ニアミス
「先生、出来ました」
その声に、膝の上の本から顔を上げる。
「じゃ、採点するね」
ここの所、涼香ちゃんの小テストは満点が多い。
最近は引っかけ問題も難なく解いてくるので、今まで伸び悩んでいたのは勉強の仕方だったんじゃないかと思う。
「は~い」
笑顔で足の間に両手をついて、椅子に座ったままくるくるとその場で回る辺りは、まだ小学生だなと、微笑ましい。
赤ペンで採点を行いそうながら、次はレベルアップした問題を作らなきゃと考える。
涼香ちゃんは、元々頭が良いからきちんと教えればそれを吸収してくれる。
教える側としては、凄くやり易い。
「よし、満点だよ。今日も調子いいね」
大きな花丸を最後に付けて、プリントを返す。
「やった」
ガッツポーズをして嬉しそうに笑う涼香ちゃん。
「今月、ずっと満点だった涼香ちゃんには、私からご褒美だよ」
用意していたプレゼントを鞄の中から取り出して、涼香ちゃんに差し出した。
この間、紀伊ちゃんと買い物に行った時に、雑貨屋で可愛い髪飾りを見つけて買っておいたんだよね。
「ありがとう、先生。開けていい?」
目を輝かせて手元のプレゼントを見つめる涼香ちゃん。
「うん。高いものじゃないけど、良かったら使ってね」
そう言って頷くと、涼香ちゃんは笑顔で包装を解いていく。
「わぁ、可愛いバレッタ。先生、ありがとう」
涼香ちゃんにあげたのは、パステルカラーの花飾りのついた銀色のバレッタ。
長い髪を止めるのに、ちょうどいいと思うんだぁ。
「気に入って貰えて良かった」
フフフと笑った私に、
「早速つけるね」
髪を束ねてバレッタを止めた涼香ちゃん。
「似合ってる?」
「うん、凄く似合ってる」
「嬉しい」
手鏡を覗き込んで嬉しそうに笑ってる彼女を見て、買ってきて良かったなぁと思う。
「これからも勉強頑張ろうね」
「はい、先生。あ~塾なんて止めて、毎日先生に来てもらいたい。先生の教え方凄く分かりやすいんだもん」
そんなに慕って貰えると嬉しい。
「毎日は無理かなぁ」
他のカテキョもあるし、コンビのバイトもあるしね。
それに、毎日なんて来てたら北本先輩に遭遇する確率が増しちゃう。
「だよねぇ。お兄ちゃんも毎日は出掛けてくれないもんなぁ~」
涼香ちゃんは不服そうに言う。
鋭い涼香ちゃんの言葉に内心ギクッとした。
涼香ちゃんはカテキョの日は静かに勉強したいからと、北本先輩に遅く帰ってきてほしいってお願いしてくれたらしい。
よほど、私と会わせたくないのか、お陰で助かってる。
北本先輩も、可愛い妹の頼みは聞くしかないもんね。
「涼香ちゃんはお兄さん、嫌いなの?」
ずっと気になってた事を聞いてみる。
「ううん、好きだよ」
意外な返事に目を丸くする。
あんなに、女ったらしだとか言って怒ってるのにね。
まぁ、兄妹だもんね。嫌うことはないか。
「お兄ちゃんの生活態度が嫌い。涼香の事は可愛がってくれるけど、変な女の人ばっかり連れてくるし、会うたびに違う人だし」
本当やだ、と溜め息をついた涼香ちゃん。
思春期の女の子には、北本先輩の行動は理解できないんだろうなぁ。
北本先輩、遊びを家に持ち込んじゃダメだよ。
可愛い妹に、本当に嫌われちゃうよ。
「そっかぁ、それは嫌だね」
「うん。いつか、お兄ちゃんを真っ当な道に戻してくれる彼女が出来たらいいなぁ」
「彼女は良いんだ?」
「不特定多数じゃなきゃいい」
「フフフ、確かにそうだね」
「先生みたいな可愛くて優しい人だったら、もっと嬉しいなぁ」
涼香ちゃんの望みは叶えられないなぁ。
「見つかると良いね。そんな人」
「うん。今のお兄ちゃんには先生を会わせられないもんね。先生が遊ばれちゃうとか嫌だもん」
今時の小学生はそんな事も知ってるんだね。
「ハハハ」
乾いた笑いかけたあとが漏れた。
なんて返していいのか分かんないよ。
「でもね。涼香とお兄ちゃん、半分しか血が繋がってないんだぁ」
足をぶらぶらさせながら呟くように言う涼香ちゃん。
「そ、そうなんだ」
「うん。お兄ちゃんのお母さんは、お兄ちゃんを置いて男の人と出て行ったんだって」
ダークな話になってきたな。
涼香ちゃん、出来ればお家の内情はあまり話さない方がいいよ。
「へ、へぇ~」
反応に困る。
「お兄ちゃんが女の人に執着しないのはそのせいなのかなぁ」
「・・・・・」
私にどう答えろと。
「ママに置いていかれたら、涼香だったら泣いちゃう」
「そ、そうだよね」
「お兄ちゃんも悲しかったと思うんだぁ。自分より男の人を選んだママの事恨むかも」
「・・・・・」
もう苦笑いを浮かべるしかなかった。
ダークな内情は、あまり聞きたく無かったよぉ。
まぁ、状況が状況だから北本先輩の気持ちも分からなくないけど、だからって女遊びに興じるのは違う気がするな。
「お兄ちゃん、ママにもよそよそしいんだよねぇ」
「そ、そっかぁ。あ、涼香ちゃん、そろそろ勉強に戻ろうか」
これ以上、内情を話されると困っちゃう。
「はい、先生」
素直に頷いてくれて良かったぁ。
北本先輩の秘密を意図して聞いた訳じゃないけど、ちょっとモヤモヤした。
あの人にもあの人なりの、言い訳や事情もあるんだな。
「さ、じゃあ、今度は算数ね」
テキストを片手に勉強を始める。
その後は、涼香ちゃんもお家の事を話す事なく、しっかりと勉強に励んでくれたので助かった。
「じゃあ、今日はこれで失礼します」
玄関先に見送りに来てくれた鏡花さんと涼香ちゃんに頭を下げる。
「遅い時間なので、気を付けて帰ってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
「先生、また来週来てね」
跳び跳ねながら、微笑む涼香ちゃん。
「うん。宿題きちんとやっておいてね」
「は~い」
片手を上げて返事した涼香ちゃんは可愛い。
「神宮寺先生、涼香ちゃんに可愛らしいプレゼントをありがとうございました。来週はぜひ、一緒に夕飯を食べていってくださいね」
「大したものじゃないので、お気になさらないでください」
当たり障りない返事を返す。
休憩の時に、飲み物を持ってきてくれた鏡花さんに、涼香ちゃんが私からプレゼントを貰ったと嬉しそうに話した事で、鏡花さんがお礼にと夕飯に誘ってくれた。
今日は都合が悪いのでと断れたけど、来週はどうやって断ろうかな。
夕飯なんてご馳走になってたら、北本先輩が帰ってきちゃうかも知れないし。
そんなリスクは犯せない。
「神宮寺先生こそ、気を使わずに気軽に夕飯をご馳走させてくださいね」
「あ、はい。都合が合えばお願いします」
そう言って頭を下げて、彼女達に背を向けた。
長居して、話が進むのは困っちゃう。
「先生、バイバーイ」
涼香ちゃんの声に、門の所で一度振り返って手を振ると、すっかり日の落ちた住宅街へと足を踏み出した。
はぁ・・・今日も会わずに済んだ。
ほっと一息ついたのも、束の間。
前方に賑やかな集団を発見した。
男女のカップルが二組、静かな住宅街に声を響かせて歩いてくる。
反対側の歩道を歩いてるその集団に聞き覚えのある声がした。
「だから、今日は俺んちは不味いんだって」
女の子を腕にぶら下げた北本先輩だ。
あっちゃ~ニアミス。
このまま、こちらに気づかないでくれたら良いんだけど。
出来るだけ目立たないように俯いて道路の端を歩く。