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「親父っ……!」
ばんっと大きな音を立てて扉を開ける。と、同時に中にいた医者のルルスとその助手のミーア、自警団の副団長をしているダルダ、それとこの村一番の長老で村長を務めているぺぺ爺さんがこちらを振り返る。一身に視線を浴びて、その沈んだ瞳に一瞬だけ怯んだが、その奥にあるベッドにすぐさま意識を奪われた。
「親父……?」
恐る恐る近寄っていく先にいるのは、普段見慣れた厳しくて強い父の姿だ。普段とさして変わっているようには見えない。穏やかに呼吸もしている。ただ、眠っているようだった。
オレは、ほっと息を吐いた。訓練場に駆け込んできたドミナスが、「なんか知らないけれど病気になって倒れたんだ」というものだから、てっきり恐ろしい病にでも掛かったのかと思ったけれど、大したことがなさそうじゃないか。……そう、思って。
「それで、親父にいったい何があったんだ?」
まあ、たとえ寝ているだけだとしても、この親父がこんな時間に眠ったり意識を失うことなんてそうあるものじゃない。というか、祭や宴でしこたま飲んだ次の日ぐらいしかない。ともかくもと振り返って医者のルルスに理由を訊ねれば、答えたのは何故か茶色い目を厳しく細めたダルダだった。
「……それが、よくわからないんだ」
ん? とオレは思わず首をかしげた。ダルダは、ややためらいがちに言葉をつづける。
「私たちは、団長と一緒に森の見回りをしていたんだ。いつも通りある程度こなした後、森の奥で一度休憩を取った。そこで、彼が一度みんなから離れたんだが、……休憩が終わっても帰ってこなかったものだから、全員で探しに行ったら――――森の奥にある、泉があるだろう? あそこで、彼が倒れていたんだ」
「はあ? そこで何かに襲われたってことか?」
森の奥の泉は知っている。木々に隠れるようにして存在しているが、割と広い泉で水がとても美味しい。清い水だから、と言って薬を作るときは必ずそこの水を使うようにしているぐらいだ。自警団の若者の中では、そこへひっそりと恋人を連れて行ってデートするのがステータスになっているとか。悲しいことにオレに彼女はいないから未だ活用したことがない。
まあ、それはともかくとして。そんな場所で、誰か――何かに襲われて親父が倒れる姿が想像できない。
「わからない。俺たちにはわからないんだ」
ダルダは途方に暮れたように首を振った。
「ただ、争った形跡はなかった。周りにこんな風に倒れたり眠ったりするような薬草も、そういった毒を持つ生き物もいた形式がない。だから、本当に原因がわからない病としか、言いようがないんだ」
「そんな馬鹿な……、っじゃあ、親父はどうしたら目覚めるんだ? まさか、このまま寝たきりだなんてことはないだろ?」
急速に心臓が冷えたような心地がして、「なあそうだろ、ルルス?」と医者のルルスを見る。ルルスは、暗い顔で視線を合わせないまま首を振った。そんな、馬鹿な。
「原因のわからない病を治すことは、自分にはできんのですよ。これでも大概の病を知っとるつもりでしたが、自分にはこの病がわからんのです。レイモンの様子は、ただ眠っているだけに近く熊の冬眠に似とりますが、それだけにしてはおかしい。おそらく、呼吸はして生きとりますが――それだけでしょう。それ以上、時間が止まってるかのように静かです、レイモンの体は。気付け薬も眠気覚ましも、考えられる薬は試しましたが、効果はありそうにありません」
ミーアは、ルルスの隣でうつむいている。
「嘘、だろ?」
思わず漏れた声。ということは、オレは諦めるしかないんだろうか。……いや、ルルスにわからないなら、他にどんな手がある?
あるわけがない、オレはこんな早くに親父を亡くさなきゃいけなくなるのか。そう諦めかけた時、難しい顔をして黙り込んでいるペペ爺さんが視界に映った。
「ぺぺ爺さん」
「……何かの、フィリウスや」
爺さんは、オレの声にゆっくりとこちらを向いた。
「なあ、ぺぺ爺さん。村長でこの村一番長生きのあんたなら、何か知らないか? 親父の病気が何か、どうしたら治るのか」
ぺぺ爺さんは、本当に爺さんだ。今いくつなのか、正確なところをオレは知らない。オレが小さいころからしわくちゃの爺さんだったから、気にしたこともなかったのだ。でも、爺さんは長生きであるだけあって、村一番の物知りでも有名だった。わからないことは爺さんに聞けば大概解決すると言われている。
爺さんは、ふむ、と難しい顔をしたまま、白いひげを撫でた。
「ないわけではない」
「本当なのか!?」
思ったよりも良い返事に、オレは思わず飛びつくように聞き返した。部屋の中の全員が、期待に満ちた顔をしてぺぺ爺さんに食いつくように視線を寄せる。
ペペ爺さんは、動じた風もなく「うむ」とゆっくり頷いた。ただ、顔つきは険しいままだ。
「昔、聞いたことがある。眠るように、体の時間を止めてしまう病じゃ。原因は、水の精霊によるものだと言われておるが、詳しいことは伝わってはおらん。かつて、隣の隣の村の親戚の村でやはり同じような病にかかったものがいたそうじゃ」
「それで、そのものはどうなったんです? 薬なんかで治るもんなのですか、長老?」
オレが口を開く前に、ルルスが真剣な顔で問いかけた。ぺぺ爺さんは、やはり難しい顔のまま口を開く、
「そうじゃの、その病に効くのはただひとつと言われておった。火の精霊が持つ“生命の炎”で熱した水を飲ませることじゃと」
聞き入る面々――いや、オレをじっと深い色の瞳で見つめながら、ぺぺ爺さんはつづけた。
「――しかし、その者は治らないまま、やがて死んでしまったと聞いておる。なぜならば火の精霊はひどく気難しく、病人に近しい者たちでは“生命の炎”を手に入れることができなかったからじゃ、と」
しん、と静かな部屋の中に、その言葉はひどく重く響いたのだった。