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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

転生した魔王の身代わりは、勇者の孫に復讐したい!

作者: 冬瀬

頭空っぽで、ノリと勢いで書きました。

頭空っぽで読んでくださいませ…(汗)





 何かを成すためには、何かを代償にしなくてはならない。

 モノを買うにはお金がいる。

 お金を稼ぐには労力を費やす。

 生きるためには命を食す。

 そういう摂理がこの世の中には存在している。


 その摂理に私は負けたのだと、アルアラは諦めの表情を浮かべ、断罪へ向かう階段を登らされていた。


 長いようで短い人生だった。

 いや、他人から見れば長いものだったろう。

 アルアラは魔族の中でも、大量の魔力を持っていたので長寿だった。

 もう二百回を超えたところで、春を数えるのをやめてしまったものだから、いくつになるかは自分でも分からない。

 見た目だって、今でも若い女だ。

 まあ、ヒトより立派な黒い角と、嫌われる白髪が特徴的ではあったが。

 魔族のみんなからは、その類稀なる力の強さと見た目から、白い目で見られることもあったが、チートだからお構いなし。悠々自適なスローライフを送っていた。

 まだまだ生きていけると、勝手に思っていた。


 それなのに……



 「魔王の身代わり」として勇者殿に断罪されることになるとは、夢にも思っていなかったのだ。



 アルアラの腕についた魔力を封じる特殊な枷が、カシャンと音を立てる。


――ああ、ああ。こんなお誂えの舞台まで用意してくれちゃって……。


 塔の上の高い高い断頭台からは、世紀の歴史的瞬間を目撃しようと、人間たちが群がっているのがよく見える。

 まるで虫のようだ、とアルアラは皮肉混じりに笑ってやった。

 そうでもしないと、気が狂いそうだった。




 これは勇者と魔王が、平和な世の中を実現するために選んだ選択肢だった。


 長く続いた人族と魔族との戦いに終止符を打とう。

 これからは、このふたつの種族は生きる場所を分けて衝突を避け、それぞれ新たな道を歩むのだ——。


 なるほど、それは素晴らしい考えである。

 ……涙が出そうなくらい感動的で素晴らしい考えであったが、その取引が行われたのは勇者が魔王討伐のために城に乗り込んで来た時で。

 勇者殿は人間の不安という凶器を取り除くためには、魔王の存在を消すことが必要だと彼に訴えやがった。

 アルアラもその通りだとは思うのだが、そこで魔王が提案した解決策というものが、彼女にとって最悪だった。



『ならば、忌子を代わりに差し出そう』



 つまりは、そういうことだ。

 アルアラは逃げて逃げて逃げまくったが、流石に魔王と勇者の仲良しコンビネーションには敵わず、平和の礎として捧げられたのである。

 人間たちの住処に連れられてこられたアルアラ。今頃他の魔族たちは、勇者が見つけたユートピアに移動していることだろう。

 目下に群がった虫けらどもは、そんなことは知らずに偽物魔王の彼女が姿を現し跪いたのを見て狂気に湧く。


 介錯は勇者のクソ野郎だ。


――こいつさえいなければ、私はまだまだ生きていられたのに。


 アルアラはこれが平和のために必要な犠牲だと頭では分かってはいたが、流石に自分が死ぬとなると「はい、そうですか」と大人しく話を飲めるわけがなかった。


「恨むなら、俺を恨め」


 クソ野郎が剣を抜きながらそんなことをほざくので、アルアラの額にビキビキっと稲妻が走る。


「言われなくても、とっくに恨んでるわ!!」


 彼女は最早ヤケクソだった。


——どうせこうやって虫けらどもの前で死ぬのであれば、平和とやらのために、最後にひとつ魔王っぽい足掻きをして死んでやろう。



「アアアアアぁあ!!!」

「な、なにをっ!」



 魔力封じの枷を壊す勢いでアルアラは、言葉通り最期の力を振り絞って大量の魔力を放出する。

 その溢れ出る魔が魔がしい魔力に、虫けらどもは恐れ慄いた。

 その恐怖に満ちた表情たちに、アルアラはやってやったと口角を上げる。

 そして彼女は言った。


「やるならやれ。“英雄” ! 心配せずとも子孫代々呪ってやる!!」


 クソ勇者はびくりと肩を震わせる。


——折角ありったけの魔力を放出してるんだから、力が消える前にさっさと済ませろや。でないと、格好がつかないだろう!?


 アルアラはそんな一心で叫んでいた。

 全く最期まで仕方ない奴だな、と自分でも思う。



「――――すまない」



 彼女に英雄の言葉は聞こえなかった。







◇◇◇







――名状し難い温もりが、私を包んでいる。



 もしや、これが天使とやらの抱擁なのではないか。

 彼女は緩み切った幸せそうな顔を、すりすりと柔らかい布に擦り付ける。

 ああ、ずっとこのままでいたい……。

 しかしながら、この世とは残酷なところで、幸せな時の終わりとは突然やってくるものだ。


「ロナ! 起きなさいよ!!」


 ガバリ、とその温もりを奪われ、ロナと呼ばれた彼女に冬の寒さが襲いかかる。

 ロナはぶるりと身体を震わせ、幸せを奪っていった目の前に立ちはだかる恐ろしい娘に喚く。



「なんてむごい事を! これだから人間は!!」



 十七、八くらいの娘に、容赦なく頭から枕を抜かれたロナ。彼女は愕然としてその娘を見上げる。


「朝から馬鹿みたいなこと言ってんじゃないわよ。そんなんだから珍獣なんて呼ばれてんのよ、あんた」


 ヘレンという名のその娘は、彼女の大事な寝具たちを人質にとっている。

――非道な!!

 ロナは震えた。


「か、返してよ! 私の相棒っ! その枕じゃないと気持ちよく眠れないんだよ!?」

「いや。起きなさいよ」

「なんてことをっ。そんなに私の睡眠を邪魔したいっていうの!?」

「だから、起きろっつーの」


 親切に起こしてやってるんだから起きなさいよ、とルームメイトのヘレンが朝から怠そうにロナの顔面に枕を軽く叩きつけた。


「へぶっ、」


 奇声を上げるロナに構うことなく、ヘレンはカーテンを開ける。

 すると冬の朝のわずかな光が部屋を潤し、茶髪にモスグリーンの瞳をしたロナの姿がくっきり際立つ。

 黙っていればそれなりに可愛いんだけどな、とヘレンは思ったが、中身が中身なので、それを口にしたことはない。

 ロナは起き上がり、顔を手で隠しながら目を細める。


「うぅ。これだから人間は……」

「はいはい。あんたも大概ね」


 ロナ――いや、元は魔族だったアルアラ。


 生まれ変わったら、人間の娘になっていた。










「ヘレン。まだ?」

「……あんた、なんでそんなに準備は早いわけ?」


 ヘレンは呆れた顔でロナを見る。

 駄々をこねて自分よりベッドでごろごろしていたはずの彼女は、すっかりお仕着せに着替え終わっていた。

 そして、これまた癪なことに、指摘することは何もない。メイクが薄いのは気になるところなのだが、元がいいので文句はつけられないのだ。


――分かってないな、人間の娘……。


 ロナは何を言っているんだ、とヘレンにど真面目な顔をして答える。


「それは勿論、朝食の時間に遅れるわけにはいかないからに決まってるでしょう?」

「はいはい……」


 適当に返事を返されて、ロナは眉間にシワを寄せた。


「朝食だよ!? 遅れたら大変でしょう!?」

「そうね。大変ね。事件よね」


 ヘレンは愚問だったな、と思いながら支度を終わらせた。

 ふたりはまだ日が昇って間もない、冷えた屋敷の廊下を進むと使用人用の食事室に入る。

 ロナはその中に、眼鏡をかけて自分たちとは異なる制服を着た女を見つけて、内心溜息を漏らす。


――今日もご存命か。侍女長……。


 人間の寿命は長くて八十くらい。

 このオバさんは五十前半。

 残念なことに、まだまだ死にそうにない。


 ロナは毎朝、ピシリとシワひとつない制服を着こなし、姿勢の良く座って朝食を食べている彼女を見てガッカリする。


——いや。我慢だ、ロナ。私は確実にこのオバさんより若い。時を待てば、いつしか侍女長になれる。そしたら、屋敷の財布を握ってやるんだ。


 彼女は自分にそう言い聞かせた。




 ……さて。

 何故か人間に転生していたアルアラ。

 彼女は気がついた時には、教会の孤児院で「ロナ」という娘になっていた。

 生まれ変わったのは良かったのだが、人間の身体と社会とは面倒なもので。

 魔族と違って人族の身体はとても弱くて世話がかかる。

 生きるためにはご飯を食べないといけないし。

 睡眠だって昔のように一週間に一回だけとはいかない。

 健康的な生活を送らねば、生死に関わる。

 だが、そのためには金がいる。

 金が欲しけりゃ、働くしかない。

 ロナはアホではあるが、伊達に二百年以上生きていないので、勉強ができない方向で頭が悪い訳ではない。

 そこそこ身体が成長するのと共に、だんだんと人間の生活に順応し、貧しい孤児院を出て教会のツテでメイドとして働くことになった。


 今は、真剣にここのトップを狙っているところなのである。

 中身は残念だが、意外に仕事はちゃんと出来たりもする。


――全ては、将来金持ちになるため! 人間界に負けてたまるか!!


 ロナはただいま社会に奮闘中なのである。





「「侍女長。おはようございます。本日もお願いいたします」」


 ふたりは声を揃えて、真っ先に侍女長に挨拶した。


「ロナ、ヘレン。おはようございます」


 侍女長はふたりをじっと見つめて、身嗜みをチェックすると「よろしい。朝食をお食べなさい」と言う。


——いつか、私もこんな風に人間どもを上からこき使ってやる!


 ロナはそんなことを胸中誓いながら、険しい面持ちで席についた。


 が――。



「ふあああ……」

「あんた、その表現なんとかならないの?」


 先ほどからいい匂いがするとは思っていたのだが、焼き立てのパンを目の前にしてロナは思わず声を漏らす。表情は言わずもがな……。

 ちなみに、毎朝のことだ。

 ロナはヘレンの言葉を右から左に流して、クロワッサンに手を伸ばす。

 匂いは勿論、焼き色が最高。

 思わず小さな月にかぶりつけば、パリパリっと外側が音を立てる。


——クッ。人間ってやつは!!


 ロナは思わず目を閉じて唸った。

 魔族は魔力さえあれば良いので、食事や睡眠をあまり必要としない。

 だから、人族の食べ物に彼女は驚き、その未だ見ぬ美味たる味わいに屈していた。


「美味しすぎる……」

「良かったわね」

「今日一日頑張れる……」

「良かったわね」


 ロナはそれはそれは幸せそうに料理を味わう。

 ちなみに、毎食のことだ。

 ヘレンは思わずフッと笑みを溢す。

 変な子なんだけれど、いい子なことに変わりはないんだよね。と彼女は「さらにこの自家製バターをつけても最高よ」と教えてあげる。


「なっ! そんなことをしたら、バター×バターでしつこくなるんじゃ!」

「旦那様が好きな食べ方よ。そのためにここのクロワッサンは、できるだけバターの使用を控えているんだから。まあ、とにかくやってみなさいよ」


 ロナはなんてことだ、と慄きながらも、好奇心に負けてバターナイフを手に握った。

 トロッとバターがパンの上を滑ったところを、彼女はかぶりつく。

 しばらく咀嚼して、ロナは俯いた。


「ダメだっ。これは、禁断の重ね付けだよ!!」


 ダメだ、と口では言う癖に、ロナはおかわりしたクロワッサンにバターを塗っている。


「そうね。カロリーのダブルパンチよ。でも、美味しいものは大抵カロリーが高いって、相場が決まってるわ」

「くっ。なんてことをっ。私をブタにまで貶めようとしているの?! 恐ろしいっ!」

「はいはい。人間はブタにはなりませんよ」


 これが人間になったロナの日常であった。











 平民ながら、侍女長になって貴族の財布を握ってやろうと企んでいるロナ。

 転機は突然やってくる。


「皆さんにお話があります」


 毎晩仕事終わりに開かれるミーティング。

 侍女長がメイドたちを前に口火を切る。

 真剣な眼差しに、ロナはヒヤリとした。


——ま、まさか。私が隠れて酒を飲んでいるのがバレた!?


 酒造庫の管理で、こっそりお酒を嗜んでいるロナ。バレてしまったのかと、心臓がひとつ大きく跳ねる。どぎまぎして侍女長の言葉を待った。


「アレクサンドロス公爵家から、メイドの募集がありました。公爵家にお仕えすることはとても名誉なことです。どなたか挑戦してみたいと言う方はいらっしゃいませんか」


 しかし、侍女長が口にしたのは全く想像とは異なる内容で。「公爵」と聞いて、ロナはギンと目を見開いた。

 男爵よりも金を持っている、人間界の上位層の人族。上手く取り入れば、金ががっぽがっぽ。


「はい! 私、行きたいです!!」


 こんなチャンスを出遅れて逃してはならないと、ロナは勢いよく挙手した。


「え、ロナ……」


 ただ、隣でヘレンは驚愕の表情。

 シンと部屋が静まり返るので、ロナは首を傾げるが、ははーんと内心ほくそ笑む。


——これは思った以上に、牽制が上手く行き過ぎたな。


 自分が先手を打ったものだから、他のメイドたちが出にくくなってしまったのだろう。

 彼女はそう思った。


「……ロナ。一応聞きますが、あなたはアレクサンドロス公爵家がどういう家柄か知っていますか?」

「公爵は、王様の次に偉い爵位です!」


 目をキラッキラさせながら、自信満々に答える。

 その場にいた誰もが言葉を失った。


「あ、あんた。もしかして『勇者の物語』を知らずに育ったの?」


 思わず尋ねたヘレンに、彼女は嫌な顔をした。


——勇者なんて自分を殺した奴の話を誰が読むか!


 そう出かけた言葉を喉の奥に押し込む。

 どうやら常識に欠けているロナを見て、侍女長が口を開いた。


「ロナ。アレクサンドロス公爵家は魔王を討伐してくださった英雄様のお家です」

「えっ!」


 ロナは我が耳を疑った。

 英雄クソ野郎は、彼女が幼い時に寿命で死んだと聞いたので、頭の隅の隅〜〜に押しやっていた記憶だ。


——自分を殺した野郎の家になんて、仕えてたまるか!!


 嫌な記憶を封印して生きてきてやってるというのに、何ということだ。

 せっかくのチャンスではあるが、さすがに前言撤回せねばならない。

 口を開こうとすると、ヘレンがそれより前にロナに言う。


「初代公爵様が英雄カインなのよ。でも、彼は魔王のせいで子孫代々呪われてしまって、今では呪われた一族と言われているの。関わった人間だって、呪われるのよ」

「ヘレン」

「す、すみません。でも、その、事実を述べただけです……」


 侍女長に咎めるような目を向けられるも、ヘレンはそれだけはこのアホな子に教えてあげねばと思った。涙ぐましい犠牲である。


「の、呪い?」


 ロナの呟きに、侍女長は「はあ」と溜息を吐く。


「この国の人間なら、皆知っていることですよ、ロナ。アレクサンドロス公爵の皆さまは、その身を犠牲にして我々をお守りくださっているのです。今は、ご嫡男であらせられるカリウス様が身体を呪文に蝕まれて苦しみながらも、生まれ持った大きな魔力で民をお救いくださっています」


 気難しい顔と口調で彼女は続ける。


「仕える者は、それ相応に覚悟をして行かねばなりません。呪いが恐ろしいからと、投げ出すようなメイドは送ることはできませんよ?」


 理解のないロナに向けて説明を終えると、侍女長は幼子に言い聞かせるような視線を注いだ。


「行きます」


 空耳が聞こえた気がして、侍女長は目を丸くする。

 が、ロナが一歩前に出た。



「侍女長、是非。是非、私に行かせてください」



 ……どうやら、空耳などではなかったらしい。

 何故か、先ほどよりやる気に満ち溢れたロナが呪われた一族のメイドになりたいと懇願している。


「あ、あんた馬鹿なの!? 公爵家からわざわざこうして募集がかかるということは、今、呪いをもらってる、〈角なし魔族〉と恐れられているカリウス様に仕える侍女を欲しているということなのよ?!」

「――ヘレン?」


 侍女長が全く仕方ない子ね、と眉根を寄せた。

 呪われた英雄の一族についての話は、あまり口に出すべき話ではないのだ。



「うん。だから、行きたいです!!」



――だが、それを聞いても行きたいと言うこの娘も、どうなのだろうか?


 正直、侍女長もこの話は誰も受けないだろうなと思っていたのだ。

 ロナは仕事はちゃんとできる娘だ。

 一番優秀だと言ってもいい。

 でも、ちょっと人とは考え方が違うところがある。現に、誰も行きたがらないアレクサンドロス公爵家に志願するような娘だ。


「本気ですか?」

「勿論!」


 ロナは今までにないやる気に満ちた顔で、頷いた。


 これは苦しんでるところを、是非とも見に行かなくてはならない。弱ってるときなら尚、好都合。

 そのカリウスとやらに、復讐してやろう。

 彼女はもう、どんな手を使ってでも英雄の家に行く気しかなかった。



——死際に「子孫代々呪ってやるわ!!」なんて言ったのは覚えているけど、まっさかあ、本当に呪われているとは!!



 ロナ満面の笑みに、そう言えばこいつ「珍獣」だったと、誰もが思うのだった。











 かくしてアレクサンドロス公爵家のメイドになることが決まったロナ。

 どんなに待遇が良かったとしても、彼女以外に自ら望んで〈角なし魔族〉の使用人をやりたがるものはいなかったので、すんなり事は運んだ。

 世話になってやった人間の娘、ことヘレンにはちゃんと手紙を書くことを約束し、ロナは新たな舞台へ旅立つ。

 馬車を乗り継ぎ、数日。


「な、なんて広さの豪邸……」


 トランクバッグひとつだけを引っ提げて、仇の家門の前に立つロナは、男爵とは比べ物にならない屋敷の広さに目を見張った。


「私を殺したから、こんな贅沢な暮らしができてるんだぞ。感謝しやがれ、くそったれ!」


 彼女は思わずその場の砂を蹴り飛ばして叫んだ。


——その富、私に寄越しやがれ。これから貪り尽くしてやる!!


 屋敷の前で怪しい動きをしている彼女に、守衛が出てくる。


「貴様、そこで何をしている!」


 ロナはハッとして姿勢を正した。


「本日より、こちらのお屋敷にお仕えすることになりましたメイドでございます」


 変わり身の速さに守衛は怪訝な目つきで彼女を観察したが、お仕着せを着ているし、メイドが来ることは連絡があったので知っている。

 何でも「珍獣」というあだ名をもつメイドらしいので、彼女で間違いなさそうだ。


「名前は」

「ロナと申します。これが推薦状です」


 彼女が渡した推薦状には、ちゃんと男爵の封蝋がされている。


「これからお世話になります。守衛さん」


 ロナはにっこり笑った。

 彼女の戦いは既に始まっている。

 外堀から埋めて、いつしかこの屋敷を裏で操ってやるのだと、ロナはこの豪邸を見たときに決意した。

 勇者のクソ野郎は彼女を殺したことで、英雄になったのだ。

 つまり、英雄になれたのは自分のおかげ。


——ということで英雄に与えられたものは、私のものだ!!


 とまあ、そういうことである……。




 ロナは既に変人疑惑をかけられているとも知らずに、守衛に門の中へと入れてもらう。

 しばらくすると新しいライバルが彼女を迎えに来た。


「あなたがロナさんですか。わたくしはこのお屋敷の侍女長を務めています、ココットと申します。どうぞ、これから、末長くお願いいたします」


 ココットが前までの侍女長と違って、あまりにも腰が低くてロナは目を丸くする。


——この人に長く居られるのは困るんだけどな。


 そう思いながらも、彼女ははじめが肝心だと丁寧にお辞儀をした。


「デュオッセオ男爵家から参りました。ロナと申します。至らぬところもあるかと思いますが、ご指導のほどよろしくお願いいたします」

「まあっ。話に聞いてた通り、可愛くて丁寧な子だわっ。来てくれて本当にありがとう。さあ、案内をするから入って頂戴!」


 ココットはそれは嬉しそうに微笑んで、ロナを案内した。


「……あれは?」


 屋敷を覚えるために、観察しながら歩いていたロナは目の前に大きく立ちはだかる屋敷の他に、もうひとつ建物が建っているのに気がつく。

 後から建てられたもののように見えるが、かなりしっかりとした建築だ。


「あちらの〈時の城〉がロナさんの主な仕事場になります」

「え?」


 ロナの視線に気がついたココットが、どうせ後には言わなくてはならないことなので、と語り出す。


「〈時の城〉はご嫡男であらせられます、カリウス様の居城となっております。ロナさんにもお察しいただけているとは思いますが、今回の募集はカリウス様の身の回りのお世話をするためのメイドさんに来てもらうためのものです」


 ココットは悲しそうに苦笑する。


「カリウス様は極端に人と会うことを嫌われて――いや、恐れられておりますから、最初は戸惑うことも多いでしょう。でも、カリウス様はお優しい方です。周りの人間が呪われるなんていうのだって、デマなんですよ。どうか頑張ってくださいっ」


 ココットがロアの両手を取る。

 彼女は「は、はぁ……」と困惑したが、はて、と疑問が浮かぶ。


「もしかして、あの建物にはカリウス様しかお住みでないのですか?」

「はい。呪いのことがあって、あちらで生活をなさっています。〈時の城〉に足を運ぶのは使用人数人と、たまにいらっしゃる騎士団の方くらいですかね」


 それを聞いて、ロナの足が止まる。

 ココットは慌てて付け加えた。


「ロナさんが専属のメイドとして付きますと、ほとんどあの建物に人は入りませんが、不安にならないでくださいね! ちゃ、ちゃんとフォローはします!」

「お気遣いありがとうございます。でも、私もそれなりに役に立てると思うので、ご心配なく!」


 つい、調子に乗った言葉が出る。

 ロナは笑っていた。口角がくいっと上がる。


——それだけしか人がいないとは、なんて行動しやすいんだ!


 こんなのは、もう、私に攻略してくださいと言っているようなものではないか。と彼女は興奮していた。

 〈時の城〉とやらは、既に私の手に落ちたな、なんてしめしめと思いながら、先に本館の方の中へと進んだ。


「……?」


 ココットは彼女のその表情に、小首を傾げたが、ロナはそれに気が付かなかった。





 しばらく歩いて、本館へと足を踏み入れたロナ。

 ココットに導かれるまま長い廊下を進み、この屋敷の主の部屋にたどり着く。


「旦那様。新しいメイドをお連れしました」

「入れ」


 中に入ると腹立たしいことに、自分を殺した勇者の面影をひしひしと感じさせる男が座っている。


「君が新しいメイドか……」


 意味深な呟きに、ロナは眉を潜めた。


「なるべく長く勤めてくれ。それ以上に言うことはない。ここにあるものは好きに使っていいから、どうか息子のことを頼む」


 その男はメイドごときに、そう言って頭を下げる。ロナは軽く驚いた。

 男爵ですら、こんなことをしたことはなかった。

 人間の貴族に頭を下げられるのも、なかなか悪くない気分だ。


「かしこまりました。精一杯努めさせていただきます」


――一生懸命、この公爵家を私色に染めてくれるわ!


 ロナの意気込みは、前任のメイドたちの誰よりも決意に満ち溢れるものであった。





「ロナさんのお部屋は、本館にも用意してありますが、〈時の城〉にも使用人が寝起きできる場所はあります。どうしましょうか? ちゃんと鍵付きですし、カリウス様から部屋をお尋ねになることは絶対にないとは思いますが」


 ボスに挨拶を終えて、ココットに屋敷を案内されながら、ロナは自分の部屋について尋ねられた。


——英雄の孫風情がっ!一丁前にあの城で一人暮らしとは、解せない! 


 そう思ったロナは答える。


「勿論、〈時の城〉に泊まります。本館では何かあった時、すぐに駆けつけることができませんから」

「まあっ! ロナさんはメイドの鏡だわっ!」


 ココットは感激して口元に手を当てた。


 そう言う訳で、ロナはさっそく〈時の城〉へと移動する。

 まず手始めに、そのカリウスの呪いとやらを拝んでおかないといけない。

 きっと神が、自分のことを哀れんであの捨て台詞を拾ってくれたのだろう。

 いいとこあるじゃん、神! とロナはうきうきした。足取りはステップを踏むように軽やかである。


「さて。心の準備はいいですか?」


 扉の前でココットはロナに問う。

 ロナはもう、早く呪いを見たくて待ちきれない。

 「はい!」と元気よく返事をした。

 それを見たココットは、嬉しそうに首を縦に一回振って、コンコンコンと扉を三回叩く。


「ココットでございます。新しいメイドを連れて参りました」


 ココットの張り上げた声に、ロナは目を丸くする。

 しばらくした後に、返事の代わりにガチャリと音を立ててドアの鍵が開いた。


「では、中に入りましょう」


——え、何? 孫って魔法使えんの?


 ロナはその事に驚く。

 そう言えば、大量の魔力がどうこう、騎士団がなんちゃらとか言ってたな、と彼女はそこで思い出した。

 呪われて苦しむとか言うから、貧弱だと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。

 今更ながら、自分を殺した奴の孫にこれから会うのだと、恐る恐る中に足を踏み込む。

 とっくに英雄の息子と顔を合わせたというのに、なんともおかしな心境の変化である。

 廊下を進むと、ところどころに埃が溜まっているのが目に入りロナは気になったが、それよりも気になったことをココットに問う。


「ところで、カリウス様っておいつくなんです?」

「えっ。こ、今年で二十三歳になられますよ? ……もしかして、ご存知なかったのですか?」

「二十三!?」


 ロナはゲッと、顔を歪ませる。

 勝手に歳下をイメージしていたのに、まさかの歳上。

 まあ、前世を含めれば赤ん坊も同然だが、大人の人間の男となると悪寒がする。


——いや、落ち着け、ロナ。子どもは子どもで、復讐がやり辛いでしょう? 丁度、勇者が私を殺した頃と同じくくらいの歳。それならば、遠慮なくやってやれる!


 彼女は瞬時に切り替えた。

 自分の都合の良いように解釈するのは、もはやちょっとした特技である。


「ごほん。問題ありません」

「そ、そうですか。よ、よかった……」


 ココットはそれを聞いて安心した表情を浮かべる。どうやら、かなりこの仕事を請け負ってくれる人材は少ないらしい。

 ココットはひとつの扉の前で、フウ、と厳しい顔つきに変わってロナに向き合った。


「カリウス様は、誰かがこの建物に入ったら、必ずこちらの執務室にいらっしゃいます」

「かしこまりました」


 ロナは頷く。

 さあて、楽しみなご面会だ。

 彼女は自分の身嗜みをチェックして、よし、と意気込む。

 その隣では、ココットが何度も深呼吸をしている。


「大丈夫ですか?」


 なかなか部屋に入ろうとしないココットに、ロナが尋ねた。

 ココットの表情は強張って、とても緊張しているように見える。顔を覗かれた侍女長は、物言いたげな眼差しをロナに向けた。


——彼女は、この仕事をちゃんと受けてくれるだろうか……。もし叫ばれたり、倒れられたりしたら、またカリウス様が傷ついてしまう。


 ココットの胃はキリキリ痛んでいたが、公爵と話し合って、ロナを雇うと決めたのだ。

 ここまで来て、引き返すことはできない。


「だ、大丈夫です。行きましょう」


 覚悟を決めたココットは扉を叩く。


「ココットです。入ります」


 この城に入れた時点で、カリウスに面会する許可はもらえたも同然。追い払うのも面倒で彼がここまで上げてくれていることは、ココットも重々承知していた。

 本館とそう変わらないはずのドアノブは重く感じる。

 彼女はゆっくりそれを押し開いた。




「新しいメイドを連れて参りました。カリウス様」




 そこには、長机で黙々と仕事をしている青年がひとり。

 彼はふと顔を上げた。

 ロナは目に飛び込んで来た、その容姿に瞠目する。



 仇の孫は、艶めく黒髪に、魔族に特有の黒い目に青い瞳孔を持つ、思わず息を飲むほど見目麗しい男だった。

 首を這い、左の頬から鼻を伝って右の頬にかけて、まるで薔薇のトゲのように身体を蝕む禍々しい赤黒い呪文と、顔色の悪さ、酷いクマさえなければ、誰もが認める美形だろう。



——理不尽な!!



 ロナの心中は全く穏やかではない。


――どう言うことだ、神よ。勇者にも増してイケメンって、そんな事があっていいのか!? めちゃくちゃ腹立つんだけど!? 何当たり前みたいにいい顔しちゃってんの!? 呪いの馬鹿野郎!! もっと、ちゃんと仕事をしてくれよ! 呪いっていったら、醜くなるものだろ!!


 「ああああ!」と彼女は心の中で頭を抱える。

 全くの期待外れである。

 呪いというから、もっとすごい奴を期待していたのに、これでは全く鬱憤が晴れない。ガッカリだった。


 カリウスはそんなロナの心情も知らず、無表情のままでココットに言った。


「ココット。何度も言うが、俺に使用人はいらない」

「そ、そう言わず、ひとりくらいお付けになってくださいませ。こちらのロナさんは、とっても仕事熱心と評判のお方なのですよ。きっとお役に立ちます」

「役に立つ? 俺には食事に、入浴、洗濯、その他もろもろ、メイドがやるような手伝いは何も必要ない。これまで何人の使用人たちがやめていったと思っている。経費の無駄でしかないな」


 鼻で笑うカリウス。

 呪いのせいで、凄みがある笑いだ。

 今までに何人もの使用人たちが、顔合わせの段階で、その醜い呪いを嫌って辞めていった。

 たとえ、それをクリアしたとしても、今彼が言ったように、食事なしで生活できるカリウスに恐れて、ほとんどがこの城を去っていく。

 〈角なし魔族〉とは上手いことを言ったものだ。

 彼には、何故父親が自分に使用人を付けたがるのか、全く理解ができなかった。



「わかったら、お前も出てけ。呪われるぞ?」



 ロナに向けられたその一言に、彼女の中で何かがストンと落ちる。

 目が覚めたような気分で、頭が冴えた。


——どうやらこの男、私にメイドをやって欲しくないらしい。……ああ、なるほど。いいことを思いついたぞ。


 ロナは口角を上げた。




「それは出来ません」




——こうなったら、何としてでもここに居座って、とことんこいつの嫌がることをしてやる。



 一応言っておくと、彼女の魂は二百年歳を悠に超えている。

 残念ながら、精神年齢は別として……。


「……は?」


 何言ってるんだ、こいつ。

 そう言う視線がカリウスからロナに注がれる。

 当の本人はそんな事はお構いなしで、ターゲットの前へ出た。


「デュオッセオ男爵家からやって参りました。ロナと申します。どうぞこれからよろしくお願いいたします。カリウス様」


 宣戦布告を申し出ると、カリウスは眉間のシワを増やした。


——いいぞ。効いてる。もっと凝らしめてやるから覚悟してろよ、英雄の孫!!


 早速手応えがあったロナは心の中でガッツポーズ。



 こうしてロナの復讐という名の嫌がらせ劇が幕を開けた。





「まあっ!」と本日何度目かになる動作をして、ココットはその感動的なワンシーンを目に焼き付けた。


——間違いない。彼女は逸材だ。


 ココットの勘がそう言っている。

 逃しはしまいと、彼女はロナの手を引いた。


「では。彼女を使用人部屋に案内してきますね」

「は? おい、待て。部屋って、」

「ロナさん、こちらです」


 カリウスの戸惑った声を無視して、ココットはロナを部屋に案内する。

 バタン、と扉を閉められて静かになった執務室で、カリウスは出しかけた手を下ろす。


「まさか、ここに泊まるわけがないよな……」


 茶髪に緑色の目をしたあのメイド。

 全く自分を見ても物怖じする様子がなかったな、と彼は思ったが、いやいやと首を横に振る。

 今までも、カリウスの見た目を気にしないと言って働きに来たメイドは何人かいた。

 だが、呪いは本物だ。


 カリウスは顔に手を当てる。

 偶発的に痛みを伴うこの呪いは、どんな魔法を持ってしても消えたことがない。

 自分が苦しむだけならまだ良かった。


 しかし――これは周りにいる者も不幸にする。


 自分に関わった人間に不幸が降りかかったなんて話は、今までいくつも聞いてきた。

 皆、いつ呪われるかと恐怖に耐えかねて、この城を去って行くのだ。

 どうせ、彼女も長くは保たないだろう。

 いちいち相手をするのは面倒だが、放って置けばいつの間にかいなくなる。

 彼はしばらくの辛抱だと思い、念のために執務室にガチャリと鍵をかけるのだった。









 いつの間にか胃痛から解放され、城を案内をしているココットの顔色はだいぶん良くなっている。


「どうです? あなたなら、きっとカリウス様と上手くいきそうでしょう?」

「はい! すごくやる気が出てきました!」

「そうでしょう!」


 ココットはそれはもう嬉しそうな顔だ。

 昔は公爵が背負っていた呪いは、子どもの誕生とともに消えて、再びカリウスの身体に現れた。

 公爵が、生まれた時からずっと呪いをひとりで背負っている息子のことを心配しており、何もしなくても良いから誰か側にいて欲しいという願いがやっとまともに叶いそうだ。


「ここが使用人部屋です。……ちょっと掃除をしたほうがいいみたいですね。ごめんなさい、まさかこちらを使ってくれると言われるとは思ってもみなくて、準備をしていなくて」

「いえ。こんなに立派なお部屋をいただけるなんて恐縮です。掃除は自分でしますから、大丈夫ですよ」

「本当? そう言ってくれると助かるわ。その、皆んな入りたがらなくて……。誰も使ってませんから、ご自由に使ってください。旦那様のおっしゃっられた通り、ここにあるものはある程度好きに使って構いませんから」


 ロナは日当たりの良い部屋を選び、トランクを置いた。

 ベッドは勿論、作業ができる椅子と机に、本棚、クローゼットまである。

 使用人にひとりに対してはあるまじき、とても充実した部屋だ。

 前世で殺された分、遠慮なく使わないとな、と彼女は誓う。


「それじゃあ、簡単にお屋敷について説明しましょうか」

「はい」


 その日は屋敷のあれこれをココットに教えてもらうことでだいぶん時間が過ぎた。

 一番重要な食事については、本館にある使用人室で食べるか、こちらの城で自炊もしていいと言うのだから最高。

 人間になってからというもの、ロナは料理は大好きなので、自分が好き勝手できる調理場をもらえるのはとても嬉しかった。食材は、本館の厨房からもらえるそうだ。

 昼食と夕食を仲良く本館の使用人さんと食べさせてもらい、公爵家のワンランク質の良いお料理たちにロナは幸せの笑顔を振りまいた。

 相変わらず「これだから人間は」と口癖を漏らすこともあったが、募集で提出された書類にそのことについては記載済みであり、「面白いからいいや!」とここの使用人たちは全く気にしない。

 多少の欠陥には目を瞑らなければ、あのカリウスに付いていける人は得られないだろうと思っていたのである。

 そう思われているとは知らずに、ロナは終始笑顔だった。


 新しく制服をもらい、その品がよい可愛いさに明日から着るのが楽しみである。

 本館の使用人たちが皆んな(辞めさせまいと)良くしてくれるので、彼女の気分は上々だった。


——これは、この屋敷が私のものになる日はそう遠くないかもしれない……。


 と、そんな具合である。


 夕食を終えて夜になると彼女は暗い夜道を物ともせず〈時の城〉に戻った。

 ココットが鍵を持たせてくれたので、自分で扉を開けて中に入る。

 日が出ているうちに軽く片付けをしておいた部屋で支度をすると、彼女は鼻歌を歌いながら浴室に向かった。

 カリウスは魔法で汚れを落とせるので、風呂は使わない。

 つまりは貸切。自分だけのお風呂。それもなんと湯は温泉だ。



 彼女は早速、温泉に浸かった。

 ザパーンとお湯が湯船から溢れ落ちる。

 なんて贅沢な音なのだろうと、ロナ破顔した。




「ここは私の城にするぅ〜〜!」





 すっかりご満悦で、毎日この自分専用風呂に浸かってやると決める。



 ちなみに、主人を差し置いて図々しくその風呂に入った使用人は彼女が初めてであった。














 ロナはハッと目を覚ます。

 長年のメイド業で培われた体内時計が、自分に早く起きろと警鐘を鳴らしていた。

 彼女は起き上がるとすぐに銀時計をチェックして、もうすぐ朝食の時間が迫っていることを知る。


「まずい!」


 ベッドから降りてカーテンを開け、必要なものを持って洗面台へ。

 顔を洗い、口を濯ぎ、髪を結え、軽く化粧をした。


「よしっ」


 部屋に戻ると次に、クローゼットのハンガーにかかっている新しい制服に手を伸ばす。

 あっという間にそれに着替えて、準備は終了。

 いつ来客があっても対応できるよう、早着替えは基本スキルである。

 時間には十分間に合いそうだ。


——うん。私は人間の娘の脅威がなくとも起きることができる!


 ヘレンに毎朝起こされていたロナ。

 新鮮な気持ちで〈時の城〉を出ると、裏口から本館に入った。


「侍女長。おはようございます。本日もよろしくお願いいたします」

「まあ。ロナさん。おはようございます。制服、似合ってますよ!」

「ありがとうございます」


 男爵だろうと公爵だろうと、基本的にメイドの仕事は変わらない。

 主人のために尽くす。

 この一言こそ、お仕事の根本。

 ロナは朝食を食べながら考えた。


——さて。どんな風に尽くしてやろうか。


 あの城にいる坊っちゃまは、どうやら人間が嫌いらしいので、嫌というほど顔を合わせてやる予定だ。

 きっと、嫌がる顔が見られるぞ。

 ロナは昨日の怪訝なヤツの顔を思い出してほくそ笑んだ。


「ロナさん」

「はい?」


 美味しいスープとパンを頬張っていると、ココットに名前を呼ばれる。


「今日のお仕事に不安はありませんか? 昨日言った通り、ロナさんはあのお城に居てくださることがお仕事のようなものです。戸惑いますよね……」


 ココットの不安そうな顔にロナは目を丸くする。


「〈時の城〉は私が責任を持って管理させていただきます。やることは沢山ありますから大丈夫です」


「「おお〜」」


 使用人たちがロナの一言を聞いて感嘆した。


「なんて頼もしい人なんでしょう!」


 ココットは今までに見ない挑戦的なメイドに目を輝かせる。


「頑張れよ、新人!」

「応援してるぞ」

「分からないことがあったら、遠慮なく聞いてくださいね」


 ロナには声援が送られた。


——私の時代が来た……。


 前世で忌子として嫌厭されてきた彼女。

 こうして誰かから応援されたり、慕われることは滅多になかった。

 ひとりで生きてきた魔族のときと比べてみると、人間の自分はイケている。

 人族に殺されたが、魔族にも売られた身であるので、案外今の生活も悪くはないと思えていた。









「さあて!」


 時の城に戻ったロナ。

 カリウスは執務室と自室のどちらかにしかいないらしいので、ひとりで住むには広すぎる居城は汚れが目立つ。

 昨日から気になっていたことなので、彼女は最初に掃除から始めた。

 勿論、“自分の”城が汚れたままでは許せないからである。


「ふんふふーーーん!」


 勢いの良い鼻歌を披露しながら、彼女はせっせと埃を落とし、窓を拭き、床をはいて、最後の仕上げにかかる。

 ロナは掃き出すだけでは落ちない汚れを落とすために、廊下の雑巾掛けを始めた。

 夢中になってピカピカに床を磨いた彼女は、自分の姿勢を見てハッとする。


「なんてポテンシャルの高い床なの!? ま、まさかこれは、私を跪かせようとする罠!?」


 いつの間にか膝をついていた自分に戦慄した。

 この床には何か魔法でもかかっているのではないかと思わず立ち上がったが、魔力の反応はない。

 振り返ってみると自分が掃除したところが輝きすぎて、ここで作業をやめることは憚られた。


「く、これだから人間の造るものは!」


 彼女は仕方なく跪き、廊下を磨き上げる。





「……そこで何をしてる」




 そんなロナに低くて張りのある男の声が降りかかった。我に返ってカリウスを見上げる。


——しまったっ。英雄の孫ごときにこの私が見下されるなど、不覚!!


 彼女は雑巾片手に、流れるような動作で起立する。が――。


――なっ。こいつ、身長が!!


 それでも見下ろされることにロナは軽くショックを受けた。

 しかしながらそれを相手に悟らせてはならない。彼女は懸命に背筋を伸ばす。


——あ。そういえば、挨拶してないわ。


 自分の城を掃除するのに夢中で、あろうことか主人に挨拶を忘れていた。

 しかし、そんなミスだって、咎める者は誰もいない。

 ロナは余裕な面持ちで「おはようございます、カリウス様」と応える。


「お前、ここの鍵を持っているな」

「はい。持っていますよ。侍女長に頂きましたから」

「出せ」

「なぜ??」


 彼女はモスグリーンの瞳をジッとカリウスに向けた。


「俺はメイドを必要としていない。ここから出て行け」

「嫌です」

「は?」


 おっと、口が滑った。と彼女は口に手を添える。もともと敬う気持ちなんてないものだから、言葉が砕けてしまった。

 しかし「出てけ」と言われたら、出て行きたくなくなるのが復讐者(?)というものだ。


「僭越ながら申し上げますと。私は旦那様に雇われた身の上。カリウス様にいくらご命令されても、辞めることはありません」

「……」


 意外にも筋の通った反論をされて、カリウスは押し黙る。


――勝った。


 ロナはその様子を見て拳を握る。


――言いかましてやったぞ、お前の孫を!


 彼女は天を仰ぎ、心の中で、復讐する前に死にやがった英雄野郎に教えてやる。

 そのニヤニヤしたロナの表情に、カリウスは若干引いた。

 フウと溜息を吐いて気を取り直すと、彼は真剣な顔で告げる。


「……俺は忠告をしている。これが最後だ。呪われたくなければ、出て行け」


 何を思ったか、メイドはこの城に寝泊まりを始めたことを彼は知っている。

 こんなことは初めてだったので、早々に追い出さねばと、わざわざ出向いてやったのに反抗的な娘だ。自分より若いので、反抗期という奴なのかもしれない。面倒なのが来てしまった……。



「——そうはさせない」



 そしてぼそりと漏れた言葉に、カリウスは眉根を寄せる。


「は?」


――聞き取りずらかったが、今、こいつ間違いなく「そうはさせない」と言ったぞ?


 彼は目の前の娘を見つめた。

 ロナは何かのスイッチが入ってしまったようで、わなわなと身体を震わせている。



「なんて傲慢なの!! この城を独り占めするつもりなのね! これだから人間の独占欲というものは!!」



 彼女は叫んだ。

 一応断っておくと、ロナはかなり真剣な表情である。ガチなのである。ついにカリウスにアホが露呈したのである。

 気迫ある言葉に頬を引きつらせるも、カリウスは勇敢にも言い返した。



「……この城は呪われた俺に与えられている」



 しかし相手は「珍獣」の称号を持つロナ。

 真面目に返すなどナンセンス。





「――ここは私の城だぁああ!!」





———変人だ。こいつはヤバイ奴だ。



 カリウス初めて、他人に本気で引いた。











 カリウスは一時待避していた。

 執務室の机に肘をつき、彼は額に組んだ手を置く。


「おかしな奴が来た……」


 今日のあのやり取りだけでわかる。

 あのメイドは頭がおかしい。

 彼は自分の呪いがどうこうという話はすっかり忘れて、ロナという存在に衝撃を受けていた。

 あんな人間、今までに関わったことがないタイプだ。


 まあ、それもそのはずで、彼女の魂は魔族アルアラ。人族と比べてはならないし、お気付きかもしれないが、そもそもアルアラがちょっとおかしい。


 未確認生物に返り討ちにされたようなカリウスは、安全な自室に篭って心を落ち着かせる。

 ついに父親は、あんな奴を自分に送り込んで来たのかと、彼は複雑だった。


 コンコンコン


 扉を叩かれる音がして、カリウスはびくりと肩を竦める。

 カチャッとドアノブが捻られて、彼は思わず身を引くが、扉は開かない。

 鍵は閉めてあった。


――よかった。危ないところだった。


 彼は次に開けるか悩んだ。

 正直に言って、開けたくない。

 いや、開けなくていいだろう。


「カリウス様ー! 私、昼食をとってきます!」


 彼女はカリウスの返事など聞かず、出口に向かって走り出す。

 ロナは一心不乱に掃除をしていたものだから、昼食の時間はもうすぐ。男爵家よりも時間が早いので、危うく間違えるところだった。

 入って来なかったことを安堵しつつ、気配が無くなったのを確認してから、カリウスは扉を開けて廊下を見る。

 彼は驚いた。


 光っている。


 窓から光の差し込む廊下は、綺麗に掃除されて輝いている。

 ひどい汚れでない限り、今まで気にしていなかったのだが、ちゃんと手入れをされた室内は明るさが増していた。ここまで違うのかと、カリウスは純粋に驚く。



「……仕事は出来るんだな」



 彼はポツリと呟いた。

 とても複雑である。









「あ。ロナさん。お疲れ様。ちょうど呼びに行こうかと思っていたところでした」


 ロナがいい匂いが漂う使用人室に入ると、ココットが出迎える。


「お疲れさまです」


 彼女は返事をしつつ、テーブルに並べられた料理を盗み見た。


——なっ。あれは、ローストビーフ!?


 美しいきめ細かい霜の降った赤身の肉を見て、彼女は興奮する。

 流石、公爵家。出てくる料理が素敵すぎる。


「どうでしたか、お仕事は」

「はい。よく使いそうな部屋と、廊下はすべて磨き上げました。午後も掃除を続けようと思います」


 早くあの肉に噛みつきたい。

 簡単に報告を済ませて、席に着こうとした。


「まぁ! ロナさん、お城のお掃除を?」


 そこで何故かココットが驚きの声をあげるものだから、ロナは訳がわからない。


「意外に埃が溜まっていて、掃除のしがいがあります。何か問題が?」

「い、いえ……」


 ココットはロナといえど、まさか本当にカリウスの居城を怖がらずに掃除してくれると思っていなかった。

 ロナの仕事は長くカリウスに仕えることだが、裏を返せば側に居れば何もしなくとも良いということなのだ。呪いのイメージを払拭するために、彼のそばにいても安全であることの証明ができればいい。

 ロナはそんなココットの不可思議な反応に、顔を青くする。



「も、もしや。もっと頑張らないと、お給料がカット!?」



——この人間、もっと私に働けと暗に言っているのか?!



「え?」


 あわあわし始めるロナに、今度はココットが訳がわからない。


——今の会話で、何故そうなる?


 だが、今の話でそんなことになってしまうのがロナ。

 考えてみると男爵家にいた時のほうが、もっと色々な仕事をしていた。掃除だけをさせてくれないとは、この人間も言ってくれる。


「わかりました。午後は、ちゃんと掃除以外……。そうですね。アフタヌーンティーの準備をしましょうか」

「あ、あの、ロナさん?」

「え? まだ足りない? それなら……」

「い、いえ! 十分よ!! ありがとう!」


 これ以上話をややこしくしてたまるかと、ココットはそこで話を切った。


——カリウス様は、アフタヌーンティーなんていらないのだけれど……。ものは試しよね。


 カリウスは食事がいらないのだ。

 アフタヌーンティーなど必要ないことをココットはわかっていたが、何故かやる気満々のロナにここは任せてみようと思う。

 ちなみにロナがアフタヌーンティーを提案したのは、ただ単純に自分がおやつをつまみたくて、ぽっと思いついただけである。







「カリウス様ー!! アフタヌーンティーをご準備して参りましたぁ!!」


 ロナは執務室の前で叫ぶ。

 何故叫ぶかって?

 扉を開けてもらえないのは、聴こえていないせいだと思ったからだ。

 思い出してみると、初めてこの城に入った時、ココットも声を張っていた。

 だから、ロナはコンコンコンと扉を叩き、「カリウス様!! メイドのロナです!!」と叫ぶ。

 ちなみにココットはそんなに大きな声で叫んでいなかったし、あの時は城の玄関だった。

 決してカリウスの耳が遠い訳ではない。


「何なんだ。意味がわからない……」


 中にいるカリウスは戸惑った。


——正直、怖い。何なんだ、このメイド?


 こんな風にして迫ってくる人間と人生で初めて出会う。

 カリウスはどうして良いか分からなかった。彼は呪いのために、人との付き合いを避けて来たのだから。

 そんな心情を知る訳もないロナ。


——早くしないとお湯が冷める!! さっさと鍵を開けろ、孫!


 わざわざこの城の厨房で湯を沸かして用意してやったというのに、それを台無しにするつもりか……。

 返事もしないカリウスに、彼女は信じられないと表情を変える。


「なんて人間なの! あり得ない!!」


 彼女は最早、カリウスのことを主人だとは思っていなかった。

 自分で言った通り、本当の主人は公爵であって、こいつではない。


「閉じこもろうったって無駄! やってやるわ!」


 ロナは強硬手段に出る。

 ポケットを探って、針金を出した。

 数秒後――ガチャリと、鍵の開く音が鳴る。



「——は?」



 鍵開けなんて、朝飯前。



「カリウス様!!」



 彼女は勝手に鍵を開け、すかさずワゴンと共に突入した。


「お、おま、」

「さあっ! お湯が冷める前に!!」


 たとえ憎くても、給料分の仕事はしてやるわ! と、ロナはテーブルを片付けて、アフタヌーンティーを用意し始める。

 茶葉をティーポットにセットして、正しい作法で温めたカップにとぽとぽ注ぐ。


「おい——」


 カリウスはそんなものは必要ないから出て行けと伝えようとしたのだが、彼女の顔を見て言葉を止める。



「ほああ……」



 ロナは自分の世界に入って、その芸術的な香りと色に目を奪われていた。


――こんなお高い茶葉、どんな味がするんだろ。飲みたい……。ついでに、お菓子も食べたい……。


 余るだろうからロナさんが食べていいわ、と前もってココットから言われているのだ。

 さっさとお暇して、余った焼き菓子をいただきたい。


 ロナのだらしがない表情に、カリウスの顔が引きつる。



「くっ。仕方ない……。先に譲って差し上げます」



 彼女は苦渋の決断を下した顔つきで、ロナにどうぞとセットを譲った。

 彼は少しの沈黙のあと口を開く。


「……俺に食べ物は必要ない」


 断腸の思いで準備をしたというのに、カリウスがそう言うものだから、ロナは目をこれでもかと見開く。



「人間のくせに、食の有り難みをご存知ないですって?!!」

「……」

「あり得ない!!」



――はちゃめちゃだ。こいつはおかしすぎる。誰か彼女を止めてくれ。


 カリウスは初めて誰かに助けを求めたい気分だった。


「さあ! ……まさか、人に食べさせてもらえないと食べられない御坊ちゃまなんですか?!」

「おぼっ、」


 そんな事は初めて言われた。

 衝撃的なことが重なりすぎて、目の前の出来事の処理が遅れる。

 あろうことか、そのメイドはフォークに焼き菓子をさして、自分の口にそれを向けてくるではないか。


「はい、坊ちゃま!」


 カリウスは後ずさった。

 ロナは前に進む。


「出されたものは一口くらい食べるべきです!!」

「…………わかったから、離れろ」

「なら、どうぞ! さあ!」


 カリウスの嫌がっている姿に気が付き、ロナはにこにこ。

——食わせるまで、離れてやるか!


「ああ、もう」


 結局折れたのは、カリウスの方だった。

 彼はこれで終わりだと、その焼き菓子にかぶりつく。


「お茶も!!」

「わかった、わかったから」


 出されたものを食べて飲んで、彼は久しぶりに食事をした。

 騎士団の付き合いでたまに食事をすることもあるのだが、この城でこうして何かを口に入れるのは本当に久しぶりだった。

 咀嚼しているところをじーっと見つめてくるロナの輝く目に、カリウスは罰が悪い。


「なんだよ………」

「お味は?」

「…………わからない」

「はい!?」


 ロナはギョッとした。

 わからないとはなんだ、わからないとは?

 彼女の驚きが伝わったカリウスは、はぁと大きく溜息をつく。


「まともに食事をしていないんだ。判断はできない」

「あ。じゃあ、もう食べなくていいですぅ。残りは私が責任を持って処分しておきますね〜」


 ロナは先ほどまでの態度とは打って変わって、お菓子を下げ始める。


——残りの全ては私のものだ!


 さっさと片付け始めた彼女に、カリウスはイラッとした。

 自分がお菓子を食べるために撤収しようとしていることに勘付いてしまったからだ。

 今、かなり重要なことを言ったのに、この女、本当に人に仕えて接待をするメイドなのか? という疑問さえ湧いてくる。

 散々あれだけ食えと迫ってきておいて、それはないだろう。

 彼は少し意地になってひょい、と焼き菓子を口に放り込む。


「ああ!! 私の取り分が!」


 思った通りだ。

 ロナが顔を真っ青にしたのを見て、カリウスは呆れた視線を彼女にぶつけながら菓子を咀嚼した。


 そして、ハッと我に返る。


――どうしてこのメイドは、自分のこの容姿を恐れない?


 人族にはない、真っ黒な目。

 この目を見ると、どの人間も自分とは違うものだと不信感や恐れを抱く。

 しかし、彼女からはそれが全く感じられない。

 ロナのペースに飲まれて気が付かなかったが、いつもとは違いすぎる自分への視線にカリウスはやっと違和感を覚えた。


「お前――」

「ロナと申します」

「……ロナ」

「はい」


 お前なんて無骨な呼び方が気に入らなかったロナは即座に名乗る。

 本当は「様」でもつけてもらいたい気分だが、黙ってただカリウスの目を見つめた。

 懐かしい、魔族の目だ。


「お前、もしかして目が悪いのか?」


 カリウスの質問に、ロナは怪訝な表情に変わった。


「そこの机に置いてある書類の文字が読めるくらいには、目がいいはずですが。それが何か?」


 突然何を聞いてくるかと思えば、自分の能力を疑われるような内容にロナはあまり気分が良くない。

 答えを聞いたカリウスの表情を窺えば、彼は少し目を見張る。


「……なんでもない」


 彼はそれ以上、何も語ろうとはしなかった。






 ◆







 ロナはそれから、怪訝な表情を浮かべるカリウスにことごとく世話を焼いた。

 カリウスからすれば、ありがた迷惑というやつだ。

 食事に始まり、軽食に休憩、睡眠、入浴等。

 人としてやるべきではあるが、魔法が使えるカリウスからすれば全く必要ではない、儀式的なそれを毎日毎日飽きずにロナは提供した。

 カリウスが嫌がる顔が見たいので、彼が自分の言うことを聞くまでゴリ押しした成果か。

 三か月も経つとカリウスの人である部分が回復したらしく、顔色は次第によくなり、少しだけまとう雰囲気も明るくなっていた。


「カリウス様! おはようございます!!」


 今日もロナは元気よくカリウスの部屋を訪れ、朝食の準備にかかる。


「……昼過ぎにまた騎士団の奴らが来る。静かにしてろよ」

「かしこまりました!」


 今では予定もちゃんと教えてくれるくらい、こちらのペースに引き込んでいる。

 ロナは段々とここが、自分の思うままに住みやすくなってきてご満悦だった。

 本館の人間関係も良好。評判も上上。このままずっとここで、自分が望むように寄生するのもアリだ。

 上機嫌で、ただカリウスの時間を奪う意味のない食事を終わらせて、彼女は部屋を去ろうとした。

 今日は客人をもてなすために準備をしなければならない。もう少し早く言ってもらいたいものだが、日々の備えに抜かりはない。

 

「――待て」

「はい?」


 珍しく引き止められて、ロナは後ろを振り返る。

 彼は何か言いにくそうに目を泳がせてから、決心したようで口を開く。


「お前は、なんともないのか?」

「……えっと。何がでしょう?」


 よく分からない話の切り出し方をされ、ロナは頭をかしげる。


「俺の周りにいる奴は、みんな何かしらの影響で体調を崩したり、幻覚をみたりしてここを去る。どうしてお前はまだここにいる」


 全く身に覚えのない話に、ロナは目を瞬かせた。


――そういえば、こいつの周り、魔力で満ちてるな。


 前世が魔族だったからなのか、今世も魔族たちの力の源である魔力を感じとることができるロナ。

 触れる量が多すぎると人族には毒になるそれについて、彼女は生まれる前から知っている。

 しかし無害だったので、自分がこれに当たっていると弱る人族だということを忘れていた。

 どうして、魔力が毒素に変わらないのか。

 ロナはひとつの答えに辿り着く。


――術者に、呪いは効かない。


 当たり前だが、自分のかけた呪いに呪われるような術をかける間抜けはいない。呪いをかけた本人は、呪いの影響を受けないのだ。

 魔力は魂と繋がりを持っているため、肉体の消失を問題としない。

 彼らを呪ったのは、自分で間違いないだろう。


 術者を殺せば、術は解けるのが一般的な魔法や呪いの解除方法。

 しかし、なんの因果か、アルアラの肉体が死んだ後も呪いは発動中。

 転生したのは、神の気まぐれではないのかもしれない。

 

「何も問題がないので、ここにいますね?」


 とりあえず現状をそのまま伝えると、カリウスは無言でロナを見据えた。


「一体、何者なんだよ、お前……」


 何も考えていなさそうな娘を見て、彼はため息混じりに呟く。

 長年、呪われていると言われ続け、この城に隔離されているというのに、どうしてこのメイドはこうも簡単に距離を詰めてくるのか。

 カリウスはいつかまた自分のせいで彼女が消えるようなことがあるかもしれないことを思い、複雑な心境だった。


「ただのメイドです」


 ロナはお前の祖父に殺された魔族だとは言わずに、ただ笑ってそう言った。


「……」


 カリウスは何か考え込んだ様子だったが、ロナにとっては彼の考え事など、どうでもよいことだった。




 その日、騎士団の団員が三人ほどカリウスの元を訪れた。

 簡潔なやりとりだけで、ロナが出した茶を半分も残して彼らは去って行く。自分が用意した食べ物を残していった団員たちにはあまりよい印象はない。

 片付けながら、ロナは内心ため息を吐く。

 こんなことなら、最初からお茶を出さなければよかった。もったいない。


「明日、皇室の夜会に出席することになった。それなりの料理が並ぶが、お前も着いて来るか」

「え! よいのですか!」

「俺が行ったところで、何の意味もないからな」


 すっかりロナの行動意欲が食にあることを理解してしまったカリウスは、彼女にそう提案する。


「隣に立って黙って飯を食べるだけの仕事だ。一曲踊ったら帰れる。お前、踊れるか?」

「無理ですね」


 ロナは皇室の料理を食べることができるならウェルカムだが、それ以外を求められても困る。

 ただの孤児がダンスなどできるものかと、ロナはすぐに否定した。


「なら、音楽が変わったら具合が悪くなったことにしろ」

「かしこまりました!」


 軽食を食べるためだけに皇室に行くとは、なんたる贅沢。ロナはカリウスの提案を少しだけ称賛する。

 夜会にメイドが同伴するのは当たり前のことなのか、よく分からなかったが、初めて赴く人間たちの王城に彼女は好奇心が抑えられなかった。










 そして迎えた夜会当日。

 ロナはココットが慌てて手配してくれたドレスを着て、正装して仮面を被ったカリウスの斜め後ろをマークしていた。

 会場に着くと、突き刺すような視線がカリウスと自分に向けられる。ついでと言わんばかりの綺麗な二度見だ。見ていて笑える。

 その会場で仮面をつけているのは、カリウスただひとり。

 彼が現れると、ひそひそと声を抑えた会話が一気に増えた。しかし、注目の的にも関わらず、カリウスに話しかけようとするものはひとりもいない。


「さっさと帰るぞ。食べたい分だけ食って来い」

「ありがとうございます!」


 招待されたなら、自分も食べて少しでも有意義な時間にすればよいのにと思うが、ロナは笑顔で料理の並ぶテーブルを目指す。

 一応、彼女にも少しの常識が残っているので、公爵家のメイドが料理にがっつくのは下品なのは分かっている。目星をつけて、高級そうな数品だけをピックアップし、ロナは皇室料理に舌鼓を打った。

 

 その間に聞こえて来るのは、カリウスに対する陰口。


「どうして来たのかしら」

「近づかない方がいいわよ」

「あの目。本当に人なのでしょうか……」


 ロナはぴたりとフォークを持つ手を止めた。

 魔族と人族を救った勇者の孫なのに、ひどい言われ様だ。

 実際に、カリウスが冷たい目を浴びせられるところを初めて見たロナは、自分がそれに動揺していることに戸惑った。


 カリウスが、忌み子だったアルアラの姿と重なって見えた――。


 カリウスは、自分を殺した勇者の孫だ。

 しかし、アルアラとは直接的な関係は全くない。

 自分を殺した奴らが苦しめばいいとは思っていたが、彼自身は何もしていないのに煙たがられる様子に、ロナの記憶が揺さぶられる。


「ちがう……。私はもう人間だ……。あいつは仇の孫なんだから、もっと苦しめばいい……」


 ロナは過去に引っ張られるなと、自分に言い聞かせた。

 見て見ぬふりをして、料理を口に運ぶ。

 どうしてだか最上級の料理たちは、味がしなかった。


「……早く帰ろう」


 もう二度と来ることはないだろう舞台だというのに、興が削がれてしまった。

 ロナは目的だった軽食を平らげて、カリウスの姿を探す。


「あれ? どこ行ったんだろ?」


 しかし、ホールにはひとりだけ仮面をつけて目立つはずの男の姿はない。

 会場をうろうろと歩き回り、やっと彼を見つけたのは、一番端っこにあるベランダ。


「――呪いを断ち切るためにも、早く消えたほうがいいんじゃないか? お飾りの名誉貴族さん」


 聞こえたのは、嫌味たっぷりな知らない男の声。

 ひとりでカリウスに対峙するのが怖いのか、仲間を侍らせたその男は、汚い薄ら笑いを口元に浮かべていた。


 カリウスは何もしていないのに、消えろと言われている。


 胸糞が悪かった。

 明らかに、自分は何の罪もないカリウスが忌み子のように卑下されていることに、腹の底がぐつぐつと音を立てて煮えたぎる。


――どうして、私が平和な世界のために犠牲になってやったのに、仇の孫が悲劇の主人公みたいなことになっている?


 自分を殺して、ぬくぬくと暮らしていたのではないか。

 どうして、憎むべき一族の相手が、反吐が出るような自分と似た扱いを受けている?

 

 ロナは、アルアラとして苦しんだ孤独と似たようなものを注がれるカリウスの姿に、腹が立った。

 自分の苦しみは自分だけのものだったのに、それを肩代わりされるような呪いに、虫唾が走る。


 自分の精一杯の死が穢されていく感覚だった。


 こんなことのために、呪ってやると口にしたわけではない。


 ぶちりと、何かが切れた音がした。



「それが、この世を救った一族に対する口の利き方か?」



 自分でも驚くくらい、低い声が出た。


「な、なんだ。お前……」


 異質な威圧を放つロナに、その男は一歩後ずさる。


「――消えろ。これ以上私の死を侮辱する奴は、許さない」


 何を言っているのか、彼らにその意味は分からないだろう。

 しかし、ロナのまとう空気に、彼らは一目散にベランダから飛び出していく。



「――お前、は……」



 その場に残っているのは、ロナとカリウスのふたりのみ。

 仮面の下から聞こえる声に、ロナはそちらを振り返る。


「気分が悪くなりました。帰りましょう」


 有無を言わさぬ彼女の圧に、カリウスは言葉が出てこない。


 帰りの馬車は、ふたりとも無言のままだった。











 公爵家に着くと、慣れた足取りで時の城に向かう。

 いつもと雰囲気の違うロナに、カリウスは胸騒ぎがしていた。

 馬車の中で彼女が放った言葉についてずっと考えを巡らせていたが、答えが出ない。

 ひとつ浮かんでくるのは、あり得ない考えで。

 そんなはずはないと頭を振る。


 部屋に着いて風呂に入らされて着替えをする間、居心地の悪い静けさにカリウスは落ち着かない。

 気がつけば、最近はロナがうるさくて、こんなに静かなのは久しぶりだった。

 彼女らしくない。

 いつものように、無邪気に分かりやすく自分を利用してこの城を使い、美味しいものでも食べていればいいのに。

 機械的に作業をするロナに、寂しさを覚えて。

 カリウスは己の心情に困惑する。


「カリウス様は、呪いの解き方をご存じですか」


 最初に沈黙を破ったのは、ロナだった。

 彼女は就寝の準備を終えて、ベッドに座ったカリウスを横目に口を開く。


「……なぜ、そんなことを聞く」


 カリウスは怪訝な顔で彼女を見る。

 嫌な予感がしていた。




「私がその方法を知っているから……と言ったら?」



 息を呑んだ。

 ロナの瞳に、カリウスの呪いの跡が疼く。


 そんなはずはない。

 彼女が、この呪いをかけた本人なわけがない。

 呪いをかけた魔王の身代わりは、祖父が若い時に死んだ。

 生きているわけがないし、彼女は人間だ。


 しかし、カリウスの心臓はバクバクと音を立てる。

 呪いが疼き、視界が鮮明になって、ロナの姿しか見えない。


「あなたたちの一族に呪いをかけた者の名前を知っていますか」


 言わないでくれ、と。

 声が、喉をつっかえて何も出てこない。

 初めてまともに自分と向き合ってくれた人なのに。

 たとえ利用されていると分かっていても、側にいてくれるのが、いつの間にか嬉しいと思っていた自分に気がついたのに。



「アルアラというんです。魔王の身代わりに死んだ魔族の名は」



 それは、勇者の一族と王族以外、誰も知り得ないはずの過去。



「私は、あなたを呪っ――」

「言うな!」



 気がつけば、彼女の口を手で塞いでいた。


「気のせいだ。やめろ。それ以上口にするな。お前が術者なわけがない」


 信じたくない。

 カリウスの目は不安に揺れていた。


 しかし、ロナはその手を無理やり外して止まらない。


「術者は呪いの影響を受けないから、私はそばにいられたんですよ」


 ロナは笑うと、カリウスをベッドに押し倒して隠し持っていたナイフをその喉元に当てる。


「――何のつもりだ!?」


 カリウスは魔法でロナを離す。

 形勢が逆転して、彼はいきなり自分に刃を向けて来たロナを見下した。


「殺せばいい。お前たち一族を呪ったのは、私だから」


 結局、魔族だろうと人族だろうと、自分はいらない存在だったのだ。

 本当は誰かに必要とされたかった。

 人間に生まれ変わって、メイドとして生きていれば、異質な自分でも少しは役に立てる者としていられると思っていた。

 でも、どうやらそれは自分の思い違いだったらしい。

 たとえどんな姿でも、自分は消えるべき定めなのだ。

 死ぬことで誰かのためになるなら、それが自分の生まれた意味なのだろう。

 やはり、神などクソ喰らえだった。

 自分が生きるより、死ぬことに価値がある運命が、ロナは悔しかった。心の底から。


 カリウスの手が、こちらに伸びてくる。

 今世も勇者の一族に殺されるのだ。

 本当に救えない人生である。


 ロナは熱くなった目を閉じた。



「……?」



 しかし、いつまで経っても痛みも苦しみも襲って来ない。

 代わりに感じたのは、目元を拭う大きな手。




「――――泣くな」


 


 ぼやけた視界に見えたのは、カリウスの顔。


「俺はお前を殺せない」

「……ど、どうして……」


 ロナは驚愕の表情で彼を見上げる。


「アルアラが犠牲になった経緯は、お爺さまから何度も聞かされて育った。お前は何も悪くない」


 一番欲しかった言葉を告げられて、ロナは唇を噛む。

 そうでもしなければ、涙が大洪水を起こすところだったからだ。



「次は俺たち勇者の一族が責任を持って、お前を幸せにする。だから、殺せなんて二度と言うな」



 ロナは、その日初めて人前でしゃくり上げて泣いた。







◆◆◆







 これは転生した魔王の身代わりが、勇者の孫に復讐しようとしたけど、何故か溺愛されることになったはじまりの話。












短編で収まる内容ではなかったと反省中です…。

読者さまの暇つぶしになってくれていれば、嬉しいです(汗)


ここで宣伝で申し訳ないのですが、

なろうで本編完結済み、

『軍人少女、皇立魔法学園に潜入することになりました。〜乙女ゲーム? そんなの聞いてませんけど?〜』

の書籍版二巻が十二月に発売されております。

もし、興味を持っていただけましたら、ぜひweb版でも目を通していただければ光栄です!


2022年も、お世話になります。

何卒、よろしくお願いいたします。


                     冬瀬



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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かった〜読みやすい。 [気になる点] なし [一言] ぜひ、続きを書いてください。ロナがいろいろやらかしそうで、楽しみです。
[良い点] 笑いあり涙あり
[一言] 勇者の一族は呪われたけど、魔王の一族はどうなった?
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