兄達の気苦労
エメリーはそこらの令嬢と比べても、非常に可愛い。
14歳とは思えないほど、体つきは華奢でごつごつしたところはない。髪は艶やかに手入れされ、肌もつるりんとしている。侍女がよく磨いているせいなのか、肌だって吸い付くような滑らかさだ。
俺が14歳の時にはすでに髭が生え、すね毛もそれなりにあった。騎士団に入るための訓練でそれなりに筋肉はついていたし、背丈もあった。長男である兄上も俺に比べてやや細身の印象であるが、大した変わりはない。もちろんその頃には精通もしており、父親に連れられて無理やり娼館に行ったのはいい思い出だ。
とにかく、俺たち二人に比べて末の弟は存在自体が非常に中性的。
声も低すぎず高すぎず。男ならそろそろのどぼとけでも出てきそうなものだが、ちょっとだけしか出ていない。襟の高いドレスを着てしまえばわからない程度のものだ。エメリーが同じ男とは絶対に思えない。
精通はあったかどうかは知らないが、父親が娼館に連れて行かないところを見るときっとまだなのだろうと思う。ただ、女より綺麗な顔立ちをしているのだ。娼館に行ったところで相手にしてもらえるのはか微妙なところだ。
父親の突飛ない考えからエメリーはヴィクトル殿下の筆頭婚約者候補となった。エメリーは14歳で社交界にデビューしていないので、顔を知っている人間はほとんどいない。王太子のお披露目の夜会で婚約者候補だと紹介した時も、婚約者候補の方に重きが置かれていて出自はあまり気にしていないようにも思えた。
「上手いよね。ヴィクトル殿下は」
一緒に酒を飲んでいた兄がぽつりと呟いた。
「上手い? 何が?」
「紹介の仕方さ。侯爵家の第三子だと言ったんだよ」
「へえ。令嬢であるとは言っていないんだ」
空になった兄のグラスに酒をつぎ足しながら感心すると、兄がため息を漏らした。
「これから大変だぞ。エメリーは令嬢からの攻撃を一身に受けることになる」
「例えば?」
「例えば……嫌がらせを受けるとか? 茶をひっかけられるとか?」
貧相な発想で兄が例を話す。俺は想像してみるが、いまいちピンとこない。
「嫌がらせとなると、何だ? 茶会に招待しないとか、話題からつまはじきにするとかか?」
「そうだね。後はネズミの死体を贈るとか、ねちねちと嫌味を言うとか」
二人で沈黙した。それを受けて立つエメリーを想像した。
招待しないとか、つまはじきとか。特に気にせず面倒だからちょうどいいと笑っていそうだ。
ネズミの死体を贈られたら、卵付き生きたゴキブリセットを返礼として嬉々として贈りそうなエメリーしか思いつかない。嫌味も倍にして叩き返していそうで怖い。
「兄上、俺、エメリーがそれをされて喜ぶところしか想像がつかない」
「ああ、奇遇だな。僕もだ」
エメリーは性格的には大らかで、何でも楽しめる性格だ。下手をしたら無意識に反撃して、相手側にダメージを与えそうである。
「兄上、全然心配しなくて大丈夫じゃないか?」
「そうだな。こちらが手を貸すことがなさそうだ。どちらかというと、心配なのはヴィクトル殿下がそっちの方面に目覚めて食われる方かな?」
二人でだんまりとなった。
お披露目の夜会で二人で踊っているところが思い出される。ヴィクトル殿下はとても体格に恵まれているので、同じ年なのにエメリーの方が頭半分、低い。鍛えているおかげで、ヴィクトル殿下の肩幅は広くエメリーなどすっぽりと包み込めてしまいそうなほどの体格差だ。
「あー、なんか、用意するものと言ったら香油とノウハウ本か?」
俺がぽりぽりと頬をかきながら呟くと、兄上がぎょっとした顔になった。
「お前、それはダメだろう! 後押しになったらどうするんだ!」
「だけど、いざというときに準備がないとエメリーが痛い思いをするかと思うと……」
再び二人で黙り込む。ちびちびと二人で酒を飲んだ。重苦しい沈黙を破ったのは、兄上だった。
「あれだ、ヴィクトル殿下には新しい候補者を見つけよう。可憐な令嬢と顔合わせをすればそちらに気が向くかもしれない」
「令嬢なんて面倒だから、手っ取り早く花街に連れていけばいいのでは?」
「バカ言うな。王太子を花街なんかに連れていったら、第一王子と同じになるじゃないか」
兄上が鼻で笑って却下した。俺は第一王子と同じ、と聞いて目を瞬いた。
「第一王子と同じ?」
「そうだ。一応下級貴族の庶子となっていたが、第一王子が惚れた女は娼婦の娘だ。娼館で出会って、父親が貴族だとわかって急いで身請けしたんだよ」
「知らなかった」
驚きに呟けば、兄上は笑う。
「上層部しか知らない話だからな。寵姫側も体裁を整えたんだろうよ」
「へえ、そんな頭があったんだ」
感心して頷けば、兄上は空になりかけた二つのグラスに酒を注いだ。
「エメリーのところには、エメリーを諫められる人物を送り込んでおくか」
「ヴィクトル殿下も止めることになるのなら、人選が難しいんじゃないのか?」
エメリーとヴィクトル殿下が揃うと碌なことがないというのが兄上と俺の見解だ。父上は目を細めてかわいいものだとたいして気にしないが、本当に二人揃うと小さな出来事も大事になる。尻拭いは確実にこちらにやってくる。
「侯爵家の侍女頭を送り込むか」
「侍女頭? ハンナを?」
俺はにこりともしない侍女頭であるハンナを思い浮かべる。ハンナはすでに子供も独立した40代の女性だ。幼い頃から3兄弟、面倒を見てもらっているが非常に厳しい。生活に対する教育係のようなものだった。
「そう。ハンナはヴィクトル殿下の離宮の女官長と親しいからうってつけだと思う」
「兄上、どこからの情報だ?」
「ハンナだ」
いい案なのか、いまいち判断がつかない。
「逆に手足になる人間を送り込んで、最悪にならないように誘導するようにした方がいいのでは?」
「誘導ね」
誰がいるんだと兄上が視線だけで聞いてくる。誰が、と言われるとこれまた誰も思い浮かばない。うーんと唸っていると兄上がため息を付いた。
「……父上に相談するか」
「そうだな」
父上に相談すると言うのも不安と言えば不安だが、あれでも国を守ってきた人である。いい案があるかもしれない。
結論が出ずに悶々としながら、二人無言で残りの酒を飲んだ。