピーってところに通ってるんだ」
「へぇ……。キャンドルセラピーって、どんなことするの? 蝋燭に火をともすの?」
「そう。暗い部屋で、蝋燭を灯して、5人くらい集まって、それを見て瞑想したりするんだ」
陽キャに見える瑠太が鬱というのは、意外である。
だが、もしキャラを作っているのだとしても、そのギャップは悪くない気がする。
────ロウソクを灯して瞑想するのは、面白そうだけど……でも5人も集まってやるのは、却って不気味だなぁ。
絵面を想像して思いを巡らせていたところである。
瑠太の手が、すっ、と伸びて、フユヒの腕を撫で、袖口から服の中に侵入した。
────えっ………………
むにっ、と明らかに胸を揉まれた感じがあった。
「あ、ごめん……っ!」
瑠太は慌てて手を引っ込めた。
フユヒは、言葉を失った。
キャバクラで務めているので、客から胸を触られたりすることは、稀にある。
あまり酷い触り方じゃなければ、大げさに騒ぎ立てたりはしない。
しかし、今日の場合、自分が客として来ているのに、ホストに胸を触られた。これは、どう考えれば良いのだろう。
────セクハラ? それとも、営業テクニック? わ、分かんない!
元々、初めてホストクラブに来たわけなので、多少のぼったくりにあうくらいの覚悟はしていた。現金で払うつもりで、財布に5万円は入っている。5万円まではぼられても泣き寝入りする覚悟もある。
だが、こっちのパターンは全く想定していなかった。
「────触っちゃ、イヤだよ……」
フユヒは口を尖らせ、相手を軽く睨むようにして文句をつけた。
「ごめん。もうしない」
触られると喜ぶ客、だと思われたのかもしれない。しかし、フユヒは決してそのタイプの女子ではない。
瑠太が、黒服に呼ばれて立ち上がった。他のテーブルに移動する時間なのだ。
去り際に、フユヒの耳元で「本当にごめんね」と囁いて行った。最後まで、フユヒには彼の意図が分からなかった。
次に来たのは赤シャツを着て、白いネクタイをしめた、ホストだった。
ホストの身なりとしては、やや前時代的のようにも見える。似たり寄ったりに見えて、個性があるものだなぁ、と思わされた。
「はじめまして。雷来です」
挨拶をして、席についた後、ライキはいきなり「歴史に興味とかあるタイプ?」と言った。
友達紹介で来たのに、お店やナナミ先輩のことなんかには一切触れず、何の脈絡もなく歴史の話題から来た。
ちょっと面食らったが、新鮮味もある。
「えーっと、割と、歴史の授業は好きだったかな。幕末らへんとか」
「渋い所ついてくるね。うちのオヤジが坂本龍馬のファンで、俺の本名、リョウマなんだ」
「えっ、本当に?」
「本当の本当」
意外とそこから会話が弾んだ。乾杯をしたいと言われたので、一杯奢った。それがソフトドリンクだったので、これも意外だった。雷来は、お酒が飲めないのかな、と不思議に思った。
フユヒ自身は、お酒は強くもないし、弱くもない。TSしてからも、男だったときと同じくらいに飲める。
「雷来君って、名前を並べ替えると、嫌い(キライ)、になるって言われたりしない?」
「嫌い嫌いも好きのうち、って言うじゃん? 嫌い嫌いもライキのうち、って、さ」
「ふふっ、全く意味が分かんないけど……」
馬鹿馬鹿し過ぎて、笑えてしまう。
少し緊張が解けているということもあるが、このライキ君なら、担当にしても良いなぁ、という気持ちになって来た。
────ん~……。別に、また次来るつもりはないけど。
瑠太のことを考える。彼の意図はいまいちつかめないけれど、たぶん指名が欲しくて必死なのだろう、と思う。それで女性客の胸を触ってしまうのは相当アウトだと思うが、同情しなくもない。
しかし、そんな瑠太に対して、気を持たせたまま今回帰ってしまうのは良くない気がする。
指名欲しさに、CREAREの方に来られて、フユヒを指名されると貸し借りのバランスが悪くなる。こういうのは、持ちつ持たれつなので、不義理になってはいけない。
瑠太を担当にすれば、問題は無いのだが、指名欲しさに体を触ってくるようなホストを担当に持ちたいとは思えないし、相互指名の関係もちょっと面倒だ。
────誠偉矢さんも良かったけど、人気あり過ぎで、私なんか路傍の石になりそうだし。
もう来ないつもりのくせに、意外と打算的な胸算用が働くなぁ、とフユヒは自分を可笑しく思った。
ホストクラブなんて、絶対にハマらないと思う。何せ、自分の内面は男なのだ。
今はキャバクラで働いているけれど、それは単に女の子になった自分の外見を利用しているに過ぎない。
────だから、大丈夫……だと思うけど。ふふふっ……
お酒のせいか、店の雰囲気のせいか、何だか気持ちがふわふわする。
「そろそろ、フリードリンクのラストオーダーになるけど、何か注文する?」
ライキがメニュー表を見せてくれた。
「ありがとう。氷なしの炭酸水がいいな」
「味がついてるやつと、ないやつがあるよ、どっちがいい?」
「ないの」
売り上げにならない注文でも、きちんと気を配ってくれるのは、嬉しい。
当たり前と言えば当たり前だけど、夜のお店で当たり前のサービスが受けられるというのは、意外と貴重だ。
少し口を閉ざしたい気持ちになって、視線をぼんやりとお店の風景に移す。ライキも黙っていてくれた。
今夜初めてのシャンパンコールが聞こえてきた。
独特の節のある賑やかしだった。
────きっと、寂しさを、埋めてくれるんだね。こういう場所で。寂しい、って、結局は誰かと関わりたい、ってことなんだよねぇ。
フユヒは、炭酸水を飲みながら、ナナミのことを考えた。
いつも明るくて強気に見えるから、ナナミがホストにハマっている、というのは本当に意外に思う。
次に、もう一人新しいホストの男の子が来た。やはり、イケメンであったが、4人目ともなると、新鮮味が薄れる。挨拶から少し当たり障りのない会話をした。
今日は結構混んでる、とか、イベントの日はステージがある、とか、そういう話だった。
「そろそろ、帰ろうかな」
フユヒは軽く立ち上がる素振りをした。席料自体は2時間無料という説明で、まだ2時間には満たない。
「えっ、もう帰っちゃうの?」
「うん。ごめんね。この後、別の用事があるの」
フユヒは両手を合わせて片目を閉じた。
「初回なのに、あんまり賑やかにできなくてごめんね。今日、何人くらい、テーブルについた?」
「え? そんなことないよ。十分楽しかったし。瑠太君でしょ、セイヤ君、ライキ君、テンマ君で、4人とお喋りできて、大満足だよ」
「お見送りの指名ができるから、あ、ちょっと待ってて」
ライキが黒服を呼んで、帰りの支度を手配してくれた。
見送りの指名、と言われてもよく分からないが、それは有料なのだろうか、とフユヒは内心で首を傾げた。
細かいことでケチケチするつもりはないが、今からお会計が待っていると思うとちょっと緊張する。
しばらくして伝票が届いた。
そこには、諸々込みで7500円と端数の代金が記載されていた。
────思ったより安い……。良かった。でも、もうちょっと使っても良かったかな~。ナナミさんの手前、もう少しお金落としておいた方がよかったかも?
支払いの後、黒服が領収書を持ってくるのと同時に「お見送りの指名はいかがいたしましょうか」と言った。
素直に何のことかと尋ねると、気に入ったホストを一人、お見送りの担当に指名できるのだと言う。キャバクラにはないサービスだ。
「うーん……じゃあ、ライキ君にお願いしようかな」
ライキの顔を見て言うと、その声が届いたのかは不明だったが、ライキの顔色がぱぁっと明るくなったような感じがした。
それが、フユヒにはなんだか可笑しくて、また笑ってしまった。
後ろから、上着を着せてもらい、段差に気を遣うエスコートを受けた。エレベーターの前までカバンを持ってもらった。
ライキからラインのアドレスを聞かれたので、店の名刺を渡しておいた。
「あっ、フユヒさんって、CREAREのお勤めなんだ」
「そうだよ~。あれ? 知らなかった?」
「うん。お友達紹介コースとは聞いてたけど、もしかして、CREAREのお姉さんからの紹介だった?」
「そう。ナナミさんっていう、私の先輩。まだお店にいると思うけど」
フユヒは先ほど出たばかりの、店の入り口を指さした。
「そっか。どうりで、すっげー美人なわけだ。喋りもうまいし……オーラあるから。なんか、今日は逆に俺の方が楽しませてもらっちゃった感じだな」
「いやいや、そんなことないよっ。ライキ君と話せて、すっごく楽しかったよ。今日はありがとう。お仕事頑張ってね」
フユヒはエレベーターに乗り込み、手を振った。
一瞬、ライキが何か言いたげな表情になったが、エレベーターの扉が閉まるタイミングでは恭しいお辞儀になっていた。
スマホを取り出す。時計は20時を過ぎたところだ。いつもの勤務時間を考えれば、まだまだ宵の口だ。
可愛いスタンプを付けて、ナナミにお礼のメッセージを送った。
「さてと……」
フユヒはとりあえず駅の方に歩いて行きながら、今日の予定を考える。
ホストクラブで『今日はこの後予定がある』と言ったのは、もちろん、嘘だ。
そろそろシャンプーが切れそうだということを思い出した。
だが、それならばこんな繁華街ではなく、家の近くのドラッグストアに行った方が良い。
ならば、買い物は止めて夕飯でも食べに行こうか、と思うが、あまり気は進まなかった。
一人で外食するのは、それほど楽しそうではない。安いチェーン店に行くくらいなら、家で適当に食べたほうが気楽だし、かといって洒落た店での外食は同伴を思い出す。
────特にやることもないし、やっぱり、帰るかぁ……。
地下鉄の乗り場へ続くビルに向かう途中、地方都市のアンテナショップがあったのでぶらりと立ち寄った。
白を基調とした内装で、コンビニみたいに照明が明るい。
綺麗に並んだ多種の瓶詰に目が引かれる。今日の夕飯にしようかと思って物色していると、携帯電話が鳴った気がした。
見ると、ホストの瑠太からのメッセージだった。
『今日はフユヒさんと出会えて嬉しかったよ。営業とかじゃなくて、本当に仲良くしてくれると嬉しいな。今度は俺の方からお店に行くね』
まだホストクラブは営業時間なので、ちょっと驚いた。おそらく、隙を見つけてバックヤードから送ってきたのだろう、と思う。
ここまでマメにしてくれると、悪い気はしない。
とりあえずアドレスの登録をして、新しいカテゴリに入れた。
────意外と、ホストクラブ、楽しかったな。勉強にもなったし。ハマる理由が分かる気がする。
行く前は、絶対にハマらない、と思っていたのに、今ではもう考えが変わっていた。
もう一度ホストクラブに行くつもりは無いが、少なくとも、ナナミがハマる気持ちは理解できるようになった。
フユヒは、美味しそうな缶詰を一つ手に取り、自問した。
────つまり、私も、寂しいのかな?
TS病に罹って、女の子になって、あらゆるものを失った。
人間関係はその最たるものだ。
近所で悪いうわさが立つことを恐れ、実家からは絶対に帰ってこないでくれと言われている。その点は、偏見の目も多い田舎だから、仕方がないと諦めている。
ただ、その波及で地元に繋がる人間関係も途切れた。
会社を辞めれば、職場の人間とのつながりはなくなった。
TSしたことを聞きつけて興味本位ですり寄ってくるような人間もいたが、それは嫌な思い出になっている。
結局、過去に築いた人間関係は全て消失した。
ふっ、と口元が緩む。
よく分からないけれど、寂しいという言葉で片付けるには喪失が大き過ぎる。
籠を取り、缶詰と、生ハムの真空パック、それから漬物のパックを入れる。チーズの燻製と羊羹も、追加する。
レジまで来て、ご当地ソフトクリームに惹かれたが、羊羹を買ったことを理由に誘惑を断ち切った。総計2376円の支払いになった。
ヒールを鳴らしながら、ネオン街を抜ける。
一人帰路につきつつ、フユヒはこれでも結構幸せだ、と思った。
<終>
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お読みいただきありがとうございました。感想、評価等いただければ嬉しいです。
全世界のTSっ娘に幸せになって欲しい。