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俺のセカンドライフ  作者: 朝戸とくし
第一章 そこそこ満たされた日常 
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1話 そこそこ満たされた日常

「いらっしゃいませー」

「ありがとうございましたー」


 流行りの音楽が大音量で流れ続ける中、愛想笑いをしながら、ただただその言葉を繰り返す。


 20代も後半に突入したってのにカラオケ屋のバイト、貯金もなし……もちろん彼女もいない。世間一般ではこれを負け組というのだろう。

 そんな事を感じながらも、それなりに今を楽しんでいる。その大きな理由の一つは……きたっ!


「いらっしゃいませー! いつものお部屋でよろしいですか?」


 他の客にはどんな常連であっても『いつものお部屋で?』なんていかにも覚えてますよアピール的な事は絶対にしない。というより顔さえ覚える気は無い。まぁ、嫌でも覚えてしまうものだが……

 それはさておき、今俺の目の前にいる美女の名は西園寺恵美(さいおんじめぐみ)さん。名前からして既にステキ過ぎる。

 俺より3つ年上の29歳、スレンダーながら出るとこはしっかりと出ており、歩く度に風に柔らかになびくサラサラ黒髪のロングストレートという髪型が良く似合う大人な女性。細く形の整った眉にほんの少し垂れたパッチリとした目、その目の下にあるホクロがこれでもかと大人の色香を漂わせる。誰もが振り返ってしまうような美女とはまさに西園寺さんの為にある言葉ではなかろうか。

 そんな超超超高嶺の花な彼女に恋をしていた。


「はい、いつも通り1時間でお願いします」


 俺を見て微笑にながら答える女神。

 俺はこの笑顔を見るために生まれてきたのかもしれない。もう死んでもいいと割と本気で思ってしまう程の幸福感に包まれる。

 幸せでニヤけそうになる顔を全力で抑えつけつつ、紳士スマイル(西園寺様専用)を繰り出す。


「それではご案内します!」


 そう言いながらフロントから飛び出し、西園寺さんを丁寧にかつ紳士的に部屋まで案内する。

 この西園寺さんと一緒に歩いている時間をほんの数秒でも長くいたいが為に、紳士的にという名の牛歩スタイルで飾り気のない店内の通路を歩く。

 そう、飾り気のないはずの見慣れた通路……白と黒で塗られた地面も、薄い緑一色に塗られた壁も、そんな薄暗い通路を照らす青いライトも、うんざりする程に見慣れてるはずの光景が、まるで『あれ? 照明変えた?』と思わせる程にキラキラとした輝きを放ち、色とりどりに装飾される通路。まさにリアルタイム劇的ビフォーアフターだ。そんなキラキラが、まるで俺を祝福してくれてるように感じるから不思議だ。うん、恋ってすごい。


 そんな幸せな時間を少しでも長く味わっていたいが、時というのは無情にも幸せな時間程に早く過ぎていくものであり、あっという間に目的の部屋に辿り着く……が、ここでも幸せポイントはある。

 部屋の扉を開けて、西園寺さんが通る時にフワッと香る甘い匂いを胸いっぱいに吸い込むのだ。この瞬間、俺の肺活量は常人の三倍に、更に、テンションも三倍に跳ね上がる! その証拠に、きっとどこぞの専用MSのごとく、俺の顔面は真っ赤になっているはずだ!

 そして、この西園寺フレーバーの一番恐ろしい所は……おそらくだが、世間一般で言うとこの危ないお薬の何十倍も依存性があるだろうという点だ。なぜなら、今吸引したばかりなのにも関わらず、すでにもう一度! もう一度! と俺の頭の中で何かが叫んでいるからだ。


 いかん、いかん……仕事をしなくては。

 なんとか自分を取り戻し、西園寺さんを案内した部屋の扉を閉める。


「あの、店員さん? 案内ありがとうございます。もう大丈夫ですよ?」


 ……うぇっ!?


「あ、すみません! では、ごゆっくりどうぞー!」


 迂闊にも俺は部屋の中に入ったまま扉を閉めてしまっていたようだ……なんて恐ろしい西園寺フレーバー効果……次は気を付けよう。

 西園寺さんが来店するようになって、何度目かの同じ反省をしつつ、今度こそ部屋から出て扉を閉める。

 扉の細長い網目の入った窓から見える西園寺さんは笑って見送ってくれていた。

 ついついまた扉を開けて入ってしまいそうになる衝動を抑えて、今来た廊下を戻る。いつも通りの見慣れた風景だ。


 だが、俺の体内は今西園寺成分で満たされており、テンションはハイだ! ったが、たった今入口から入ってきた客を見た瞬間に、俺の体内にあった西園寺成分がすべて消え去り、テンションはもの凄い勢いで落ちてどん底にぶち当たった。 


「いらっしゃ……いませ~」


 いらっしゃいなんて……条件反射でつい言ってしまった。来るんじゃねぇっての! いけ好かない奴め!

 そんな内心を決して悟られないように……いや、悟られても別に構わないが、一応金貰って働いてる身としては、最低限の接客はしないとな。


「一時間で」

「はい、どうぞー」


 俺は適当に部屋に案内し、速攻で受付カウンターに戻ってきた。

 それにしても、今日も金持ってるぞアピール半端なかったな。

 明らかに高そうなコートに、中のスーツも縦縞の薄い青っぽいいかにもオーダーメイドですって感じだし、裾から覗く時計は何かこう重厚感? があるって感じで高級感やばいし、そのコーディネートにあう靴も安い訳がない。

 今日は雪だからどうか分からないが、普段はこんなカラオケ屋に不釣り合いないかにもな高級車に乗ってくる。こんな車で来んなって何度か蹴っ飛ばしてやったくらいだ。まぁ、蹴っ飛ばしたのタイヤだけど……俺ってなんか色々とちっさいな……。

 くわえて会員証情報によると同じ歳って……やつを見てると自分との差をどうしても感じてしまい、嫌な気分になる。

 田中太郎なんてありきたりな名前のくせに!

 気に食わない事はもう一つある! 田中太郎がこの店に来るようになった時期が西園寺さんとかぶってるという事だ! しかも来る日や時間帯までも結構な勢いでかぶっている……もしや西園寺さん……狙われてるんじゃ!?


「他のお客様にもさっきの美人さんと同じように丁寧に対応してくれたら、相沢君の時給ももう少し上げてもいいんだけどね~」


 そんな事を言いながら裏の調理場から顔を出したのは、店長の田沼宗吉(たぬまそうきち)だ。

 歳は四十代、上が茶色っぽいYシャツに下がスーツのズボンに紺色の前掛け、黒縁メガネに丸っこい体がたぬきっぽいって事で、バイトの間では“たぬ吉”と呼ばれている。

 そんなたぬ吉がニヤニヤ笑いながら近寄ってきた。


「あんな見栄っ張り野郎とか、酔っぱらって部屋やトイレを汚すような客に、俺の神対応はもったいないっすよ。というか西園寺さんだけが特別っすね」


 いつもの様に冗談まじりで反論した。どうせ、時給なんて上げてくれるはずがない。

 俺がここでバイトを始めたのは高校の時で、もう十年程ここで働き続けているにも関わらず、時給が上がったのは片手で数えられる程度。金額にして……悲しくなるから言わないでおこう。


「それにしても相沢君も無謀だよね~。あんな美人さんだよ? 相手してもらえる訳ないよ」


 美人さん……ああ、たしかに誰から見ても西園寺さんは美人だよなぁ。ウフフフフ……

 西園寺さんの事を考えるだけで、俺の脳内は一発でバラ色になる。


「お~い、相沢君? 顔がちょっとひとさまに見せちゃいけない顔になってるよ~?」


 ……っ!? 危ない危ない……

 たぬ吉の声に、慌てて顔を引き締める。

 にしてもたぬ吉め……嫌な事を言いやがって。でもまぁ、たしかに無謀なのか……? 俺は30手前の女性から見て、優良物件とは言い難いだろう。26歳でフリーターなんて将来のビジョンが全く見えない。それでも見てくれは悪くないはずだ。身長だって高いしそれなりに鍛えていて、今流行りの細マッチョって部類に入るのだろうし、過去には何度か告られた事だってあるし、もちろん付き合った事もある。性格だって過去に付き合った女には“優しい”“面白い”とか、割と好評だった……まぁいつだって最後はフラれる側だけど……でも26歳なんてまだ焦る歳じゃなくね? 自分自身の人生なんだからじっくりゆっくり自分にあった道を探せばいい! わかってくれる運命の人はきっといる! とうか西園寺さんなら俺の良さを分かってくれる!! はずっ!!!


 俺がそんな事を考えながら、ふと前にいるたぬ吉に目をやると……大きな口をこれでもかと開き、あくびをしていた。完全に興味を失っている。自分から話を振っておいて……


「それじゃ、やる事あるからヨロシクね~」


 やる事ってどうせネット麻雀だろ! 頭の中でツッコミながら、事務所に戻るたぬ吉を見送った。


 たぬ吉が汚したのであろうレジ周辺をダラダラと整理し、なんとなく受付カウンターの後ろにある大型液晶を見ると、女性歌手のライブ映像が流れていた。同世代でめちゃめちゃ人気があるシンガーソングライターというやつで、名前は『AKI』。まぁ見た目は可愛いし、歌も素人の俺が聴いても分かるくらいに超うまいと思う。そんで彼女自身が作詞しているという歌詞は同世代を中心に幅広く人気がある。加えて親はどこぞの大手事務所の社長らしい。ってな事を、たぬ吉からなぜか自慢げに聞かされた。


「こんな女より、西園寺さんのが断然上だがな」

「あの……何が上なんですか?」


 ……えっ!?

 その声に慌てて振り向くと、いつの間にか受付カウンター前に西園寺さんがいた。

 ヤバイ……聞かれた!? いや、別に文句を言ってた訳じゃないし、聞かれても問題ないのか? いや、でも……俺みたいな他人にそんな事言われても気持ち悪いって思われるんじゃね? まずい! どうしよ!

 あ、良い匂い……


「相沢さん、面白い顔して何を考えてるんですか?」


 そう言いながらパッチリとした目を細くして、いたずらっぽく笑う西園寺さん……この笑顔……プライスレス。

 じゃない! 恥ずかしいとこを見られてしまった! 完全に変な人って思われたよな……出来るなら、今の瞬間をやり直したい……。


「フフ、なんだか忙しそうですけど……お会計お願いできますか?」


 と、またしてもいたずらっぽい笑みを浮かべた顔で……やっぱりこの人は天使か? いや悪魔だ! この笑顔を見る度に俺の精神は狂ってしまいそうになるんだからな! ん……あれ? 相沢さんって言った?


「あ、初めて『店員さん』じゃなくて名前で……でも、どうして俺の名前を?」

「いえ、そこに……」


 西園寺さんは俺の左胸の辺りを指さして、その先を辿ると……なんて事はない、ただのネームプレートがそこにはあった……


「そういえば、こんなの付けてましたね! 完全に忘れてました! はっはっは」


 そんな心の動揺を見せないようにと焦ってしまい、お釣りを渡そうとした時に西園寺さんの手が触れた。お互いに顔を真っ赤にしながら焦って手を引き……なんてドラマやアニメのような展開は全くなく、真っ赤になってるのは俺だけで西園寺さんは全く意識する様子もなく軽くおじぎをして帰っていった。

 それでも俺は最高の気分だった。


「ありあっとーございましたー! またのお越しをお待ちしておりまーっす!」


 心からそう願いながら、テンションが上がり過ぎて軽く裏返った大きな声と最高の笑顔で西園寺さんを見送った。

 歩く度に左右にフワリと揺れる長い黒髪に触れたい……あ、また西園寺成分を欲して発作が起きてしまいそうだ!


 タタタタタ……と何かが走ってくる音が、嫌な予感しかしない。


「相沢センパーイ! どーしたの? 女の人見ながらニヤニヤして気持ち悪いよー?」


 その声と同時に、背中に鈍い衝撃が……振り向くと、くせ毛の茶色がかった短い髪が見えた。というか身長差がありすぎて頭のてっぺんしか見えてない。

 いきなり背中にタックルしてきたのは、同じバイトの佐倉伊乃(さくらいの)だった。

 こいつとは幼馴染? 歳が少し離れているからそう呼ぶかは分からないが、とにかく小学生の頃からの腐れ縁ってやつだ。昔はもっと大人しくて可愛い妹って感じだったのに、しばらく会わなかったうちにどこでどう間違ってしまったのか、性格、見た目共に劇的な変貌をとげてしまっていた。


「おい! いきなり体当たりしてくんなよな! せっかく良い気分の時に……ふへへ」


 と、怒りながらも西園寺さんとのやりとりの余韻が抜けず、ついニヤけてしまう俺。


「どうせ『相沢さん……』なんて呼ばれたからってテンション上がってるんでしょ? そんなちーーっぽけな事で良い気分とかバカみたーい」


 呆れたような顔の佐倉からの追い打ちが胸に突き刺さる……事実だからだ。

 しかし、西園寺さんと知り合って(来店するようになって)苦節半年にして初めて呼んでもらえたのだから嫌でもテンションは最高潮ってもんだ。


「なんとでも言え! 俺は今ならなんだって許せる気分だからな!」

「相沢センパイ、その後の言葉聞いてた? 『面白い顔して(笑)』だよ? バカにされてるんだって。ウケる~」


 今度は心底バカにするような顔で口元を片手で押さえながら、そう言って俺の肩をポンポンと二度叩いた。

 こいつは見た目はバカまるだしなのに、人を煽る事に関しては天才なのか!?


「うっせえな! お前に関係ないだろ? 俺はそれでも幸せなんだよ。そもそもなんで俺と西園寺さんの会話を知ってるんだよ! 仕事しろよっ! 仕事!」

「仕事なら相沢センパイが面白い顔してる間に終わったし~。それにもう上がりの時間だもん」


 そう言われ、ふと時計の方向に目を向ける。

 一面薄い緑に塗られた壁にかけられている存在感抜群の……というより違和感しかないメッキでピカピカの無駄に豪華風な装飾の時計を見ると、時計の針は二十二時を指していた。

 ちなみにこの時計は、俺が近所の祭りで何かの景品でゲットしたやつだ。いらないからそのままここに持ってきたんだけど、正直本当に飾るとは思ってもいなかった。この時計一つで、この店はセンスなし、の太鼓判を押されている事だろう。

 ちょっとした罪悪感を感じるが、たぬ吉のセンスが壊滅的だった事は俺の責任では無い。


「こらこら、相沢君をいじめちゃダメだよ~」


 (脳内で)噂をすれば……空気を読まない事にかけては他の追随を許さない、ニヤニヤ顔のたぬ吉の再登場だ。

 ネット麻雀で負けて気晴らしにでも来たか? こいつは何かあるとすぐに俺を弄ってストレス解消しようとするからな。

 俺はこれ以上、このハッピーな気分が台無しにならないうちに退散する事にした。


「あっ! もう俺上がりの時間っすね! お先に失礼しまーっす!」


 そう言いながら急いでタイムカードを押して、更衣室替わりに使っている裏の物置で大人しめのアロハ風の制服を脱いで帰り支度を整える。


「それじゃ店長! お疲れ様でした!」

「もう少しゆっくりしてても良かったのに~。まぁお疲れさま~また明日ヨロシクね~」


 俺の言葉に、ちょっと残念そうに手を振りながら応えるたぬ吉を後にし店を出た。

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