宴の準備
朝。我は今宵の宴の準備をテラスにて行っていた。今日は絶好の天候。宴の準備にはもってこいだ。
今宵、その宴により我は最高潮を迎えるであろう……!早く味わいたいものだ!
その期待に笑みがこぼれ、顔を歪めてくる。
とても良い。とても良いぞ!さあ、我に早く味あわせるがいい!
「ウェルも好きだね。洗濯なんてここの天使がやってくれるっていうのにいつも自分で朝早く起きてやって、しかも洗濯機じゃなくて手洗いでやってさ」
そんな我の後ろでは白く輝く髪を揺らし、身長百二十前後の我が友にして最強最小の相棒である白闇が、普段はパッチリくりくりとしている紫の瞳が特徴的な目を半開きにし見上げつつ呆れ顔で言ってくる。
「ああ、手洗いは良いぞ。布を傷めず汚れを落とすことが出来る。的確にな。それに」
「それに?」
「起きてやる事無いしな」
「まあ、無いけどさ……」
我の言葉に賛同する白闇。幽閉という形でこの神殿に住んでいる我々二人には基本的にする事が無いのだ。
だが、我は今出来うる事を趣味としてやろうと思い今に到る訳だ。
白闇は白闇で街にこっそりと行っているみたいだが、流石にまだ商店の開店せぬこの時間は暇であるらしい。
我はその時、素晴らしい事を思いつき白闇へ提案する。
「そう言う白闇こそたまには洗濯をしてみるのはどうだ?気持ちが晴れ渡るぞ」
「僕は遠慮するよ」
「む、そうか」
折角いい案だと思ったのだが、即拒否され我は少し肩をすくめる。だが、まあいい。
我は気を取り直し、手にしていた物をバッと広げる。それは波を打ち、広がる、純白のシーツ。
我はその先が地面につく前に竿へ掛ける。その間、一秒足らず。
「相変わらず手際良いよね」
「ふっ、そう褒めるでない。しかし、今回は一瞬、風に煽られ微妙に定位置から外れてしまったから二十五点といったところか」
「自己採点やけに厳しいね」
「まあな。自らを甘やかして成長など出来ぬからな」
「成長って、何に対して上達しようとしてんの?」
「布団を掛ける事だ。プロの家政婦は更に手際よく出来ると聞くからな」
「え?ウェル、家政婦とかになりたいの?」
白闇は首を傾げて聞いてくる。全くこやつは。
「我は別に家政婦になるために上達しようとしている訳では無い」
「え?じゃあ何で?」
「主人が家政婦など、雇われ人に劣ることがあっては面子が保てんからだ。そのため、いつ家政婦が我の気紛れで雇われても良いように日々訓練しているのだ!」
「え?良く意味が分からないんだけど……」
「ここにいたんですかっ、ウェルナンデさん!」
そんなやり取りをしていると声が聞こえ、我は視線を向ける。と、そこに光の使途が一人。金色に輝く長い髪をなびかせ、我の元へ駆け寄ってくるのが見えた。
「おー。おはよう、エルニス」
「あ、おはようございます」
光の使途であるエルニスは我の元へ来るとその言葉に対し息を整えつつ笑顔で返してくる。
流石は成績優秀、容姿端麗。何事もそつ無くこなすということで有名であったらしい彼女だ。礼儀作法もしっかりしている。
「ところで我を探していたようであったが、何かあったのか?」
そんな彼女が探していたのだ。何か重要なことに違いない。我はそう思い問いかけた。
「あ、そうです」
その問いにエルニスは先程挨拶を交わした柔らかな表情から一変、真面目な表情で我を見る。少し真面目を通り越して怒っているようにも見えるが。
「ウェルナンデさん、勝手にこの神殿内を歩き回らないで下さい!貴方は凄まじい魔力を持つ最強の魔王なんですよ!?今は力が封印されてるとはいえ、この世界にとって十分に脅威なんですから!」
「エルニスよ、そこまで褒めるでない。そこまで言われると我も少し照れくさいぞ?」
怒られると思ったら褒められた事に少しムズ痒く感じる。しかも必死の形相で言うものだから尚更である。
「いやいや褒めてないですよ!?……というかそれは勘違いです!それにまだ話の途中ですから!……ごほん。良いですか?私が言いたいのはですね、何かの用事などで何処かへ行く時は必ず監視である私を同伴させると言う決まりになったのですから、必ず守ってくださいって事です」
真剣な表情で語るエルニス。
その言葉に我は思い出していた。そう、昨日、今までついていなかったのにもかかわらず、どういう事かいきなり監視される事が決まったという事と監視役として彼女が来たということを。
それにしてもこやつは貧乏クジを引いたなと我は思う。見習い時代に優秀な成績を収めたがために天使に昇格早々我の監視に就かされるとは。
「ああ、そうであったな。善処しよう」
「本当に守ってくださいね」
「ああ、決まりだからな」
「それで、今は何をやっていらしたんですか?」
訝しげな表情で見てくるエルニス。
まあ、出会ってまだ一日も経っていないから怪しまれても仕方が無い。
数多の異世界を破壊し消滅させてきた魔王を前に何を企んでいるのか怪しむのは当然だ。ふっ、こやつは中々できると後でミノリに言っておこう。貧乏くじを引いたこやつへせめてもの情けだ。
まあ、それは後として―――
「洗濯だ。今日は晴天らしいからな」
我は彼女へ答える。ありのままの真実を。
「はい?」
それに対しエルニスは首を傾げていた。
我は何かおかしなことを言ったのだろうか?
「洗濯、ですか?」
「うむ。洗濯だ」
「え?あー、えっとその、何故、こんなに朝早くウェルナンデさんはお洗濯を?」
「む?暇だからだが?」
「あー、そう、なんですね」
我の返答に苦笑いするエルニス。
だが我はその視線の先がその奥を見ているようにも思える。
そう思った瞬間、頭の中を電気が走った。
まさか、こやつっ―――!
我の後方。そこにはテラス狭しと無数の竿に掛けられた洗濯物が風に良い感じになびいている。
だが、これらは全て、我の物と言う訳ではなく暇ついでに洗った白闇やミノリ。他の天使のまで含まっているのである。しかし先の我の説明では我が自分の分だけやったように思っているかも知れぬ。
そう思われているのであれば「え?この人、こんなに洗濯物溜めておく人なの?」と思われているに違いない。これは誤解を解かなくては……!
我はそう思い口を開いた。
「うむ。まあ、自分の分だけやるとすぐ終わってしまうから、白闇や他の天使共の洗濯物。ミノリの分も今やり終えここに掛かっておるのだ」
「はあ……。え?あ、あの、今何と仰いました?」
「む?だから、我の分だけではなく、白闇とミノリ。他の天使共の―――」
「……ええ!?」
エルニスは信じられないというような、そんな表情で固まった。というか、心なしか青ざめておるように見えるのだが。
今日の朝食はまだであるし。ううむ。あ、この者にとっては初仕事の初日だ。真面目であるらしい彼女の事であるから、緊張でお腹を壊してしまったのであろう。
これは、この者がそっとトイレに行けるように取り計らなければいかぬな。だがどうすればよい?監視対象を一瞬でも放っておいてトイレに行くなど、この真面目で有名であったらしいこの天使には出来ぬであろう。待てよ。そうするとこの者、排泄にいきたい場合どうするのだ?我は普通に行ける身だが……。
「ウェル」
そんな事を考えていた我は白闇に声をかけられそちらを向くと呆れたような表情が目に入る。
「多分エルニスは自分が仕える最高神の衣類を敵対者である悪魔に触らせたから監督責任を負わされるんじゃないかって心配してるんだと思うよ?お腹を壊したとかじゃなくて」
白闇はその表情のまま言葉を発した。
「む?そうなのか?ここの天使共はそんな事気にしておらんのだが」
「そりゃそうでしょ。気にするも何も、誰も起きてない朝っぱらから洗濯しだすんだから誰も知らないよ」
「む?そうか?」
「そうだよ。それにその事はミノリも知らないんじゃない?」
「……そうでもないよ?」
そのような声が聞こえ、その場にいる一同の視線がそちらへと向く。
そこには寝間着姿のまま現れた小柄な最高神。ミノリの姿があった。
まあ、小柄と言っても白闇よりは十五センチほど大きいが。
「珍しいなミノリ。いつも自室から見ておるのに今日は実際に見に来るとは。だが、寝間着姿で来るのはどうかと思うぞ?」
「……私は洗濯の様子を見に来たんじゃなくて、エルニスの様子を見に来ただけ。それと顔を洗ってきた帰りに寄っただけだからパジャマなのは仕方ない」
ミノリはいつもの淡々とした調子でそう言うと、膝を付き手を組み自身へ祈りを捧げる姿勢をしているエルニスの方を見る。
それにしてもパジャマ姿と寝癖で髪がはねているのは直してきた方がよいと思うのだが……。
そもそも、本当に顔を洗いに行って来たのか?
「……エルニス」
そんな本人はそんな姿を気にもせずエルニスへ声をかけた。
「み、ミノリ様、お、お許し下さい」
震える声で言うエルニス。その体は小刻みに震えている。
「……何を?」
ミノリはそんなエルニスの言葉にそのままの表情で首を傾げる。
その返答と仕草に「え?」と言う言葉を漏らしその姿勢のまま顔を上げるエルニス。
「……エルニス、何かしたの?」
「えっと?あの、この、あ、いえ。……魔王ウェルナンデによりミノリ様の衣類が汚されてしまい―――」
「……?シミ一つ無いけど?」
「あ、いえ。そのですね。比喩と言うかですね、その、現状じゃなく、その過程で」
「……つまり、お戯れに使われたと?」
「そうですそれです!」
気だるそうな表情から少し真面目な表情で言ったミノリに対しものすごい勢いで頷くエルニス。
こやつら……。
「お主等は我がそのような事をすると思っておるのか?」
「……しないの?」
「そのような陰湿な事はせぬ。それにそのような事をする理由も無いしな」
「……そう。貴方はそうね。それよりも、ウェル」
本当に淡々とした表情と調子で語るミノリが我に顔を向け、自分のお腹に手を当てる。
その仕草はいつものアレか……。
本当にこやつは。少しは神として天使達の前では我慢して欲しいものだ。
そんな事は思うが、当の本人は止まらず、その淡々とした表情の少ない言葉を発する口を開く。
「……お腹空いた」