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「くだらない見栄」

今も昔も、男っていうのはどうにもくだらない見栄を張る生き物で御座いまして、長屋の居候、利七もその一人なので御座います。

風呂に入れば熱くても「ぬるい!」とのたうちまわり、隣に誰か座ればこいつよりも先に出るものかと心に決めて、のぼせそうになれば「こんなぬるい湯に入っていると風邪引いちまう!」とか捨て台詞を吐いてから上がったりするわけでございます。

そんな利七、今日は随分と面白くない不貞腐れた顔をしておりまして、それもそのはず、利七の前では現在、長屋の隣に今日越してきたという男、小奇麗な格好をした洒落者、官助と文吾が楽しげに話しているのでございます。しかし、それだけで不貞腐れた顔をしているわけがないのでございまして、問題はその内容。官助は中々裕福に育ってきた男のようで、官助が相撲取りと酒を呑みに行っただの、大きな屋形船に乗っただのという自慢話を挟むたびに田舎育ちの文吾が大げさに驚き、感心するというのを繰り返しているのであります。

不機嫌そうに頬を膨らませている利七のことなど二人は気にもせず、官助は素直に驚く文吾のお陰で上機嫌に、文吾も珍しい話が聞けたと上機嫌に二人の会話は弾んでいくので御座いました。

「実は私、剣術も少々やっておりましてね」

「ほう、それはすごいですな。どの流派で」

「北辰一刀流ですよ」

「なんと!あの江戸三大道場の!」

「いやいや、そう大した事でもありませんよ」

「大した事ですよ。いやぁ、驚きました」

そう言った文吾の口を開けた間抜け面に利七もとうとう堪忍袋の緒が切れまして、余計な口を挟み始めたので御座います。

「おうおう、文吾。間抜けな面してんじゃないよ。田舎暮らしのお前さんにゃ、わからないかも知れねぇが。この江戸じゃ剣術なんて皆が手習いにやるもんだ。勿論俺もそれなりに修めた。だから大した事じゃねぇんだよ」

「へー、七さん剣術なんてやったことあったのかい?一緒に住んで、もう一年で初めて聞いたよ」

「ほう、それはいつか手合わせ願いたいもの。それで利七殿の流派は?」

「え、南斗二刀流だ」

利七がそういうとただでさえ隙間風の酷い長屋に殊更冷たい風が吹いたようでございました。

「…七さん。それ今考えたろ」

「ぐぬ、文吾、お前その目は疑ってやがるな!嘘じゃねぇぞ、今剣術の流派は千以上もあるんだ。南斗二刀流はその中でも知る人ぞ知る幻の剣法でな…」

「はいはい、わかった。わかったよ。すまないね、官助さん。うちの変なのが話の腰を折っちまって今の話は流して、話を続けておくれ」

「コホン、それでは話を変えて、文吾殿、歌舞伎はお好きで?」

「好きも何もアタシの一等好きな娯楽でさぁ。特に団十郎、あれはいい男だねぇ」

「気が合うね、私も団十郎が大好きでね。新しい演目になるたびに2階の桟敷を取って一日中飲み食いしながら見ていたもんさ。演目終わって、夜にはそれこそ団十郎が挨拶に来たりしてね」

「あの団十郎が!すごいですな!」

「おいおい、文吾!何また間抜け面してやがる。たかだか団十郎と酒を飲んだってだけじゃねぇか!俺なんて団十郎と同じ舞台に立ったこともあらぁ!」

「七さん、それ本当かい?」

「おうよ。今度は本当の話だ!」

「酔った勢いで舞台に乱入してつまみ出されたって話じゃないだろうね?」

「ぐぬ、いや違う。実はお前さんと一緒になる前、歌舞伎役者をやっていたこともあってね。団十郎どころか団十一朗になるんじゃないかと言われていたことが…、おい文吾!最後まで人の話を聞きやがれ!」

「すまないね、官助さん。またうちのがくだらないこと言って話の腰折ってきやがって。あ、そうださっきの屋形船の話もう一度詳しく聞かせてくれないかい?」

「まて、文吾。俺はそんなものよりもっと凄いものに乗ったことがあってだな!それはなんと空を飛ぶ船で…、って聞けよ、文吾!そのガキの話ばかり聞きやがって!」

「七さん、失礼なこと言うんじゃないよ!大体官助さんは18なんだから七さんより年上だよ!」

「いや、俺は今年で19だ!」

「なんで一晩で2つも年をとってんだよ!本当つまらない見栄ばかり張る人だねぇ!本当にすいません、官助さん。…官助さん?」

文吾が思わず素っ頓狂な声が出るほど驚いたのは官助が拭いもせず、大粒の涙をぼろぼろとこぼしているからでございました。

「…お見苦しいところを見せて申し訳ござらん!実は拙者元は武家の生まれで御座いましたが、先祖代々見栄を張り続けたため、借金がかさみにかさみ、とうとう札差からも金を借りることが出来なくなり、どうにもいかなくなり一家で夜逃げしたものなのでござる!なのに拙者ときたら流れる先々で今のように昔の自慢話や虚構の作り話で見栄を張り続け、皆から煙たがれ、また流れるという繰り返し。ですが、今の利七殿のお陰で目が覚めました。見るに耐えられない見栄を張る拙者に、見栄というものが他人からはどんなに浅ましいものに見えるか教えるためにあのような子供でもわかるような嘘の見栄を張ってくださってのでありましょう。ありがとうございます、これからは見栄を張らず生きて生きたいと思います」

 そこまで官助は一息で言い切るとまたせきを切ったように大粒の涙をとめどなく流すので御座いました。

「…そう、俺はお前にそれを気づかせてやりたかったのさ。俺は普段は見栄を張らない人間だから見栄を張るのは難しかったよ!」

 この後に及んでまだつまらない見栄を張る利七を蔑むような眼差しで見ながら文吾は

 「ほう、見栄を張らない七さんは普段は何をやっている人なんだい?」

 と大層意地の悪い質問をしたので御座います。しかしそれが悪かった。

 「そりゃ、お前の兄分だろ?」

 何言ってやがるといった顔つきで利七が答えると文吾はまるで鬼の首を取ったかのようにはしゃいで言ったのであります。

 「まったく、ろくに働きもせず、飯と酒毎日食わせてもらって、月に三度は厄介事持ち帰ってくるのに兄分なんてよく恥ずかしげもなくよく言えたもんだよ!」

 「でも兄分だろ?」

 利七が首をかしげながらそう言うと文吾も利七の言っていることの意味がわかったようで鬼の首を取ったようなはしゃぎようから一転青ざめた。意味を悟られていないかと文吾が恐々と官助を見やると、官助は残念ながら聞いてはならぬことを聞いたといった顔をしていたのでございます。

 「…それでは拙者はこれで」

 官助が二人と目を合わさぬようにすくっと立つと文吾が泣きの入った声を上げた。

 「ちょっと待っとくれよ、官助さん!アンタが思ったような意味じゃないから!七さん、七さんからも何か言っておくれよ!」

 張りすぎても困るが、まったく張らなくても困る。見栄ってのは、どうもほどほどに張るのが一番なようで御座います。おあとがよろしいようで。


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