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憑依される悪意



ウグイスは春告鳥という別名もあり、その時期の雄の鳴き声が"法華経"と聞こえる

事から、古来より奇特な鳥として受け入れられている。


穏やかな日差しの昇ってきた朝の作業中「パートさんが店内に落ちていたと言って

鳥を拾ったんだけど、病気かなあ、どうしょうか」と梅木達の作業場に新任の

店長がやってきた。


野菜籠に入った鳥を確認してみると、本間が見るところ巣立ったばかりのウグイス

で、病気ではなく窓ガラスに衝突したのかも知れないなと思ったが、


彼は嫌な予感がして黙っていたと言う。


梅木は「いや、外に置いときゃいいよ。 そのうち飛んでいくよ」と言い。 

速やかに厄介払いをしたそうだった。


山上と須賀にしてみれば、もとより梅木と店長裁量の問題で、自分には関係のない

事と思っているから無言だ。


「いや猫もいるから、そうも行かないよ‥どうしようか」と言外に

「何とかして欲しい」と言っていると受け取った本間は、


「この間、雀の雛を保護センターに引き取って貰った事があるので、そこの連絡先

を教えましょう」と助け船を出した。


「ああ、そうなんだ‥そんな所あるんだあ」とひとまず安堵した様子の店長だった

が、電話をして事情を話したところ「連れてきて下さい」と言う事で


「引き取りに来てくれるんじゃないんだね」と甘えた事を言う‥

無論助けを求めての事だ。


梅木も外に置いておけば飛んでいくよというばかりで労をとる気はない。


またか、と思いながらも「ちょっと様子を見ていましょう。生きているようだった

ら、私が保護センターに連れて行きますよ‥」


生まれつき、そう言う役割のようなので‥という皮肉は言わない。


「言った途端、店長のつかえものが取れた時のような喜び様を見たら‥」と

本間は笑いながら(これで良いんだ)そう思ったと言う。


「あっ、本当? じゃ、いいかな? すみません御願いします」と言葉を残して店内

の業務に戻って行った。 


誰もが責任ある忙しい身ではある‥


その後、五感がやや回復したのか、籠の隙間から飛び出したウグイスを、

梅木は「戸を開けて! 戸を開けて!」と騒ぎ立て追ったものだから、


怖がった鳥は逃げようとしてガラス戸に衝突し落下する。


致命傷になったら水の泡‥と本間は慌てて手の届かないウグイスに近寄り、

ほうきをそっと近づけたが「ヂヂヂヂッ!」と悲鳴をあげた。


「お前が怖がってばかりいるからだろう、大丈夫だよ……そこに掴まって、

外に行こう」‥「まだ飛べるほどではないんだろう……」と話しかけた。


少しずつ疑いを解くように片足をホウキに移し、やがて両足を移したので、

外の樹木まで連れて行き、高い枝に移動して貰った。


「できる限り人の移り香を彼等に残さない事なんだ」と本間は言う。


なるほどね‥


人と野生は同居しながらも、ある意味で隔絶しているが心は読む。


例えば、人は魚を平気で掴むが、十六~十七度の体温が十度差の高温生物に長い

時間、触れられたなら火傷するほどの苦痛があるはずだ。


人の知恵は推測と仮定で相手を思いやる事もできるものだろう。


女性陣も、これら一連の騒動と動きを冷静に共有していた。

自分達ならばどう行動するのかは別としても、観察して、

それぞれが学んでいた筈だ。


新任の店長が後日に作業場に訪れ「鳥はどうなりました?」と尋ねられた時、

梅木は「ああ、元気になって飛んでいきました」と答えた‥


―――



本間が来る以前、孤立感を募らせて健康を損ねた梅木は、種々の薬品を併飲し、

その副作用で忘失する事が多々あったが、本人は気づいていなかった。


批判がましい事は一切述べずに、本間は真剣に相対して心の叫びを聞いた。


梅木は本間がずっと自分を手伝ってくれるものだと思い、期待もしていたが、

水谷かおるは当初から本間の屈託のなさに嫉妬していたものだった。


「どうしてそんなに短い間に梅木さんと仲良くできたの? どうして嫌いになって

意地悪をしないの?」だが大人のプライドが彼女の深層を曇らせていた。


そして本間が追従者ではなく、むしろ苦言を用いる者だと知れば、なおさら

妬ましくなり、彼がいなくなれば梅木がもっと自分を重要視せざるを得ないと


錯覚する稚拙な心に従っていた‥それは狐狸の怨霊にも似ている‥

貧しい心を養い続ければ、善悪両包含の一方の間隙に魔物が棲み憑く、


狐狸が悪い分けではない、獣の本性の"怨み"が棲み憑き、仇をするのだ。


山上久美子にすれば「また始まった」と一笑に賦す出戻りである水谷の常套句、

「もう辞める・何月一杯で辞める」 という口癖は、周囲の同調を期待しての


事だと、水谷から携帯が入った時に本間も気づいた。


「何かをしようとしなくていいのよ愚痴をきいてくれるだけでいいの」という水谷

は通話の最後に「私は年内一杯で"辞める"けど、本間さんは何時、辞めるの?」


……


梅木と競り市場にまで同行するようになり、次第に重用されていく本間が

嫉ましくてならない水谷だった‥


「それでは、今みんなに迷惑がかかるよ」物日という繁忙期が迫っていた。


「でも、自分の生活が一番大事だから」と水谷は通話を終えた……


ほとんどセンターに顔を出す事が無くなり、ややもすると言行が一致しなくなって

いく水谷は孤立感が募り、やがて連絡帳なるものをセンターに置き、


"情報を共有しましょう" と記してあったが、しばらく須賀と本間以外は無記入だ

った事から、毎日・目を通してサインする事、と注意書きが添えてあった。


梅木の許可を取ったとは言っても同僚がいる以上、越権に等しい、

もちろん水谷の苛立ちを含んだメッセージだった。


"喧嘩を売るような事ばかりしている"本間は溜息をついたが、 結局・梅木と水谷

のクレーム合戦台帳となった。



数ヶ月を経て"連絡帳"は唐突に姿を消し、内容から察して山上曰く「梅木さんが

捨てたんじゃない?」と冗談を言った。


"あれは、こうしてください! これは、ああしてください! あれはしないで

ください! これはしないでください!" が 水谷の文体であれば、


かたや梅木の文面は "誰だか知らないけど、これがああなっていたから注意する

ように! たぶん水谷さんだと思うけど、みんなも注意してください!"


といった内容の嫌味な"連絡帳"になっていた。



数週間後、雨の吹き込むテント張りの喫煙所で、煙草を吸わない本間も何時もの

ように、風が運ぶ梅木の煙を"受動喫煙"していた。


梅木は「最近、手が痺れるんだ」と言いながら、紙コップの砂糖とクリームを

"増量"した何時ものコーヒーをすすりながら、


「あの連絡帳、撤回したんですかね」と問う本間に自ら暴露して、


「あの"上から目線"の文面が頭にきてね‥俺がゴミ箱に捨てました‥言わないで

下さいね」 と言う…… 


溜息の衝動を抑えながら、本間は梅木に顔を向け「言えませんね‥でもみんな

知ってますよ大人ですから」‥


毛細血管を破壊しますよ過糖分は‥と言って小さく笑った。


―――


「何考えてるか分からないでしょ……子供の頃から、よくそう言われた‥」

(彼女にも彼女の傷が存在する)そう思う‥ 

山上久美子は自ら話し始める事はめったになかったが、


本間の問いかけには子供のように答えてしまうので「年甲斐もなく……」 

と思い、いつも少しばかり気恥ずかしく後悔するのだった。


本間は思う、屈託のない笑顔の女性はそれだけで人の何倍も得をする。

貧すれば鈍するというが、心のありようにさえ相応しい言葉ではないか、


様々な理由は推測できるものの、人間の基本である挨拶さえできない人達が

年代を問わずに増えているような気がしている。


それは他の痛みに益々鈍くなっているという余波であり、恐らくは戦後七十年を

経て、食の汚染とともに人の心の変遷も顕著になってきたのだろう。


通常‥女性は諍いを嫌うか、或いは保身の為に、時折に不本意な同調をして共通の

仮想敵を作り易い、我が儘な水谷に批判的でありながらも、


一面では協調する為に梅木や須賀への不満を、山上は口にする事があった。


本間は当初から雑務の多い山上に同情的であり、自分は損していると感じた時の、

彼女のそうした負の傾向性が呼び込む、徳失を懸念していた。


本間にとって美しい花を、みすみす枯れさせてしまう事はアーティストとしての

感性が許さなかったというべき事だろうか‥


押し出しの強い水谷に対し、二面性を含む社交術が保身を動機としていたのでは、

彼女の為にはならない。


「自分の発した言葉で誰かの立場が、僅かにでも悪化すると予見されるような時は

自制するのが大人だ! 人より仕事をして損な事など何も無い」


と言い切った。

彼女を思いやる心からだ。


山上は本間に言われても「変ね‥」と思う、腹が立たないのだ。


そればかりか 「どうすればいい?‥」

と什器の剥がれ掛けたラベルをむしりながら、少女のように問いかけてしまう。


一人きりになる入浴中に彼女は一日を振り返り、鏡に裸身を映しながら

「年甲斐もなく‥馬鹿ね……恥ずかしいわ」と思う。


明日は自分らしくしようと誓う、つまり経験の中の人達が言うように 

"何を考えているのか分からない寡黙な女" だが本間の答えを思い出す。


「そのままで」と彼は答えたが、それでいいという事ではないと思えた。


「山上さんが陰口や悪口を言う事は、些かも似合わない。そう見える‥ 

他人にそう見えるのならば、そのように振る舞うのが自然だ‥


やがてそれが山上さん本性の姿になる」


本間は山上をハッとさせるような言葉を、幾つも幾つも投げ掛けた。

それは少女時代に夢中になって紐解いた詩集のようだった。


「その努力は面倒だけどね‥異性の目を意識しなくなった時から悪循環は

始まるんだ。 


どの年代であっても輝けるものだと思うよ。

心さえ汚さなければね」などと、おそらく化粧もした事もないだろうに彼は言う。


「健全な男性ならば、女性の屈託無く、弾けるような声と笑顔に魅力を感じて、

得たいと願うものだ。年齢は関係ない!」等々


自分を否定されたのではない事は、山上にも分かっていた。



ある夏の日、彼女は後ろ髪を束ね薄化粧を施し、ルージュを引いて出勤してみた。

以外にも職場が違って見えた。


本間は目敏く、彼女の変化を見留めて、直ぐさま言葉に変換する事ができた 

「あっ、ヘアスタイル変えたんだ? いいなあポニーテール‥弱いんだなーそれ」


などと、ほざいて行ってしまった‥


本間以外は気に留めた言葉も無かったが、こころなしか男性客‥と言っても

"おじさん"ばかりだったが、声を掛けられるのも多かったような気がした‥

そこでまた本間の言葉を思い出す。


「自分の技術や知識を出し惜しみしては駄目、恩情を昂揚させる事が大事、

立ち位置を失墜するかどうかは別問題で、常に上を行く努力を」と言った。


「そうだ自分は若さに嫉妬したのかも知れない……」


過日、須賀の仕事上の不備を、純粋に商業上の損失として本間に告げようとして

思いとどまった‥


「私‥自分が嫌な人間なような気がして、とても嫌!」 

と言った事がある……


山上 久美子は徐々に少女の輝きを取り戻し始めていた‥

そんなある日、山上は仕事中に貧血を起こして座り込んでしまった。


山上は作業台にもたれかかっているのに、梅木と須賀は作業をしていたので、

本間は心の中で舌打ちしながら、山上の傍らにしゃがみ込み、


「どうしたの?  救急車呼ぼうか? 」と小声で尋ねると、山上は吐き気を抑えた

様子で「大丈夫……」と答えた。


本間は納品があるので「様子を見て悪化するようだったら、すぐ救急車を呼んで

あげて‥頼むね」と須賀に依頼して出かけた。


翌日、本間は外出から戻ると、以外にも笑顔の山上に会った

「病院へ行って検査した?」と尋ねると「行かない‥」と山上は言い。


「駄目じゃん!大事になったら大変だよ」と本間は注意すると「だって朝礼の時、

いつも倒れたもの」と子供のように言う。


「じゃあ、最後に貧血を起こしたのは何時?」と尋ねる。七年前だと即答した

事から、一応注意はしているんだなと頷いた。


「定期的に検診は受けているんだね」「うん、ついこの間(人間)ドッグにも

行ったし……」と言う。


遠い未来を若さは見落とすが、たとえ人生決算の理由付けとなる因であろうとも、

ひとまず問題はなかろうと思えば茶化す事もできる。


「そんなに弱い子だったのに、いつから強くなっちゃったんだろうね!」  


他愛のない寿命とはいえ、ふりかえれば人の変化は激しい。 

天使のような子供も、導かれる縁によって姿を変えていく。


いままで誰も感心を示した事もないような事を、本間は唐突に尋ねてくるので

飾っている余裕も無い‥


真意を測りかねた表情のままに、山上久美子は 「そうねっ!」と答えてしまった

が、母に手に委ねるような心地良さを感じて心が弾んだ。


自己の完成には、他者との交流が必要だとトルストイは教えている。

他者との接点は煩わしいものだが、避けていては物語は生まれない。


偉大なゲーテの母は、生きる為に学べ、学ぶために生きよ、と息子を育んだ。

人は間違いなく高見を目指して変わる事ができる……


誇り高い魂に昇華させるのは、誇り高い魂に触れる事だと伝えた……


君は‥友を求め行く放浪犬の物語を知っているかい? 僕はそれさ‥

照れながら本間は言った‥


友を求め行く放浪の詩人‥それが本間 貴経だ‥


本間が離職する時、梅木は娘を失った時のように哀しんだ‥

「なんで辞めちゃうんですか‥また俺は一人になってしまいますよ‥」


絶対に翻さない意思を感じたが、名残惜しかった梅木は、ふと思い至った‥ 

恐山の降霊術を本間も使っていたのではないだろうか?


もしそうなら俺は娘に向かって‥毒を吐いていた事になる‥

最愛の娘に‥

……


須賀ちづるは本間が退職して以来、父親を失ったように失然としていた‥

技量に全く自信がないまま梅木と水谷の確執に翻弄されていた時も、


「悔しかったら仕事で勝て!絶対できる!俺と競争だ!」と言った。


本間は転勤先に現れて店の主要な者に自分を紹介してくれた‥

店のパソコンでYouTubeを開いて「須賀さんの今日のMakeはこの人に似てるぞ」


と言ってシルビィバルタンの存在を教えてくれた‥綺麗な人だった‥

虚弱でいじめられっ子だった須賀は嬉しかった‥


本間の後を追うように彼女も退職した……


自分も辞めるからと言って、本間に去る事を促した水谷かほるは、数年勤務を

続けたが統合失調症になり、在職には耐えきれずに入院生活を送るようになった。

精神分裂である…


心を込めた最高の作品を創った……水谷さんの方が上だと梅木は言い(水谷さんの

方が、ずっと上手)だと本人も消極的だったアレンジだったが‥


山上さんの心が感じられる‥と本間が褒めてくれたアレンジフラワーを創作して

『色々ありがとうございます‥私は此所でぼちぼちとやっています‥』と

添え書きをして彼に送った‥


(私は‥ここにいる‥私の手を強くひいてくれなければ‥私はこれ以上進めない‥)


人妻である自分の境界を、本間は越えさせるような事を許さなかった‥

山上久美子は火照る胸を周囲に気取られまいと両腕で抱いた……














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