「働かない若者」
最近、働かない若者のことをニートと呼ぶそうでございますね。まぁ、ですがニートという言葉がなかっただけで身体が元気なのに働かない、働きたくないという困った若者はいつの時代も必ず居たもので御座います。
それは江戸時代にしても例外でありませんで、とあるオンボロ長屋に住む居候、利七もその一人で御座います。
利七は年がもう17になるというのに上背が5尺未満しかない色白の小男で毎日働かず、日がな一日オンボロ長屋であっちにごろごろ、こっちにごろごろするだけのどうしようもない江戸っ子でございまして、そのくせ、働いていないくせにメシは人一倍食うわ、酒は飲むわ、どうしようもないを絵に描いたような極潰しで御座いました。
「あー、一生働きたくねぇや。本当に働きたくねぇ」
酒の入ったトックリを抱きしめて、昼間から酔いつぶれている利七のその姿は呟いている言葉と相成ってもう底と言っても良い程の駄目っぷりで御座いました。
しかし、ここは江戸時代。現代のように福利厚生がしっかりしていないため働かなくては生きてはいけません。誰かに養ってでももらわぬ限り、
「ただい…」
玄関の扉を開けて『ま』まで言い切ることの出来ないほどコメカミに青筋を立てたのはこの部屋の主、地方から江戸へ出稼ぎに来た文吾という男でございます。文吾は年が16ながら既に6尺を越える大男で、その上、働き者で困っている人を放っておけないという絵に描いたような好青年でございます。そこを当てもなく江戸の町をふらついていた利七に目をつけられたのが運の尽き、あれよという間に家に転がり込まれ、かれこれ二人が同居して一年が経とうとしておりました。
「おう、文吾。帰って来たのかい?」
「荷車押しの仕事が終わったから金魚に餌やりに帰ってきただけだよ。昼からは駕籠屋で仕事さ」
「相変わらずよく働くねぇ」
「誰かのお陰で人の倍働かなくちゃいけないからね」
じろりと自分に向いた瞳から、踏まなくていい尾を踏んだことを察した利七がそそくさと長屋から出て行こうとすると、大きな腕で襟首をつかまれ、その場に正座させられた。
「なぁ、七さん。いい加減少しは働いたらどうだい?」
「あー、そうだな。そのうち働くよ」
「そのうちっていつだい?」
「あー、そうだな。今は暑すぎていけねぇからもう少し涼しくなってからだな」
「七さん、アンタ去年の今頃も同じこと言ったろ?それだけじゃないよ。来年からはだの、もう少し暖かくなってからだの、もう一年分は言い訳しちまったんだからね。もうその手は金輪際通用しないよ!」
「そうは言ってもな。実は俺も働きてぇんだけど仕事がねぇんだよ」
「それじゃ、アタシが手伝っている駕籠屋なんてどうだい?日当も結構貰えるし、上客だったら色を付けてもらえるよ」
「ふむ、駕籠屋ねぇ。文吾、それは乗るほうかい?担ぐほうかい?俺は動くのが嫌だから乗るほうならやってやってもいいが、おい、どうした頭なんて抱え込んで?」
「そりゃぁ、頭の一つも抱えるだろうよ。なんだいその乗るほうってのは!どこの世界に金を貰って籠に乗る商売があるっていうんだよ!担ぐほうに決まっているだろ」
「なら、やらん」
そう言い切った利七のやけに誇らしげな顔に苛立った文吾は思わず利七の耳を引っ張りつけた。
「痛ぇ!待て!一回耳離して俺の話を聞け!ふー、考えてみろ。見ろ、俺のこの身体を
駕籠担ぎなんてお前みたいに無闇やたらでかい奴ばかりだ!釣り合いがとれねぇだろ!」
「確かに俺と七さんで加護を稼ぐのは無理だな。お互い肩に担ぐと斜めになっていけねぇ。それなら傘貼りなんてどうだい?あれなら力もいらねぇ」
「傘張り?あれは駄目だ!やったところで手間賃だって出やしねぇ。それに…、」
その後も文吾はあれこれ案を出すので御座いますが、利七は働かないが口だけは回る男でして、どれもこれももっともらしい理由をつけて跳ね除けるので御座います。
「おっと、いけねぇ!もう仕事行かねぇと。それじゃ七さんちょっとは仕事のこと考えておいとくれよ」
さっと文吾が長屋から出て行くと、利七は「へいへい」といいながら話をうやむやに出来たことへの勝利の美酒を口にして昼寝に入るので御座います。まぁ、二人にとってはこれが日常なので御座いますが、今日は日常とほんの少しばかり違うことが起こったので御座いまして、
「七さん!七さん!開けとくれよ!」
「なんだい、うるさいね。今何時だと思ってんだよ」
「何時って、真昼間を過ぎたところだよ!」
「やれやれなんだい、八百屋の喜助じゃないか?何の用だい?」
「七さんとぼけちゃいけないよ。この間とその間、あの間に貸した酒代、積もりに積もった一両返しておくれよ」
「うーん、覚えてないねぇ」
「利子とるよ」
「あー、思い出した。でもね今持ち合わせがなくてね。次の月まで待ってもらえないかい?」
「もうその手には乗らないよ。七さんそう先月も言ったじゃないか!これ以上は待てないよ!ないなら金目のものを預かっていく!お、こりゃ良い金魚だ!金を返すまではうちで預からせてもらうよ」
喜助はそう言って金魚をタライごと持ち上げて、そのまま帰ってしまいまして、これに大慌てなのは利七で御座います。
「あー、こいつは困ったことになっちまった!文吾の奴は俺よりってことはないがあの金魚を異様に可愛がってやがるからな!」
「どうしたもんか。あ、そうだ。俺がちょっと留守にした間に泥棒が入ったってことにすればいいじゃねぇか!そうすりゃ『すまねぇ文吾!俺が不甲斐無いばかりに…』『泥棒だったら仕方ないさそれより何より大事な七さんが無事でよかったよ!』って感じで丸く収まるに違いねぇ!」
「収まるか!このバカ!」
「なんだ、文吾。お前いつ帰ってきやがった!」
「七さんが下手な小芝居始めたあたりからだよ」
「文吾、聞いてくれ!実は泥棒が入って金魚が持っていかれちまった!」
「そのアンタが泥棒呼ばわりしている八百屋の喜助からはさっき長屋の前で何を理由にうちの可愛い金魚を持っていくのかもう聞いているよ!」
「そうかい、そいつは話が早くて何よりだ」
「何よりじゃねぇよ!」
そう言って文吾は利七の首根っこを掴んで長屋の外にぽーんと放り投げた。
「痛ぇ!何しやがる!」
「いいかい、七さん!金魚を取り戻してくるまで、この家の敷居はもう二度と跨げないと思いな!」
「そうは言ってもよ。俺は金がねぇんだ」
「働け!」
「嫌だ!」
「なら、物なり何だり売って金を作りな!ただし、自分のだよ!」
そう文吾が怒鳴りつけるように言って戸をピシャリと叩きつけるように閉めますと、利七ももう取り付く島もないことに流石に気づきまして仕方なく金魚を取り返す算段を思案することになったのであります。
「うーん、さて、どうしたものか。俺は働くなんて真っ平ごめんだし、かといって金目のモンなんて持ってねぇし、仕方ねぇから身体売ったとなりゃ、文吾の奴はナリがでかい癖に嫉妬深いから今より酷い目に合わせられかねぇ。八方塞とはこのことだねぇ」
「あ、そうだ一つ俺のモンで金になるモンがあるじゃねぇか」
「おい、文吾!今帰ったよ開けとくれ!金魚を持ってて戸が開けられねぇんだ!」
「…本当かい?あれ、本当に金魚を持っているじゃないか!お金はどうしたんだい?」
「そこはほら、あれだ。明日からちっとばかし忙しくなるが気にするな」
その言葉に文吾はいよいよ利七が働く気になったのだと悟って満面の笑みでうんうんと頷いた。
「あとよ、流石に今回は俺も悪かったと思ったから、埋め合わせに酒も買ってきたんだ。だから今日は二人で夜更けまでとことん呑もうじゃねぇか」
「あぁ、呑もう!こんなにめでたい夜だ。今日は二人でとことん呑もうじゃないか!」
ドンドン、ドンドン
「ふわぁ。なんだい五月蝿いねぇ。って長屋の隙間から日が差し込んでいるってことはもう朝なのかい。昨日は嬉しくて呑みすぎちまったようだね」
「文吾さん!文吾さん!」
「はいはい、って駕籠屋の旦那。どうしたんです?こんな朝から?」
「それが上客から指名がわんさか入っちまって、悪いけど文吾さんすぐに来てくれよ」
「お安い御用で」
「助かった。それじゃ支払いはこれで頼むよ」
「へ?旦那この紙切れはなんですかい?」
「え、文吾さん一日雇い券だけど?」
「へ?」と首をひねった文吾が駕籠屋に聞き返す前に、これまた違う客がやってきまして、
「文吾さん、起きているかい!」
「これは葵屋の旦那何の御用で?」
「文吾さん、悪いけど今日坂まで荷車押しに来てくれねぇか!御代はこれで頼むわ!文吾さん一日雇い券で」
と差し出してきたのはまったく同じ紙切れなのであります。
「いや、葵屋!今日はうちが文吾さん一日雇い券を使う日なんだよ!」
「そうなのか!そこをなんとか駕籠屋!こっちは半日だけでもいいから!」
「うーん、仕方ねぇな。文吾さん、この券って半分ずつ使うことは出来ねぇのかい?」
「ちょっと待ってくだせぇ。…七さん!七さん!これは一体どういうことだい?」
わけのわからぬ事態に慌てた文吾が自分の寝ていた隣の布団に突き刺さるような視線を送ると、そこにはもう既に昨日夜更けまで酒を共にしていた小男はおらず、文吾一日雇い券と同じ筆跡の書置きだけが一枚残されておりまして、そこには
『お金がないので自分の物を売りました』
とだけ添えられていたのであります。
「誰がてめえのモンだ!」
文吾がその紙を破り捨て、「あの野郎どこに逃げやがった!」と玄関に目をやると、狭い長屋の玄関にはいつのまにか人が更に増えておりまして、皆揃って手にしているのは破り捨てた紙と同じ筆跡で文吾一日雇い券と書かれた紙切れなのでございます。
「文吾さん、大黒屋だけど!」
「文吾さん、この券で大工の手元頼みたいんだけど」
「あの野郎!一体これ何枚売った!出て来い!七さん!せめて逃げる前に何枚売ったか白状しやがれ!出て来い、利七ィィィィ!!!!!」
今も昔も、身体は元気なのに働かない、働きたくない人たちには、せめて人様に迷惑だけはかけずに生きてもらいたいものであります。おあとがよろしいようで。