社畜ライダーの超圧縮夏休み
銘尾友朗様主催、夏・祭り企画です
夏
馬鹿げてると言いたくなるような灼熱の日々に人々は尋常じゃない量の汗と文句を垂れ流しながらも働き、外で楽しそうに遊ぶ子供を見れば『いいなぁ……』と呟く
毎日毎日飽きもせずに鳴き続ける蝉に向かって届かないと知りながらも『うるせぇ!』と怒鳴ったことがあるのは俺だけじゃないはずだ
しかしその暑さを乗り越えた者へ贈られる報酬、とでも言うのだろうか
この夏という季節は人々の心を踊らせるイベントが目白押しなのだ
火照った体を冷やすために海やプールへ行く。河原へ行けばバーベキューが出来るしそこで飲むビールはまた格別だ
日が暮れてきたら今度は提灯に明かりを灯し祭りが始まる
所狭しと並ぶ屋台から漂う香りに鼻が奪われ思わず財布の紐が緩みいつもは目もくれない綿あめなんて買っちゃったりするんだ
フィナーレを飾る花火は友達と、家族と、はたまた気になるあの娘と。浴衣を着ていつもよりちょっと大人っぽく見える女の子に新しい恋の予感を感じたりしてな
他にも登山、高校野球、肝試しと夏を満喫出来るイベントはまだまだ尽きることはない
夏、バンザイ! ビバ、サマー!
…………とでも言うと思ったか
夏を楽しむチャンスは誰にでも平等に与えられる訳ではないのだ
高校を卒業し、社会に出て今年で10年目になるがもう随分と長いこと夏を満喫していない
仕事は始発から始発まで。家に帰ったら仮眠を取ってすぐ出勤。年間休日0の超真っ黒な会社で休みなく働き続ける俺の名前は伊達翔
だがある日、俺は上司の口から耳を疑う発言を聞いた
「伊達、明日休んでいいぞ」
休んでいい? あっ、休みってことにしてサービス出勤しろってことかと思ったがどうやら違うらしく本当に休みなのだ。いわゆるオフってやつだ
せっかく与えられた夏休み(1日だけ)。こんなチャンスは今後2度と訪れないかもしれない。そう思った俺はとある計画を思いついた
夏を思いっきり満喫してやる。言うならば超圧縮夏休みだ
そうと決まればその日の仕事をとっとと片付けて帰路につく。時刻は午後6時。こんな時間に帰れるのは何年ぶりだろうか。体を包み込む夕焼けが心に溜まった汚い感情を浄化してくれる気分だ
家に帰る前に少しばかり買い物を済ませ帰ったら休む間もなく身支度を整え外へ飛び出す
一目散に駐車場へと向かい一際存在感を放つ銀色のカバーを外すと俺の相棒がその姿を現した
ギラリと煌めく真っ赤な車体に優しさを添えるかのようなパールホワイトのライン。キーを回して点灯するモニターは最新型のロボットみたいだ
こいつはS-BLAST250というバイクだ。俺が20歳の頃、たまたま通りがかったバイク屋に置いてあって一目惚れし即金で購入した
しかしバイクの免許など持ってなかった俺は上司に額が擦り切れる程に土下座をし、なんとか教習所に通う許可を得たのだ
つまり俺にとってそれだけ愛着のあるものでせっかくの夏休みなのだ。こいつがいなきゃ始まらないだろう
前置きが長くなってしまったが夏の思い出に向けていざ、しゅっぱぁぁぁぁぁぁーーーーあえ?
何が起きたのだろうか。視界が90度傾き離れた位置に見えるのは同じく90度に横たわる相棒の姿
どうやら気持ちが逸るあまり、転んでしまったみたいだな
「まったく……しばらく乗ってやらなかったからって拗ねてるのかこのじゃじゃ馬め。たまに通勤で使ってあげただろ?」
起き上がりバイクの元へ向かって起こす。幸先の悪いスタートになってしまったが気を取り直してもう1度
「……ん?」
空耳だろうか? ヘルメットを通じて聞こえる弾けるような音。しかし空耳でないことはすぐに分かった
連続して聞こえてくるその音は徐々に勢いを増し体を伝わるヒヤリとした感覚
「うわっ! 雨降ってきやがった!」
なんとタイミングの悪いことだろうか。たった1日だけ与えられた休みに雨が降るなんて
もしも神がいるならば貴様を呪ってやる。地球を5周して充分な助走を付けた上でぶん殴ってやる
しかし甘く見るなよ。この程度でへこたれる程俺はヤワじゃないんだ
そんなんじゃ社会では通じないからな
今度こそスタートだ。無駄な時間を使ってしまった分急がなければ! という訳でフルスロットルで出発!
「……はい……はい。すんませんした」
警察に捕まってしまった。スピード違反だって。神め、どれだけ俺を苦しめればーーーーいや、これは俺が悪い
とまあ色々ありながらも時刻は午後8時。最初の目的地に到着した
「おお〜。すげぇ賑わってるなぁ」
超圧縮夏休みその1。夏祭り
立ち並ぶ屋台を前にすることと言ったら1つ。ひたすら食ってひたすら飲むのだ。という訳で早速行くとするか!
焼きそばたこ焼きイカ焼きかき氷綿あめ鮎の塩焼きチョコバナナりんご飴クレープジャガバターお好み焼きフランクフルト串焼き…………まあこんなもんかな
片っ端から屋台を回ってそろそろ抱えきれなくなったので手頃なテーブルを探して晩御飯ーーーー
「おっと、大事なものを忘れてた」
これが無きゃ祭は始まらないと俺が買いに向かったのはビールだ。どうして祭で飲む酒はこんなにも美味いのか。しばらく運転をして汗をかき、疲れた体を癒す最高の1杯は最高と言う他ない
「いや〜ははぁ〜、調子に乗って10杯も飲んじまった。さて、そろそろ次へ行くとするか〜」
程よい気持ちよさに若干ふらつきながらも相棒の元へ向かいエンジンをかけようとした時だった
「キミ、ちょっと待ちなさい」
「……んあ〜?」
誰かと思えば警察だった。祭ということもあって見回りに来てたのだろう
「うへぇ〜なんか用ですか〜?」
「当たり前だろ! キミお酒飲んでるじゃないか! 飲酒運転は犯罪だぞ!」
「あ〜すいませんね〜。今アルコール抜きますから〜。…………フンッ!!」
俺は全身に力を込めて身体中から滝のように水分を放出させる。会社の飲み会でアルコールを抜く時に使う必殺技だ
いつもはトイレで全裸でやるのだが外でやると今度は別の犯罪になってしまうのでな。仕方なく服を着たままだ
「さて、これで大丈夫だ」
「……本当だ。アルコールが検知されない。キミ、どうしてこんな事ができるんだ?」
「こんくらい出来なきゃ社会でやってけないんでね」
ドヤ顔で答え警察に別れを告げ俺は次なる目的地へ向かう。別れ際に警察からスーパーボールを貰った。なんでも一緒に見回りをしてた同僚が屋台で取ってきたとか
そんなことしてていいのか同僚……と思ったがせっかくだし貰っておいた
相棒を走らせること1時間。住宅地を離れ自然豊かな地で行う次の夏は登山と虫取りだ
超圧縮夏休みその2。登山&虫取り
着いた先は根性山と呼ばれる有名な山で俺にとっても馴染み深い場所
標高2110.564mで険しい山道はその名の通り、根性を試し、鍛える山だ
俺も入社したての頃は研修でここを何度も登らされた。ここにはスポーツに青春を注ぐ若者達が訪れることも多い
「入社時は往復で半日以上掛かったっけな。今はどうか……なっ!」
準備体操を済ませ一気に山道をかけ登る。こんな時間だし他の登山客の姿はもちろん無い。実力試しには最高のシチュエーションだ
「ふぅ……。45分か。俺も随分と社会人らしくなったな」
思ったよりも早く山頂に着いたので周りに誰も居ないことを確認してタバコに火をつけた
山頂の景色を堪能しながら吸うタバコも祭のビールと同じくらい格別だな
「なぁあんた」
声を掛けられ振り返ると丸坊主の少年が立っていた。まさか俺以外に人がいるとは思わなかった
「あ、あぁ煙草か? 悪いな、今場所移るから」
「そうじゃなくて。あんた、この山を走って登ってきただろ? どうやったらそんなこと出来んだよ」
「社会に出れば自然とこうなるさ」
「それじゃあ遅せぇんだよ」
聞けばこの丸坊主は高校1年で野球部。今はレギュラーではないが将来、甲子園を目指して日々この山を登っているらしい
なので少しばかりコツを教えてやった。俺も会社の野球大会で経験はある。俺が説明した練習内容を聞いた丸坊主は青ざめていたがやはり高校球児にとって甲子園は夢のようで覚悟を決めた顔をしていた
「じゃあ俺は急ぐから。野球、頑張れよ」
「あっ、ちょっと待ってくれよ」
そう言って丸坊主から投げ渡されたのは彼の名前が書かれたボール
「俺のサインボールだ。将来価値が付くから大事に持っとけよ!」
「ハハッ! だといいな」
さてと、次は虫取りだ。深夜の方が集まりはいいと思うが時間がないしとっととやってしまおう
「おうコラァ! ヘラクレスさんのお通りだ! 道を開けろ雑魚共ォ!」
「んだとコラァ! ギラファさんの前でいい度胸だなぁ!?」
虫を取りに来たのだが面白いものを見つけてしまった。まさかこんな所でヘラクレスオオカブトとギラファノコギリクワガタを見ることが出来るとは
しかし状況はあまりよろしくなさそうでカブト軍とクワガタ軍がケンカしてらっしゃる
「まあまあ落ち着けよ両軍とも。なんでケンカしてんだ?」
「に、人間!? なんでこんなとこに!? ってかなんで会話出来てんだ!?」
「虫との会話は社会人として当たり前のスキルだしな。で、何してんだ?」
こいつらはこの根性山に伝わる『森の宝石』とやらを巡って日々争っているらしい。とても胸が踊る話だ。宝石と聞いて人間である俺も黙ってはいられない
「ほう。ならばお前達を倒して俺が森の宝石をいただくとするか」
「んだとぉ!? 人間の癖に調子に乗るな! おいヘラクレス、分かってるな?」
「もちろんだギラファ。今日は一時休戦してこの人間を追い出してやろう! 行くぞっ!」
ヘラクレスの合図でカブトもクワガタも一斉に襲い掛かって来る。数は合わせて50匹程度だが所詮虫だと侮るなかれ
1匹1匹がそれなりの力を持ちそれが束になって掛かってくるのだ
虫嫌いな人は勿論のこと、虫取り少年でさえ虫あみを放り投げて逃げ出す絵面が出来上がっていた
地の利を生かした両軍の攻撃で徐々に余裕が奪われていく
「ここだ!」
「喰らえ人間めぇ!」
ヘラクレスとギラファの一撃が俺の両肩に突き刺さった。その凄まじい衝撃は俺の体を貫き背後にあった大木をポッキリと折ってしまった
「……なかなかやるじゃないか。それだけの力があるんだ。これからはその力を奪う事じゃなく守ることに使うといい」
「お、お前まさか初めからそのつもりで俺達を焚き付けたのか?」
「どうだかな」
「まったく。喰えない奴だ」
カブトとクワガタによる争いも無事に終結しこれからは森の宝石をお互いに守っていこうという結論になった
しかし森の宝石か……一目でいいから拝んでみたかったな
「待ちな人間!」
「これをやるよ!」
山を降った所で呼び止める声に振り返るとヘラクレスとギラファがいた。そして近づいてくるなり何かドロリとした液体を俺の手に垂らす
「……何コレ?」
「森の宝石さ! お前は俺たちに大切なことを気づかせてくれた。ほんの少しだけだが受け取ってくれ!」
「あ、あぁ……なるほどね。これが森の宝石かぁ……。ありがとな……」
その液体は黄金色に輝き、確かに宝石のような美しさを放ってると言える
しかしこれは……
(じゅ……樹液……。そりゃまあ虫にとっちゃ宝石か……)
森の宝石は持っていた小瓶に入れてベタついた手は川で洗った。やられた傷は気合で治し次の夏を目指す
「次は……海だな!」
時計の針はいつの間にか12時を回り新しい1日が始まっていた。そこから走ること2時間。海に到着だ
超圧縮夏休みその3。海水浴&バーベキュー
「あちゃー。やっぱり閉まってるよなー」
海に着いたのはいいものの近所にあったスーパーは閉まっていた。このままでは食材が買えない
このままでは海岸で1人バーベキューセットを見つめるだけの虚しい男が出来上がってしまう
「しょうがない。ちょっと申し訳ないが失礼しまーす」
俺は体を透明にしてスーパーに忍び込む。必要な物を一通り買い物カゴに入れるとレジにお金を置いて出てきた
次の日出勤して来たスーパーの店長が監視カメラの映像を見て『幽霊が買い物してた!』と騒ぐのはまた別の話である
海岸に戻り急いで準備を始める。火を起こし網が温まったのを見計らって一気に肉をぶちまける
男のバーベキューに野菜など不要。必要なのは『肉』のみ
肉が焼ける豪快な音と押し寄せる波音に耳を済ませ月明かりが照らす海面を眺めながら頬張る肉は最高である
「ギャッハハハハ! おいおい! なんかオッサンが1人でバーベキューしてんぞ!」
「うっわぁ! カワイソ〜」
アホみたいな笑い声で至福の時間を邪魔するのは誰だ。するとそこにはいかにもガラの悪い男女が10数人。なるほど、地元の悪ガキグループか
「ねぇねぇオッサン! 1人で寂しくなーい? 俺達も混ぜてよー」
「いいぞ。ほら食えよ」
「えっ?」
大方俺がビビる姿でも想像してたのだろうがそうはいかないぞ。
『俺が怖いのは嫁さんだけだ』とか言ってみたいが生憎そんな相手はいないし悲しいことに俺が一番怖いのは上司だ
まさかの返答に悪ガキ達は少々驚いたようなのでまずはリーダーっぽい少年に肉を1つ与える
「んだこりゃ! うっま! 肉うっま! おい、オメーらも食えよ!」
「うっそまじで!? ……ホントだおいしー! オジサンプロ級じゃん!」
「おーそっか。ならこのまま食っていけよ。幸い肉なら充分に用意してるからな」
「マジで!? あざーす!」
どうやら気に入ってもらえたようで悪ガキ達を加えてバーベキューを再開した
せっかくの飯だ。1人で食べるより沢山の人と食べた方が美味くなるし肉もそっちの方が嬉しいだろう
「そうだ! 俺達スイカ割りしようと思ってたんだ! オッサンもやんべ!」
「よし! 望むとこだ!」
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り宴が終わる頃にはすっかり日が昇ってしまっていた
「ありがとなオッサン! 美味かったぜ!」
「ごちそうさまー!」
「礼なんかいらないよ。こっちだってスイカ頂いたしな」
悪ガキ達と別れ相棒の元へ向かうとハンドルに何やら見慣れない物とメモがくっついていた
「なになに……『仲間の証だ。また遊ぼうぜ』……か」
メモと一緒にあったのは黒いリストバンドで髑髏のマークが付いている。なるほど、あの位の年の子供が気に入りそうなガラだ
せっかくなので腕に付けることにして俺は次の夏へ向かって走り出した
ーーーーと、思ったのだがこれまでの長旅で流石に体が疲れたようだ
仕事中ならば1週間は連続で起きていられる自信があるのだがツーリングとなるとそういう訳にはいかないんだな
無理は禁物だと思いそのまま相棒の上で目を閉じると深い眠りへと誘われた
「ーーーーハッ! 今何時だ!?」
目を覚まし時計を確認すると時刻は午後1時。随分と長く眠ってしまってたみたいだ
次は何をしようかと考えた時、とりあえず体を休めたいという気持ちが一番に湧き上がってきたのでとある場所へ向かうことにした
「ぶっはーーーー! 生き返るなーーーー!」
着いた先は温泉だった。溜まった疲労がまるごと削ぎ落とされるような感覚についつい声が漏れてしまう
俺が今入っている『広踊りの湯』は疲労回復の効果があると全国でも有名な温泉だ
これでもかというくらい満喫して外に出ると時刻は午後5時
「それじゃあ超圧縮夏休みのフィナーレと行くか!」
すっかり疲労も取れたのでここからはまた休み無しのスケジュール。まずは花火大会だ
超圧縮夏休みその4。花火大会
10万発という異常な量を打ち上げることで有名な『勃発爆発スーパー花火大会』は毎年全国から観光客が集まる
俺が到着した時には既に大量の観光客で溢れかえり人混みの中から見上げる花火はとにかく『暑い(熱い)』の一言だった
次からは地元の小さな花火大会でいいかな。そもそも行ける確証など無いのだけど
さあ次は花火で暑くなった体を芯から冷やす肝試しだ
超圧縮夏休みその5。肝試し
訪れたのは心霊スポットと名高いトンネル。見た目はなんの変哲もないが入口に立ってみると体を包む空気が変わったのがよく分かった
ヒヤリなんて優しい表現では足りない。氷で出来た矢が全身に突き刺さったような感覚に襲われ思わず身震いしてしまう
旧道の為、車はもちろん人の姿もない。奥へ奥へと進む度に増す冷気はまるで氷結地獄とでも例えるべきだろうか
……まあ結局それらしい心霊現象もなく一往復して入口に帰ってきたんだけど
そして相棒に跨りUターンしようとした時だった
「あっ。ちょっと待ってください」
「ん? 誰だ…………おわあっ!?」
こいついつの間に!? 肩に伝わる冷たい感覚に振り返ると後部座席には女が乗っていた
ってか括りつけてた荷物何処へやった!?
「私ですか? 霊です」
「霊なの!?」
まさか本当に霊がでるとは……
しかしこんな時でも慌てず騒がず。社会人マニュアル1841ページ『取引先が幽霊だった時の対処法』を思い出す
「粗茶です」
「いや、いりません」
なっ!? 『とりあえずお茶を飲んで落ち着いてもらう』が通用しない……だと……
いや、ペットボトルのお茶だったのがダメだったか。やはり1からシャカシャカと茶を点てる必要があったか
しまった! そんなもの持ってきてない! このままじゃ取り憑かれて死ぬまで働かされる!
「あの〜」
「な、なんでしょうか!」
「せっかく出会えたのも何かの縁ですし、私のお願い聞いてもらえませんか?」
「死ぬまで働けってことですか!?」
「……いや、違いますけど?」
クソッ! 社会人とあろう俺がなんたる失態だ。たかが霊相手にここまで心を乱されるとは
「この先の丘に行きたいんです。連れてってもらえませんか?」
「丘?」
聞けばこの女幽霊。このトンネルでバイク事故を起こし死んでしまったと言う。その時目指していたのがこのトンネルの先にある丘でなんでも星が綺麗に見えるらしい
それが心残りになって成仏出来ないと彼女は言う
正直、断りたい気持ちでいっぱいだがお願いを聞いてくれないと荷物を返さないと脅された。気弱そうな見た目と裏腹に恐ろしい女である
「今までは自分で運転してたので人の後ろに乗るのは新鮮な気持ちになりますねー」
「まさか初めて後ろに乗せる相手が幽霊だとは思わなかったぜ」
「まあまあ。女の子なだけマシじゃないですか。じゃあ参りましょー」
気楽に言ってくれるな。こっちは背後から呪い殺されるんじゃないかって気が気じゃないのに
だが心配も杞憂だったようで他愛もない会話を続ける内に無事にその丘に到着した
超圧縮夏休みその6。天体観測
「いやー。確かにこりゃ絶景だな」
「ですよね! 私、これを見るのにいったい何年かかったことか……」
念願叶って幽霊は嬉しそうだ。頬を伝う涙が星の光に照らされ宝石のように輝く
「もう思い残すことはありません。長かった幽霊生活もやっと終わりです」
そう言うと幽霊の体が徐々に透け始め、本来なら見えることのない彼女の体の奥の景色が見える
「……嘘だろ? 着いてまだ数分しか経ってないんだぞ? いくらなんでも早すぎないか?」
「私もこんなに早いとは思ってませんでした。けど願いは叶いましたし……」
出会ったばかりで素性も分からない相手とは言え目の前で成仏されるのはとても切ない気持ちになる
こんな時、どんな顔をして、どんな声を掛けて見送ってやるのが正解なのか。社会人マニュアルにはそんなこと書いていなかった
こればっかりは自分が生きていく中で経験しなければならないことなんだ
「そんなに悲しそうな顔をしないでください。これをあげますから」
幽霊に言われて初めて気づいた。今の俺はそんな顔をしていたのだと
そして幽霊からあるのもを渡された
「これは……?」
「生前、私がずっとバイクの鍵に付けてたキーホルダーです。悲しい時はそれを私だと思って元気出してくださいね!」
黒ずんでいてお世辞にも綺麗とは言えない年季の入った黄色い星のキーホルダー。しかしこれを見ていると不思議な気持ちになる
この幽霊が生前、どれだけバイクを愛していたのかが分かるような気がした
「……ちょっとー? アレー? なんで黙ってるんですかー? 今のはツッコムとこで黙られちゃうと私恥ずかしいんですけどー?」
「余計なお世話だよ…………けどありがとな」
俺の返事に幽霊は何も答えることは無く、その代わりに満面の笑みを残して消えていった
いつまでも別れを惜しんでいる場合ではない。時計の針はとっくに深夜を指している
俺の休日は終わり数時間後にはまた仕事に追われるいつもの日常に帰るのだ
しかしこれほど楽しい時間を過ごしたのは何年ぶりだろうか。気づけば降り出していたゲリラ豪雨も心地良いと感じるまでに俺の心は満たされていた
「さぁて。超特急で帰るとするか!」
ーーと思ったのも束の間。田んぼに囲まれた田舎道を走る俺の前に最後の夏が訪れた
「おいおいおいおい……。マジかよ……」
轟々と音を立てながら遥か先に見える大きなものに俺は唖然とする。いやでもこれって昼間とかに出るのが普通じゃないのか? こんな深夜に発生することあるのか?
その正体は竜巻だった。ハイビームによってその足元が辛うじて見えるだけで全体の大きさは分からないが恐らくこれはとてつもなくデカイ竜巻だ
「まったく……気持ちよく帰れると思ったのにとんだ災難だな」
だがこの程度で俺が挫けると思ったか? 雨が降ろうと槍が降ろうと決して会社を休まない
それが社会人というものだ
覚悟を決めて相棒にしがみつくと俺はフルスロットルで竜巻へと立ち向かった
「上等だオラァァァァァァァァァァ!!!!」
「ーーーーアッフアァッ!!」
目を覚ました時、俺は何故か汗だくで自分の部屋にいた。しかもしっかりと寝巻きに着替えて布団で眠っていたのだ
慌てて携帯で日付を確認すると俺が休みを貰った日。つまりこれから俺の休みが始まるのだ
「随分とリアルで長い夢だったな……」
とりあえず汗だくの寝巻きを変えようと部屋の明かりを付けた時、俺の目に信じられないものが飛び込んで来た
スーパーボール、名前の入った野球ボール、小瓶に入った樹液、髑髏のマークが入った黒いリストバンド、黒ずんだ星のキーホルダー
全て超圧縮夏休みの中で出会った人々から貰ったもの。ということは時間が巻き戻ったということか?
いくらなんでもファンタジー過ぎると思ったが1つだけ自信を持って言えることがある
「あれは夢じゃなかったんだ」
という訳で本来1日だけだったはずの俺の休みは2日目に突入した。ではこの1日は何をして過ごそうか
とりあえず考えてみるも答えは既に決まっていた
この出来事を忘れない内に物語として書き記しておこう
「タイトルは……そうだな……」
「『社会人ライダーの超圧縮夏休み』で決まりだな!」
終わり