最低
いつもお風呂に入って、目をつぶっている。
頭が痛いとき、嫌なことがあったとき、息ができなくなるまで湯船に潜る。
息が続かなくなって、何も考えられなくなる。
もう何がしたいかも、何の為に生きているのかもわからない。
何と無くこんな所に書いているけど、これが遺書になるかもしれない。
でも、その前に僕の事を少しでも知ってほしい。
僕がどんな風に考えて、どんな風に生きてきたかを知って欲しい。
(僕は臆病者で、何の取り柄もないから、できるだけ身元が割れない様に書くつもり)
死に方は今考えてるところ。
考えつくまで少し、付き合って。
僕が産まれたのは神奈川県の横浜。
小さい頃から、体は弱く華奢だった。
産まれてすぐ、脳炎にかかって死にそうになった。
だから年中両親は安心できなったみたい。
特にクリスマスとかお正月とか、イベント毎に体調を崩すから、空いている病院を探すのも一苦労。
小学校に入ると僕はモテモテだった。
(髪の毛はサラサラでちょっと昔のK-POPグループの後ろの方にいる人みたい)
僕は凄く優しいって言われてた。
本当は気が弱いだけだったし、誰にも嫌われたくなかった。
だけどみんながそれを良しとしてくれるから、自分でもそれでいいと思いこんでしまった。
だから僕は今も優柔不断だ。
小学校の頃は絵を描いたりするのが好きだった。
特に風景をよく描いた。
その代わり、自分でゼロから何か作り出すのは凄く苦手。
だからこの話もほとんど実際の事しか書けない。
本当につまらない人間だと思う。
小学校五年生の時僕は自慰を覚えた。
(どちらかと言うと発明したに近い)
いわゆるオーソドックスとは懸け離れた方法だったけど、それ以来行為は僕の日常になった。
具合が悪くても、家族が亡くなっても毎日毎日今まで欠かさずにこなしている。
ある種僕の唯一の趣味かもしれない。
中学校に入ると、僕は人と違う事に憧れた。
典型的な中二病だ。
スポーツ、芸術なんでもいいから有名になりたいという欲があった。
自慢じゃないけれど、僕は結構器用で、色々な事が平均的にはできる。
でも何か飛び抜けた部分は一切ない。
僕はスペシャリストにはなれない。
部活も入っていたけど、エースではなかったし、キャプテンでもなかった。
一つの事に打ち込む事が苦手だった。
その次は凄く迷惑な話だけどヤンキーに憧れた。
学校に遅刻し、タバコをふかし、自由気ままに生きている彼らに憧れた。
でも基本的にいい子だった僕はヤンキーにはなれなかった。
学校帰りにある駄菓子屋のフーセンガムを万引きしようとしても、できなかった。
ポケットに隠して一旦そとに持ち出しても、すぐに戻した。
気が弱いからその日の夜は布団で号泣してた。
なにもない学校生活だったけど、2年生のとき、唯一素晴らしいことがおきた。
学年一かわいい女の子が僕の彼女になってくれた。
でもそのときは僕は童貞だったから、なにもできなった。
手を繋ぐどころか、まともに話すこともできなった。
付き合って2週間後、僕はふられた。
凄く別れたくなかったけど、僕は強がって別れる事を了承した。
その後その子が僕の友達と手を繋いで帰ってるのを見て、初めての気持ちになった。
お腹の上が熱いような、気持ち悪い感覚。
でも、そんな気持ちのときでも、その夜は僕はその子をおかずにした。
この気持ちになると僕は羞恥心がなくなって、
基本的になんでもできる。
ふられた数日後、バレー部のヤリマンの先輩で僕は童貞を卒業した。
続く