Man-eater
しかし面従腹背というよりは、自分の本心にさえ常に惑っている水谷だったが、
須賀の"未熟"に事寄せて「教えてくる。可哀相だから手伝ってくる」
と言っては、自身が望んでいた筈の"専任を解かれた担当店"に出かけて行き、
以前よりもセンター不在となったそうだ。
相互に依存する仮装の大人達は、互いに正面を向いて批判し合う事はまず無い。
梅木の言葉尻を捉えた"指導"という大儀を掲げ、返す刀で一進一退の
陰険な応酬劇は続く……「どうせ、他人よ」そこには上司である梅木と同様に、
彼の立場は無論のこと、同僚達の思惑の一切を顧みる心情が希薄、
という共通の傾向性が顕著に見られたと言う。
動物の世界では、複雑な事物の本質を捉える事ができず、事ある毎に目前の
同胞といがみ合い、互いに傷つき憎み合って貴重な一生を浪費する事が多い。
人の中にも近年、誰彼と構わず石を投げ掛け歩くような"突っ掛かった"
人物に遭遇し、戸惑う事があるものだ。
多くは笑って済ませるような些細な事を、規則だルールだと大騒ぎしては、
気に入らない人物を退職にまで追い込んだ多くの例もあった。
そうした醜態は、あらゆる状況下で散見されたが所謂・社会的弱者とされる
階層では憤懣の捌け口として多く立ち起こる。
実利を推し量るタイムスケールが準じて狭小な事に併せ、本物の敵を鏡の中に
認める事は辛いから、いきおい自分の姿を映し出す他人を憎む悪心は生じ易い。
プライドの極端に低い者と高い者、或いはコンプレックスの旺盛なものは、
些細な差違に拘り、転じて優越主義者へと容易に迫害する者へとも変わり易い。
例えば補助的であったパートの勤務様態が、現在では社員と同等以上の過酷
な状況にあるような時、パートの雇用形態にさえ階層を設けて、
互いに競い合わせる状況となっているのだが、
所詮は、何の補償も担保されないパート雇用であるにもかかわらず、
ショートだのシルバーだの、ミドルだのエキスパートと言った具合に労働時間と
僅かな賃金に差を設け、本質から目を逸らしやすく、或いは"諦め感"が増幅し易
い業態を創出する……
そうした歪んだ背景のうえに、正社員になったというだけで過去を忘れて、
優越感を持った"軽い人々"も生成されてくる。
通常、労働には2時間毎の休憩が望ましいが、パートにはそれさえ認めていない
事業所もあり、本間が極めて異常な事なのだと山上 久美子に語れば
「おおきな事を言ったって」と言うように、鼻で笑われたと苦笑していた。
愚痴を言い、仲間同士でいがみ合い、会社と上司を恨んだところで"人物"が
brainに不在な限り、企業が自主的に雇用条件を好転させる事は望むべくもない。
社会的弱者が権力に拮抗する力を保持するならば、義に結束した政治力にのみ
存在すると語って大いに笑いをかった……
彼と多くの同胞が現状を体験する中で政党を経由した行政機関への
陳情と同時に各所に起こった運動が契機となって、
その後のパート雇用の最低処遇と待遇の向上を法制化させた事も、決して
周知とはならない僅かな事だが、意義はあった。
前途に多難が予想されても、まず箍を嵌めなければ"人喰い"も収まらない。
あらゆる次元で彼等の闘いは終わらない。
浅きは易く 深きは難しとは釈迦の所判なり
浅きを去って 深きに就くは丈夫の心なり と賢聖は遺戒しているが、
一様にして仏法の浅深にのみ限定される経説ではないと見てとれる。
善意と寛容と信念に懐疑的な心に理解は難しい。
―――
少なからずの労働に因る緊張状態でもなければ、おそらく口にする欲求さえ
起こり得ない。
そんな美味くもない缶コーヒーをすすりながら、僕と本間は、そうして、
しばしば束の間の会話を楽しんだ。
知識の交歓は触発を生み、いまだ見えていないような"漠然"を確信に
変える事もある。
本間 貴経と言う知人の共鳴する理想像を聞いた事がある。
彼は臆面もなく、それは維摩詰だと言う。
維摩の正体は"悟った人"であり、そうとは知らない諸菩薩の論陣は尽く撃破
され、所謂・仏なのだが同じ境涯に"堕ちている"文殊を以てして、
始めて阿吽の行態を顕し、了承されたと言う。
彼が余りにも"不相応な話"を持ち出したので、少々意地悪な気持ちが湧き起こり
「維摩は長者ですからねー こんなところで缶コーヒーを啜っているような事態
にもならないのではありませんか」と言ったが、
僕の嫌味を、少しも意に介した様子もなく彼は理想だよ‥と言って
喩を返してよこした。
「詩人や楽人が宮殿ばかりに出没して居たら、煌めくような才能は地に埋もれる
ばかりだ‥心の富者を求めなければ大人とは言えない」
「達観や幸福感、或いは到達者がその証左として、権力や財力を絶対の証し
とするのならば、誰も救われる道はないよ」きりが無いんだと言う。
「維摩としては長者だが、必要とあればそうでない時もあるのさ」と続けた。
私は苦笑して言い返す。
「何が肝要ですかね?」
「道理に守護された自分を実感できる事だろうな‥利他共生の中にいる自分だ」
創作や発明する事ができる力を得る事、得た力で健気な命たちを救え!
そして"護られる自分"だと言う……
「創作・発明は人としての必然だが害悪も一緒に連れてくる」
取捨選択を誤まてば、道化者で人生を閉じると断言した。
「発明する人としての生き方、万事の振る舞いを過たず生涯を閉じる為には、
規範という"お手本"が不可欠なのだが、経文にある通り末法悪世の怠惰と怨嫉は
正義と誠意を歪んで見るばかりか、批判の為の批判材料とする……
愚かで卑怯者ほど"上から目線"などという自己逃避言語を多用して好転の
機会を失う‥
例えば肉食を控えようと言っただけで戦争になりかねないから、
相変わらず動物達は物だ」
そうして強奪された命は恨みを残し、この世に陰を落とすが……
傲慢は全てを劣っていると独断するから、知恵も目もありながら不明となる‥
大多数が一つ目の世界ならば、三角関数を用いて画像と距離を正しく読み取る
少数の二つ目が、異常に見えるようなものだ。
個々の意識が変わらなければ培養肉の普及は困難で、様々な妨害が予想される
事から研究資源を投資する企業は少数だろうが現状は理解している筈だ。
七十億が九十億になった時、その胃袋の要求に三倍すると言われるほどの家畜
の肥育高負荷にガラスのような地球が耐えうるか?
人が生きるために他の命を殺処分する排他的循環で、人が人らしく扱われる社会
を望めるだろうか……
だから僕は僕の小さな世界で、何度笑われても、何度もやってきて続ける。
――――――
そう言う事だよ……そう結んだ。