第2話 最初からわかりきってたことじゃん
改めて言っておきたいのは、おれが学生だってこと。今から世界中を回る金なんか持ってないし、車やヘリコプターだって、もちろん持ってない。そもそも、免許がない。
そんなおれが、ひとりで世界を救えるわけはなかった。普通にやってればね。
しかしもしかすると、なんとか出来る人物が、この広い世界にはひとりくらいいるかもしれない。おれは海外に行ったことは一度もないけど、世界地図で見るわが国日本がああも小さいんだったらさ、世界の広さなんて、それはもう途方もないもんだろ。想像もつかない。現に、髪の毛が何mも伸びてる人だっているし、何億円ってお金を自由に使える人だっているらしい。
そうすると、この世の終わりをどうにか出来る人物がどこかにいるというのも、まったく荒唐無稽な話ってわけじゃないはずだ……って、おれはそう思った。それっていうのはすごい金持ちか、すごい天才か、もしかするとすごい怪力の人か、わからないけどさ。
金もない、頭もない、力もないおれの何が特別なのかっていうと、今日で世界が滅ぶことを知ってるってことだ。これはたぶん、少なくともおれの周囲では、おれだけ。もちろん、どうやって滅ぶのかなんか、わかりゃしない。
それでも精一杯のことをやろう。そうしなきゃ、苦しくって死にそうになった。いや、まあ、どうせ今夜死ぬんだけどさ……。
とにかく、要するにさ、おれはこのことを、世界中に知らせなくちゃいけないわけだ。
“なんとかしないと、世界は今日でおしまいになってしまいますよ。誰か、なんとかしてください。”
こう触れ回る。それがおれの使命だし、おれの精一杯なのだ。
朝からそれに気付いてやる気になってれば話は違ったのかもしれないけど、もう7時過ぎだから、正直言って絶望的だ。参った。
もし今からやるのであれば、民家を一軒一軒回って「どうにか出来る人いませんか」としらみつぶしに聞くのは、明らかにバカの所業だろうな。とすれば、テレビか、レディオか、そんなところだろう。ところで、どうやったらテレビやレディオに出られるんだ?
家の前で立ち往生している時間がもったいなくて、おれは千佳に電話をかけた。今思えば、我ながらおかしなことをしたと思う。千佳がテレビやレディオに出る方法を知っているとでも思ったのか。
『ハロー』
「もしもし」
寒さに鼻をすすり上げた。
『珍しいじゃん。どうしたの』
どうやら居間らしい。テレビの音と、話し声が聞こえる気がする。
「うん。ちょっと聞くけど、どうやったらテレビに出られると思う」
『は?』
千佳は一拍おいて、げらげら笑った。
『こうちゃん、テレビ出たいの』
「うん。レディオでもいいんだけど」
『え? ラジオ?』
クスクス笑いが止まらないらしいけど、こっちは大まじめだから、少々ムッとしていた。
しかしこれはおれが悪いね。突拍子がなさすぎるし、そもそも千佳にテレビの出方を聞くなんて、そりゃ、ある種の間違い電話だ。10年以上前にローカル番組の取材班が幼稚園にやってきたときにこそ、大人のほうが千佳を──この馬鹿を面白がって撮りたがったものの、それはその馬鹿が幼稚園児だったからだ。愛嬌で済んだ。今では体ばっかり大きくなった以上、そうはいかない。
『有名になりたいの、こうちゃん』
「違うよ。言わなきゃいけないことが──」
『わかった!』
噴き出すようにして言う。
『世界が終わるってことを言いたいんでしょ! テレビで!』
確信に満ちた声で続けて、『でしょう!』
舌打ち混じりにそうだと言うと、ここまではおおよそ予想通りの言葉を予想以上の鬱陶しさで言うに留まっていたはずの千佳は、いよいよ思いもよらないことを言い出した。
『よし、わかった。今からそっち行くね!』
自転車に乗って行ったから、少し待たされると思ったけど、千佳は案外すぐにやってきた。
今年はクラスが一緒で、毎日顔を合わせていたには合わせていたものの、こんな時間にふたりで会うのはいつぶりだか知れない。落ち合う場所に指定した中間地点の幼稚園の裏から、昼間と同じ格好をした千佳がひょっこり現れたときに、心臓が一度大きく跳ねたのは、そのせいだと思う。
「ハーイ」
「何しに来たわけ」
奇しくも昼間と同じ台詞で出迎えられたのを、千佳は当たり前のようにして無視しながら、まじまじおれを見た。
「なに」
「いや、なんかさ」
はにかんで笑った。
「ドキドキするね。夜に会うの、久しぶりじゃん」
街頭に照らされた耳は、寒さのせいで真っ赤だった。おれはとっさに言葉が出なくて、しばらく右上を見てから、「そうかな」と白々しく返した。今日はよく笑う千佳が「右上見た」と笑って、「テレビ出たいんでしょ」と本題に入った。
「まあね」
「ぶっちゃけ無理だよね」
「うるさいな、わかってるよ」
「うーん」
ずうっとうすら笑いを浮かべながら、千佳は顎を人差し指でこねくり回した。
「目立つところに出て、学生運動みたくさ、大人数で訴えたらどう」
それから、なんでもない声で言う。
「信じてもらえるかどうかはあれだけど、ひょっとするとカメラの一台くらいは来るかも……」
おれはちょっと驚いた。自分ではたったそれだけのことだって思い付かなかったのに、千佳があっさり現実的な(と、そのときのおれには思われた)案を出してくるだなんて、そしてそれ以上に、人をからかうことを生きがいにしているみたいな奴が、そもそもまともに考えてまともな(と、そのときのおれには思われた)アイデアを出してくるだなんて、つゆと思っていなかったから。
「……やって、みよっか……」
「ええ……。なに、どういう反応、それ」
感心して驚くのと、正直ちょっとだけ悔しいのとが混ぜこぜになった反応ですのじゃとは、普通の神経じゃあ、とても言えない。そうだよな。
「とりあえず、クラスの奴の家かな、回ってみるよ。協力してくれる人がいなきゃ始まらないから」
「おう、そうだね。行こう行こう」
「え?」
ひょい、と自転車の荷台にまたがり、「冷たい!」と悲鳴を上げて、千佳はサドルを叩いた。
「なに、早く行こうよ。時間ないんでしょ」
「いや、行こうって、おまえも行くの」
小首をかしげる。
「そりゃそうでしょ。じゃなかったら、わたし何しに来たのよ」
だから、それはおれが聞きたかったんだって。
「まあ、別にいいけどさ、おまえ、信じてくれたの」
「え、なにを?」
おれが答える前に、自分で理解して、きっぱり断言した。
「ないない。あはは!」
3人ばかりに電話をかけて、そんなお手軽な方法じゃあ、少し魔が差してやった程度の悪戯だって勝手に断定されてしまうことを悟った。
「世界の終わりを止めたいんだけど、協力してくれ」なんていう呼びかけに対する答えは、「暇なんだな」、「馬鹿なんだな」、「足短いよな」と三者三様だったけど、「まともにおまえの相手をしている時間がもったいない」って腹の声は共通してた。放課後にショッピングモールに行こうと言えばすぐに飛びつくくせに、この一大事にこれだ。まったく、友達甲斐のないったら。それと、言っておくけど、足は長い。
「千佳、だめだわ」
「当たり前だよ」
「家庭訪問する」
「え?」
「家庭訪問する」
ガタガタ震えながら、半ば自棄になって、おれは自転車にまたがった。千佳はおれの顔を覗き込もうと、荷台の上で身体をひねった。
おい、この女、本当にどこまで馬鹿なんだ、そんなに右に体重を傾けたら、そのまま自転車が倒れるだろう──って思いながらハンドルを握ってこぎ出そうとしたときに、千佳があんまり右に体重を傾けるもんだから、そのまま自転車が倒れた。
「ざあ」とか「じゃあ」とか、そのときたまたま口がそうなっていたから出ただけみたいな声が出た。というか、事実そうだったんだろうけど。そう都合よく、「ぎゃあ」だの「ひええ」だのって、綺麗な悲鳴なんて出るもんじゃないらしい。悲鳴を上げた経験が乏しかったおれは、人生最後の日に、それを初めて知った。
真冬の夜だから二人とも厚着していて、おれは手のひらの皮を剥いた程度で済んだ。千佳はそんな軽傷さえ負わなかった。今日はつくづく、神様の理不尽を実感する日だね。
「いてー!」
「おれの台詞だよ! なんだよ!」
跳ね返るようにして立ち上がりながら、アメリカ人の身振り手振りが自然と出た。びっくりしてテンションが上がっちゃったんだな。
千佳は座ったまま自分の身に怪我がないか確かめると、つんけんした顔で言った。
「だって、こうちゃんどうしたのかなって」
「何がさ!」
「なんていうか」頭の引き出しの隅を、つまようじでこそぐような顔。「ドラスティックだなって」
「え? ドラ?」
「どうしてそんなに頑張るんだ、って言いたいわけ」
それは──まで言って、詰まった。……言おうとするとね、ちょっと顔が火照ったもんで、
「……機会があったら……」
とだけ。千佳は座ったまま、クスクス笑った。
「世界滅ぶんでしょ。機会ないじゃん」
「そうか。じゃあ、ご縁がなかったと……」
聞いた割には興味がなかったと見えて、幼馴染は「ふうん」の他になにも言わずに手を差し出した。おれはそれを引っ張り上げ、今度こそ自転車を出発させた。
「今日で世界が滅ぶのをさ、どうにかしてくれる人を探したいんだ。で、手伝ってくれないかなって」
「は?」
6軒目。おれの話を信じてくれる奴なんか、ひとりもいなかった。当たり前っちゃ、当たり前。
「香輔、おまえ、おれに金借りてたろ」
「金が欲しければいくらでもやるから!」
「いや、そんなことは言ってない」
風呂上がりで玄関先に立つ井上が、ちらとおれの後ろを見た。それから、自転車の荷台に腰を下ろして手持ち無沙汰にこっちを見る千佳には聞こえないように、
「はーん」
とおれをこづいた。
今日は新月だ。いつもより数段暗い公園に、男と女。木は葉を落とし切って、おじいちゃんみたいに震えている。今日は風がないからましだと思った。自転車に乗ってれば、そりゃ寒いけどさ、こうしてベンチに座ってるだけだったら──、いや、やっぱり寒かった。千佳は座らないで、動物園のライオンみたいに、その辺をのそのそ歩き回った。
「誰も信じないね」
言われなくてもわかってる。
「ちょっとさ、現実的な話じゃないもんね」
言われなくてもわかってる。
「信じる人がいたら、わたし救急車呼ぶね」
言われなくてもわかってる。
「でも、ちょっといいな」
惰性で反発しかけて、ぐっと飲み込む。
「いいって?」
「あ!」
興奮してしゃがみ込む。猫だ。
いつものことだ。昔から、千佳は最後まで言い切ろうとする意欲に欠ける。こっちだって、別段興味があって聞いていたわけじゃなくても、途中まで言われると気になるだろう。だから、いつもこうして、一応は聞き直すはめになる。
「いいって、何がだよ」
千佳は猫をゴロゴロ鳴らしながら、ちらっとこっちを見て言った。
「うん」
答える気がないなら、もう、別にいいや。それにはそれで、慣れっこだ。
目を閉じた。いい気持ちだ。
靴底で砂の地面をこすりながらココアに暖を取る時間は、そのときのおれには、最高の贅沢に感じられた。真冬にひたすら自転車をせこせここぎ続けて、友人だと思ってた奴らに怪訝な顔と不審な目を向けられ続けていれば、たったこれだけのことが、相対的にさ、そういう風に感じることもあるんだな。そういうわけで、ある種のリッチな気分に浸ってて──っていうのはお笑いだけど、とにかく懐が広くなって、千佳の言動の雑なのも、どうだってよかった。
「今日のこうちゃんが」突然、目と鼻の先で声がした。「だよ」
「びっくりした」
「寝ちゃだめだ、寝たら死ぬぞ!」
おれのすぐ隣に、千佳はどっかりと尻を投げた。それも嫌に近いので、一瞬身体が強張った。
「だってさ、そういうこうちゃん、久しぶりに見るんだもん」
「ソ、そういうって?」
変に緊張して、声が裏返った。不覚だった。
「そういう……、ええと」じっとおれの目を見る。「ファイティングこうちゃん」
「誰だよ、それ」
「誰って、こうちゃんだってば。今日のこうちゃん。ファイティングこうちゃん」
千佳はおれ越しに、向こう側、どこを見るでもなく言う。
「言ってることはわけわかんないけど、やる気があってよろしいってこと」
言ってることのわけがわかんないのは、おまえだって一緒だろ。……って、言えばよかったな。
そのときのおれはそんなこと考え付かなかったから、何にも言わずに立ち上がった。空いたココアの缶を二つ、脇のゴミ箱に放り込んだ。
「わけわかんない、じゃなくて、本当なんだって言ってるのにさ……」
「もう行く?」
頷くと、千佳は荷台に飛び乗った。おれの腰のあたりをしっかりつかむ。
「と言っても、もう知り合いの家はだいたい回ったし……」
「あ、わたし、他にも知ってるよ。沙希ちゃんちとか。行ってみる?」
沙希ちゃんというのは大上沙希ちゃん。クラスの、いや、学年一の美少女の名前だ。教室で千佳と話しているのなんかほとんど見たことないし、確か一年のときにクラスが一緒だった、なんてわけでもなかったはずだから、千佳と沙希ちゃんにそこまで深い面識があるとは思えない。だから、やっぱり千佳はおもしろがって言ってるだけに違いなかった。
自分でもばかばかしいとは思うけど、こうふっかけられて黙って引き下がる気にはならなかった。おもしろがられてばかりいられるかってね。本当に行って見せたら、少しは見返せるかもしれないって思った。こんな動機が千佳に知れたら「ちいさい男だ」って言われるだろうことまでわかっていながら、おれは大きく頷いた。
「行こうじゃないか、沙希ちゃんち」
「あら」
千佳はちょっぴり驚いた。ははん、おれの勝ちだ。まあ、こうして沙希ちゃんちに行って、親父さんにでも出られて、何か勘違いされ、その場でお叱りを受けたりなんかしたら、そりゃ、ちょっと笑えないとは思うけど。
「きみ、まったくわからんよ、私には。一体なにを考えてるんだね」
「はあ」
「はあじゃないだろう!」
親父さんは近所迷惑なんて顧みずに、ポーチに正座させたおれと千佳に怒鳴りつけた。沙希ちゃんはいなかった。あんまり家に帰らないらしい。知りたかなかったが、社会人の彼氏の家に入り浸りだそうだ。聞いてもいないのに、知りたくもないことを、親父さんは勝手にどんどん吹き込んでくる。
勢いよく戸を開けられて怯んだおれがもごもごしていると、「あの男の知り合いか」から始まって、「あの男、他に金の使い道はないのか」を経由して、「沙希も沙希で、入り浸って、ちっとも帰って来やしない」に行きつく、といった具合だ。まったく、どうしておれがその男の知り合いだと思ったやら。
「本当は沙希に何の用事があって来たんだと聞いているんだよ。それだけだろう!」
「ですから、あの、今日で世界が……」
「大人を舐めるな!」
今日一番の大声だった。さすがの千佳も、びくっと縮んだ。
「いや、本当に本当で……」
「せめて証拠のひとつでも持ってきてから言いなさい。くだらないテレビ番組のほうが、よっぽどもっともらしく馬鹿を言う」
証拠と言われると弱かった。視線が落ちて、親父さんの靴しか見えなくなる。
「そもそも、どんな用事にしろだ。こんな時間に何なんだね、え。きみたちふたりして、ねえ、いかがわしいったらない。沙希や私だけじゃなくてね、妻だって息子だって迷惑だ。そうは考えなかったのかね、どうなんだ。答えろ!」
答えろと言うが、答える間を与えずに、親父さんは続けた。
「この夜中に何の緊急事態だと思ってね、出てみればどうだ、え。世界が今日限りで滅ぶだなんだと、出来損ないの……、出来損ないの、低俗な映画みたいなことを、恥ずかしげもなくいいやがる! ……一体、どういう風に育てられて……。本当にね、親の顔が」
反射的に顔を上げて、しまったと思う。正面の親父さんと左手の千佳の両方が、まっすぐこっちを見ていた。それぞれ違った無表情だった。
「きみ、きみ、なんだね、え。私はね、きみの親御さんをね、悪く言おうとして言ってるんじゃないんだよ、え。きみが! きみが、親御さんの顔に泥を塗ってるんだ! きみもそうだ! どうだ、え、違うか!」
千佳のことまで言われて、みぞおちから煮えたぎったマグマが噴き出しそうだった。歯の間から漏れる息の黒くないのが、不思議なくらいだった。
だけど、このクソ親父の言うことは何にも間違ってないようにも思えた。だから、余計に悔しかった。言い返せないから、ただ、おっさんの目を見た。
「叱られるとすぐにこれだ。反抗的な態度っていうものが、どんなに幼稚に見えるか知らないんだ、きみたちは。なに、世界が滅ぶだと。けっこうじゃないか、え。神様だかなんだか知らないがね、きみたちのようなのが社会に出る前に滅ぼそうって魂胆なんだ、わからんでもないよ、私にはね!」
千佳は何も言わなかった。表情のない顔でおれを見ていた。おれのせいでこうなったとでも言いたいのかよ。
「きみたちのやってることはね、とんでもない迷惑行為だよ。それをわかってるのか、え。きみのつまらん話を聞いて、誰が喜ぶんだね。誰にも良いことなんかないじゃないか。悪いことばっかりだろうが、え。わかってるんだよな、きみ!」
おっさんは息継ぎもせずに怒鳴る。
「きみがこうやって馬鹿みたいなことをするとね、私も沙希も、妻も、息子も、ご近所の方々も、きみたちの親御さんも、学校も、みんな迷惑するんだよ。わかってるのか。わかってやってるのか! きみはね、きみ、本当のろくでなしだぞ、きみ! どうしようもない人間だ! 言うにこと欠いて、世界が滅ぶだと。信じる奴がひとりでもいると思うなよ!」
おっさんは玄関扉の取っ手を握り、
「目ざわりだ、さっさと帰れ。言っておくがね、二度とやるなよ。警察に突き出すぞ。きみたちのやってることはな、え、非常に迷惑だ。迷惑きわまりない」
扉を思い切り強く引いたきり、おっさんの姿は見えなくなった。とはいっても、扉には開閉の動きを制限するストッパーが付いていて、叩きつけるままには閉まらずに、おっさんが意図したのより、ずっとゆっくり閉まった。その代わり、わざと乱暴に音を立てて鍵を閉められた。
急に静かになった。自分たちの息の音が、嫌に大きく聞こえた。
「……だって」
何の含みもない声だった。
「どうするの」
「迷惑行為だと」
「そんなの、最初からわかりきってたことじゃん」先に立ち上がったのは千佳だった。「どうするの」
おれは座ったまま、自分の膝を見て、何も言わなかった。
「本当に世界が滅ぶんだったら、続けるべきかもね」
それはそうだろう。わかってるよ。夜中にご迷惑なので、なんてさ、そんな悠長なことを言っていられるようなときじゃないんだから。
「だけど……、事実だってのは本当なんだけどさ……、それでも迷惑なだけかもしれない」
「そうかな」
「そうだよ。おまえだってさ、おれが誰か救えるって思ってるわけ」
千佳が何か言う前に、重ねて言った。
「騒がせるだけ騒がせてさ、信じてくれない人にはただの迷惑男って思われて、で、自分でも役立たずって思いながら……、そうやって死んでいくんだな、おれ」
立ち上がったら、足がしびれて倒れそうになった。それでもなんとかポーチを下りて、門にしがみついた。もうろくに歩けなくなったじいさんか、まだろくに歩けない赤ちゃんみたいだと思った。
「死んでいくって、大げさだなあ」
千佳は屈託なく笑った。
「なんだよ……。笑うなよ。ずっとさ、おれの後を付いてきてくれたくせにさ、なんだよ、なんにも信じちゃいないんだよな」
なんとなく声が震えた。本気で誰かに喧嘩をふっかけるのは久しぶりかもしれない。そりゃあ、いい気分じゃなかったけど、なんか、止まらなかった。
「おもしろがって付いてきてるだけなんだ……。真剣なのはさ、おれだけで、おまえ、遊びだと思ってるし、周りは迷惑だって思ってるし……」
「それは……、まあ、そうかもね」
「なんかもう……、痛感したよ。まあ、おまえの言った通り、それって最初からわかってたはずのことなんだけど」
よたよたしながら門の外に出て、自転車にまたがった。しびれは少しましになった。
「ほら」千佳のほうを見ずに言った。「さっさと乗ってくれないと」
「ほらって、どこに行くの」
「あれえ」
そのとき、空気を読まない、素っ頓狂な声が割りこんだ。悪戯していて母親に見つかったときのようにして、心臓が跳ねた。
「杉浦くん? あ、千佳ちゃん?」
大上沙希ちゃんが帰って来た。ふわふわの高そうな服を着ていて、制服姿以上にかわいかったけど、前みたいに無垢な眼では見られなかった。この服、誰に買ってもらったんだろうなあって。
「えー、びっくりぃ、なにしてるの」
「……いや、ちょっと」
「なんかね、知らせたいことがあるんだって」
千佳が余計なことを言った。
「ね、こうちゃん」
「えー、なになにぃ。連絡網?」
おれはちっとも暗い気分が抜けないから、千佳みたいにさっと沙希ちゃんの気分に合わせて取り繕うことが出来なかった。それで、学年一の美少女の前だっていうのに、気の利いた冗談のひとつを言う余裕もなくて……、というか、今、余裕を持って考えてみたって、そんな洒落た冗談なんか思いつきはしないんだけど、とにかく不機嫌全開のまま、
「何にもないよ」
「えー、でも、千佳ちゃんが」
「何にもない。いま帰るとこだったんだ」
「こうちゃん、帰るの」
今度は千佳が驚いた声を上げた。
何だって言うんだ。どうして欲しいんだ。
そういう風にしか思わなかった。
「帰る」
「えー、なんかひどくなーい」
沙希ちゃんのふくれっ面は、そんなときに見てさえかわいくて、そのせいで自然と視線が胸の膨らみに落ちそうになったけど、本当に不機嫌だったおれは思い止まった。
代わりに千佳に目配せすると、口を尖らせながら荷台に乗った。
「ウケる! カワイイ!」
沙希ちゃんはそれを見て笑った。両頬には、小さいえくぼが出来たけど、なんでだろうな、今度はかわいいと思わなかった。それどころか、恥ずかしいような、悔しいような気持ちだった。
だから、自転車は挨拶も待たずに大上宅の前を走り去った。月の出ない夜道は相変わらずの暗さで、沙希ちゃんがこんな道を歩いて帰って来たことが信じられないくらいだった。
「ねえ、本当に帰るの」
「帰る」
「あきらめちゃうんだ」
おれが何も言わないから、千佳はつかんだ腰のあたりを揺すった。「ねえってば」
聞いてるよ。無視してるんだよ。
「今回はもうちょっとがんばるのかなって思ってたけど」
それでも、おれは何も言わなかった。自転車の上の二人はそれきり静かになって、車輪の音だけが夜のとばりに響いた。