第3話
僕の名前は二階堂真矢、お母さんの二階堂桜とお父さんの二階堂鉄兎の間に生まれた一人息子だ、現在6歳で来年小学一年生になる。
先週おじいちゃんにランドセルを買ってもらった。
まだ秋だけど、嬉しくて毎日幼稚園から帰ってきたら背負って家の中を歩き回ってる。
来年の春が楽しみで仕方がない、早く小学校に入って友達をつくって遊びたい。
いつも、お父さんやお母さんは家にいないから遊んでくれない。
ドアのノックが聞こえた。
「真矢様、お食事の用意ができました」
「うん、わかった、すぐ行くよ」
お手伝いさんの中村菊野さんだ、僕が生まれる前から住み込みで働いている人で、家事全般をやってくれている。
階段を降り一階のリビングに入る、家には6人がけのテーブルが1つ置いてある。
珍しくお母さんが席に座って待っていた。
いつもは、お母さんもお父さんも夜遅くに帰ってきて、菊野さんの作った料理をレンジで温めて食べている。
お母さんの対面の席に着くと、テーブルの中央に置いてあったサラダボールから菊野さんがサラダを小皿に入れわけ配ってくれた。
「真矢、一緒に食事をするのは久しぶりね」
「はい、1ヶ月ぶりくらいです」
「そう、そんなに前だったのね、寂しい思いをさせてごめんなさいね、今日は仕事が早く片付いてね」
「そうだったんですか、僕の方は気にせずお仕事を頑張ってください」
嘘を言った、本当は寂しいし、遊んで欲しい。
でも、仕事が大変なのは知っている、だから僕はいい子にしなきゃいけない。
「ありがとう」
少しお母さんが笑った気がした。
それからは淡々と食事を済ませ、特に会話をすることもなく部屋に戻った。
そして、部屋に入った瞬間体に異変が起きた。
いきなり、最近見た海外映画の翻訳を一気に20年分ほど見させられる気分である。
何が起きたのかわからない。
この映像全てに対応する五感が一緒に流れ込んでくる。
映像は1人の人、ティオ・フィーベルという男の生まれてから死ぬまでを、その人の目線で感情なども込みで追体験するようなものだった。
なぜか、全くの別人なのに、この映像の人物は自分自身だとわかる。
映像の人物の死をきっかけに映像は途切れた。
その瞬間、見た映像が今まで体験してきたもののように記憶として無理やり刻まれていく、自分が自分で無くなるような感覚、そしてそれを拒否しようと、体から追い出そうとする事で起こる吐き気や涙が止まらない。
どうしようもなくトイレに駆け込み、今さっき食べたもの全て吐き出し、それでも治らず、無理矢理なにかを出そうとする。
頭の中では、全て自分だろうと、なぜか理解している、しかし体はそう簡単に行かないようだ。
それから夜中は喉を潤すため水を飲んでも全て吐いてしまう、それを繰り返し、夜明け前にはもう疲れきって、脱水症状を起こしベットに横たわって気を失った。