1,オンシジウム
閲覧ありがとうございます。
前回のはプロローグで、今回が本編です。
ではどうぞ!
1,オンシジウム
「お嬢さん、何かお探しかい?」
仄明りに満ちた、少しかび臭い店。棚に並べられたたくさんの鉢の中にはそれぞれ植物の種が入っている。棚と棚の間ーーまるで本を選ぶようにそれらをじっくりと眺めながら歩く少女は、その店の主人であろう老人の声に振り返った。肩までも届かない程度の真紅の髪がふわりと揺れる。
「……あぁ、すみません。でも大丈夫です。」
そう言って少女は微笑んだ。
「いいのかいね、随分見ていたようだけれども。」
老人の優しい口調に少女はまた軽く会釈しながら、「大丈夫です。」と答えた。
「いろいろ効種があったので見ていただけなので。長居してすみませんでした。」
ぺこりと頭を下げる少女に老人は笑う。
「そうかい、そうかい。それは嬉しいことさねぇ。それにしても『効種』だなんて古い言い方、よく知ってるねぇ、お嬢さん。……ちょっと待ってな。」
そう言うと、老人は会計をするカウンターから小さな茶の紙袋を取り出して、近くにあった鉢の中から一掴みほどの種をそれに入れた。
「効種、ねぇ…。」と老人は呟く。そしてしっかりと袋口を三つ折りにして店の印を押した。
「なんだか、懐かしい響きよのう。最近じゃあめっぽう聞かないしねえ…。
…時とは恐ろしいものだよ。自然から新しいものを生み出す力を人間は得たけれど、代わりに自然を失いつつある。挙げ句の果てには自然など元から無かったかのように取り除こうとしているのだから困ったものさね。まぁ、わしにはどうしようもないのだけれど。……お嬢さん、名前は?」
「あ、えっと、アル・カルミアです。」
そう少女ーーアルは答える。
すると老人は紙袋を彼女に差し出しながら寂しそうに笑った。
「そうかい、そうかい。ではアルちゃんや、これは心ばかりのお礼だよ。……明日、この店を閉めるんだ。お客がめっきり来なくってね。こんな古臭い店よりきらきらした新しい店の方がいいんだろうね、最近の若者は。……まぁ若者だけではないのだけれども。」
老人ははぁとため息を吐き、アルを見やった。
「でも、最後にお嬢さんのような純粋に効種に興味があるお客さんに来てもらえて嬉しかったよ。わしも昔はよく効種屋に入り浸っていたものさ。」
「へぇぇ。本当に効種が好きだったんですね。」
「うん、うん。それがこうじてこんな店まで造ってしまったんだよ。」
老人は笑いながら両手を広げて店を示した。
「わしの自慢の店だ。」
アルは老人につられて店内を見回した。
木造建築、いい店だ。きっと老人は、この店に愛情をもっているのだろう。よく見れば、隅の方まで手入れがされていた。
「……なんで、閉めてしまうんですか?きっと私以外にもいると思います、いいお客さん。こんないい店もったいないですよ。」
「……いや。やっぱりダメなんだ、効種じゃ。」
老人は鉢の中の種をすくう。
「効種じゃダメなんだ。面白い種じゃ。……人々が種に求めているのは、そんなのじゃない。」
老人はすくった種を鉢に落とした。ザアアと種の滑る音がした。
「才能だよ。皆が皆、自分にない特別な才能を求めている。だから、最近じゃ効種も『才種』と呼ばれているのさ。才種じゃなきゃいけない。全く、自分がいるだけで一種の才能なのに誰も気づかないんだね。才種だなんて、本当はどこにもないのさ。」
老人は言ってから、アルに笑いかけた。
「ごめんよ、なんだかしんみりしてしまって。やっぱり感慨深いね、長年付き添ってきた家族と別れるようで。まぁわしもいい歳だから、覚悟を決めなければ、ね。
さっき渡した種だけれど、その種はゲランといってね、才種ではないけれどもわしの一番好きな種なんだ。もし暇があったら植えてごらん。わしゃそのなんとも言えない香りが好きでね。才種じゃないから色も鮮やかだし、当店の自慢の一品さ。」
老人はアルに軽くウィンクする。アルはそんな老人に笑った。
「ありがとうございます、大切にしますね!おじいさんも元気出して下さい。」
「おお、ありがとう。何かあったらいつでもおいで。」
アルは軽く礼をしてから踵を返す。
店の出口まできて、ふと隅に掛けられたカレンダーに目が留まる。2と一番上に大きく書いてあった。その斜め下ーーこの国の王暦を示す小さな数字にアルは目を見開いた。
「……あ、れ、?」
「ん?どうしたんだい?」
「あ、いえ、そのカレンダー……。」
アルを見送ろうとついてきた老人は、アルが驚愕しているカレンダーを覗き込み、首を捻った。
「特におかしくないけれどねぇ。今日は2の月の12の日だし……。」
「そうじゃなくて、年が。」
「年?はて、何かおかしいかね。今は568年だったと思うけどねぇ……。」
「568...…?」
「そうだね。」
老人はもう一度カレンダーを見て頷いた。
「……。そう、ですか。すみません、ありがとうございました。」
「そうなのかい?恐らく間違ってないと思うけれどね。まぁ、気をつけておいき。」
アルはまだ釈然としない顔で頷いて、もう一度老人に礼をした。
遠ざかる店と手を振る老人に手を振り返しつつ、アルは考えた。
……もしかして、とは思っていたけれど。
体を捻って前を向き、見慣れない街並みを見渡した。
どうやら私は、未来に来てしまったらしい。