卑屈が育てる傲慢の種子
それ故、対話に挑んでは時に時間をおき、時に認めるべき事実には首肯して、
対面の思考の広汎性を阻害せずにおく、という本間の流儀は概ね理解できた。
何れにせよ、多くの共感は経過の内容に呼応して、時の蓄積を要して、
思うようにはならないものだ。
また事実、宗教界の現実と歴史を学べば学ぶほど、根拠も依拠もない稚拙な
似非宗教は論外としても、高尚な精神論を説く三大宗教界にして、
祖師が唱えた誓願とは遠くかけ離れ、いまだ万民に幸福をもたらせた‥ とは
決して言い難いどころか、益々偏狭な形式主義に陥っているようにも見える。
巨大化は緩慢と懈怠に繋がり、時の経過を以て意図せぬ慢心を呼ぶが、腐敗は
点から始まり周知となり難く、線と結ばれた時に体質が表面化して業を顕す。
法が強固であるが故に"得ずを得た"と錯誤する法説は、たとえ既存宗教であろうと
同様であるとは、時に内部の冷笑を浴びながらも無論認識していた。
問題は、その先にある万象に通じる堕落の元凶が、組織とかシステムがもたらす弊
害と言うよりも、各々の仏性を到底信じられない現実と、麻薬をとどめる者を憎む
ように、実践に関わる心身に伴う痛みを極端に忌避するからに他ならない事を、
如何にして認識させる事などができるものだろうか。
と言うことに尽きると言うのだ。
だが多くの場合は、例えオブラートに包むように注意深く言葉を選び、
諍いを避けるように対話を推移させたとしても、宿業変転の核心に迫れば、
所詮は相手を激昂させる事になるものだ。
事実の誤認を指摘するだけでも、それは容易な結果を伴わない。
例えば「いじめられる側にも原因がある」と
宣う者が「それならば、お前など生きる価値もない」
という暴言で反論されて指弾する言葉に、一理あると首肯する事が
できるのだろうか? 迫害するものに背景はどうであれ、微塵も理は無い。
そうしたジレンマがあっても"不条理を行使するものは必ず不遇を以て贖われる"
という事実を、まず事毎に伝えなければならない。
という誓願を悲しいかな"生まれながらの人"は持っている。
人が獣の方程式を踏襲するのならば人に進化した意味はない『調和』という
智慧の旗を掲げて獣の頂点にあり、始めて『人間』になれると賢聖はいう。
「必ず、まやかしがある筈だ! 絶対にそうであるべきだ! そんな清浄な世界など
絶対に有り得ようがない。もしあるとしたら、自分達は何なのだ!
そんなものは絶対に認める分けには行かないぞ!」
怨嫉が前提にあるとすれば、すでにその人は公正とは言えず、
均衡な視野を失っていると、断言せざるを得ない。
人はなまじの知恵があるゆえに、決して素直に正義を見習おうとはしない。
しないのだが、自分の位置まで正義を落とし込めようと、
様々に意地悪で卑劣な行為はするものだ。
釈尊十大弟子の舎利弗が成道(仏になる)を前にして、帝釈が変化した悪波羅門の
理不尽に、あえなく布施行が破られたように、
至高の道程には必ず耐え難い試練が顕在しうる。
本間には直近の現実として、この人物が職場の上司としての資質に大きく欠陥を
内包しているようにも思えたが、人の心は、奥底にある傷や哀しみが深く、
耐え難い渦中にある時ほど、その人の本質が容易には輝く事がない。
そうではあっても深い悲しみを経験した者であれば、必ず一定の憐憫の情を覚知
するはずであると、本間は考え信じていた。
故に自らを律する彼の基準は信仰規範を別として、一応には自分の"子供達の目"
である事も伝え話したそうだ。
何か間違いを犯しそうな時、今の、この自分の姿を、娘や息子が目にしたら、
なんて思うのだろうかという事である。
だが、その時の彼の部下に対する持論は、事の良否ではなく、すなわち
「俺の好まらざる事をするな! 俺の言う事を聞け!」であると言う。
我が身のみ愛おしむ性は、我が子を愛する事と愛玩する事の相違を認識する事が
できず、その言葉の奥底に気づく事もない。
悲しい事に、自信を持ち得ない存在ほど、皮を剥ぐ毎に怒気の虚勢を顕わにして、
全てを取り除かれた後は、矮人の姿を露呈するものだ。
「不倫というチャンスがあれば、いつでも応じる気だ」と冗談を交えて言う。
そうした不純を予感して"子供達の目"のたとえであったのだ。
とはいえ、本間の脳内はもう少し複雑な筈であった。
彼の信念の中には、不倫という行為の是非ではない縁というものがもたらす弊害と
幸福感の質量の顕れ方を懸念している事が多い。
端的に言えば事の発祥と推移ではなく、円満な結果こそ最重要という
価値感のようだが、今は余談である。
体力もなく、小狡く良いとこ取りだけしているような今の企業社会の中にあって、
ことに小売り流通の世界では、パートで働く女性の存在を軽視して、
円滑な業務など遂行できるものではない。
常にアイディアと意見を具申するパートの女性を出過ぎた女と、この上司は疎んじ
命令された業務を、そつなくこなす"空気読み" に長けた
大人しいパートさんを好む。
それでいて丁寧な手作業と感性を不得手とする彼は、それを補完する"出過ぎた女"
を必要としつつも、過去に在籍した大手会社の社内教育・手痛い経験・或いは本質
に学んだものなのか "つけあがり"には強権を手段とした。
パートの女性達が不在の時、少々手の込んだラッピングを、この上司自身が対応
しなければならなかったが、
およそ担当の女性パートがみたら卒倒しかねないような
"商品"を作り上げ、お客が取りに来た時のできあがりに対するクレームを恐れて、
「こっそり置いてこよう」と言い、受付担当の女性パートに預けてしまった。
本間は耐えかねて「クレームが来ませんか? もう少し納得のいくまで
作り上げてみては?」 と言ったところ。
「いや、もう客が来ているとかえって面倒だし、クレームがついたらアルバイトが
やったと言うからいいよ。 本間さんのせいにしてもいい」 と冗談を言ったが、
やりかねない本質を知っていて「苦笑した」そうだ。
本間よりも、この上司とつきあいの長い水谷かおるが言っていた事を思い出す
「本当に仕事できないのよ」
一作業の評価で全体像として断言してしまう、そうした
認識は自然と彼女の梅木に対する対応に表れ、度々この上司の神経を逆なでした。
いつぞやは商品単価で二人の意見が食い違い、「幾らにしますか?」 という
同僚の問いに上司は答えたが、「それではコストが合いません」と水谷は遮り、
自ら算定した単価を同僚である山上 久美子に伝えた。
梅木は何かぶつぶつと言っていたが、後の休憩時間に「たいした物量でもないし、
あんな価格で売れるものじゃないから安くていいんだよ」と本間にこぼし、
相当に苛立ちを募らせていたようだったと言う。
それより数週間のうちに、報復行為は方針という大儀に姿を変えて顕れた。
「来月から水谷さんはセンターに入って、水谷さんが担当していた店は
須賀さんに通わせる」と言い、入って半年ほどのパートの名を出し、
以後の専任作業の変更を伝えた。
須賀自身も「まだ早い」と思っていたのだろうが、二十歳になったばかりの
"入り立て"に異論の余地もない。
水谷は水谷で、以前に「山上さんはセンターの仕事だけしていれば良いけど」
と同僚の名を出し「私は担当店とここを行ったり来たり、
それで時給が同じなんて、おかしいと思わない? 」 と不満をこぼして
いただけに、真っ向から拒絶もできない状況だったが、
「無理です! 対応できないと思いますよ!」 水谷かおるは意見を言った。
「うん、そうかも知れないが、始めから仕事のできる人はいない。
水谷さんだって最初は何も知らなかったでしょ。 だから最初の内は、
よく面倒を見て教えてやってください」と、ここは見せしめの意志を押し通した。
「どうだ、これが現実だ! 逆らうなよ。俺以外の者が成果をあげる事も好ましい
事では無いんだ」 讃えよりも屈服を選択し快楽とする彼もまた、
そうした幼児性を統御できずにいた。
僅かな権限の鞭を授かり、箸の上げ下げにまで注文をつけるように、自分色の小
さな世界を管理する事が会社への貢献・正義だと自身を思い込ませていたからだ。
これまでも自分の意志に従い難い者には新人を導入して、じわじわと退職させて
いくと言った姑息な方法を好み、管理者の心得としていたようだ。
「自分以下の従業員は歯車だと思っていた」と本間に吐露した事がある。
本間はそれを単純には受け止めなかった。
彼は愛娘を失い自失の期間を経て、大手での経験を期待されて今の職場に就いた。
高邁な批判論を専ら展開していながら、実には自らがその組織体の弊害を体現
しているに他ならない事を、露ほどにも自覚していないという、
ありがちな現実に、五十七歳の彼も、また気付いていなかった。
そうして「この世は理不尽で不合理が罷り通る。理不尽であっても、間違って
いても、一度言った事の最後には、俺の言う事を聞けだ!」
それが社会だと強弁する。
でなければ、お前にもそうしてしまうかも知れないぞと、
会話の中で警告していたのである。
水谷かほるいわく「そう……まるで"子供"よ」そのつぶやきに多くの女性達
が男に抱いている哀れみと諦めを、本間は感じとり言葉を継げなかった。