始まり
夕日に染まる病室。痩せこけた母親と母に縋る弟。きっとこの馬鹿な弟は母さんが今どんな状況に置かれているかも分かっていないのだ。
母の病名は分かっていない。
時間が経つにつれ筋肉が落ち色素が無くなり、かつて誰もが羨むほど美しかった髪は無造作に伸び綺麗な琥珀色の瞳は黄色になってしまった。ハリのあった肌も皺だらけで…はっきり言うと、僕はこれを母さんだとは認めたくなかった。
不意に母さんは僕の方を見ると悲しげに目を細めた。
ご め ん ね
確かに口がそう動いた。多分弟に配慮して声にしなかったのだろう。
母さんは弟の頭を撫で外に顔を向けて口を開いた。
「綺麗な夕焼け空ね…
三つ足の烏が飛び立って
揺れる電線の向こう側
沈む夕日と昇る月
死せる紅と生まれる藍
それらが交わる秋の空
幻想郷への扉開かれん」
突然昔聞いた子守唄を口にした。そこに何の意図があるのか…
「ねぇ、シャングリラってなに??」
「幻想郷…ユートピアとも呼ばれる宇宙の外側の世界の事よ…そこでは誰もが幸せに暮らしているの」
「へぇ〜僕もそこに行きたい!!」
「そうね、いつか……」
…………………
……………
……
…
「おい、大丈夫か、佑月!」
気が付けば僕は生徒会室にいた。
そうだ、今は放課後だった…。あれから間もなく母さんは亡くなった。理由は心臓を動かす力もなくなってしまったから。どう言うわけかな母さんは手術を拒み父さんもその意思を尊重してた。
病気になった時からそうだ。父さんは母さんに冷たくなった。腫れ物に触るような…
「佑月!…ったく、ちゃんと聞いとけよ。ほらこれ各部活の予算。目を通して問題無いようならそこにサインして………はぁ、もうお前今日帰れ。」
帰れと言う言葉だけ聞こえて反応する。
「あぁ、ごめん。ぼーっとしてた。サインだったよな?………よし、次はどうすれば?」
「…先生に提出。けど、これは私がしておくよ。だから早く帰りな。」
「分かりました。…ありがとうございます。」
よっぽど僕は放心していたらしい。彼女…篠田愛子先輩に迷惑をかけてしまった。不甲斐ない…
「それでは先輩、失礼します。」
ドアを閉めてため息を吐く。僕はなにをやっているんだ…しっかりしなきゃいけないのに、いつまでも母さんの死を引きずっている。まだ幼い弟でさえもう泣かなくなったのに。そう言えばあの頃は毎晩弟が泣いていたっけ。紫の髪の男が母さんを殺したとか、そんな訳の分からない話。それでも夜中に大声で泣きじゃくるから僕も相手をしなくてはならなかった。
父さんはその頃帰りが遅くいつも明け方まで帰ってこなかった。だから大嫌いな弟の世話を僕がする羽目に。
思い出して弟を迎えに行くのが億劫になっていると廊下の先に1人の女生徒が見えた。黒いセーラー服を着た黒い長髪の少女。その制服はうちの生徒じゃない。
「君は誰だ?」
生徒会役員として仕事をしなければと問いかけるも相手の返事は無い。
「おい、聞いているのか………ぃっ!?」
彼女はおぞましい笑みを浮かべると気持ち悪い動きで窓へと近寄り僕の方に顔を向けたまま外へと落ちていった。
慌てて窓に駆け寄り下を見たがそこには誰もいなかった。
ついに幻覚を見るまでになったのかと不安になって急いで家に帰った。
…
弟の手を引いて家に帰り夕飯の支度をして食べ始める。何気無く点けたテレビからは今日のニュースが流れていた。
『今日未明、1人の少女が行方不明になり現在…』
「行方不明…この街じゃないか。斎、気をつけるんだよ。」
「うん!」
話を理解しているのか疑わしいほど斎は夕飯に夢中らしい。被害者の少女の名は西園寺 麗華。この近くの女子校に通うお嬢様で、疾走する原因が分からない…か、親はいつだって子供をきちんと見ずにいる。彼女も何か嫌になることがあったのだろう。
漬物を口に運びつつその少女の写真を見て僕は思わず小さく悲鳴をあげた。
彼女の顔は今日僕が見た幻覚に瓜二つだった。それだけではない。彼女の通う御条女子高校の制服は幻覚の少女の着ていたものと同じなのだ。
僕は吐き気を覚えそのまま部屋で寝た。
その日僕が見た夢は怖くて怖くて目が覚めたら忘れていた。