油断してしまったの
やっちゃった、とか。
言い訳どうしよう、とか。
そんなどうでもいい言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡る。
わたしが油断していたから悪いのだと思う、多分。いまいち自分の立ち位置が理解でいないけど、間違いないのは拉致られたという事実。
記憶は後宮から出て王宮の廊下を歩いているところまでしかない。ちゃんと護衛はいた筈だ。侍女だって連れていたのに。
なのにどうしてこうなってしまったのか。廊下を歩いている記憶しかないのに一体どうやって拉致られてしまったのだろう。
しかも閉じ込められている部屋は王宮ではない場所だ。
王宮ではないと判断した理由は簡単。閉じ込められた部屋がむき出しの丸太で作られていた。
王宮は石造りの城で、とても優美なのだ。使用人たちが出入りする領域は知らないが、流石に丸太では作られていない。万が一にあるとしたら、何代か前の王族が趣味で建ててみたとかになるのだが、今までそんな話を聞いたことはないし、幼いころからそれなりに出入りしているわたしが聞いたことがないのだから王宮ではないと断言できる。
転がされていた寝台は固い。シーツはかけてあったが、とても黴臭くて鼻が辛い。色だって……やめておこう。これ以上現実を知ってしまったら吐いてしまいそう。
ほーほーほー。
聞こえる鳥の声にあり得ないと思う。後宮にいる時もこんな鳥の声を聞いたことはない。
その上、時折聞こえるのはバサバサと鳥の飛ぶ音やオオカミのような遠吠えの声。
窓は高い位置にしかなく、扉は一つ。
窓の外を見れば、遠くに月が見える。月の光があるから、部屋の中は何とか視認できている。
気合を入れなおし、わたしは起き上がった。固い寝台の上に寝ていたせいか、体中が痛い。どれだけ長く寝ていたのか。寝返りも打たずに横になっていたのなら、薬を盛られたのかもしれない。
寝台から足を下ろして、思わず顔をしかめた。
ドレスの汚れが激しかった。明らかに誰かに踏まれたような汚れだ。私の意識がないうちに、やられたようだ。しかもよく見れば、ドレスの裾が破かれている。
破かれ方もとても粘質さを感じる。ご丁寧に一か所ではなくざく切り。繕うにも繕えなそうにないのが不満だ。
エメリーが選んだドレスをこんなにも汚してしまった事実に恐怖を覚えた。
このドレスはエメリーが仕立て屋を呼んで作らせた最新の型のドレスなのだ。生地といい、意匠といい、最上級のものだった。非常に楽し気に仕立て屋に相談している姿を思い出した。
一体、誰よ。こんな面倒なことをしたのは。わたしの寿命が縮む。
「どうにかばれないうちに帰らないと」
わたしの頭の中にあるのはこれだけだ。あの二人にばれないうちに、後宮の部屋に戻り何もなかった顔をしないと色々な危機に陥る。
主に貞操とか貞操とか。
気を許すと頬や指先にキスを普通にしてくる。軽いものだから挨拶といえば挨拶程度。ただし、それは男女の場合の挨拶だ。女性同士では挨拶にキスなんてしない。傍から見れば怪しい関係の二人だ。
あの二人、冷たい瞳なのに綺麗な笑みを浮かべている王太子とやはり人形のように綺麗な顔をしたエメリーのことだ、拉致られたと知ったら、どうなることやら。二人にねちねちと面白くない状況に追い込まれる自分を想像し、ぶるりと体を震わせた。
二度と後宮から出られなくなるか、べったりとエメリーに張り付かれるか。
エメリーが男だと知った今、迂闊に距離を縮めたくない。
ここから脱出し、気がつかれないうちに後宮の自室に戻ることを第一目標にわたしは質素な寝台から立ち上がった。
窓から外に脱出するのは不可能なので、迷わず扉に手をかけた。鍵がかかっている可能性もある。
鍵がかかっているなら他の手段を考える必要があるが、かかっていなかった場合。
鍵がかかていない場合は見張りがいる可能性がある。その見張りをかいくぐって逃げなくてはいけない。
大きく息を吸った。落ち着けと、自分に暗示をかける。
「慌てるな。誰もいなかったらそのまま隠れるようにして逃げる」
心を落ち着けるように呟く。
そして、扉を持つ手に力を込めた。扉は何の抵抗もなく開いた。
少しづつ慎重に扉を開くと―――。
「え?」
「お前は……!」
元第一王子がいた。
最悪だ。
わたしは絶望に気が遠くなりかけた。