前編
彼女は歩く 広い世界を。
彼女は歩く 夜の世界を。
彼女は歩く 音のない世界を。
彼女は歩く 誰も居ない世界を。
彼女は歩く 死んだ世界を。
彼女は歩く
彼女は歩く
彼女は歩く ……
彼女は止まる 何もない世界で。
そして救いのない世界に叫ぶ。
私を、死なせてくれ と。
「おーい陽向ー。起きろー」
彼女の睡眠を邪魔したのは一つの声だった。
顔をあげた彼女の前に立っていたのは男。
顔も名前もよく知っている彼を睨み付けながら彼女は話始める。
「なによあすか。私の快楽を妨げて何がしたいの?」
「そんなこと言ったってお前もう三時間以上寝てるじゃないか。午後の授業一つも聞いてないだろ」
彼女の友人あすかは呆れた顔をしながら話し続ける。
「後お前と俺今日当番だぞ。主な仕事は終わらせたから一緒に日誌を職員室に持っていこうぜ」
彼の言葉を聞いて陽向は黒板を見る。 そこには確かに『村山 陽向』『古樹 あすか』の名前があった。
それを見た彼女はあすかの方を向いてこう言った。
「行ってらっしゃい」
今時珍しい完全木造の校舎。
夕焼けに照らされたその廊下を二人が歩いていた。
あの後無理やり連れてこられた陽向は無表情ながら心底嫌そうな雰囲気を漂わせていた。
一方連れてきたあすかはいつものことと言わんばかりに気にしていないようで鼻歌を歌いながらいつも着けている白いマフラーを巻き直している。
陽向は脚にかかるほどまで伸びた自分の白髪を揺らしながら少し早めのスピードで歩く。身長差のあるあすかと歩幅が違うからだ。
陽向自身中学生と間違われるような身長だが彼女の横を背の高いあすかが歩くことでより小さく見える。
横を歩くあすかを見上げ自分の背の低さを改めて思い知る陽向だった。
陽向の機嫌が一層悪くなったところで二人は職員室に着いた。中にはいるあすかの後から陽向も静かに入っていく。
「 織田先生、当番終わりました」
あすかの声に織田と呼ばれた男が振りかえる。
「おお、お疲れ古樹。村山もちゃんと来たんだな」
「……」
先生に軽く馬鹿にされたような気がしたが我慢。事実なのは彼女も分かっている。
そんな彼女をよそにあすかは日誌を渡し、受け取った織田が中を確認する。
「よし、大丈夫だ」
「ありがとうございます」
先生からOKをもらったので当番の仕事はここで終了。さっさと帰ろうとする陽向だったが、歩き出したところで織田に呼び止められた。
「そういえばお前達二人とも部活動入っていないよな? 一つオススメがあるんだが」
「部活ですか? 確かに入ってないですね。 オススメなのは何部なんですか?」
織田の言葉にあすかは興味を持ったようだが、陽向からしたら部活なんて面倒くさいだけだ。 適当に断って自分だけでも帰ろうとした彼女だったが、その考えは織田の発言によって大きく変わることになる。
織田の言った部活の名。
それは、
『オカルト研究部』
次の日の放課後、学校生活のほとんどを寝て過ごした陽向はあすかと共にとある教室の前に立っていた。校舎の端にあるこの教室の扉には『オカルト研究部』の札が掛かっていた。
「まさか、この学校にオカルト研究部があるなんてね」
陽向は窓のない扉を眺めながら言った。
「部活紹介にはなかったからな。部活というより同好会なのか?」
「部員が少ないから同好会扱いされてるんでしょう。まあ関係ないわ。人は少ないほうがいいもの」
「相変わらず人付き合いが嫌いだなお前。 でも何で急にこの部活に興味持ったんだ? 絶対『部活なんて面倒くさい』って言うと思ったのに」
「それは……」
その時、陽向の声を遮るように別の声が響き渡った。
「あ! あなた達もしかしてオカ研の入部希望者?」
声のするほうを見ると一人の女子がいた。赤いスリッパを履いており、彼女は二人と同じ一年生のようだ。
彼女は笑顔を浮かべながら二人のもとに走ってきた。
「二人とも一年生よね? よかったー! 新入部員私だけで少し寂しかったの」
彼女のテンションについていけず陽向はすっとにあすかの後ろに隠れる。
「すまない、まだ入るって決めた訳じゃないんだ。今日は織田先生の紹介で見学に来たんだ」
会話する気0な誰かさんと違いあすかは友好的だ。
「ありゃ、そうなんだ。じゃあ早速見学していってよ! もう皆いるだろうし。 ほら入って入って!」
「いや心の準備が、って待て待て押すな押すな」
半ば強引にあすかを連れていく女子生徒。陽向も襟首を捕まれ引きずられていく。
「失礼しまーす! 見学者二人連れてきました!」
引きずられ中にはいった陽向がまず最初に思ったのは、
「……暗いわね」
そう、部屋の様子がまったく分からないくらい真っ暗なのだ。入口を閉めると明かりが何も無くなり辺りは闇に包まれる。
ふと、彼女達の部屋の一区域がふわっと明るくなった。見れば蝋燭が周囲をぼんやりと照らしていた。
弱い光ではあるけれど明かりがあったことに安心する陽向。だからこそ気づくのが遅れた。
彼女の後ろにいた女子が居なくなり、別のものが立っていることに。
突如表れたそれは手を伸ばし陽向の肩を掴む。
驚き振り向く彼女にそれは言った。
「宴へようこそ」
直後、彼女の視界は再び闇に染まった。
「いやー、ごめんごめん。ちょっと驚かしたかったんだ」
カーテンが開き明るくなったオカルト研究部部室でロングヘアーの女性が笑っていた。その横には二人の男女と先程まで一緒にいた女子、そして織田の姿もあった。
「……やけに手が込んでるわね」
無表情で頭に被せられていた袋を握り潰す陽向。腹が立っているがそれは驚かせた彼女らにではなく驚かされた自分自身にだ。
あすかはというと、女子がいなくなったのに早々に気づいたようで一人姿を隠していた。
気づいたなら教えろよと思う陽向だが彼の顔を見るにわざと教えなかったのは間違いないようだ。
「いや、面白かったですよ。流石オカルト研究部、なんと言うか慣れてますね」
見てるだけなら面白いでしょうね、と陽向は心の中で吐き捨てる。
「そう? 褒められると嬉しいね。 あたしは森田 しのって言うんだ。この部活の部長で唯一の三年だよ」
ロングヘアーの女性は陽向達の前に歩いてくる。
「顧問は君達も知ってるだろうけど織田先生。それであっちにいる二人が二年生、時貞 愛梨と十和田 哲平」
織田は小さく手を振り、時貞と十和田は小さくお辞儀する。
「最後に君達と同じく一年生の花咲 友夏。 以上四人が今の部員よ」
花咲は胸の前で手を合わせている。陽向の耳には小さく「ごめんね」という声が聞こえてきた。
そして、森田は二人の前までくると大きくてを広げる。
「さあ、君達も非現実を体感してみない?」
非現実。普通なら人生で一度も経験せずに終わるもの。経験しない方が幸せなもの。 そんなものを体験しようという彼女に、
「面白いわね。 是非とも感じてみたいわ」
陽向はそう言い切った。
あすかも、興味を持ったようで賛同するようにうなずいている。
二人の返事に満足したらしい森田は大きな笑みを浮かべ、陽向とあすかに紙を渡してきた。
早くも入部届けを渡してきたかと思う陽向だが紙を見てみるとそこには『新入生歓迎の宴 要項』と書かれていた。
「オカ研がどんなことしてるか分からないまま入部するのも嫌でしょ? 明日私達は夜の学校に忍び……じゃなかった。ちょーっと学校を借りて儀式をする予定なの。 よかったら参加してみない?」
「儀式? 何か呼び出すつもりなの?」
「ええ。まあ、今まで成功したことないけどね。去年は確か10回位儀式をしたんだけど成功なし。つまんないの」
とその時、森田の台詞に何かあったのか今まで黙っていた二年生二人がしゃべりだす。
「先輩。10回じゃないです。数が一桁少ないです。夏休みの間とか僕ら毎日儀式やらされましたよ?」
「毎回魔方陣を描かされるうちの身にもなってください。描きすぎてもう何も見ないで描けるようになったんですけど」
「そうだった? まあいいのよこれまで何回やったかなんて。次は成功させるから。とりあえず、明日夜8時に学校の校門前で待ってるからね」
子供の様な笑顔を見せる森田に、NOと言うことは出来なかった。
オカルト研究部の部室を出て陽向とあすかは薄暗くなった廊下を歩く。
「どうだった? お前の気になった部活は」
あすかは相変わらず大きな歩幅で歩く。
「まぁまぁね。良くも悪くも予想通りよ」
陽向もまた、早めのテンポで歩く。
いつもと同じ二人だが、今日は追いかけてくる人物がいた。
「待ってー!」
振り向けば友夏が走って来ていた。 ポニーテールを大きく揺らしぱたぱたと陽向のもとへやって来る。
「花咲さん? どうしたんだ?」
「折角だし一緒に帰ろうとおもって! どうかな? 迷惑だったりする?」
「俺は大丈夫だけど……」
あすかが目配せする。
「私もかまわないわ。長い付き合いになるだろうしね」
少しは話せる人を増やそう、ぼっち至上主義の陽向は珍しくそう思ったのだった。
広い並木道を三人は進む。桜はほとんど散り、花びらが彼女らの道を埋め尽くしていた。
「私はねー、神さまに会いたいんだー」
三人の会話はいつの間にか自分の夢の話になっていた。
「神さま? そりゃまたなんで?」
友夏の意外な夢にあすかが疑問の声をあげる。
「神さまっていつも私達を見守ってくれてるっていうじゃない? いつも近くにいるのに見たことないってのは不思議だなーって。だからどんな姿をしてるのか見てみたいんだ!」
「だから、オカルト研究部に入部したのか?」
「うん! オカ研でなら会うことができるかもって思って」
友夏はきらきら笑顔で話し続ける。そんな彼女の話を陽向は複雑な気持ちで聞いていた。
暫く歩き続け並木道が終わる交差点に至ると友夏がそこで足を止める。
「あ、私の家こっちなんだ。ここでさよならだね」
彼女は角をぴょんと左に曲がる。
「じゃあね陽向ちゃんにあすかくん、 また明日! 次会うときは友夏って呼んでね!」
そう言って友夏は手を振って走り去っていった。
去っていく友夏に手を振り返しながらあすかが陽向に聞いてきた。
「彼女の夢、どう思った?」
「……良く気づいたわね」
「付き合い長いからな。お前の考えはだいたいわかる」
友夏が見えなくなったのかあすかは手を振るのを止める。
「そう……『神さまに会う』。良い感じに夢見てる夢ね」
陽向も体の前で小さく振る手を止める。
「夢見てる夢って、なんつー表現だ」
「夢ほど現実から乖離したものはないわ。 夢はあくまで空想。自分の欲望の世界よ。……だけど妄想と違って夢は正夢になる。自分の欲望が現実になって幸せになるのか、それとも不幸が舞い降りるか。 それは私には分からないわ。」
「…………」
あすかは陽向の話を静かに聞いている。
「これはあくまで私の考えよ。気にしなくていいわ」
陽向はゆっくりと歩き出す。
「そうそう、付き合いの長い私の友人が知らないことを一つ教えてあげるわ。私、昔オカルト研究部の部員だったのよ」
「! なるほどね。 道理でやる気のないお前が積極的なわけだ」
「やる気がないんじゃないわ。やる時じゃなかっただけよ」
「そうか、じゃあ今はやる時ってことか?」
「そうね。 やりたくないけどやる時なんでしょうね」
陽向は空を見上げる。上には月が明るく光っている。 明日はちょうど満月だろう。
「明日が楽しみね」
月に照らされた世界に彼女はそう呟いた。