7話 未来のトラウマ
顔を洗い終えた俺は、過去へ戻ってきたという事実も受け入れ決意も新たに、顔も頭の中も心もスッキリサッパリして食卓へとついた。
すると、後ろから誰かが近づいてくるのを感じた。
「則明、おはよう。今日は一人で起きたんだってな? 偉いぞー」
聞き覚えのある……俺が最も苦手な人な男の声が、俺の後ろから聞こえてきた。
後ろから俺の頭をクシャクシャっと撫でられた。反射的に体が避けそうになったが、大きな手が俺の頭を覆ってそれを許さなかった。
それが、俺にとってもものすごい違和感……というか、不快感を覚えた。
俺と親父は、一度目の人生の時に仲が悪かった。悪かったというよりも、ある時から俺がずっと避けていたという表現が正しいかもしれないが、その原因は親父が俺にした仕打ちにある。と、俺は記憶している。
母さんが交通事故で亡くなった時、その前後の事は詳しく覚えていないが、親父はずっと俺と会話をしてくれなかった……俺が何度か話しかけても、その度に睨まれるだけで無視された。幸い、学校で必要なお金とかは言えば、次の日には家のリビングにあるテーブルの上に投げられていた。その乱雑に散らばったお金を見る度に、悲しい気持ちになったっけな……。
そんな親父の俺に対する仕打ちで、子供の頃の俺は深く傷つき……いつからか俺は、親父との会話を諦めてしまった。
とはいえ、それは今の俺にとっては未来の話であって、母さんがいる今はきっと良い父親なのであろう……そうだとわかるくらいに親父の声と、頭を撫でた手は優しかった。だから、今は普通に接しないといけない。
「おはよ」
頭ではわかっている。それでも思ったように言葉が出せずに短く挨拶を返すだけで精一杯だった。
この人と同じ空間にいるだけで息苦しくなってくる……過去に戻ってきても俺の心奥深くにあるトラウマは健在って事か。
そんな事を考えながら、目の前に座った男を見た。短髪黒髪の眼鏡で身長は高く、俺の知ってる親父よりも若く清潔感があり、俺を見ながら微笑みかけていた。
俺の記憶にある親父は、白髪交じりのボサボサ頭から覗く光を完全に失ったかのような目で、いつも俺の事を睨みつけ、にも関わらず俺の言葉に反応を返してくれなかった。
つまりは、親父の笑っている顔なんて記憶に無い。だから、今こうして微笑みかけられている事に衝撃を感じずにはいられなかった。
どうして、こんな優しそうな人が、あんな風に変わってしまったのか……母さんが亡くなって悲しいのは俺だって同じだった。ダメだ、これは考えるだけ無駄だな……止めよう。
さっさと朝食を済ませて部屋へと戻る事にした。
目の前に出されている料理を、せっかくの久しぶりの……正直、相当昔の事で覚えていないから、気持ち的には初めての母親の手料理を、急いで流し込むように口の中に入れて、席を立った。
「もふぃほうひゃま」
「おいおい、どんだけお腹すいてたんだ? しっかり噛んで食べないと大きくなれないぞ」
「パパの言う通りよ? ちゃんとゆっくり食べなさい」
親父は若干苦笑い気味で、母さんは優しく諭すように、そんな何気ない言葉が心地良かった。
それが余計に違和感を感じずにはいられず、少しでも早くこの場から逃げ出したい衝動に駆られた。
「大丈夫! ちゃんとしっかり噛んで食べたから!」
まだ少し口はモグモグさせたまま、母さんに向かってそう言いながら食器を下げて、小走りで階段を駆け上がり、自分の部屋へと戻り、そのままの勢いで地面に転がった。
「ふぅ……なんだか疲れた」
こんなんじゃダメだ……きっと母さんに心配かけてしまったよな。
親父にも……
「温かかったな……」
親父の温かくて優しい手を思い出すと、胸の奥で何かモヤモヤしたものを感じる。
今のままの親父となら、きっとこれから良い関係でいられる気がする。もし母さんが事故で亡くなったりしなければ……もしかしたら、母さんを助けられるかもしれない?
事故は三年後。八月二十三日、母さんの命日……これだけ分かっていれば、俺が母さんを助ける事だってできるかもしれない。そうすれば親父も変わらずこのまま……きっとすべてが上手くいくかもしれない。
そうだ、俺が母さんを守ってみせる!
そう決意しながら、まだ弱々しく頼りない拳をグッと握りしめた。
「ノリちゃん! 学校遅刻しちゃうわよー」
「……あ、分かったー!」
母さんの急かす声が聞こえて、一瞬何の事なのか理解が追い付かなかった。
そうか、俺は学校に行かなくちゃいけないのか。
そう考えると、一瞬面倒だなって気持ちになったが、すぐに一番の目的の事を思い出して、気持ちを切り替えた。
前回の俺とは違う。今度はうまくやって、成り上がるんだ。その為には今のうちから気合い入れていかないとな。そして、十八年後の運命の出会いに備えるんだ!
スーッと、俺の部屋の扉があき、母さんの心配そうな顔が覗いた。
「ノリちゃん? なかなか降りてこないなって思ってきてみたら……成り上がるとか運命の出会いだとか、いったいどうしたの?」
西園寺さんの事を思い出して、テンションが上がりすぎてしまい、心の中の叫びが漏れてしまっていたらしい。
「えっと……そう! アニメ! アニメの話だよ!」
一瞬焦ったが、俺のスーパーコンピューター搭載の脳みそをフル回転して完璧な言い訳を導き出せたぜ……
「本当、今日はちょっと変じゃない? 何かあったならママに言うのよ?」
おかしい……完璧なはずなのに、ほんの少しだけ心配させてしまったらしい。きっと母さんは極度の心配性なのだろう。俺の言い訳を聞いても心配してくれるのだから……
「あっ! ほらっ! 変な事を言ってないで、早く準備しないと遅刻しちゃうわよ。一人でできるわよね?」
「うん。大丈夫」
人生をかけての目的を『変な事』で片づけられたのは悲しいが、事情を知らない母さんを責めてはいけない……
そんな事を考えてると心配そうな顔をしながら、母さんは俺の部屋から出ていった。
とりあえずまずはキョロキョロと周りを見渡し、勉強机の上に置いてあった小さい時計を見つけ時間を確認した。
時計の針は七時四十分を指していたが、小学校が何時までの登校だったかなんて覚えちゃいない。母さんの様子を見るに、おそらく焦った方が良いのだろう。
とりあえず着替えなきゃな……どこに着替えがあるかな。
タンスをかたっぱしから開いてると、懐かしいお気に入りだった服を見つけて着替えると、勉強机の横にかけてあったランドルセルを勢いよく引っ張り肩にかけた。すると、ランドセルが想像以上に重く、ランドセルに勢いに引っ張られてグルッと回って尻もちをついてしまった。
「この頃の俺、どんだけ力が無いんだよ……」
ゆっくりと立ち上がり、もう一度時計を見た。七時五十六分。遅刻なのか?
とりあえず考えるのはやめて行動する事にした。
「行ってきまーす」
「気を付けていくのよー」
玄関で靴を履きながら、子供らしく元気に挨拶すると、母さんの返事が聞こえてきた。
そんな当たり前のやりとりに、何かむず痒いものを感じた。
きっとそのうち慣れるのだろう。
そんな事を考えながら玄関から出ると、すぐに振り返ってみた。
「そういえば、こんな家だったな……高校出てから全然帰ってなかったから……8年ぶりか」
全体的にベージュっぽい色した二階建て一軒家で、二階を見上げると俺の部屋の窓が見える。俺の知っているこの家よりも新しく、そしてどこか温かい感じがする。
きっとそれは、前の人生では失ってしまったものなのだ。
そう思うと何か胸が締め付けられる感じがした。
「俺はもう失わない」
俺はこの日何度目かの決意を言葉にし、家をあとにした。
それから、記憶の奥にあった学校への道順をなんとか引っ張りだして、無事に学校へとたどり着いた。
あったはずの道が行き止まりだったり、逆に無かったはずの道やお店があったりして、軽く迷子になりつつだったが、無事にたどり着いたのだから良しとしよう。
「ここだ……懐かしすぎる……」
見た瞬間にあまりの懐かしさに感動してしまい、ほんの少しだけ泣きそうになってしまった。
それにしても……静かだ。この静けさには覚えがある……すでに授業が始まってるのでは無いか?
「まずい! まずい! まずい! 俺の二度目の人生設計は完璧人間になる予定なのに、二度目始まっていきなり遅刻なんて……急がなくては!」
誰もいないくつ箱で、急いで上履きに履き替えて……と思ったが、俺のくつ箱はどこだ!? まずい……こんなもん覚えてる訳ねぇえええええ!!
俺が心の中で諦めの絶叫をしていると、いきなり後ろから肩を叩かれた。
「仲間がいて良かったぁ! 相沢君もこんな日に遅刻なんてやるね! 一緒行こうよ」
「……だれ?」
いきなり慣れ慣れしい丸坊主に声をかけられたが、素直で正直者な俺は思った事をそのまま口に出した。
「えぇぇ!? ひどいよっ! 同じクラスなのに……まぁ慣れてるけど……」
同じクラスと聞いて、ピーンと閃いてしまった! やはり俺は天才か……丸坊主の意味深な言葉はとりあえず無視しておこう。
「そうか。丸坊主よ、とりあえず早く行こう。靴箱へ行くのだ」
「丸坊主って……もしかして名前も知らないって事は無いよね……?」
このチャンスを逃すまいと丸坊主を靴箱へと促し、丸坊主の言葉は無視しつつなんとかくつ箱を発見した。
安堵したのもつかの間、新たな不安が脳裏をよぎった。
この丸坊主が言ってた『こんな日に遅刻』ってなんだ……?
「ときに丸坊主よ。こんな日に遅刻って言ってたけど、今日って何かあったっけ?」
「やっぱり名前知らないんだ……えっと、今日は……アレの日だよ!」
「おい、大事な部分が抜けてるじゃねぇか! アレって何だよ!」
「アレは……なんだっけ……アレだよ!」
「使えねぇ丸坊主だなぁ……お前の事をアレって呼ぶぞ!」
「あれぇ……相沢君ってこんな感じだったっけ……?」
まぁどうせすぐ嫌でもわかるか。
とりあえず、使えない丸坊主は無視しようと決めて、丸坊主の後をついていく。
丸坊主からの言葉を何度か無視したところで、この丸坊主の言っていた『こんな日』の正体が分かった。
おそらく三年生の教室? の前の開けたスペースに大勢の子供達が座っており、その前で先生らしき年配の男性が何か話しているのが見えた。
「これは……学年朝会か。最悪だ……」
「それだ! 思い出した! ガクネンチョウカイだ!」
俺が壁に隠れながら小声で言った言葉に、全力で反応する丸坊主。
朝会中で静まりかえってるところに、バカみたいな大声が響き渡り、当然のように俺と丸坊主に注目が集まる。
そして、子供達の前に立っていた大人の女性が近づいてきた。
この人は見覚えがある。たしか斎藤先生……佐藤先生? そんな感じだ!
「相沢君、小林君、昨日あれだけ遅刻しないように注意したでしょ?」
「ごめんなさい! 学校来る途中おばあちゃんが車にひかれそうになってたから助けてあげて、重い荷物を持ってたから代わりに持ってあげて、それで道に迷ってたから教えてあげて、鍵を無くしたって言ったから針金で鍵を開けてあげて……」
おい丸坊主。なんだその人助けのテンプレを集めてみました、みたいな言い訳は! ってか最後のは大丈夫なのか!? その歳でピッキングってある意味将来有望だな!? と、心の中だけで全力でツッコミをいれた。
「もう! 全然反省してないみたいだね? 二人とも朝会が終わるまで前の方で正座していなさい!」
「……っ!? 先生! 俺もですか!?」
「二人とも!」
そして、俺は丸坊主の巻き添えをくらい、三年生全員の前で正座という羞恥プレイをさせられる事になった。
こんな最悪な幕開けになるなんて……俺のセカンドライフ、一体どうなってしまうのか……。
この後、プロローグの話に繋がっています。